10 日々、(胸も)成長しているはずだ。寄せて上げてみよう。
神暦1513年4月14~18日
「たんと、お食べ。そうじゃないと、いい乳が出ないからね」
そんな言葉を一方的に語りかけられて、つぎはぎだらけの小汚い服を着た農婦っぽいお婆さんに優しく頭を撫でられた。いつも優しくしてくれるアレクシアに頭を撫でられるのは好きだけど、信用することもできない見知らぬお婆さんに頭を撫でられる筋合いはない。そもそも、洗ってもいない平民の汚れた手で、王族の肌や髪に直接触れるのは死刑相当の不敬罪なんですけど。
食べないといい乳が出ないって、何のこと?
もしかして、私の胸部装甲が薄すぎるから馬鹿にされてる?
もしゃもしゃ♪もしゃもしゃ♪
思春期特有の性徴というスタートラインに立ったことすらない、ぺったんこの貧乳な私にいい乳を出せるわけがない。妊娠していないのに母乳が出てきてしまう体質の人もいるらしいけど、その場合は病院のお医者様にお任せします。乳頭への過敏すぎる刺激や脳の腫瘍の影響で自然と母乳が出てしまう人もいるらしいので。
………あれ?
今、
男性に抱かれるのは断固拒否したいけど、自分の遺伝子を受け継いでいる子供は欲しいかも。この世界に人工授精の技術があるのなら、私は喜んで、優秀の精子が液体窒素で冷凍保存されている精子バンクの利用者になろう。前世は三十路の魔法使いになっても童貞を捨てられなかったから、可愛い女の子に生まれ変わった今世では転生者(私みたいな)じゃない金髪碧眼の女の子を産んで戯れたい。顔だけは無駄に良い私が産んだ子供なら、絶対に可愛いはずだ。
それにしても……今、私が見ているものは
「って、それは乳牛のおっぱいじゃない!」
それがベットから飛び起きた私の第一声だった。
「うん?」
口の中に噛み終わった硬いガムのような異物の存在を感じる。
寝苦しい麦藁のベットから抜け出し、女の子座りのままで軽く背伸びをする。
「……はうぅ~」
寝起きの気分は最悪に近い。
巨乳の女の人(お母様とアレクシアとベアトリクスは除く)に対する
前世で一時期話題になっていたバストアップマッサージは、本当に効き目があるのかな?自分のAカップしかない貧乳(AAカップの無乳だけど、残酷すぎる現実は綺麗さっぱり忘れることにした)を揉もう、寝る前に少しずつだけでも。
ぐりぐり、ぐりぐり、ぐりぐり……何だか不毛に思えてきた。
バストアップマッサージは揉めて大きくなれる乳がないと無意味っぽい。血液やリンパの流れの良くして、栄養を細部まで行き渡させるのがバストアップマッサージのはずなんだけど、私がしているのは皮膚と肋骨の間の肉を揉み続けて、無駄に胸の脂肪を燃焼させているだけのボーンアップマッサージ。
はぁ~……この身体は本当に成長してるのかな?
以前にやらかした代償を用意していない強引な固有魔法の行使の影響で、私の身体の成長速度は他の女の子と比較して、三分の一程度まで抑えられている。実年齢は青春真っ盛りの十四歳なんだけど、私の肉体年齢は十歳前後の幼く見える姿なんだよね。ぺったんこの全体的に起伏が乏しい身体をしていて、剃ってもないのにツルツルな部分もある。……前世の男だった時はボーボーだったのに。
「日々、(胸も)成長しているはずだ。寄せて上げてみよう」
私は自分の肋骨を揉むの止めて、寝巻きのネグリジェを脱いだ。
うん、俯いて遮るものがない胸のほうを見下ろしてみても、成長らしい成長をしてないのが一目で分かる。まさに、アメリカにあるグランドキャニオンみたいな断崖絶壁の貧乳である。浮き出ている肋骨がコロラド川の浸食作用で削り出されたデコボコの地形みたいに見える。
清楚可憐で慈愛に満ちた微笑みを浮かべている十四歳のお姫様なのに、この体型はありえないでしょ。いや、おっぱいを無理やり寄せて上げたらBカップになるかもしれない。おっぱい周辺のお肉を徐々に寄せて上げて……ちっ、寄せる肉さえなかった。むしろ、薄っすらと見えていた肋骨が余計に強調されている。
「現実は残酷だね。無理そうだから、胸パットの着用を考えよう」
この世界に胸パットは存在していない。目指せ、違和感のない偽乳。
私達が生きている世界は、地球のヨーロッパ大陸に酷似している。それなのに魔境や魔物の存在が文明の発達を阻害しているせいなのか、前の世界で普通に食べられていた食べ物が未だに発見されていなかったりする。南米アンデス山脈原産のジャガイモやトマト、インド原産のキュウリやナス、熱帯アメリカ原産のピーマンやパプリカ……ピーマンとパプリカは好きじゃないから、このまま未発見でいいかも。
