閑話 今日も子猫は愛される。
撫でている私の手のひらの温もりを感じながら、心地よさそうに目を細めるフランツィスカ。
私は天蓋付きのベットの上に横たわって、憔悴し切っているフランツィスカのことを慈しむように見つめる。まるで、何の柵にも囚われない自由気ままで無邪気な子猫のように振舞っている可愛い従妹。
けれど、私は知っている。
この子は自分の心が傷つくことを恐れ、自分が大切に想っている相手の心を傷つけることも恐れている。取って付けたような作り笑いを浮かべることしかできない人形姫――それがリーフェンシュタール王国の社交界におけるフランツィスカの評価だ。そして、フランツィスカ自身がその評価を積極的に改めようとしない。
他者から向けられる好意を拒絶するように、他者から向けられる善意を信じられないように。だからこそ、フランツィスカは自分が好意を抱いている相手に対して何度も試そうとする。今朝のお風呂で起きた一件も、何も信じられなくなった不器用な子猫の暴走だと思えば可愛いものだ。
私は眠たそうにしているフランツィスカのサラサラな金髪を十分撫でたと判断して、食べたいと言っていた食事の要望を隣の部屋で待機しているクレメンティアに伝えるため、それまで座っていた椅子から立ち上がる。
人見知り気味で警戒心の強いフランツィスカから呼ばれもしないのに、硬い椅子しか置かれていない隣室で待機し続けているクレメンティアも不幸といえば、不幸だと思う。私と同じ王党派の派閥に属し、主であるフランツィスカに誠心誠意仕えているというのに、未だに名前すら覚えられていないのだから。
フランツィスカは他者に興味を抱かない。
共和派の貴族から暗殺未遂を繰り返されている影響だろうか、フランツィスカは自分の命でさえ無頓着なところがある。人間関係に至っては無頓着を通り越して無関心に近いものだと思う。自分が絶対に守りたいと思っている親しい相手以外、全ての人間が好悪の感情を抱く必要もない空気のような希薄な存在。
以前、フランツィスカに知己を得たい王党派貴族の名を聞いてみたところ、私は唖然とせざる得なかった。なぜなら、私の母であるベアトリクスと自分の傅役であるグラードル卿の名前しか言えなかったからだ。無関心にも程がある。名前を憶えてられている二人の共通点は、暗殺の対象にされているフランツィスカを守る為に一命を賭して戦い、着ている衣服が真っ赤に染まるほど血を流したこと。
お姉ちゃんは、協調性皆無なフランツィスカの将来が不安だよ。
フランツィスカは子供の頃から人見知りが激しかったのを憶えている。出会ってから数年の間は私が一緒に玩具で遊ぼうと話しかけても、部屋の隅っこに陣取って周囲の様子を窺うような何も言わない大人しい子だった。
フランツィスカの頑なな態度が変わり始めたのは、私が六歳の誕生日を迎えて厳しい暗殺者の訓練が開始されてからだ。私が「今日は護衛の訓練があるから遊べない」と告げる度、私とフランツィスカの距離感は徐々に近づいていった。いくら話しかけても無反応だったフランツィスカに、「行かないで」と泣きながら手首を掴まれた時は心から歓喜に震えたものだ。
従姉妹であることも伝えられない、身分差がある歪な関係の私達なのに……。
リーフェンシュタール王国の王位を継がなければならない王女殿下という貴い存在と、辺境にある伯爵家生まれの三女では身分差があり過ぎるから、血が繋がっている従姉妹同士だということをフランツィスカに伝えることもできない。それなのに、今では本当の姉妹のような関係を築けている。フランツィスカに甘えられて頼られることが、従姉の私にとってどれだけ嬉しいことか、フランツィスカには分からないのでしょうね。
音がしないように寝室の扉をゆっくり開けて、隣室の中を見渡して異常がないか確認した後でクレメンティアに近づく。
「クレメンティア、フランツィスカ様はジャム入りのオートミールをご所望です。ジャムは多めがいいと伺っていますが、甘すぎて食べ切れない可能性があるので、オートミールに加える分量は少なめでお願しますと料理長に伝えてください」
「分かりました、アレクシア様」
フランツィスカが食べたいと言っていた食事の要望を料理長に伝えるため、所在無げに待機していたクレメンティアが部屋から出て行く。その頼りない背中を見送りながら、私は考え続ける。今回の毒殺騒ぎ、敵対勢力に属する侍女と護衛騎士の排除、フランツィスカを護衛しやすい環境への改善。
