06 復讐するは我にあり!

 神暦1513年4月2~9日


 ――人はパンのみにて、生きるにあらず。


 お日様の匂いがする寝心地の良い毛布に包まりながら、断食中のイエス・キリストが悪魔から誘惑された時に聞いたとされる言葉の意味について考えてみる。


「あふぅ……。ふかふかの毛布って、素晴らしい」


 自らに課した断食という試練を無理やり終わらせようとした悪魔は、「奇跡を起こせるなら、そこに落ちている石をパンにしたらどうだ」と、イエス・キリストのことを嘲笑いながら誘惑したみたいだけど、飢餓耐性のない食いしん坊の私だったら誘惑される前に落ちている石をパンに変えている。何もない、誰もいない荒野の中で四十日も断食を続けるなんて、お腹が減るだけで悟ることもできなさそうだし。


「飢えたキリストにパンを食べさせようとしている時点で、誘惑した(人命救助しようとした)悪魔のお人好し確定じゃない。私だったら、鼻で笑って見捨ててる」


 そもそもこれって、食料調達が容易ではない不毛の荒野で遭難して、極端な飢餓状態に陥ったから実在しない悪魔の幻覚を見ただけじゃないの?ツッコミどころ満載の胡散臭い救世主として多くの人々を導いていたイエス・キリストは、迷子になりやすい極度の方向音痴だったのかな?それにあまりの飢餓で錯乱していて、悪魔の証明という言葉の意味さえ理解できていなかったっぽい。


「笑える」


 全知全能なはずの神様の子供が不毛の荒野を彷徨さまよい、飢餓に苦しむ?


「救世を求める人々が作り出した歴史は滑稽で面白い。綺麗に紡ぐことができるからね。綻びがないように整えられていて、否定が許さないほど素晴らしく、反論ができないように都合よく捏造できる」


 数は暴力なのだ。

 無知蒙昧な人間を迎合させるだけで、有無を言わさぬ圧力になる。


「ただの人間に、奇跡なんて起こせるわけがない」


 イエス・キリストが起こしたとされる奇跡は、新たな信者獲得と集金力強化のために掲げられた悪質なプロパガンダでしょ。そこら辺に転がっている石をパンに変えることができて、飲むことができない不衛生の水をワインに変えられるなら、パン職人とワインの製造業者が失業するじゃない。廃業して、失笑すること間違いなしの教理を教え広めなさいってこと?その信仰している(所属している)宗教を破門にされたら、信じていても、信じていなくても救われなくなるのに?


「万国の労働者よ、団結せよ!粛清必須な共産主義のスローガンと変わらない」 


 私は何もしてくれない神様なんか信じないし、必要としてもいない。

 そんな不確かなものに縋るぐらいなら、死んだほうがマシだ。


「はふぅ……。ちょっと、眠たくなってきちゃった」


 猫みたいに体を丸めて寝ていると、何故か落ち着く。人気のない狭くて暗い場所に隠れるのも好きだし、日向ぼっこをしながらお昼寝するのも好きになった。


 アレクシアがたまに「自分の部屋にいる時のフランは、安心しきった無邪気な子猫みたいになるよね」って言うけど、私の性格ってそんなに猫っぽいかな?どちらかと言うと、安心しきった無邪気な子猫じゃなくて、警戒感を剥き出しにしている可愛げのない野生の山猫のほうじゃない?獰猛どうもうな山猫の私を可愛い子猫みたいに扱うと、にゃあと鳴いた後でカプカプ甘噛みしちゃうぞ。ごろごろぉ、にゃー!


「うん。このままだと、順調に猫化しそうだから他のことを考えよう」

 

 人々は飢える心配が無いと娯楽を求めるという。


 熱狂したい古代ローマ人は、生死を賭けたライオンVS剣闘士の戦いのような日常から離れた余興で有り余る時間を浪費していた。徴募された奴隷や志願した自由民達は剣闘士養成所で元剣闘士の教練士から闘技の仕方を厳しく指導されて、円形闘技場という死の舞台に上がることになる。処刑前提の政治犯や重犯罪者以外は、観客の要望で助命される機会が多かったらしいけど、殺し合いは殺し合いということで。