ぶっちゃけた話、人類の進化は進んでいるけど、ヨーロッパ以外の地域に進出できていない。教会は自分達が楽園から追放された罪人の子孫だから、楽園に帰れるように徳を積むべきだとか阿呆なことを言ってるけど、アフリカ大陸の魔素濃度が急激に濃くなって、それまで住んでいた生存圏から追い出されただけだと思う。
さて、今の私の気分は
窓のところにある木蓋の隙間から陽が差し込んでるけど、今の時間は何時ぐらいなんだろう?同じ麦藁のベットで添い寝をしてくれていたアレクシアの姿が見えないのも、ちょっとおかしい気がする。私の暗殺未遂事件を知らない農民が情報収集目的で共和派貴族に買収されている可能性もあったから、この農村に着いてから私の
勝手な行動をするとアレクシアに怒られそうだけど、何となく気になるので外の様子を少しだけ確かめに行こう。この村長宅の周りは農民が近づかないように常時警戒されているから、私が暗殺される危険性はかなり低いはず。
ベットの上に放り投げたままになっているピンク色のネグリジェを拾い上げて、再び着替え直す。はしたないネグリジェ姿のままで村長宅の玄関から外に出るような行動は王族の体面上許されないから、窓にあるボロボロの木蓋を少しだけ開けて周囲の様子を見渡す程度。いきなり窓から矢は飛んでこないよね?年中無休の恒例行事と化している暗殺未遂が多すぎて、私の被害妄想が激しくなってる気がする。
まずは寝室にある窓の木蓋から……。
「……なんで、ソルフィリア王国の方向から巨大な火柱が見えるのでしょうね?」
私が見たものは天高く
……私の避難先が
巨大な火柱という現実感がない衝撃的な光景を目撃してしまった私は、半笑いを浮かべながら彫刻みたいにピキリと固まってしまった。これはあまりにも非現実的すぎるでしょ。巨大隕石が落下した?大規模な魔法攻撃を受けた?これから向かうはずだったソルフィリア王国の王都に巨大隕石が落下した場合、私は天文学的な確率で運が悪いことになる。個人の大規模な魔法攻撃の可能性はほとんどありえないけど、腕の立つ魔導師を十万人単位で動員できれば何とか実現可能かもしれない。
これからのことを冷静に考えないといけない。
リーフェンシュタール王国の国内で、お母様が大規模の粛清か誘発させた内乱を鎮圧する予定なのだ。私達は王都ヒュルトから馬車を走らせて、一日移動しただけの距離しか稼いでいない。ここで問題になるのは、共和派貴族から暗殺の目標にされている私が安全でいられる場所と安全になるまでの時間を得ること。そこまで考えてから、私一人では何も決められないことに気がつく。護衛の総指揮官であるアレクシアと相談しなければ、このままソルフィリア王国に進むべきかなのか、すぐにでも王都に戻るべきなのか判断することもできない。
ぐぅ~……。
空腹を訴える正常運転の私のお腹が、空気を読まないで可愛らしく鳴った。
◇◇◇
「ソルフィリア王国の王都ナミュールが壊滅したようです」
二人分の朝食を村長宅まで持って来てくれたアレクシアが、
まずは搾りたての温かいホットミルクを飲んで、巨大な火柱を見て落ち込んでしまった気分だけでも変えよう。王城で食べる料理はいつもダイニングルームに着くまでに冷め切っている(調理場から運ばれてくる移動時間と目の前で毒見の確認をするため)のが当たり前だから、こうやって温かい料理をすぐに食べられるは本当に久しぶりだ。
ふーふーと息を吹きかけて、冷ましてから飲んだホットミルクは子供の頃に飲んだきりだったから、とても懐かしい味がした。そういえば、寒くて長い冬の季節に入ると火属性の魔法が使えるベアトリクスに毒見済みのミルクをよく温めてもらって飲んでたな……。
「ナミュールに派遣されていたベイツ伯爵家の暗部も全滅した可能性があります」
「っ!」
「彼等はナミュールで根を下ろして、ソルフィリア王国の情報を集めてくれていたのですが、甚大な被害状況から考えて生存している可能性はほとんどありません」
ホワイトシチューをスプーンでゆっくり掻き混ぜているアレクシアの言葉を聞いて、私は口にしていたホットミルクを吐き出しそうになった。
話の最初から最後まで生存している可能性を切り捨てているような淡々とした口調で、生家であるベイツ伯爵領出身の暗部がナミュールで全滅しているかもしれないのに、アレクシアの浮かべていた表情がいつもと変わらなかったからだ。