私は思考の渦に飲まれながら、甘えん坊の子猫が待っている寝室に戻ろうと踵を返そうとして――不快感を露わにする。
この部屋に潜んで、待機しているクレメンティアのことを警戒していた暗部の気配の消し方が甘すぎる。
それでも暗殺者育成機関の卒業生なのだろうか。私への意見具申のためにわざと気配を出しているなら、まだ許すこともできる。けれど、この程度の気配の消し方しか出来ないのであれば、ベイツ伯爵家の暗部として許されないことだ。無能な暗部は不要。味方の暗部が無能の巻き添えになって死ぬ前に、処分したほうがいい。
私は何もない虚空を睨む。それで、こちらの意図は汲み取れるはずだ。
「報告、毒物を混入された痕跡は皆無」
「治療士の診断と一致しています。引き続き、城内の監視を続けてください」
暗部の気配が掻き消え、私は今度こそ寝室に戻ろうと踵を返す。
早く戻らないと、フランツィスカが不安に思ってしまう。
ベイツ伯爵領の領都であるコールシャイトで、傷つけられた右足の療養をしているお母様が現役なら、私も安心することができたのだけど。本来なら、城内に数多く潜んでいる暗部との接触は護衛総括のお母様の仕事だったはずだ。そして、側仕えの私がフランツィスカの護衛任務に専従する予定だった。お母様が差し向けられた暗殺者の一人に右足の神経を切断されて、乳母兼護衛総括の任務を離任されていなければ。フランツィスカの護衛任務と城内の情報統制の維持――あまりに多い仕事内容に嫌気が差して、自分自身の無能さと無力さを呪いたくなる。
「うぅ~……、ぎぶみーちょこれーと」
寝室に戻ると、ベットの上でモゾモゾと動いている大きな芋虫がいた。
私が寝室から出て行って、三分程度の時間しか経っていないというのに。
「我慢できそう?大騒ぎになった毒物の混入疑惑のせいで、毒見済みのオートミールが届けられるのは一時間以上先になりそうだけど」
「……我慢する。シア姉、見てみて!簀巻きにされている大きな芋虫!」
懸命に全身をウネウネと前後左右で動かそうとしているフランツィスカの情けない姿を見て、思わず脱力しそうになる。そんな情けない姿を眺めながら、私とお母様の命を助けてくれたフランツィスカの小さな後姿を思い出した。
「その言い方だと、フランが芋虫になっちゃうけど?」
「う~ん?お腹が減りすぎて、ちょっと錯乱してるだけ?」
お母様が負傷したのは六年前のことだ。
王都郊外の農村に新設された孤児院を慰問するだけの在り来たりな公務。その帰途の途中で、私達は暗殺者の襲撃を受けた。こちらの護衛兵力は頼りにもならない貴族子女の護衛騎士を含めて、二十六名。襲撃してきた暗殺者の集団は軽く六十名を超えていた。馬車の中で目を瞑り、耳を塞いで震えているフランツィスカを横目に見ながら、私も恐怖心を胸に抱いて暗殺者達に立ち向かった。
暗殺者から受けた凶刃で傷つき、地面に倒れ込むお母様。訓練途中で暗殺者の一人を相手にするのが精一杯だった私。数に勝る暗殺者達に包囲されて、次々と悲鳴を上げながら斃れていく味方の護衛騎士達。勢いづく敵からの攻撃。負傷したお母様の名を何度も呼び続けるフランツィスカのか細い声。聞くに堪えない断末魔の叫びと剣戟の音が支配された戦場の中で流されたフランツィスカの大粒の涙。
聞いたこともない大きな銃声が街道に響き渡ったのは、地面に倒れながらも暗殺者の行動を牽制しようとしていたお母様が止めを刺される寸前のことだった。
馬車の中で震えていたはずのフランツィスカがクリス・ヴェクター(反動の少ないサブマシンガン)を暗殺者に向けながら、正確に狙いを定めて、胸部に二発、頭部に一発の三連射をしていた。
「奪われるぐらいなら、皆殺しだ」
フランツィスカに頭部と胸部を撃たれた暗殺者は即死だった。フランツィスカは慣れた作業のように暗殺者達を次々と無力化していった。弾切れになった銃を無造作に投げ捨て、嗤いながら新しい銃を創造し続けるフランツィスカ。
「身体の成長――代償が足りないなら、もっともっと喰わせてやる」
