07 運命を切り開くように。
神暦1513年4月9日
私は国内の不満分子である共和派貴族に遭遇しても絶対に沈黙を保ち続けるという条件を出され、ようやく自分の部屋から出ることを許された。唐突に変わった周囲の雰囲気に戸惑いと驚きを禁じ得ない。共和派の派閥に属している護衛騎士達は無表情を貫き通し、王党派の派閥に属している護衛騎士達は何故かピリピリとした警戒感を隠しもしないで剥き出しにしている。
側仕えのアレクシアしか寝室に近づけさせなかったから、周囲の雰囲気が一触即発の険悪な状態になっているなんて気付きもしなかった。雰囲気が悪いのは、私の嘔吐と失神の自爆が共和派貴族からの毒殺未遂だと勘違いされているから?それとも私が何も考えないで食っちゃ寝をしながら呑気に休んでいた七日間で、私を取り巻く状況が大きく変わった?そんな私の問いに答えてくれる人は誰一人いない。
お母様がいる執務室に行けば、その理由を教えられるはずだ。
執務中のお母様に会える――そのこと自体がすでに異常なことだったのだ。肉親の情よりも優先されるべき、リーフェンシュタール王国という国家の安寧。遅かれ早かれ、私はお母様から呼び出されていたのだと思えてくる。
覚悟を決めて、私は自分の運命を切り開くように歩き続ける。
お母様が待っている執務室の扉の前に辿り着き、扉の両翼を守る二人の騎士に視線を送る。深夜のくだらない出来事とは違い、厳粛な態度で扉を開こうとしている騎士の表情は真剣そのもの。王女らしくない部屋着姿を騎士に見られて恥ずかしいけど、至急会いたいと返答してきたのは女王陛下なのだ。備わっているかもしれない私の淑女としての矜持よりも優先されるべき王命、お遊びの時間はもう終わり。
騎士達が開けてくれた扉を通り、ゆっくりと前に進もうとして――
パコ―――ン♪
「あう!」
とても良い音が鳴った。
深夜に自爆した時と同じ痛みが頭頂部から感じる。赤く腫れたおでこに続いて、今度は無防備の頭頂部にタライが落ちてきた?そういえば、木張りされている天井に取り付けたフック以外の道具(縄と棒とタライ)を自分の部屋に持って帰るのが面倒臭くなって、お母様の執務室にある机の上に放置してきたような気がする。
「ぐぅ……、タライの角がぁ」
痛みのあまり、その場に
「人を呪わば穴二つ。フランちゃん、執務室に来るのが遅かったわね」
お母様の楽しげな声が人払いされている執務室に響く。
「タライが
お母様、そういう問題じゃないと思います。
確かに子供じみた罠を設置しようとしたのは私ですけど、リーフェンシュタール王国の国政を左右する執務室で、それも大事なお仕事をほっぽり出して、私の頭頂部にタライを落とす必要はないんじゃないかな。
とりあえず、無駄な覚悟を決めていた私に謝ってください。
痛みのせいで蹲ったまま未だに立ち上がれない私は、ズキズキ痛み続ける頭頂部を両手で押さえ、うっすらと瞳に涙を浮かべながら、タライを落としたお母様のことを睨む。おでこの時よりも痛い。天井近くに設置してあったタライの角は、十分すぎる殺傷力を持つことがこの場で証明された。深夜に自爆してしまった一度目のタライは、扉のちょっと上ぐらいに設置していただけなのに……色々と酷すぎる。
「育児中に耽美系の絵画を見ていた腐女子に苛められた。ずっと根に持ってやる」
「過去は過去、今は今よ」
お母様が私に椅子を勧めながら、笑顔で言い切った。
過去は過去でも、お母様が筋金入りの腐女子であることは変えられない事実じゃないですか。お母様の両腕に抱きかかえられて、裸の男性同士が抱き合っている耽美系の絵画を見せられ続けた私の気分になってください。当時は絵画のある部屋に入るだけで泣き叫ぶぐらいのトラウマになりかけたのですよ?