「娯楽ね。血生臭い暗殺未遂ばっかりだから、何かに熱狂したことなんてない」


 娯楽を楽しむような精神的余裕なんて、今のところ皆無なんだよね。


「楽しみにしていた閲兵式は、予期せぬ自爆で見ないまま終わちゃったし」


 正直な話、この世界には娯楽が少ない。


 伴奏付きで自作の詩を朗々と歌っているミンネザング(詩人の演奏会)や、宮廷道化師が装っている愚者の演技にはもう飽き飽きしているのだ。あんな面白くもない内容の抒情詩じょじょうしを聴いて感動したり、私の反応の少なさで涙目になりかけている道化の必死な姿を見て、ゲラゲラと笑える感性も理解できそうにない。


 一緒にミンネザングを聴いていた傅役のハンスが「王城へ招かれている彼等も必死に歌っているのです。姫様、王族としての体裁を取り繕ってください」って言ってたけど、騎士道精神の素晴らしさを歌う詩(本来のミンネザングは、興味もない鳥肌が立ちそうな宮廷風恋愛物の詩らしい)で共感できるはずないじゃない。


 あまりのつまらなさでピクリとも表情筋が動かなくなってしまった私は、リーフェンシュタール王国の一人しか残っていない王位継承者であって、騎士道精神を貫き通している自己陶酔型の痛い騎士ではないのだ。顔色を一切伺えない無表情になりながらも、歌われている詩の内容をちゃんと理解して、叱責と受け取られかねない過激な言動も上手く避けた。それだけで十分でしょ。


「あの時の私は表情筋が死んでいたらしい。あの詩人の人、歌っている途中で心が折れそうになってたしね」


 私の不興を買った――そう周囲に思われただけで、暴走しがちな王党派貴族から暗殺者を送られかねないからだ。これは何度も繰り返されている暗殺未遂が原因だろう。外部の人間に接触すると暗殺される危険性が高くなるのに、王女殿下の私が貴重な時間を割いてまで詩を聴きに来た。それなのに聴いている途中で浮かべている笑みを消して、感情を読み取れない無表情になってしまったとしたら?私は時間の浪費だと分かり切っていても、慈悲深い笑みを浮かべながら拍手しなければならない。そうしなければ、王城へ招かれた人間がこの世から消え去ることになる。


「王女殿下という立場。いい意味でも、悪い意味でも、影響力があり過ぎる」


 不興を買った「かもしれない」だけで、人の命が簡単に消えてゆく。王位継承順位第一位の王女殿下という立場が誰かの死に直結しすぎていて、溜息も迂闊に吐けそうにない。私の心証を少しでも良くしたいと思っている王党派貴族の点数稼ぎで殺される人も多いから、部屋の外に出る時はいつも猫を被らないといけない。


「眠い、眠たい、このまま寝たい」


 そういえば、肩肘張かたひじはるお姫様家業で忙しかった私は、趣味らしい趣味を持ったことがない。前世ではジャンルを問わない(軍事関係重視)活字中毒の乱読家だったのに、今世では知的好奇心が明らかに減退しているような気がする。一週間分の山のように予定されている煩わしい公務が一切ない、ゆったりとした夢みたいな時間をどう有効活用すべきか、本当に悩む。


 ……すぐに悩むのを諦めた。だって、眠いんだもん。私を寝かしてください。


 ぐーぐーぐー。 


 目が覚めたら、正午過ぎだった。睡眠欲求を上手く制御することもできない自分自身に、ちょっとだけ絶望したくなる。お腹が減ったので、遅い昼食を寝室まで運んでもらう。毒見済みのサンドイッチをパクパク食べて、また寝る。


 ぐーぐーぐー。


 そんな風に自堕落な生活を送っていたら、あっという間に三日が経過していた。


 こんな食っちゃ寝しているだけの自堕落な生活を続けていたら、子豚のような見苦しい姿の駄目人間になってしまう。私が寝ている時に、お母様が何度か私の寝室に来ていたらしいけど、まったく記憶にない。私の気配察知能力は側仕えのアレクシアという外付け機能なのだ。着用することが困難なレンジャー徽章を持っている陸上自衛隊の一等陸尉だったのに、王族という上げ膳据え膳の生活に慣れすぎて、色々と退化していることが判明した。