クリス・ヴェクター、AA-12、バレットM82。遠近を問わない射程距離の只中に置かれた暗殺者達は、脚部と腕部に被弾した運のいい六名を除いて、フランツィスカの手によってほとんどが鏖殺されていた。問題が起きたのは、生き残った暗殺者達がフランツィスカの目の前に拘束されたまま引き摺られている時だった。
「いらない、いらない、いらない。お前の命なんて、この世にいらない」
フランツィスカがAA-12のトリガーを引いた瞬間、両足を失った激痛で泣き叫んでいた暗殺者の脳漿が空に舞った。
「……フランツィスカ様。彼等には、暗殺の依頼主を吐かせる必要があります」
「どうして、殺しちゃいけないの?こいつ等は、ベアトリクスを傷つけたんだよ?生かしておく必要なんてないよ」
「ですか――」
「うるさいな。処刑に反対する貴女も、私の大切な人を奪おうとする敵なの?」
耳を
けれど、今なら分かることができる。
フランツィスカは大切な人を守りたかっただけ。
「ぎ、ぎゃあ……シア姉、助けて」
「涙目になってるけど、大丈夫?」
「芋虫ごっこに夢中になりすぎて、左足のふくらはぎが
「足を揉んであげるから、大人しくしてなさい」
不器用で泣き虫の子猫を守るために、私はもう躊躇わない。
◇◇◇
可愛い娘に嘘をついたら、嫌われたみたい。
あの子の縁談について、それなりの家格を持っている共和派の貴族から内々の打診があったことは事実だけど、晩餐会の顔合わせの一件は私の真っ赤な嘘。晩餐会が行われる会場で共和派派閥の貴族から何らかの接触があると見越して、フランツィスカが休めるように、遠回しに言ったことが今回の失敗の原因となった。
あの子が晩餐会に出席していると思い込んでいるお見合い相手を徹底的に避けるところまでは私の予想通りに進んで、余計なことばかりしてくる共和派貴族に接触させないで済むと安心していたら――結果的にフランツィスカの嘔吐と窒息、失神という最悪な事態に発展させてしまった。
娘の精神的な打たれ弱さを、もっと考慮に入れるべきだったと思う。
フランツィスカが側仕えのアレクシアに自分は男嫌いだと公言していたので、前世が男性だったからだろうと勝手に見当を付けていた。それなのに淑女としての演技もかなぐり捨てて、衆人環視の中で嘔吐するほどの精神的苦痛を感じる重度の男嫌いだとは思ってもみなかった。今後は娘との接し方を変えなければならない。
私達二人の親子関係は、少々複雑な類に入る。
前世の私はBL好きのどこにでもいる十六歳の女子高校生で、フランツィスカの前世は成人していた国家公務員の自衛官だったらしい。前世では接点らしい接点もなく、共通しているのは同じ世界から転生してきたことと、同じ鉄道事故に巻き込まれたことだけ。
あの子には内緒にしているけど、私は私達以外の転生者の行方を捜している。
同じ鉄道事故に巻き込まれて死んだ二人が生まれ変わった異世界で偶然親子関係になるなんて、明らかに出来すぎているから。何らかの作為と感じるのが当然だと思う。そして隈なく捜索させた結果、リーフェンシュタール王国の国内で死亡した者も含め、十名以上の転生者の存在が確認された。全ての転生者があの凄惨な鉄道事故の死亡者で、ほぼ間違いなく此方の世界に転生させられている。
あの鉄道事故そのものが仕込まれたもの、若しくは仕込まれていなくても必然に近いもの。そう思える判断材料が揃いすぎている。それに転生者全員に与えられている固有魔法の中には、使用制限がない壊れ性能の正気を疑うものさえある。
私は執務室にある椅子の背もたれに背中を預けながら、フランツィスカの機嫌の取り方を考える。自分が母親として、二流以下であることを否が応にも理解させられる。私が心から愛していた夫のイオニアスは――フランツィスカの父親は下らない王位継承問題に巻き込まれて命を散らした。
血の繋がりがあった実兄達を皆殺しにしたことについて、私は後悔なんてしていない。私は王族から降嫁した伯爵夫人という不自由な生活でも、ささやかな幸せを噛み締めながら生きていきたかった。そうさせてくれなかったのは、この世界とこの国に住まう人々なのだから。
復讐を誓い、血に酔いすぎた私は母親になる資格なんてないのかもしれない。
だからこそ、私は貴族達の権力争いを可能な限り煽り続けた。意味の無い殺し合いがしたいのなら、飽きるまで殺し合いを続ければいい。そう思って。その結果がフランツィスカの生命を脅かすことになるなんて思いもせずに。
そろそろ行動に移るべきかしら?
