05 マーライオンのような勢いで。
味がまったくしなかった朝食を何とか食べ終え、鉛のように重たくなってしまった足取りで式典用のドレスが準備されている化粧室を目指す。
お婿さん候補との顔合わせという精神的なストレスが原因の――胃の下の部分をギュ-っと強い力で締め付けられるような激しい痛みと軽い吐き気が止まらない。私の周囲にいる護衛騎士と侍女達がいなければ、お母様に対する呪詛の言葉が口から自然と零れ落ちていたと思う。
……お母様に騙された。
顔合わせのことを今日初めて文官の側仕えの人から知らされたみたいにお母様は装っていたけど、お婿さん候補と会いたくない私が断れないようにギリギリまで伝えなかった線が濃厚だ。今夜、開催予定の晩餐会で顔合わせがあることを事前に知っていたら、強力な下剤を何錠も飲み込んで、体調不良を理由にベットの中でゆっくり寝込むことも出来たのに。
お母様の涙目が怪しかったことに気づけ、私。
無煙火薬対応のコルト・シングル・アクション・アーミー、ウィンチェスターライフルという他に比べるものがない新しい兵器の御披露目と国内外へ向けられる示威行為を目的とした盛大な観兵式。そんな式典を主催しているリーフェンシュタール王国の国家代表者である女王陛下が、泣き腫らしたような腫れぼったい充血した目をしたままで人前に出るわけがないじゃない!
お腹が痛い、気持ち悪い、吐きそう。
ここで吐いたら、観兵式と晩餐会を休めるかもしれない。
無様に吐瀉物を吐いたとしても、社交界で口さがない貴族連中に私の悪い噂を流されるだけで済む。すでに貴族社会における私の評価は底値無しの紙切れ同然ジンバブエ・ドル並みだったはずだ。これ以上、下がりようがないぐらい低いのだから遠慮する必要もない。
よし、吐こう。シンガポールにあるマーライオンのような勢いで。
一定の間隔で歩いていた歩幅を緩め、苦しそうに両手で口元を押えながら、さり気なく前屈みの体勢になる。お婿さん候補との顔合わせという容赦ない死刑判決を受けた直後から、私は血の気の失せた青白い顔をしているのだ。急な体調の変化で嘔吐をしながら広い廊下の真ん中で倒れたとしても、不自然に思われないだろう。
込み上げてくる不快感に眉を顰めながら、それでも私は吐くのをやめない。
「うえぇ……うぅ!?」
吐きそうで、吐けない……?
「円陣を組め!フランツィスカ様をお守りしろ!」
ざらざらする石造りの廊下に両膝をつけて、口元を両手で押さえながら蹲っているけど上手く吐けそうにない。私の周りにいるハンスと護衛騎士達が一斉に剣を鞘から抜刀して周辺警戒してるけど、吐くに吐けなくなっているだけだから。
「王女殿下、いかがなさいました!?」
「毒を受けたのかもしれん、早く治療士と薬師を呼べ!毒見役は何をしていた!」
「水を持って来させて!大量の水を飲ませて、毒を吐かせるの!急いで、早く!」
「ここでは治療することもできません!寝台がある部屋に移動すべきです!」
中途半端に吐瀉物が喉の中間ぐらいで止まってる。
ちょっ、これやばい、このままじゃ本当に息ができなくなる。
薄れゆく意識の中で見たものは、護衛騎士に命令を下している毅然とした態度を崩さないハンスと青褪めながら右往左往している侍女達の姿だった。
◇◇◇
完全に覚醒しきれていない私の意識が陽炎のように揺らめく。
燭台の蝋燭に灯された弱々しい火が薄暗い室内の中を仄かに照らし出し、私の額を覆うように触れられていた温もりがゆっくりと離れていく。その少し冷たさを感じる手のひらの感触を名残惜しいと思いながら、ぼんやりと周りの様子を見渡す。
……私はどうやら、自分の寝室に運び込まれたようだ。
「シア姉」
「フラン、目が覚めた?」
「うん、何とか目が覚めた。危うく、永眠するところだったけど」
苦笑いを浮かべながら、私の憔悴し切った寝顔を覗き込んでいるアレクシアの視線が痛い。私の被害妄想だと思うけど、吐瀉物を喉に詰まらせて死に掛けたことを暗に責められているような気がする。私は是が非でも無罪を主張したい。今回の傍迷惑な騒動に原因があるとしたら、ストレスに弱い私を精神的に追い詰めたお母様のせいだ。
