08 シア姉、もう無理そう。
神暦1513年4月12~13日
早朝の澄み切った空気を吸い込み、ゆっくりと息を吐き出す。
今の季節は四月中旬あたりで、少し肌寒く感じる気温に若干の不安を覚える。
気温の変化が激しいと体調を崩しやすいなるし、私が乗る馬車を周辺警戒しながら護衛してくれる騎兵の判断力も低下しかねない。体調を崩した影響で低下し始める判断力の欠如は死に直結してしまう重要な事柄。堅牢な城郭都市である王都ヒュルトの城壁を越えた先にあるのは、無数の魔物が
魔境と呼ばれている地域は、本当に危険な存在。
強すぎる魔素濃度の影響を受けて、通常の動物でも強力な魔物に変化されられてしまう。
具体的な例を示せば、二足歩行型の魔物であるオーガ・オーク・ゴブリンは、魔境の空気中に漂っている高濃度の魔素に順応し、徐々に肉体と精神を変容させてしまった
ソルフィリア王国も馬鹿なことをしていると思う。
軍勢を率いての魔境の攻略なんて到底不可能なことなのに、無理な出兵を何度も繰り返すなんて正気の沙汰じゃない。魔物の楽園に土足で踏み込んで、集団パニックになった魔物の大群に反撃されては逃げ帰る。危険な魔物が生息している魔境と言っても、実際はただの魔素溜りの濃い樹林に過ぎないのだから、魔素の主な発生原因になっている木々を外縁部から次々切り倒しちゃえばいいのに。
「フランツィスカ様、出発の準備が整いました」
「ありがとう、アレクシア」
出発準備の最終確認を終えたアレクシアが、私にそう伝えてくる。
国外逃亡の準備を不眠不休で頑張ってくれたアレクシアには、普通の箱馬車よりも座り心地が格段に良い王族専用の馬車の中でゆっくり寝てもらおう。疲労と睡眠不足のせいで、目の下にあるクマが凄いことになっているからね。ソルフィリア王国の頼りになりそうな貴族を見つけてくれたのもアレクシアで、行き帰りの比較的安全な移動ルートを決めてくれたのもアレクシアで、あちらの王族に渡す贈呈品を選んでくれたのもアレクシアだ。
私も微力ながら荷造りを手伝おうとしたけど、殺気立っているアレクシアの邪魔になりそうだったから、結局何も言い出せないで、すごすごと引き下がった。手伝いたいと言い出した途端、私でも扱き使われそうな鬼気迫る雰囲気だったんだもん。素知らぬ顔で傍観者に徹することができる私は、阿鼻叫喚な周囲の状況を無視して、何も関知しない銅像と化しましたよ。
「騎兵隊、総員整列!」
私達の目の前で整列したまま、微動だにしない騎兵達の姿に圧倒されかける。
これで、ソルフィリア王国側にリーフェンシュタール王国軍の威力偵察と思われかねない過剰な護衛兵力が私の手に委ねられた。私の護衛兵力の主力は、ウィンチェスターライフルとSAAで武装している平民出身の騎兵が百八十名。それに私の身の回りの世話をしてくれる侍女十二名と名ばかりの外交官である文官四名が加わり、合計百九十六名+私とアレクシアでソルフィリア王国に向かうことになる。
これまで私を守ってくれていた護衛騎士の大半が、今回の外交使節団の中に組み込まれなかった。まぁ……おままごと感覚の頼りにもならない見目麗しい貴族の子女だけで編成されていたものだったし、最初から戦力として期待されていなかったということで。バランスよく王党派と共和派の護衛騎士を同時に遠ざけたので、阿呆な貴族連中から文句を言われる筋合いはない。
傅役のハンスもソルフィリア王国に連れて行かないことにした。安全なリーフェンシュタール王国の国外へ逃げ出す私よりも、不満分子である共和派貴族と国内で戦う予定のお母様のほうが危険性が高い。だから、ハンスにはお母様の護衛任務を与えてある。アレクシアと四六時中イチャイチャできる大義名分は手に入れたし、お風呂と添い寝という私の野望を邪魔する者もいなくなった。
あれ?
お母様はベイツ伯爵家から人員を出すって言ってたよね?どこにいるの?
