prologueⅡ

 理解することもできない理不尽な暴力から必死に逃げ出そうとしている幼子おさなごのように、明かりも灯されていない暗闇の中を走り続ける。


 着用することを義務付けられているフード付きの黒衣が、真っ青になるまで血の気が引いてしまった私の全力疾走を邪魔していた。こんな切羽詰まった非常事態の時まで、私の足を引っ張ろうとしている黒衣は、鬼畜で容赦のない皇帝陛下から無理やり押し付けられた呪いのアイテムに違いない。


 そんな呪いの黒衣さえ上回っている最凶最悪の呪われた魔導具――私の執務室の片隅にある金庫の中で厳重に保管されている宝玉付きの勺杖を持ち出したら、異世界から召喚された勇者様に討伐されるだけの哀れな魔王の出来上がりだ。時間外労働を禁止している労働基準法の存在を完璧に無視するしかない宰相の仕事だけでいっぱいいっぱいなのに、俺つええ系の勇者に討伐される魔王役なんてやりたくもない。


「あっ⁉」


 それは短すぎる悲鳴だった。

 

 私が着ている黒衣は、NIJ(アメリカ合衆国の国立司法省研究所)規格のレベルⅣ防弾衣を遥かに超える優れもの。そして、耐熱や耐寒などの至れり尽くせりの各種耐性、自分の魔力を用いて自動展開される障壁機能も付与されている。皇帝陛下から受ける回避不能な攻撃と自分自身がやらかした自爆を除いて、黒衣の防御力を突破することは不可能に近い。


 私の視界を埋め尽くす、大理石の床材――全身の血液が瞬く間に凍りつく。


 呪われている黒衣の文句を内心で思っただけで、裾を踏んで大理石への顔面ダイレクトアタック?サイズが合っていないダボダボの黒衣を私に押し付けてきた皇帝陛下のせいで、名古屋城の金のしゃちほこみたいな体勢で顔面着地?姿を消しやがった無責任すぎる皇帝陛下から私に下賜されるのはこんなものばっかりだ。顔への直撃だけは何とか避けようと、顔の前で両腕を交差させて、覚悟を決めて迫る来る衝撃に備える。



 どっしゃああああああああああああああぁ――――――――――――っ!!



「……っ」


 見事に転倒してしまった。


 痛い、痛い、ものすごく痛い、大理石の地面に強く打ち付けてしまった両手の手のひらが泣き出したいくらい痛い。中途半端な前のめりの体勢で倒れた時に、勢いよくぶつけてしまった剥き出しの両膝もジクジク痛くなってきた。じんわりと両膝から血が滲むのを肌で感じる。


 ……けれど、そんな瑣末な問題に気を取られている時間的余裕なんてない。


 もう少し歩けば、玉座の間の開け放たれた大扉にたどり着ける距離なのだ。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……っ」


 大扉から届いている照明の光に近づくにつれて、涙で潤んでしまっている両目と息切れしている呼吸を無理やり整える。皇帝陛下の赤子である臣民の前で、扶桑皇国の宰相である私が無様な姿を晒せるわけがない。息苦しい浅い呼吸を何度も繰り返して、今度は深く吸い込み――大扉に辿り着いた私は声を張り上げた。


「皇国陸軍の近衛師団に、緊急非常態勢レッド・アラートを発令します!」


 封鎖された玉座の間に何人たりとも侵入を許さない――大扉の左右両側で待機している衛兵達に最初の命令を下す。表情をピクリとも変えることがない彼らでさえ、突如として豹変して戻って来た私の態度に驚いている。


 私も皇帝陛下の行方不明に驚きながら卒倒して、気分爽快な朝を迎えたい。


 はぁ………、早く重責がありすぎる宰相の仕事から降りたいな。実行に移したとしても、離職届けを届けた瞬間にぐしゃっと文字通りの意味で握り潰されて、ゴミ箱の中に投げ捨てられるのがオチ。畜生め、私に救いはないのか。