「暗殺されるまで、お母様に人物画を描かされ続けたお父様が可哀想です」
「フランちゃんのお父さんは、才能に溢れた新進気鋭の画家だったからね」
「お父様の風景画は好きですけど、腐臭がしそうな人物画は見たくもないです」
「それがいいんじゃない?あれが芸術というものよ」
暗殺されたお父様は、とても可哀想な人だ。
とある貴族の依頼を受けて、貴族の嫡男が所属している騎士団の訓練風景を描いていたお父様は、散歩中のお母様に捕捉されてしまった。描いていた場所が王城の中庭に近い訓練場だったことも不運だった。キャンバスに描かれている人物画とお父様の横顔を覗き込んでいるお母様に気付かなかった時点で、お父様はお母様から逃げ出す機会を完全に失っていたんだと思う。
外見の姿だけは見目麗しい腹黒なお姫様と城内で遭遇するたびに「私と結婚してください!」と言われ続けたお父様が憐れすぎる。お父様の実家は辺境にある伯爵家だったらしいけど、お母様と結婚できるほどの家格ではなかったみたいだし。
王族との結婚は最低でも侯爵位の家格が必要だから、お父様とお母様の結婚は明らかな貴賤結婚だったはずだ。王位継承権者と結婚した配偶者の行動を厳しく制限する法律(
……共和派貴族が今の王家を嫌っている理由の一つなんだよね、これ。
私を出産したお母様が臣籍降嫁の待命されている宙ぶらりん時に、実家の伯爵家を継ぐ予定だったお父様がワインに入っていた毒物で死亡。結婚はしたけど、臣籍降嫁されていないお母様が配偶者を失った特権持ちの王族の一人なのか、王族の特権を失って王家から放逐される伯爵家の未亡人にすぎないのか、お母様の帰属の問題をめぐって物凄く揉めたらしい。臣籍降嫁が前提になっている貴賤結婚で結ばれたお父様とお母様。そして、そんな二人から生まれた私の立場は微妙すぎる。
文句があるなら、末娘の子供が生まれるまで臣籍降嫁はさせないと強く主張した当時の王様(私のお爺ちゃん)に言ってください。そんな王様も叔父全員の粛清を終えたお母様に脅されて退位した後、後悔しながら亡くなったらしいけど。
……結婚、入り婿、お婿さん、お婿さん候補。
嫌なことを思い出しそうだから、お父様の話は忘れることにしよう。
私は椅子に座り、あらかじめ用意されていたハーブティを一口飲む。冷めて飲みやすいハーブティの種類はカモミールだった。消炎鎮痛作用があると言われているのに、私の頭頂部から感じる激しい痛みには一切効果がない。人体に有害な魔素の影響で効能が増大しているのだから鎮痛作用の仕事をしろ、カモミール!
口直しが済んだ私は、お母様と向き合う。公的な場所である執務室に呼ばれた理由は碌でもないことが起きている証拠。そうでなければ、王党派の護衛騎士が周囲に気付かれるほどの警戒感を剥き出しにするわけがない。身辺警護をしている護衛さえ抑えられないという理由で、護衛対象者である私の対外的な恥になるからだ。
「……お母様。人払いをしていた理由は、私と内密の話をするためでしょうか?」
「正解」
私と同じようにハーブティを飲んでいたお母様が執務室の机にティーカップを置いて、机の引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。猛烈に嫌な予感がする。絶対に関わりたくないオーラを出しても避けるのは無理そうだ。引き攣った笑みの私はお母様に羊皮紙の内容を問う。私は絶対に羊皮紙の内容を読みたくない。きっと、美辞麗句の言葉が並べられている自分の死刑判決文だと思うから。
「フランちゃんの婚約相手が決まりそうなの。共和派の貴族達が婚約者候補を一本化させて、正式に婚約要請をするつもりみたい。今はまだ婚約者候補を選んでいる段階だけど、早ければ二週間以内に決まりそう」
やっぱり、私の死刑判決文だった。乾いた笑いも出てこない。
「……私はどうしたらいいのですか?その選ばれた殿方と結婚したほうがいいのでしょうか?」
けれど、お母様の返事は私の予想とは違うものだった。
「リーフェンシュタール王国の女王として、次期王位継承者にして第一王女殿下であるフランツィスカ・デ・パウラ・リーフェンシュタールに命じます。ソルフィリア王国で行われる予定の勇者召喚を祝う祝賀会に列席しなさい。ソルフィリア王国側から列席する許可はすでに貰っています」
「……祝賀会に列席ですか?」
「うちに資金援助を求めに来た、ソルフィリア王国の傍流王族が八日前の観兵式と晩餐会に参列していたの。フランちゃんは本当に運が良かったわね。資金援助するかは明言を避けたから、後でどうとでもなるし」
突然下された王命に疑問を持つ。
隣国のソルフィリア王国は魔境への無理な進攻を繰り返して、一方的に国力を浪費させている落ち目な国家だ。異世界から召喚された勇者というのも、他国や商人から借りている借金(債務)の返済期限を引き伸ばすための詐欺の一種だと思われている。そんな胡散臭い国家の祝賀会に飛び入り参加する意味が分からない。
