04 ひっひっふー。
この世界における鑑定の魔法は、とても曖昧なものだ。
まず、鑑定士が鑑定する対象の詳細な情報を事前に知っていなければならない。
対象物を鑑定士が認識できなかった場合、鑑定しても結果に反映されないのだ。
温かいスープの中に入れられた白い粉末を鑑定してもらって、その結果が子供でも見れば分かる「白い粉末」だけだったら、高額になりがちな鑑定士を雇い入れる意味がない。毒物を鑑定する鑑定士に求められるのは、温かいスープの中に入れられた白い粉末が、砂糖なのか、塩なのか、青酸カリなのか、個別に入れられた物質の詳細を精査することができる情報の取得と保持にある。
高収入の毒見役の鑑定士は早死にすることが多い。
だからなのか、毒見役の役職を望む鑑定士の人数そのものが圧倒的に少ない。効能が高い薬草や金銀貨幣の真贋などで重宝されている鑑定魔法の使い手は、割が合わない毒見役の仕事を忌避している。
毒見役の鑑定士はヒ素や水銀などの毒物を鑑定するために――食事や飲料に混入されている毒物の情報の精度を少しでも向上させるため、敢えて少量の毒物を日頃から口に含み続ける必要があるからだ。
そして、遅効性の毒物を長年摂取してきた身体はいつか限界を迎える。
だからこそ毒見役の彼等は、国家のために自分の身を犠牲にしてきた忠義の者として人々から評価され、数え切れない無数の賞賛の言葉とともに、世襲可能な法衣貴族の地位と破格の退職金が与えられる。
魔法とは、物理原則を越えられない
火属性の魔法を使うためには発火させる火種が必要であり、水属性の魔法を使うためには水筒に入れられた水が必要になる。もっとも汎用性が高いと言われている風属性と地属性の魔法であったとしても魔素貯蔵量の問題がある。自分の体内にある魔素貯有量を正確に計測することができないので、下手をしたら自爆覚悟で自分の魔素貯有量の限界を超えた魔法を行使するハメになる。風呂桶の中にあるお湯を風呂桶ごと投げつけるのは簡単だけど、浴槽の中にあるお湯を浴槽ごと持ち上げて投げつけるのは容易なことではない。同じ感覚で投げつけてしまったら、全身の筋肉が断裂してしまう。
低出力属性魔法の連続行使、それが今世の魔導師の立場である。
何枚も重ねられた薄い板金製の全身鎧を纏っている重装歩兵の後方で、長い詠唱を繰り返しているだけの防御力が皆無な固定砲台。魔導師の敵兵に与えられる打撃力は、火炎瓶を投擲する程度の威力でしかない。もっと厳密に言ってしまえば、戦場で動くに動けない魔導師そのものは直接的な戦果にほとんど寄与していない。魔導師にできることは摩訶不可思議な力で自分が攻撃されているという、魔法について無理解な強制徴募された敵兵に与える脅威という名の「印象」だけしかないのだ。
その強烈すぎる印象は戦国時代の火縄銃に似ている。
当代一の精兵と謳われていた武田騎馬軍団(織田側のプロパガンダで実在していなかった可能性あり)は、織田信長が所有している火縄銃から発射された濃密な鉄量の壁を突破することができなかった。常勝であるはずの突破力がある騎兵突撃を繰り出して、敵陣を見事に破砕させる自軍のイメージよりも、自軍の騎馬軍団に向けて撃ち続けられる火縄銃の猛射の衝撃に武田先陣全体が飲み込まれてしまったのだ。
それから導き出せる答えは、統率することもできない士気の低下。
火縄銃の三段撃ち(異説あり)は、小手先の戦術にすぎない。赤備えを含めた武田軍の甚大な損害は潰走している撤退戦で発生している。出鼻を削ぎ落された彼等は繰り返される無数の銃声と予測することもできない接敵した先陣の損耗具合に恐れ戦いて、武田軍全体の士気を喪失させてしまった。武田の武将達は周囲に波及する混乱を収拾することも、低下されられ続けている士気の喪失原因を除去することもできなかった。
部隊を直接指揮している指揮官が絶対に避けたいと思っている最悪な状況――指揮下の兵士達が周囲から伝播した恐怖で連鎖反応を起こし、士気の完全崩壊を引き起こす恐慌状態に陥ったのだ。戦線の崩壊で背中を向けながら散り散りになって逃げ出してしまったら、実戦経験を何度も重ねた古強者でも敵兵に囲まれて討ち取られてしまう。
◇◇◇