「近衛師団の即応展開可能な全部隊をこの帝都中心部に集結させなさい。帝都の中心部近傍の駐屯地にいる近衛師団の部隊に関しては、皇城内でのヘリボーン降下を許可します」


 皇城内の各所に設置してある非常ベルが次々と鳴り響き、そのけたたましい音を聞きつけた侍従武官達が私の周りに集まってくる。皇城の警備は扶桑皇国陸軍の各師団から選抜された将兵で編成されている近衛師団の役目。帝都の中心部で即応展開可能な近衛師団の部隊は多いはずだ。近衛師団の動きが遅いようなら、追加で帝都周辺に駐屯させている他の機動歩兵師団と戦車師団も緊急展開させる。


 恒例行事と化している他国の国境紛争を武力で解決するよりも、帝都にある数え切れないインフラ(多大な費用と時間をかけた)を失いかねない皇帝陛下の行方不明のほうが、扶桑皇国にとって損失が大きいのだ。


 生きている人間の生皮を笑いながら剥ぎ取るような鬼畜だけど、性格が少しだけ丸くなってきた皇帝陛下はまだいい。問題は人の姿に擬態しながら皇帝陛下の近くで護衛をしているはずの加減も知らない竜王達だ。敵国の首都を最小に抑えた単発ブレスだけで跡形もなく消し去ることができる、破壊と殺戮の化身。そんな危険極まりない竜王への対処を誤れば、この帝都全域が簡単に吹き飛びされかねない。


「我等の栄えある皇帝陛下が行方不明になられています。皇国の守護者たる竜王様の行方も至急確認を。これは宰相権限を有する、私からの最上級命令です」


 皇城の直近にある参謀本部へ向いながら、矢継ぎ早に命令を下していく。


 悪化し続けている今回の事態は、皇帝陛下の誘拐事件なんかじゃない。いえ、竜王の誰かに身辺警護されている皇帝陛下を誘拐できるわけがない。むしろ、血の気が多すぎる皇帝陛下は、自分が誘拐される前に誘拐犯のアジトを突き止めて、自分から殴り込みを仕掛ける皆殺し上等の対処に困るタイプだ。


 冷たい玉座の上にポツンと置かれていた、可愛らしいクマのヌイグルミ。


 あれは皇帝陛下が自らの意思で、皇城から逃げ出した明らかな証拠。皇帝陛下の自室にあった「玉座で待っている」という意味不明な謎の書置きも、邪魔すると分かりきっている私を足止めするために準備しておいた布石だろう。信憑性がありそうな偽情報に踊らされて、皇城から脱走させないように手を打つ暇もなかった。


「夜間営業している飲食店を中心に捜索を開始してください。護衛の竜王様が皇帝陛下と同席されているはずです。くれぐれも失礼がないように――絶対にこちらから刺激しないでください。下手をしなくても竜王様を刺激した場合、帝都全域が壊滅します」



 ◇◇◇



「手が足りません。第一機動歩兵師団の第一機動歩兵連隊を帝都中心部へ向かわせなさい」

 

 皇帝陛下は物凄い貧乏舌。深夜営業をしている高級店に行くことはないはずだ。


 他国から来た賓客との会食時に供されたフランス料理を、皇帝陛下は陰所トイレで盛大に戻されていた。その背中を優しく擦り続けたのは、無理に皇帝陛下(プロヴァンス料理のオリーブ油が駄目だったらしい)を会食へ招いてしまった宰相の私。危うく、私も貰いゲロをするところだった。その時のことを思い出しただけで、昨夜の夕食を戻しそうになる。うええぇ。


「風竜王シュピラーレ様。皇城主塔の見張台において、寝惚けいるところを発見いたしました。現在、風竜王シュピラーレ様の身柄を確保するために説得中です」


「地竜王シュヴァルト様。皇城内の菜園において、生の野菜を齧っているという報告が届きました。これから地竜王シュヴァルト様の説得を開始します」


 所在確認の報告が次々と参謀本部の一室に――私の元に届いてくる。


 いつも涙目のはわわっ系のビビり風竜王と、働いたら負けだ系の自堕落地竜王の所在は確認することができた。確認が取れていない竜王は残り四人。マイペース新妻系のブチ切れたら止まらなくなる火竜王と、事なかれ系の自分に実害がなければ何もしない水竜王は未だに発見されていない。かなりまずい状況だ。皇城で説得中の二人よりも、遥かに危険な存在が四人も野放しになっている。