現在、リーフェンシュタール王国にいる転生者は合計で九名。確保している転生者達の固有魔法を使用解禁にすれば、国内にいる信用することもできない面従腹背の王党派派閥の貴族と邪魔ばかりしてくる目障りな共和派派閥の貴族の粛清は十分可能。それにしても厄介な転生者を見つけ次第、私の固有魔法で洗脳しておいて本当に良かった。まったく……精巧な贋金を作り出せる魔法や周辺の栄養素を全て奪い取り植物を急成長させる魔法なんて、危険すぎて放置できるわけないでしょう。
私は溜息を一つ吐いてから、執務室の壁際で待機している文官の一人に命じる。
「昼食はフランツィスカと共に取ります。そのように、伝えるように」
アルコール度数の低い白ワインを飲みながら、対面の席に座っているフランツィスカの様子を伺う。音も立てずに黙々と昼食を食べているフランツィスカは能面のような無表情で、テーブルの正面に座っている私のほうを見ようともしない。これはかなり危険な兆候で、「信用できない貴女は、関わる必要性を感じない赤の他人みたいな存在です」という遠回しの意思表示だ。
フランツィスカの機嫌をどうにかして直さないと、このまま忘れ去られて見捨てられる可能性が高い。ここは頼れる女王としてではなく、頼りない母親として頑張らないといけないみたい。
私は飲み掛けのワイングラスをテーブルの上に置いて、自分でも驚くほどの猫撫で声で不機嫌を隠そうともしていないフランツィスカに問いかける。
「フランちゃん。お願いだから、機嫌を直して」
「つーん」
静かに怒っているフランツィスカが、私のことを本当にいらないと思っているのなら、何の価値もない路傍に転がる石のように無視されて、御座なりな返事もしてもらえないはずだ。この子は自分の意に沿わない人物が近くにいると、言葉少なを通り越して無言に近い状態になる。そして、当たり障りのない範囲で排除しようとする癖がある。逆だるまさんが転んだ状態――何時の間にか視界から消えていて、近付いてきたと思ったら、排除の仕方を決めて実行に移している即決即断タイプ。
「何か欲しいものはない?宝石とか、ドレスとか、白金貨とか」
「つーん」
元々物欲が限りなく少ない子だから、何をプレゼントしていいのか分からない。
「う~ん?期間限定の引きこもり生活とかはどう?」
「……つーん」
ちょっとだけだけど、フランツィスカの反応があった。
安全な自分の部屋で引きこもって生活してくれていれば、水面下で動いている共和派貴族の不必要な接触も避けられるから、私としても都合がいい。縁談を内々で打診してきた貴族家の嫡男がこの世から消え去れば、候補者選びのやり直しも期待できる。でもどうして、魅力的に思っていそうな引きこもり生活の提案を断ってきたのかしら?そういえば、「装飾過多なドレスに着替える回数が多すぎる」と以前から零していたような……?
引き篭もり生活をする上での条件も付け加えないと、この子は何処までも自堕落な生活を送りそうだ。
「フランちゃんは、観兵式の準備で色々と忙しかったからね」
「…………つーん」
「その影響で慰問活動とかの通常の公務をする予定も立てられなかったから、休暇を兼ねた一週間の引きこもり生活でどう?それと、一日中寝巻き姿ままで過ごせるという条件でいい?でも、自分の部屋から出る時はリーフェンシュタール王国の王族に相応しい部屋着に着替え直して、お風呂も毎日ちゃんと入りに行くこと」
「お母様、大好き」
現金すぎるフランツィスカの笑顔を見て、思わず吹き出しそうになる。
愛する夫のイオニアスを殺されて、絶望と暗闇に染まった世界の中で、この子だけが私に残された一条の光りになった。私は残された光りを消させないために今日も戦い続けることだろう。
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