気まずい私は、そっと口元まで毛布をずり上げる。
「それで、私が倒れた後はどうなったの?」
寝室の燭台が灯されている以上、予定されていた観兵式と晩餐会は何事もなく終了している時刻だろう。ちょっと私の計画とは違うけど、お婿さん候補との地獄の顔合わせからは無事に逃げ出すことができたらしい。まさか衆人環視の中で、吐瀉物を喉に詰まらせて、窒息して失神するとは思ってもみなかったけど。
気になるのは、失神する前にハンスが言っていたことだ。明らかに食事への毒物混入が疑われていた。通常の手順通りなら、配膳されている食事の中に即効性の毒物が混入していないか毒見して調べていた侍従(替えが効かない、貴重な鑑定士を中毒死させないため)と、遅効性の毒物が入っていないか時間を掛けて調べていた鑑定士は、城内の人気がない何処かに連行されて留め置かれているはずだ。
すまぬ、嘔吐することも出来なかった私の体調が全快するまで、尋問付きの楽しい軟禁生活を続けてほしい。後で迷惑をかけてしまった侍従と鑑定士の人に、労いの言葉をかけながら賄賂も贈っておこう。迫真の演技と嘘泣きで娘である私のことを騙してくる腹黒なお母様と違って、病弱でストレス過多な私は気の良い性格をしているし空気も読める子なので。
「グラードル卿がフランの口に
「……ごめん、倒れた直後の話は聞きたくない。毒じゃないと思うし」
喉の奥が痛い。
自動車の給油口のように漏斗を喉の奥まで突っ込まれて、大量の水を胃に流し込まれる。そして、後ろから下向きに抱きかかえられて、腹部を圧迫し、毒が消化される前に胃の内容物を全て吐き出させる……それも何度も。
自業自得だけど、適切すぎる毒物の除去方法に泣きそうになる。
今日の教訓、毒殺の可能性がある時の嘔吐と失神は周囲に多大な迷惑をかける。
「それより、観兵式の反響はどうだった?シア姉は出席した?欠席した?」
コルト・ シングル・アクション・アーミーとウィンチェスターライフル。
狙いやすいように木杭で固定されている金属鎧へ向けられたウィンチェスターⅯ1873ライフル。観兵式で予定通り実行に移されただろう、迫力満点の一斉射撃だけはどうしても見たかった。そして、一時的な弾幕(装弾数が少ない上に時間のかかる再装塡をしなければならないから、機関銃のような継続的な弾幕は張れない)が張れるほどの速射性能と弓矢の威力よりも優れる貫通力に驚愕する貴族達の顔も。私の固有魔法を使って、コツコツと一つずつ作り出した二種類の銃器。
アレクシアは、少し困ったように首を傾げた。
「ちょっとだけだけど、実家の家族と一緒に出席したよ」
「寝ずの番をしてたから、途中参加だったの?」
「うん。お父様が、SAA(コルト・ シングル・アクション・アーミーの略称)を興味深そうに見てたのが印象的だったかな?」
「ソリッドフレーム(回転式シリンダーがフレームに固定されている)のSAAはあくまでも護身用だよ。SAAは再装填するために、ハーフコックの状態で銃身下部にあるエジェクターロッドを押して、銃後部のローディングゲート(装填口)から空薬莢を一発ずつ捨てないといけないし」
フレームからシリンダーを横に振り出せるスイングアウト(振出式)じゃないから、再装填するのも時間がかかる。そもそも、ソリッドフレームのリボルバーは再装填時の煩雑さから前世で淘汰されつつあったしね。西部劇に出てくる早撃ちのガンマンが二丁拳銃になるはずだ。二丁拳銃なら時間がかかる面倒な再装填をしなくても、単純に撃ち出せる火力が二倍になるんだから。
「だよね」
「うん、ウィンチェスターライフルを撃ち尽くした時ぐらいしか使わないと思う」
「お父様にそう説明したんだけど、小型で携帯しやすいから気になったみたい」
どうしてベイツ伯爵家の関係者は、暗殺向きの隠匿しやすい小型の武器や携帯しやすい拳銃を好むのだろうか。
ベイツ伯爵家の者に暗殺向きのウェルロッド(サプレッサー内蔵の特殊作戦用消音拳銃)とデ・リーズルカービン(ボルトアクション式の消音ライフル)を渡したら、狂喜乱舞されそうだ。ベイツ伯爵領の領内にあると噂されている暗殺者育成機関の存在を信じたくなってくる。……そんな物騒な育成機関なんて、ないよね?