 右手で押さえている胃がキリキリ痛む。血色の悪い、青褪めている顔も引き攣ってきた。


「寝床を頻繁に変更なさっている光竜王シュアニーヴェ様と、ご自身のお屋敷にいらっしゃるはずの闇竜王べルラァーファ様は所在確認できたのですか?」


「確認できていません!」


 頭の中にスカスカのスポンジが詰まっている鳥頭の光竜王と、塗り固めた悪意しか詰まっていない腹黒の闇竜王が行方不明のまま?竜王の中でも別格扱いされている光竜王と闇竜王が見つかっていない?その時の気分で何をするか分からない両極端の二人が所在の確認も取れていないって、どういう事?竜王同士の大喧嘩に巻き込まれて、死ねってこと?


「一秒でも早く、見つけ出してください」


 第一機動歩兵師団の二個機動歩兵連隊(千葉県佐倉市、山梨県甲府市に駐屯。東京に駐屯している機動歩兵連隊は既に動員済み)と宇都宮の第十四機動歩兵師団を帝都まで移動させたほうがいい?それで間に合うの?千葉の佐倉にいる第一機動歩兵師団の機動歩兵連隊と、習志野に駐屯させている第二戦車師団なら間に合うかもしれない。こうなったら、後先考えない総力戦だ。投入できる皇国陸軍の全兵力を帝都中心部に叩き込む。


「帝都に展開可能な師団は全て動かします」


 溜め込んだストレスで吐きそうになっている私は、自分自身に言い聞かせる。


 これは帝都の重要施設(どこかの繁華街)に侵入したテロリスト(行方不明の皇帝陛下と竜王)を捕縛するため、急遽決定された治安維持活動だ。知る権利なんか無いのに、揚げ足ばっかり取ってくるマスコミ向けの発表もこれで押し通す。


 帝都中心部への過剰な戦力投入が責任問題になっても、宰相権限で事実を上手く捻じ曲げて有耶無耶にしてやる。それに、尻拭いをしている私には「蚊帳の外に置かれていたので、私は何も知りませんでした。皇城から抜け出した皇帝陛下が勝手にやりました」という責任逃れの伝家の宝刀もある。


 ……あの馬鹿皇帝は、どこで何をしてるのよ。

 


 ◇◇◇



 虱潰しらみつぶしのローラー作戦。近衛師団、第一機動歩兵師団の三万六千余名が帝都中心部で駆けずり回っている懸命な捜索活動。


 私は皇国帝都の地図に書かれている無数のバツ印を睨み続ける。


「闇竜王べルラァーファ様、お屋敷に在宅のご様子です」


「闇竜王べルラァーファ様の所在確認は取れていないのですか?」


「所在の確認に向かった中隊の大半が、屋敷の敷地内で口から泡を吹いて昏倒したとの報告があります。広範囲の精神攻撃を受けた模様です」


「闇属性の精神攻撃を受けてしまった中隊の将兵達は、その場に放置しましょう。どうせ、死人は出ません。未だ行方不明になっている、御三方の所在確認を急ぎなさい」


 発狂の末に意識を失った可哀想な将兵達は見捨てる。


 救助に向わせた別部隊も異常を来たしてしまう悪質な精神攻撃の二次被害に遭って、絶対にミイラ取りがミイラになる。安眠を妨げられて不機嫌になっている闇竜王べルラァーファ様は、竜王の中でも最悪な存在に成り得る。触らぬ神に祟り無しだ。急迫している事態が収束するまで、昏倒してしまった将兵達を助けることもできないのだから、ここはトカゲのしっぽ尻だと思って割り切るしかない。


「火竜王エデルフィア様と水竜王アデルフィス様、皇城の桜田門にて確認!」


 …………え?


 こんな時間に外出?御二方とも外出する予定なんてなかったはずだ。

 皇帝陛下の脱走=竜王の護衛=起爆寸前の核兵器輸送と同じ意味になるのに?