私は自分の椅子に座りながら、じっとお母様の入室を待ち続ける。
きゅるきゅる~と、私のお腹の虫が可愛いらしく鳴った。
終始監視されている自由のない日常に嫌気が差してくる。空腹を訴えているお腹の虫が鳴っただけで、この場にいない共和派貴族の誰かに嘲笑され、この場にいる王党派貴族の子女からは同情されるのだ。私は対面にある誰も座っていない椅子に顔を向けたまま、視線だけをゆっくり左右に動かす。室内には世話しなく動き続ける侍女達と壁際で待機している能面を貼り付けたような護衛騎士達がいる。
王族の食事の量は思いのほか少ない。
食べ切れないほどの豪華な食事は必要ではないし、王城に仕えている下々の者達に自分が食べ残した食事を下げ渡す必要もない。これは毒見をする回数を極力減らして、希少な毒見役の鑑定士の生命を生き永らえる意味もある。命を狙われているのは私達王族だけなのに、「この食べ切れない量の冷めきった料理、遅効性の毒入りかもしれませんけど……食べてみますか?」なんて、神経を疑われかねない寝言を周囲にいる人間に言えるわけがない。そんなことを言って、相手に毒入りかもしれない食事を下げ渡したら、毒殺の道連れになることを強要している性格の悪い馬鹿だと思われるだけだ。
私の分の料理は既に毒見が済んでいる。
配膳担当の侍女が料理をお皿に取り分けた段階で、私がランダム(複数いる毒見役には選ばさせない。共和派貴族や教会関係者に買収されている可能性があるため)に選んだ料理の一部を恐る恐る食べて、毒の有無を確かめていた。何時も悲痛な顔で毒見をしているから、私は心の中で密かに「お仕事、頑張ってね」と応援している。
……目の前に、美味しそうな料理が並んでいるのに食べられない。
ロロロッサとエンダイブ(ほろ苦い味が特徴の葉野菜)のサラダ、薄切りされた鴨肉のローストと付き合わせの茹でたアスパラガス、綺麗な琥珀色のコンソメスープとガチョウの卵のスクランブルエッグ、カリカリに焼いた小麦のパンと瓶詰めされていたヨーロッパキイチゴのジャム。
もちろん、全ての料理は冷め切っている。
ぶら下げられた人参を凝視し続けている飢えた馬のように、お母様が入室して来るはずの扉を見つめる。予定の変更を知らせる先触れもない。どうやら、きゅるきゅるとお腹を鳴らしながら健気に待ち続けている私の存在は完璧に忘れられているようだ。実用化された小火器の取り扱いについて、色々と議論しているに違いない。
壁際に控えているハンスを呼ぶか、呼ばないかで、悩む。
これ以上、朝食の時間がずれてしまうと、楽しみにしている観兵式と憂鬱な晩餐会の予定の確認が出来なくなるかもしれない。諦観必須の朝食を食べた後から始まる、苦行みたいな三回目の着替えについては深く考えないようにする。深く考えすぎると、知りたくもない悟りの境地に何故か辿り着きそうな気がするから。……ちなみに欲まみれの俗人である私は、徳の高い修行僧を目指すつもりはない。
「―――ハンス」
悩みに悩んだ結果、私はハンスを呼ぶことにした。
あまりにも来るのが遅すぎるし、お母様付きの側仕えから先触れがないのも気にかかる。今日の観兵式に参加するため、この王都ヒュルトには国内各地から招集させられた共和派貴族と教会の司教や司祭達が大挙として訪れているのだ。払拭することもできない疑念を抱いたまま、ただ漫然と時を過ぎるのを待つよりも、遅れている原因を解決したほうが早い。
音も無く私の背後に近づいてきたハンスに命じる。
「このままだと、観兵式の予定が狂いかねません。お母様付きの者に至急確認を」
「はっ」
ハンスの目配せを受けて、壁際で待機していた護衛騎士の一人が扉に近づこうと踏む出した瞬間、ダイニングルームに続く廊下が徐々に騒がしくなってくる。どうやら、食事の時間に遅刻していた腹黒女王様のご登場らしい。
お母様と二人っきりになった時、グチグチと文句を言ってやろう。
現れた女王陛下の第一声は、「人払いを。フランツィスカ以外の者は部屋から出て行きなさい」だった。腹ペコな私の朝食はさらに遠のいたようだ。私は専属の側仕えや護衛騎士、侍女を下がらせるほどの厄介事の出現に思わず溜息が出そうになった。
◇◇◇