 このままだと太りそうな予感があったので、適度に体を動かす。


「また、攣った!?私に恨みでもあるのか、左足のふくらはぎ!?」


 ベットの上で軽いストレッチをしてみたら、見事に左足のふくらはぎが攣ってしまった。四日前の芋虫をしている時も左足のふくらはぎが攣ったのに、今日も攣るなんて信じられない。左足のふくらはぎが攣るように、誰かに呪われている?こんな短期間で、二度も同じ場所が攣るなんて有り得ないでしょ。


 叫べないぐらいの激しい痛みに悶絶して転げ回っていたら、お母様が私の寝室に来て、ふくらはぎを笑いながらツンツン触られた。正座をした後のように足がピリピリと痺れているだけなら、まだ許すこともできた。だけど、ふくらはぎが攣って物凄く痛がっている娘にツンツンしたら駄目だと思う。


 私はお母様への報復を決意する。復讐するは我にあり!


 私達は誰もが寝静まった深夜に行動を開始する。非常に暗い入り組んでいる廊下を粛々と進み、お母様の執務室を目指す。城内を巡回している騎士達に気づかれないようにして――バレバレだった。可能な限り足音を出さないようにしていたのは私だけ。アレクシアは元々足音なんて出さないけど、他の護衛騎士達は違った。


 護衛騎士達は夜陰やいんに紛れて移動している周囲の空気を読んで欲しい。私達はこれから、お母様の執務室に陰湿な罠を張りに行くのだから。城内を巡回している男性騎士に誰何すいかされて、喜んで返事をするな。確かに、社交嫌いで引きこもり体質の私の護衛任務は異性との出会いが皆無ですよ。でもね、私の護衛中にお互いの名前と親の爵位を教え合う(家格の兼ね合いを図るため)のは論外でしょうが。


 気を取り直して……抜き足、差し足、忍び足。


 執務室の直前まで辿り着いた私の目の前に最大の敵が立ち塞がっている。その敵の名は執務室の扉を守っている二人の屈強な騎士。腰に両手を当てて、睨み付けながら無言の圧力で持ち場を離れるように促しているけど、効き目はまったく無いみたい。私は気配察知能力と同じように、眼力と威厳も欠如しているらしい。


「王女殿下であるフランツィスカの名において、直答することを許します」


「申し訳ありません、王女殿下。そちらの侍女の方が持っているものは何なのでしょうか?」


「母子のお茶目な交流をするために用意した道具です」


 帯同させた侍女の一人が持っている、短めの棒と真新しい縄、木製のタライの存在に困惑している騎士と質疑応対を繰り返している時間的余裕はないのだ。さっさとお母様の執務室に罠を設置して、ゆっくりできる自分の寝室に戻ってごろごろしたい。ここは王族としての権力を使おう。私って下らないことでしか王族の権力を使ってないような気がする。


「見て分かるように殺傷力はありませんから、お母様の執務室の中に持ち込んでも問題はないはずです。せいぜい、お母様の頭頂部に小さなタライが当たって、パコーンという良い音が鳴るぐらいですから」


「……しかし、」


「これは王族である私の命令です。騎士にすぎない貴方が、それに異議を唱えるのですか?」


「…………」


 お母様が悪いのだ。私が泣きそうな顔で何度も「やめて」と言ったのに、攣っているふくらはぎをツンツンと触り続けた意地悪なお母様が悪いのだ。この行為は悪を罰する正義の行いなのだから、途中で復讐をやめたりなんかしてやらない。


 私の言葉を聞いて、唖然とした顔になっている騎士達の間をすり抜ける。


「やはり、執務室の扉は鍵で閉められたままのようですね」


「フランツィスカ様」


「ありがとう、アレクシア」


 アレクシアが事前に用意してくれていた執務室の鍵を鍵穴に入れて、大きな音がしないようにゆっくり回す。重たい扉を開けた経験(いつもは先回りした侍女が開けながら待っててくれている)なんてないけど、今回はお母様の執務室へ許可なく侵入したという責任問題に発展するから自分で開けないといけない。


「開けられた」

 

 名前も知らない侍女から縄とタライと棒を受け取ったアレクシアは、私と一緒に来てくれたけど、他の侍女や護衛騎士達はお母様から言い渡されるかもしれない処罰の言葉を恐れて扉を通ろうともしない。だから、いつまで経っても信用することができないのだ。暗殺未遂が多すぎて疑り深くなっている私の信任を得ることができないから、今も「側仕え候補」という微妙な立場のままでいるというのに。