「固定されている金属鎧に向けて、単発一斉射撃。その後はチューブマガジン(管状弾倉)に装填されている銃弾が無くなるまで、空に向けて弾幕射撃。私も大きな銃声が周囲に響き渡る光景を見たかったなぁ……」
「でもどうして、速射性も信頼性も低いウィンチェスターライフルだったの?もっと信頼性が高くて、速射もできる使い勝手のいいライフルもあったよね?」
正式採用するライフルの選定作業に参加していたアレクシアが不思議そうに聞いてくる。
「センターファイア実包が使えるM1873――旧式のウィンチェスターライフルを選んだ理由は、拳銃弾(SAAと同じ.44-40弾)の互換性の有無と複雑な内部構造で信頼性そのものが低かったからだよ。どうせ、敵に真似られるんだから信頼性は最初から低いほうがいいでしょ?」
フルサイズのライフル弾が射撃可能な小銃は選定作業前の段階で除外していた。
敵対勢力に銃器を鹵獲されて、リバースエンジニアリング(分解したり、動作を観察されたり、内部の部品を計測されること )された結果、デッドコピー品が製造されることを恐れた結果だ。
フルサイズのライフル弾は、20kg以上の重量がある金属製の全身鎧(装甲厚2mm程度)を文字通りの意味で(胸から背中まで)貫通できる運動エネルギーと長い射程距離がある。それに比べて、ウィンチェスターライフルで使用されている拳銃弾はそこまでの威力はない。全身鎧を貫通することは可能だけど、拳銃弾の先端が丸く作られていて射程距離も比較的短いからだ。
それにウィンチェスターライフルは、レバーアクション特有の欠点もある。
レバーアクション方式のライフルは機関部に突き出ているレバーを下に引き、薬室から空薬莢を排出すると同時に次弾を装填するという仕組みだ。ボルトアクション方式の小銃に比べて速射性に優れているけど、レバーを下げている時に機関部が外部に露出して、埃や塵が内部に入り込んで故障する頻度が高い。敵に鹵獲されて使用されたとしても、弾切れで捨てられるか故障して捨てられるかのどちらか。
「それって、地味な嫌がらせだよね?」
「うん、嫌がらせだもん。敵が真似してきたら、こっちはフルサイズのライフル弾が撃てる自動小銃を装備すればいいんだから」
「ウィンチェスターライフルも、SAAも、射程距離が劣っている旧式で――」
「アウトレンジで優位に立つのは味方だけでいいでしょ?繰り返されている毒殺未遂事件だけでいっぱいいっぱいなのに、対処しづらい狙撃まで加わったら慰問活動とかで外を出歩くこともできなくなるからね」
呆れられても困る。
前世の世界ではそうやって、人口密集地の大都市を簡単に蒸発させて吹き飛ばすことができる核兵器が開発保有されていたのだ。自国の優位性(相互確証破壊という共倒れ覚悟で敵国に報復する核戦力がある状態)を確保しなければ、対話することも出来ない不信に満ちた歪すぎる協調関係だった。ラテン語の警句に「汝、平和を欲さば、戦への備えをせよ」というものがある――実に素晴らしい格言だ。皮肉が効きすぎていて笑えそうになる。
私がしているのは同じようなものだ。
無抵抗で殴られる趣味はないから、相手に殴り返す準備をしているだけ。
人の欲望は底なし沼のように際限がない。追い求めても手に入らないかもしれないのに、諦め切れずに追い掛けて掴もうとする。自治拡大に邪魔な私のことを何とかして廃嫡(暗殺したい)させたいと躍起になっている共和派貴族にだって、その人にしか理解できない正義がきっとあるのだと思う。