私の母親であり、リーフェンシュタール王国の最高権力者でもあるクラリッサ・デ・アウラ・リーフェンシュタールが頭を抱えていた。その姿はとても憐憫を誘うもので、お母様のメリハリの利いた外見を加味すれば、ルーアンの広場で処刑される寸前のオルレアンの聖女――ジャンヌ・ダルクのように見えなくもない。
……物凄く自業自得だと思う。
脈々と受け継がれている高貴な血筋を残すことも、王族に課せられている義務の一つなのだ。それなのに、ここまで王族の数が少ない(私とお母様しか生き残っていない)理由は、お母様が調子に乗りすぎて、血を分けた実兄達を暗殺しすぎたせいだ。私と同じ転生者であるお母様は、私以上にこの不条理に満ちた世界を信じることができなかった。お母様の決断は王家の血筋を中心とした血統主義と血縁関係を基本とする緩やかな集合体だったリーフェンシュタール王国の統治機能の根幹を完膚なきまでに破壊し尽くす結果になった。
「いやぁあああああああああああぁぁぁぁ!!」
そんな、オークの群れに遭遇した生娘みたいな叫び声を上げられても困る。
王族暗殺を呼び水とした貴族間の権力闘争の激化。当時は粛清の嵐が吹き荒れ、日和見主義の貴族達であろうと生き残りを図るために手段を選べなかったらしい。粛清の標的にならないためには自分を庇護してくれる派閥の力がどうしても必要不可欠だった。大小様々な派閥が消滅と吸収と分裂を幾度となく繰り返し、最終的に残った派閥は、リーフェンシュタール王国の存続のためなら、才覚のあるお母様の血脈以外は不要と断じて王族を殺害することも厭わなかった王党派貴族。手段を選ばない王党派の行いに反発した集まりで、血脈が先細ってしまって弱体化してしまった王家の力に頼らず、領地の自治拡大を目指す共和派貴族。教会の司教達はどちらの派閥が吸収されてもいいように王党派と共和派の二派に分かれている。
後は盛大に燃え盛るのを待つだけ。
自分が生き残りたいなら、相手を先に暗殺すればいい――そんな悪しき前例を王族であるお母様が最初にしちゃ駄目でしょうに。暗殺者を送り込んだという疑いがあるだけで、結果的に無実だった叔父の一人を間違って暗殺したのも悪手だったと思う。暗殺の実行犯はベイツ伯爵家の者だったらしいけど。王家からの暗殺者を送られていない(お母様の意を汲んだ王党派が勝手に送ってる)にも拘らず、自分も殺されるかもしれないという共和派貴族達の疑心暗鬼のせいで、年がら年中暗殺者に狙われ続けている私の身にもなってください。
叫び終わり、プルプルと全身を震わしているお母様が軽いホラーである。
「……お母様?」
私の声に反応して、お母様がようやく俯いていた顔を上げてくれた。
「フランちゃん、どうしよう!?」
……何をどうしたいのか、さっぱり分からないです。
お母様、まずは悲嘆しながら錯乱している原因を私に教えてください。この異様な状況を放置した場合、雪だるま式に私の被害が拡大しそうだから、お母様を何とかして冷静にさせるしかない。涙目のお母様に私は優しく語りかける。
「……お母様、深呼吸をしましょう。ひっひっふーです。はい、ひっひっふー」
「ひっひっふぅー……ひっひっふぅー……?これって、ラマーズ呼吸法!」
「それで、何があったのですか?」
「フランちゃんが冷たい!私はそんな子供に育てた覚えはありません!」
「私も歯が生え揃っていない乳幼児の頃以外、育てられた覚えはありませんね」
私が乳幼児を過ぎた後のお母様は、大鎌を持った死神も真っ青になって逃げ出すぐらいの復讐の女神だったのに今更何を言っているのだろうか……。それに見てくれだけはいい私をここまで育ててくれたのは、乳母兼教育係兼専属側仕えをしてくれていたアレクシアの母親であるベアトリクスだ。生みの親よりも、育ての親。私がお母様に対して抱いている感情は家族としてのものではなく、命を守り続けてくれたことに関しての恩義に近い。
「……ひぐっ」
……お母様が本当にガチ泣きしそうなんですけど。
この人、母親適正が低すぎるような気がする。鼻で笑いながら、これまで尽してくれた臣下を処刑できるほど女王適正だけは異様に高いのに。ここは面倒な事態を先送りにするべきかな……?