 そんなことより――こちらスネーク、執務室に潜入した。


 陰湿な罠を完成させるために、私は黙々と手を動かす。「ド〇フなの!?」という、心躍るツッコミをお母様から絶対に引き出したいと思う。執務室の天井に取り付ける金属製のフック(私がポケットの中に隠し持っていた)だけはアレクシアに手伝ってもらって、それ以外の作業は私自ら行う。執務室の扉を開けたら、小さなタライが頭上から落ちてくる簡単な罠である。十五分程度の時間で完成した。


「罠が完成したみたい。ごろごろしたいから、急いで寝室に戻ろう」


「罠が無事に完成したのはいいんだけど、どうやって女王陛下の執務室から出て、寝室へ戻るの?罠のせいで扉が塞がっていて、廊下に出れないと思うんだけど?」


「…………」


 だからアレクシアは、私の作業中にずっと首を傾げていたんだ。自分の馬鹿っぽさに復讐のことさえ忘れて絶望したくなる。お母様の執務室がある場所は王城の地上四階。窓から飛び降りて、怪我もなく脱出できる可能性は皆無に近い。


「シア姉、何とかならないかな?」


「罠を解除しないと出るのは無理じゃないかな。扉を開けた瞬間に取り付けた棒が跳ね上がって、タライが落ちてくる罠だよね?」


「……これはもう、私の気合と根性で扉を開けてみるしかないみたい」


「フラン、頑張って」

 

 この役目を罠の設置に最初から乗る気じゃなかったアレクシアに任せる訳にはいかない。リーフェンシュタール王国、王位継承順位第一位、フランツィスカ・デ・パウラ・リーフェンシュタール。いざ尋常に参る!



 パコ―――ン♪



 ◇◇◇


 鏡台の前にある椅子に座りながら、赤くなったおでこの腫れ具合を確かめる。


 深夜の復讐劇はあまりにも馬鹿馬鹿しい結果で終わり――空回りした私の盛大な自爆で終わった。自分で設置した罠に自分が引っ掛かるとは何たる不覚。今度こそは脱出経路について、十分考えてから陰湿な罠を設置しようと思う。


 時間だけがゆっくりと過ぎて行く。


 何からも束縛されない自由な環境に飽きてくる。自分がお姫様家業を必死に演じていた事実に驚き、また王族の義務と責任という重荷を常に背負っていたのだと再確認させられた。……私は暇を持て余すと苦痛に感じるタイプみたいだ。


 最初の三日間を寝て過ごし、四日目の深夜に復讐しようと自爆して、五日目の今は少しイライラしてきた。


「にゃにゃにゃ~ん、にゃんにゃん、にゃんにゃん、にゃん猫にゃん♪」


 訂正。イライラを通り越して、私は少し壊れかけている。


 今の時間帯はアレクシアが休んでいるので、即興で作った適当な歌を拍手してくれる相手もいない。傅役のハンスは男性騎士だから、私の寝室に入って来れないので話し相手もいない。隣室で侍女と一緒に待機しているハンスのところまで行く?それはそれで、私が寂しくて会いに来たのだと思われそうで嫌だ。


 手持ち無沙汰なので、私の固有魔法で新しい銃器でも作ろうかな?


 私は寝室に戻って、備蓄している各種材料と等価交換用の金銀のインゴットが収められている鍵付きの箱を開ける。その箱の中身を見て、私は思わず溜息を吐いてしまった。楽しみにしていた観兵式のために固有魔法で頑張りすぎたせいか、新しい銃器を作れる材料が無い。作れたとしても装飾されていない無骨なナイフ程度のものに限られてしまうだろう。これじゃ、暇潰しにもならない。


 私の固有魔法は制約が厳しすぎる。


 リーフェンシュタール王国の限られた税収――平民達から預かっている大切な税金を簡単に食い潰す私の固有魔法は気軽に使用することができない。観兵式で御披露目されたウィンチェスターライフルとSAAを創造するだけで、コツコツ貯めていた金銀のインゴット(私のお小遣いで購入)が回収不可能な銀河の果てまで吹き飛ぶぐらい大量に消費されているのだから。