「……お母様?」
「国内がちょっと荒れそうだから、安全な国外に避難してなさいってこと。ソルフィリア王国側はうちの資金援助を期待して、下にも置かない歓待をフランちゃんにするはずだしね。フランちゃんがリーフェンシュタール王国に帰ってくる頃には、問題は全部解決してるはずだから」
国内問題の早期解決。
それを意味することは、大規模な粛清か短期間で終結できる内乱の鎮圧。
「その戦いに勝算はあるのですか?」
「大丈夫、勝算のない戦いを起こす趣味はないから」
そう言って微笑むお母様を見て、痛みではない涙が出そうになる。
「こういうのは卑怯だと思う」
「母親らしいことは何一つできないけど、娘の命を守るくらいわね」
「その言い方にちょっとイラっとするけど、でも……ありがとう」
「久しぶりだね、フランちゃんが素直に感謝の言葉を言うの」
それはお母様の日頃の行いが悪すぎるからです。男性と無理やり結婚させられるという、最悪の未来を無事回避できたことに心から安堵し、私は気を取り直す。
「私は感謝も謝罪も言ってます。それで、私が出発する予定日はいつなのです?」
「明後日」
ふざけるなと言いたい。
二日後に出発――ソルフィリア王国に向かうための準備を明後日までに全て終わらせるなんて、到底できるわけがないじゃない。同行させる護衛騎士の選別や安全な移動ルートの確認(護衛付きの外交使節団が宿泊可能な都市や村落の所在地)、外交上必要不可欠な贈答品も急いで選ばなければならない。
多分、目の前にいるお母様はそこまで深く考えてない。
「お母様のほうで、出発の準備をしてくれたのですよね?」
「護衛の選別だけは。ベイツ伯爵家からも人員を出すから、安心して」
外交音痴なお母様に期待した私が馬鹿だった。
護衛する人間しかいないのに安心できるわけがない。ソルフィリア王国に着いてから、私の身の回りの世話をしてくれる側仕えがアレクシア一人だけ?それに滞在する場所は何処になるの?非常時に頼りになりそうなソルフィリア王国の貴族の名前は?溺れる者は
自棄になった私は座っている椅子から立ち上がって、机越しにいるお母様の側まで近づきながら、静かに両頬を涙で濡らす。どこか抜けているお母様にお仕置きをしなければ、これから始まる面倒な準備が疎かになりそうだったから。
私の意図に気づいたのだろう、お母様も立ち上がり私のことを優しく抱き締めてくれる。私はお母様の腰の後ろに両手を回しながら、内心で思う。この括れたウエストを絶対に締め上げてやると。
「……あれ?いっ、いたっ!痛い!フランちゃん!!どうしたの!?」
お母様の巨乳に顔を埋めながら、細い腰を折ろうとしてるだけです。
◇◇◇
まるで、夜逃げをするために急いで家財を運び出している多重債務者みたい。
私はソルフィリア王国の貴族名鑑を頭の中に叩き込みながら、周囲で繰り広げられている阿鼻叫喚の様子を当然のように無視する。入室を許可された王党派の侍女と護衛騎士が私の荷造りをしているのだ。その陣頭指揮を取っているアレクシアは寝ている最中に叩き起こされ、顔には出していないけど機嫌が悪そうに見える。
私は悪くない。だけど、アレクシアと目を合わさないようにしよう。怖いから。
数時間を経てから、私は分厚い羊皮紙の本を閉じた。
結論、貴族名鑑の中身を完璧に憶えるは無理。貴族の家名だけでも七十以上、それに当主と家族の名前が含まれる。その他に各領地の特産品と領内における人口の詳細。何故か、王侯貴族の財務情報だけは含まれていなかった。自分に都合の悪い情報が貴族名鑑に記載されていないのは当たり前だよね。
というより、ソルフィリア王国って本当に大丈夫なの?
この情報の塊みたいな貴族名鑑が商人向けに金貨五枚で売り出されていたらしいけど。自国の情報を漁り続ける他国の諜報員も、外交交渉で大人しくさせることができない――水面下で干渉してくる周辺諸国へ目を向けられないぐらい、ソルフィリア王国の内部は疲弊し混乱している。
軽い溜息を吐いた後で、ソファーに寄りかかる。
歴史だけは長い、隣国のソルフィリア王国。その隠されている実情を予想しながら導き出せる答えは悲惨の一言に尽きる。この世界は圧倒的な強者を生み出すことができない物理的な制約に満ちている。迫り来る残酷な運命に抗えない弱者は容易に食い物にされ、抗える強者だけが薔薇色の人生を謳歌できる世界。リーフェンシュタール王国から自治拡大を勝ち取ろうとしている共和派貴族のように、ソルフィリア王国は魔境を制する強者になろうとして全てを失おうとしている。
本当に笑えない。
婚姻を避けるために避難する場所が、経済破綻寸前の亡びそうな隣国だなんて。
「うふふふふふふふふっ。あはっ、あははははははははははははははははははっ」
笑えない現実がどうしても面白く思えてくる。
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