周囲を見渡してみても、私達が乗る予定の豪華な馬車と整列している騎兵達に手綱を握られている騎馬、オドオドしている外交官と無表情を貫き通している侍女達、荷物(補給物資)が満載されている幌馬車しかない。ベイツ伯爵家から派遣されている人員らしい姿を探しても見つけられなかったので、私は出立の見送りに来てくれたお母様に質問してみる。
「お母様、ベイツ伯爵家からも人員を出して……くれたのですよね?」
「ベイツ伯爵家の私兵と侍女がフランちゃんの目の前にいるじゃない」
「え?全員がベイツ伯爵家の者なのですか?」
「気まずそうにしている、四人の外交官を除いてね」
お母様が不思議そうな顔をしながら答えてくれた。うちの王家、ベイツ伯爵家と仲が良すぎませんか?所在なげに放置されている外交官が可哀想に思えてくる。
「ベイツ伯爵家の領地は国内最大の魔境に接しているから、平民でも自衛することが当たり前なの。戦場で武勲を立てることが尊ばれる土地柄だから、閲兵式の時も所有している実戦経験豊富な私兵を喜んで送ってくれたわ。閲兵式の内容だけは、ベイツ伯爵に教えなかったけどね」
どこの戦闘民族ですか、それ。
訓練が行き届いた実戦経験豊富な私兵を簡単に送り出しているベイツ伯爵もおかしいけど、ベイツ伯爵家が所有している私兵を「貸して」と気軽にお願いしてるお母様もかなり変。私の周りにいる人って、常識人のアレクシアと傅役のハンスを除いて奇人変人しかいないっぽい。
「私、フランちゃんに言ったことなかったかしら?」
「何がですか?」
「ベイツ伯爵の同腹の弟さんが貴女のお父さんよ?」
「はへ?」
「ベイツ伯爵は私の義理の兄で、貴女にとっては叔父と姪という間柄なんだけど」
「……聞いてない」
「リーフェンシュタール王国の女王を継ぐ気があるのなら、事情を察するぐらいの努力はしなさい。私達の惚気話は帰って来てから、たっぷり聞かせてあげるから」
「急に帰ってくるのが億劫になり始めました」
両親の恋話なんてものを聞かされたら、恥ずかしくて居た堪れない気持ちになるのが請け合いだ。
ベイツ伯爵家も王家へ一時的に婿入れさせた血族を害されたら、そりゃ暗殺するように指示した首謀者のことを殺したくもなる。私の周囲に覚悟完了済みの好戦的な奇人変人が多いと思っていたら、私もその覚悟完了済みの好戦的な奇人変人の血族の一員でした。本当にありがとうございます。奇人変人の会の入会条件は流れている血液次第みたいです。どうりでお母様がベイツ伯爵家のことを無条件で信用するわけだ。思いっきり、親戚関係にあるじゃないですか。
……これ以上の現実逃避は駄目だね。
この別れが一時的なものだとしても、心の弱い私には耐えられそうにない。
大好きな人々に二度と会えなくなるかもしれないという不安だけで、自然と涙が零れ落ちそうになってしまうから。けれど、暗殺対象にされている私を安全なソルフィリア王国へ避難させることが現時点で取り得る最良の判断なのだ。それが私の命を守るために必要だった苦汁の決断だということも十分すぎるほど理解できる。
別れを告げよう。
でも、私は意地悪だから、絶対に「さようなら」とは言ってあげない。
「ハンス。私がリーフェンシュタール王国に帰ってくるまで、お母様のことを守ってあげてください。そして私が帰ってきたら、また私の頭を撫でてくださいね」
「はっ!姫様のお帰りをお待ちしております」
「お母様、どうかご武運を。一ヵ月後に再会できることを心待ちにしておきます」
「フランちゃんも気をつけて。あっちで変な男に引っかからないでね」
お母様、縁起でもないフラグを立てないでください。
避難先のソルフィリアに変な男がいたら、どうしようもないではありませんか。
お母様のあまりに緊張感のない言葉を聞いて、私の口元が思わず緩んでしまう。
「今生の別れではないので、別れの言葉は言いません」
再会できることを信じて、私はできる限りの笑みを浮かべる。
「それではソルフィリア王国に行ってきます!」
馬車に乗り込んだ私は少しだけ泣いた。
◇◇◇
揺り
もちろん顔を埋めたい先はアレクシアの巨乳である。アレクシアも大きな欠伸をしている私を見て、眠たそうに目を擦っている。私は適度に寝ていたので軽い二度寝で済みそうだけど、二日も寝ていないアレクシアは限界が近そうに見える。
「アレクシアは二日も寝ていないのでしょう?私も寝るので、一緒に眠りなさい」
「護衛の指揮もありますので」
「次席指揮官もいます。それに睡眠不足の判断力が低下した状態で、私の命を守るつもりですか?これは命令です」
「……申し訳ありません。お言葉に甘えさせて頂きます」
さて、さり気無くアレクシアの巨乳に顔を埋める方法を考えないと。私が先に寝ないとアレクシアは絶対に寝ようとしないので、上手く寝たふりをしないと駄目っぽい。目を瞑りながら、巨乳の近くに顔を近づけないと……ぐーぐーぐー。
パァン! パァン! パァン!