私は立ったまま今にも泣き出しそうになっているお母様を正面から抱き締める。
「私がここまで殺されずに生きていられたのは、私のことをずっと守っていてくれたお母様のおかげなんです。お母様が私のことを嫌いになったとしても、私はお母様のことをかけがいのない大切な家族だと思っています」
元の世界で成人していた男性転生者の私は、違和感を抱いたお母様に育児放棄されても仕方がなかった。生後数ヶ月の乳幼児だった私がベビーベットの柵を足蹴にして、オムツ交換を要求していることに気付いたお母様が元の世界の言葉である日本語で話しかけてきたことは記憶に新しい。
お母様は前世の記憶がある転生者であることをカミングアウトしても、それまで取っていた私に対する愛情表現が過多な態度を変えない稀有な人だ。普通なら泣かない乳幼児を薄気味悪く感じて、物理的に遠ざけられても不思議じゃないのに。
「うぐっ……フランちゃん、大好きぃ」
何をするか分からない感情的になっているお母様のことを抱き締める行為は細心の注意が必要で、油断をしていると命の危険がある。自分から傷心中のお母様のことを一方的に抱き締めるのはまだいい。お母様のことを抱き締める行為に問題があるとしたら、私からお母様のことを抱き締めたら、ほぼ間違いなく体格差のあるお母様から抱き締め返されるからだ。
私の呼吸ができなくなるから!
逃げ出すこともできない厚すぎる肌色の胸部装甲で顔全体を力任せに押し付けられたら、鼻と口を塞がれて呼吸ができなくなるから!きゃっきゃうふふの桃色のスキンシップは前世の頃からの夢だったけど、お母様の大きすぎる胸で顔面を隙間なく押し潰されているだけだから!あっぷあっぷしながら、抱き締め返している最中のお母様の背中をタップアウトしないと本当に私が窒息で死にかねない。
ぽんぽんっ――窒息という名の危機から解放された私はお母様に問う。
「私もお母様のことが大好きです。それで、何があったのですか?」
「……えーと、フランちゃんのお婿さんが決まりそうなの」
うん?
「私の聞き間違いでしょうか?それで、何があったのですか?」
「だから、フランちゃんのお婿さんが決まりそうなの」
ううん?
「お母様。私、突発性の難聴になってしまったようです」
「このままじゃ、私がフランちゃんに嫌われちゃう……」
あれ?
「誰のお婿さんですか?」
「フランちゃんの!」
え?
「私が結婚するのですか?将来の王配として、その男性を迎え入れろと?」
「さっきから、そう言ってるじゃない……」
え? え?
お母様に聞かされた話の内容をゆっくり理解しようと努力する。私はリーフェンシュタール王国の唯一の王位継承者。私と結婚する男性は王配として王家に迎えられることが確定している。家格からいって、共和派の位が高い公爵や侯爵などの貴族家の嫡男だと思う。
浮かんでは消える疑問が脳裏を埋め尽くし、私は静かに現実逃避を繰り返す。
内乱一歩手前の一触即発の危機的な現状を回避するために――多くの流血を避けられる最善な策だと思う。血みどろの果てしない内乱で、もっとも犠牲になるのは徴兵される無辜の平民達だ。税収の源泉たる平民に大量の死傷者を出してしまうのは、領地の自治拡大を目指している共和派貴族としても嬉しくない事態に陥ることだろう。それに大規模な内乱が起きた場合、正常な経済活動も阻害されてしまって、平民の生活に直結する様々な物価の乱高下が繰り返される可能性もある。
私の貞操を犠牲にすれば、私の純潔を犠牲にすれば、滅茶苦茶に拗れてしまっている王党派貴族と共和派貴族の関係を改善することができて、袂を分かつ寸前の拗れに拗れた両派閥の融和の第一歩になる。
それにお母様は私の結婚が決まりそうだと言っていた。逃げ出すこともできない決定された未来ではないはずだ。今なら結婚を断ることも可能だろう。不可能だった場合、地位も名誉も何もかも捨て去って、このリーフェンシュタール王国から逃げ出してやる。
まるで、潤滑油が切れた動きの悪いロボットみたいにお母様の顔を見上げる。
「お断りすることは可能なのですよね?元男ですよ、私」
「無理だと思う……。だって、そうでもしないと内乱を避けられないでしょう?」
「私を犠牲にするおつもりですね、お母様」
「……えへ♪」
私は危険極まりない状況に巻き込まれているだけの被害者なのだから、責任を取るのはお母様であるべきだ。内乱が起きそうな原因を作ったのはお母様で、悪化したままの状況を変えようともしないで放置していたのもお母様。当時、何も出来ない乳幼児だった私にどんな責任があるというのでしょうか?責任なんて無いよね?
「内乱の責任はお母様にあると思います。お母様が新しい王配を迎えて、新たな王族を誕生させればいいのです。可愛い弟か妹が生まれ次第、私が王位継承権を放棄すれば問題は解決するはずです」
そんな正論を口にした私は、
「今夜開かれる予定の晩餐会で、お婿さん達との顔合わせがあるみたいなの」
その直後に発狂するレベルの衝撃を受けることになった。
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