 皇帝陛下の夜間外出が帝都の民衆に露見してしまえば、民衆は容易く恐慌状態に陥ってしまう可能性がある。いいえ、かなり高い確率で恐慌状態になる。超越者である竜王達がもたらした厄災の数々――他国の壊滅的な被害状況は国内の無意味な反乱を防止するため、皇国臣民にも周知されている。民衆の心の奥底には、抗いがたい恐怖があるのだ。


「御二方の服装は⁉髪は隠されておいでなのですか⁉」


「隠されておられません!」


 そんな報告は耳に届いて欲しくなかった。

 私は露見しないように奇跡を祈ることぐらいしかできないらしい。


 この世界に茶色が混じっていない単色の薄い赤い髪と薄い青い髪をしている人間なんて、存在(同色の染髪は紛らわしいので原則禁止)していないのだから。


「火竜王エデルフィア様と水竜王アデルフィス様が御不快に思われないよう、堂々と追跡を開始してください。下手に隠れて追跡すると、ボコボコにされて受傷し行動不能になりますから。私も急いで御二方の後を追いかけます」


 私は居並ぶ武官達にそう言い残して、参謀本部の階段を駆け下がり、出口に向けて長い廊下をまた走り始める。今日の私は走ってばっかりだ。本当に長期の有給休暇が欲しい。この混乱している状況下で車両を使って追跡した場合、雑踏に紛れ込んでいる二人の姿を見失うリスクがある。確実なのは、私が直接走って二人を追いかけること。


「はぁはぁ……なんで、私だけがこんな目にあわないといけないのでしょうね!」


 息切れし始めた大量の酸素を求めている両肺が痛い。血が滲み続けている擦り剥いた両膝も痛い。ヒリヒリする両手の手のひらも少し赤くなってきている。


 ……今日の私は本当に踏んだり蹴ったりだ。

 

 微妙に熱がこもってきた呪いのアイテムの黒衣に、運のマイナス補正が付いていないか皇帝陛下に本気で問い詰めたくなってきた。


 酸欠気味になった私は繁華街にあるビルの壁に寄りかかりながら、先の長い道程を考えて荒くなってしまった息を無理やり整える。私が見上げた先にあったのは、苛つくことに私が嫌いな性風俗店――それもおっぱいパブの看板だった。


「AAカップのおっぱいしかない私に対する嫌味なの?はぁ…はぁ…休憩しながら走らないと無理。酸欠のせいで、頭がクラクラしてる。本格的に食生活を改めないと駄目みたい」


 等間隔で設置されている無数の電灯によって、煌々と輝いている帝都がいつもよりも明るく感じる。竜王達の発現を警戒して、近衛師団の高射砲連隊が探照灯を上空に向けているからだ。探照灯の合間をすり抜けて飛行しているのは、ヘリボーン降下を許可した皇城に急行しているシコルスキー・エアクラフト社製のS-55。これでワーグナーのワルキューレ騎行のBGMさえあれば、有名な戦争映画の出来上がりだ。


 黙示録のような有り得ない光景を眺めている私の口から、乾いた笑いが出た。


「……ははっ。このままじゃ、帝都がブレスの一撃で消えて無くなりそう」


 そして、疲労困憊で死にかけている私は再び走り始める。走り続けて、走り続けて、ようやく目的の人物に追いつくことができた。前方、約五十メートル先の歩道をキョロキョロとよそ見しながら歩いている、薄い赤髪のポニーテールと薄い青髪のツインテールの二人組!


「……はぁはぁはぁ、ソ、ソフィア!! スフィア‼ げほぉっ、おげえぇぇ⁉」


 下を向いて嘔吐えずいた拍子ひょうしに、黒衣のフードからポロポロと少しずつ金髪が零れ落ちる。二人の名前だけは言えたはずだ。これで気づかれていなかったら帝都は滅びる。


「その声はフランちゃん?めっちゃ死にそうな顔をしてますけど、大丈夫っすか?」


「こんばんは、フランさん。主様に緊急の用件でしょうか?」


 私の名前は扶桑皇国宰相フランツィスカ・リーフェンシュタール。 

 リーフェンシュタール王国の元姫君。たった一つの特別な雫の兄だった転生者。


 この世界に可愛い妹が転生するまでは、女として、宰相として、生きていこうと誓った救いようのない愚者。後悔してばかりの私は皇帝陛下と共に、この狂った世界の中で妹の帰りをずっと待ち続けている。


「陛下はどこにいるの⁉」


「え?そこのラーメン屋にいるっすけど?」


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