「……お腹、へった」
お布団の中で、きゅるきゅると鳴っているお腹を両手で押さえつける。
そういえば、今日は朝食の嘔吐した分も含めて栄養になっていない。いい加減、何か食べないとお腹と背中がくっつきそうだ。前の世界にあった梅干入りのお粥が食べたいなぁ……お米が発見されていないから、見た目があんまり良くないボソボソした食感のオートミールで我慢するしかないけどね。
「ジャム多めの甘いオートミールが食べたい」
「はいはい、用意させるから大人しく待っててね」
別室で待機している侍女に食事のことを伝えるため、アレクシアが部屋から出て行こうとする。その後姿を見ながら、私は急に不安になった。お婿さん候補と
「シア姉」
「なに?」
アレクシアを呼び止めて、何度言ったか分からない我が儘を言う。
今日は自業自得の愚行の結果、嘔吐と窒息と失神という淑女にあるまじきトリプルコンボをしてしまったのだ。普通に死に掛けたのだ。少しぐらい、これから食べるオートミールの味のように甘えたい。
「頭を撫でてくれないと、グレてやる」
「……もう」
砂糖菓子よりも甘い人生を夢見ながら、本当に心地が良いアレクシアの手のひらの温もりを感じる。甘えることができた私はゆっくりと瞼を閉じて、今ある幸せが少しでも長く続くように祈りたかった。
こんな在り来たりの願いさえ叶えられないなら、糞みたいな不条理が満ちている世界なんて滅茶苦茶に壊してやる。
◇◇◇
今世の名は―――フランツィスカ・デ・パウラ・リーフェンシュタール。
前世の名は―――異性にモテなかった軍オタ自衛官の更科総司。
前々世の名は――どうしても思い出せない。思い出せるのは虚無の大穴。
白黒写真みたいな色褪せた光景。
それは幾千幾万の勇者達が虚無の大穴に向けて、生還することもできない玉砕覚悟の突撃を開始する光景だった。見上げるほど大きくなっていた虚無の大穴に触れた瞬間、勇者達は次々と粉雪のように溶けていった。誰かが泣いていた。誰もが泣いていた。自分が愛する世界を救うために勇者達は次々と消えていった。
「助力に感謝します」
悪夢のような光景の中で、凛とした女性の声が響いた。
「世界そのものが喰われる寸前なのだ。この際、聖魔は関係ないだろう?」
その言葉に答えたのは、虚無の大穴から視線を逸らさない黒髪の大男だった。
「……そうですね。アレを止めなければ、この世界は無に帰してしまいます」
全ての存在を喰らい続ける虚無の大穴がなければ、種族の生存を賭けて殺し合いになっていた二人。国境にあった小さな農村が無くなり、数万の人間が住んでいた城郭都市も消え去り、国と国を隔ていた山脈さえも消え失せた。一時的に結ばれた休戦から、共同戦線を張らなければならなくなった異常な事態。
「四体の竜王の突撃後、私は可能な限り障壁を全方位で展開させる。その障壁さえアレに喰われるだろうが、私の生命力を魔力に変換すれば十分程度の時間的猶予が生まれるはずだ」
「その時間を用いて……私の固有魔法を使い、アレに転生することを促す」
なんで、前々世は欠片のような曖昧な記憶しかないんだろうね。
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