「ナミュールという、良き死に場所を得た彼等も本望だったことでしょう。リーフェンシュタール王国に生まれ、リーフェンシュタール王国のために戦死することができたのですから。彼等の死は無駄にはなりません」
「…………」
「王都のナミュールが壊滅したとしても、周辺都市に分散させていた人員は生き残っているはずです。ソルフィリア王国と国境を接しているラーデン城砦まで移動して、彼等の情報を待ちましょう。その後で我々の進退を決めればいいのです」
ふるふると頭を振りながら、何もなかったかのように振舞っているアレクシアを見返す。異常事態の中で冷酷になり切れない私は民草を守るリーフェンシュタール王国の王族として不適格なのかもしれない。戦争や内乱で多くの死傷者が出ても、壁に付いた染み程度に思わなければならないのが為政者の役目なのだから。
ふっと表情を緩めて、アレクシアが口を開いた。
「フランが悲しそうな顔をしなくてもいいの」
「でも……たくさんの人が死んだんだよね?」
「私個人の考えだけど、貴族と王族の根っこの部分は同じだと思ってる」
「え?」
「誰かの命を犠牲にしなければ、それ以上の命が失われてしまうかも知れない」
「………」
「だから私は、誰もいないところで泣き叫びながら悔いたとしても彼等の死を受け止めることにしてる。未来のことなんて誰にも分からないけど、これだけははっきり言える。一番の罪は彼等の死を無駄にしてしまうこと」
「……シア姉はそう思ってるの?」
「うん、そうしないと散っていった人達に顔向けできないからね」
アレクシアは本当に強いと思った。
子供の頃からの付き合いだけど、アレクシアの死者に対する考え方を初めて聞いた。ここで私が逃げ出してしまったら、彼等の死を無意味なものにして侮辱することになってしまう。それはどうしても許せなかった。
「私も彼等の死を無駄にしないようにする。それが国のために尽くしてくれた彼等に対する手向けになると信じて」
◇◇◇
新たな槍働きの場を探すために徒歩で移動している傭兵団や大店の商人が率いている武装隊商を追い越し、安全な夜を過せる街や農村に立ち寄って休息する日々。
王都ヒュルトの王城にある自分の部屋で、誰も寄せ付かせない引きこもりのような生活をしていた私が名前も知らない誰かのために行動している。並走しているアレクシアに似た顔立ちの騎兵の姿を揺れが激しい馬車の中から眺め、その騎馬に乗った少年の曇りのない瞳に自然と惹きつけられる。……彼のウィンチェスターライフルの撃ち方が段々荒っぽく派手になっていることは指摘しないでおこう。ター〇ネーター2のシュワちゃんじゃないんだから、騎馬の手綱を持ちながらの片手撃ちは危険だと思う。少年よ、片手撃ちは先端の銃口がブレて絶対に当たらないから。
最初の農村を出発して四日後、私達はリーフェンシュタール王国とソルフィリア王国の国境線にあるラーデン城砦を視認できる距離まで辿り着いた。
問題があるとしら――
「彼等はリーフェンシュタール王国の民ではありません。無理にでも包囲を突破して、安全な城砦の中に入るべきです」
「どう見ても着の身着のままで逃げ出してきた平民だと思うのですが……」
「フランツィスカ様の安全が最優先です。彼等は見捨てるべきかと」
「……あれ、どう見てもソルフィリア王国から流れてきた避難民ですよね?」
ラーデン城砦を包囲している数千人の避難民達。
これまで幾度となく行われたきた成果のない魔境への侵攻と戦費調達のために課していた度重なる重税で、平民に対する圧制を続けてきたソルフィリア王国。反乱分子を生み出しかねない末期的な国内事情だったソルフィリア王国の中枢である王都ナミュールの壊滅。王都ナミュールの壊滅を受けて各地で混乱し続けているソルフィリア王国の貴族達は、平民達の自発的な行動を阻止することができなかった。
有りと有らゆる厄災が詰まったパンドラの箱に最後まで残っていたものは希望。
ラーデン城砦を包囲しているソルフィリア王国の平民達は、隣国に亡命できるという希望を胸に抱きながら死のうとしている。リーフェンシュタール王国は、隣国であるソルフィリア王国に不法入国者という厄介な種を押し付けられたらしい。
……やっぱり、この世界は不条理に満ちすぎている。
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