「うにゃ?パンパンうるさい」
「魔物避けの威嚇発砲でしょう。そろそろ、魔境の境界線に入りますから」
横たわって寝ていた私にアレクシアが膝枕をしてくれていた。寝たふりをしようとして、本当に寝入ってしまったようだ。意思の弱い自分を呪いたくなる。私の大いなる野望である、Dカップのおっぱい突入への道は険しいらしい。今は膝枕の感触だけでも楽しもう。ぐりぐりぐり、あぁ~至福の時間。
「シア姉は寝れた?ごめんね、もしかして起しちゃった?」
「大丈夫です。私は三十分程度の仮眠で済ましました」
「……三十分の仮眠だけ?」
「安全な場所で、ゆっくり眠るつもりなので安心してください」
そういう問題じゃないと思う。まるで、危険な魔境の中で野営をしている冒険者みたいな考え方。見送りに来てくれたお母様がベイツ伯爵家の領地は国内最大の魔境に接していると言っていたような。気になることはベイツ伯爵家の令嬢であるアレクシアに直接聞いてみよう。ベイツ伯爵家特有の家訓とか、家風とか。
「気になったんだけど、ベイツ伯爵家に受け継がれている家訓とかあるの?」
「ありますけど……」
「なになに?」
「常在戦場です」
恥ずかしそうに顔を背けたアレクシアが可愛い。ちょっと頬も赤くなってた。
そんな他愛のない話をアレクシアとしながら、魔境の縁を沿うように敷かれている街道を進み続ける。私のお腹の減り具合から考えて、今の時間はお昼時ぐらいのはずだ。こんな場所で野外調理ができるわけがないので、私や外交使節団の昼食は当初から考慮に入れられていない。周囲を警戒できる日の出から日没までの限られた時間で、安全な農村まで移動しなければならないからだ。
……このまま順調に宿泊予定の農村まで辿り着ければいいんだけど。
アレクシアの膝枕の感触を十分堪能し終えたので、今度は馬車の外に視線を向けてみる。各農村から送られてくる魔物の詳細な被害報告書は読んだ事があるけど、こんな間近で危険な魔境を見るのは生まれて初めての経験だ。魔境から現れる魔物の姿は確認できないけど、
少しだけ訂正……樹林じゃなくて、魔境は樹海に近い規模なのかもしれない。
一時間が経過し、二時間が経過し、三時間が経過した後で、私は急に不安になってきた。馬車の車窓から見ていた風景が一切変わっていなかったのだ。いつまでも途切れることがない針葉樹と広葉樹の深い森に言いようのない恐怖を感じる。一応野営する準備もしているけど、こんな場所で積極的に野営したいとは思わない。
「……シア姉。魔境の境界線に入ったのは、お昼頃だったよね?」
「あと三十分ぐらいで、宿泊する予定の農村に着く予定なんだけど」
日没が近い。魔境の魔物も怖いけど、もっと切実な問題が出てきてしまった。
こんなことなら無駄に周囲の空気を読んで、オシッコしたいのを我慢するんじゃなかった。漏れる、漏れそう、漏れちゃう、頑張れ、私の小さな膀胱。先日の傍迷惑な嘔吐に続いて馬車の中で失禁してしまったら、私はお姫様として……いいえ、人間としての尊厳が木っ端微塵に吹き飛んで失われてしまうかもしれない。
「……フラン、大丈夫?体がプルプルと小刻みに震えてるけど」
「必死に尿意と戦ってる。十分以上はオシッコを我慢できない可能性大」
「馬車を止める?予定よりも大分早く進んでるし、用を足すぐらいの時間なら…」
「野外放尿は恥ずかしすぎるよ。我慢する、我慢できなくても我慢する」
魔境の危険地帯を無事通過して、安全に夜を過せられる農村へ到着した。
私は顔を青褪めさせながら、村長と外交官の交渉をじっと見守る。村長が住んでいる住居を一時的に借り上げるためだ。通常は村長に十分な金銭を与えて、接収に近い形で住居を借り上げるはずなのに何故か交渉が長引いている。
「シア姉、もう無理そう」
後ろで控えているアレクシアに助けを求めようと振り返った瞬間、ちょろっと私の下半身の一部分から生温かい液体が零れ落ちた。
「あっ」
あぁ……オシッコって、我慢した後ですると気持ちいいんだ。
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