 材料が無ければ、ただの人。それが私の固有魔法の悲しい現実である。


 ◇◇◇


 今日で引きこもり生活の最終日を迎える。

 悩みに悩んだ結果、お母様の執務室に遊び(嫌がらせ)に行くことにした。


 寝巻き姿から部屋着に着替え直して、うっすらと痣になってしまったおでこを中心に入念な化粧を施す。やっぱり、あの寄って集っての着替えの方法は無駄が多すぎる。フリルで縁飾りされているヒラヒラのドレスを着なければ、基本的に私一人だけで着替えることができるのだから。


 それにおかしな話だと思う。


 元々軍事拠点だった城を無理やり改装した場所で堅苦しい宮廷衣装のまま生活するなんて意味不明だし、執務と生活の場を分けるのが普通なのに後宮を作るスペースが確保できないなんて馬鹿すぎる。私は武器庫として使われているロンドン塔で亡霊になって彷徨い続けるアン・ブーリンか。


 お母様の予定が空いているのか分からないため、執務中に訪ねていいのかの確認の先触れを出し、その了承の返事を受けてから、隣室で待機しているハンスに供をするよう命じる。


「ハンス。お母様の仕事ぶりを見てみたいので、執務室へ向かいます」


「またろくでもないことをお考えなのですか?」


「いいえ、王位継承者として、私が将来担う仕事を見てみたいと思ったのです」


「相変わらず、姫様は猫かぶりが上手いですな」


 十四年という長い歳月を共に過ごしてきたのだから、今更この猫を外せるわけがないのだ。今もすくすくと成長を続けている猫のおかげで、私は転生直後の赤ちゃんプレイという恥辱を乗り越えられたのだから。お尻のかぶれを避けるために、何回も定期的にオムツ交換をさせられ、乳母のベアトリクスにお尻の穴までじっくり見られた思い出したくもない黒歴史の数々――お母様の至福な授乳時間がなければ、私は精神的に死んでいただろう。人間に懐かなかった野生に近い猫。会いたくても会えない、その可愛らしい化け猫は今も私の顔に貼り付いている。


「猫?この城のどこかに猫がいるのですか?それは是非会ってみたいものです」


「訓練場から逃げ出す猫の後姿を、護身術の訓練中によく見かけます」


「きっと可愛らしい猫なんでしょうね。それで、どんな鳴き声をするのですか?」


 ピクピクと口端の表情筋が引き攣って、今も浮かべている作り笑いの笑顔が維持できなくなりそう。ハンス、淑女である私には本音と建前があるのです。


「相手の身体的な特徴を罵倒するような騒々しい鳴き声ですな」


「……なんて、なんて、口が悪い猫なんでしょう。私、とても怖いです」


「姫様は怖がる必要はないと思いますが?」


「そんな凶暴な猫が城の中にいるなんて。噛まれる心配はないのですか?」


「訓練の度に、くたばれハゲと言われているだけですから」


 この白々しい会話の原因はハンスのスキンヘッドにあるらしい。


「……ハンスはどうして、頭を丸刈りにしてから剃っているのですか?」


「妻に操を立てているだけです。ハゲは女性にモテませんから」


「…………」


「…………」


 それから続く長い沈黙に内心泣きそうになる。


 待機中の侍女が出ていった(侍女と護衛騎士を集めるため)部屋には、気まずそうに目を逸らしている私と無言のままで微動だにしないハンスしかいない。体面を保たなければならないお姫様の立場は少しだけ忘れることにする。王女殿下として自分が犯した過失を相手に認める形になるから、貴族や平民の前で謝罪することは絶対にできないけど、ここは素直に腰を折って謝罪しよう。


「……ハンス、ごめんなさい。今度からは偽装ハゲの愛妻家と罵ることにします」


 下げた頭をゴツゴツした節くれだった手で撫でられ、


「姫様は無理をしすぎですな。ハゲと何度も連呼されたことについては少しも気にしておりませんし、私が心配しているのは姫様の体調のほうです。城内を移動するということは口さがない共和派の連中に会う可能性もありますから。以前倒れたように精神的なストレスを感じるかもしれません」


 心配された。


「私はこれでも姫様の傅役なんです。私室で変な歌を歌ったり、独り言をブツブツ呟いているよりも、姫様らしく自由気ままでいてください」


 私が即興で作った猫歌も聞かれていたらしい。ちょっとだけ恥ずかしい。

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