とある宰相の追憶。

さば

とある宰相の追憶。

prologueⅠ

 皇歴558年2月26日


 今から通り過ぎようとしている、木彫りされた紫檀したん製の大扉は相変わらず無駄に作り込みすぎているな――そんなどうでもいいことを考えながら、目の前にある開け放たれた大扉を立ち止まって見上げていた私は、誰にも気付かれないように苦笑いを浮かべた。


 今は亡き人々に捧げられている副葬品を盗もうと、狭苦しい通路を抜けて霊廟の奥底まで忍び込んだ墓荒らしのように、明かりも灯されていない暗闇の中を歩き続ける。一点の曇りもない丁寧に磨き上げられた大理石の床材をカツンカツンと叩き続ける乾いた靴音が、物音一つしない静寂に満ちた空間に悲しく鳴り響いた。


 私が靴音を鳴らしている空間に、赤色の絨毯は敷かれていない。


 人間国宝に指定されている国内屈指の織物職人が、何千、何万、何億もの赤い細い糸を紡ぎ合わせて、ほつれ一つない長大な赤色の絨毯を作り上げたとしても意味がないからだ。


 一度たりとも使用された試しがない、封鎖された玉座の間。


 この世界における唯一の覇権国家――扶桑皇国。


 目障りな小さな羽虫を靴底で踏む潰すように何度も行われている、畏怖を抱かざる得ない圧倒的な暴威。敵対している相手の善悪さえ問おうとしない、幾度も繰り返されている凄惨という言葉に相応しい無慈悲な暴虐。顔を背けたくなるような数多の厄災を世界の隅々までもたらしている扶桑皇国の建国以来、無人のままで封鎖されている玉座の間は、ずっと使われる機会を待ち望まれながら、今も静かに眠り続けている。



 ◇◇◇



 最奥にある玉座の直前まで辿り着いた私は、玉座の段差の前で片膝を地面に着けて跪きながら頭を垂れた。非礼がないよう畏まった私の目の前にある玉座には、この世界の全てを支配している至高の御方が――扶桑皇国を統治している皇帝陛下が座しているはずだから。


「……陛下。やはり、この玉座の間にいらっしゃったのですね」


 皇帝陛下からの返事はなかった。これは私の想定のうちだった。


 経年劣化で少し色褪せてきた玉座に座っている皇帝陛下は、ある一点のことを除いて、この世界そのものに興味を示されていない。


 時計の小さな秒針を刻む音さえ聞こえない静まり返った玉座の間に、これまで何千何万回と繰り返されている私の淀みない声が静かに響き渡る。


「ファールス王国とウルク王国における局地的な紛争は、我ら扶桑皇国戦略打撃軍の示威行動によって早期に終結いたしました。両陣営から派兵されていた人員に若干の死傷者を出してしまいましたが、光竜王シュアニーヴェ様の助力により、実質的な死傷者数はゼロとなっております」


 皇帝陛下からの返事はなかった。これも私の想定のうちだった。


 今回の些細な領土問題に起因する小規模紛争は、早期に終結することができた。

 貴方の砂場はあっち、貴方の砂場はそっち。


 大量に埋蔵されているはずの原油が既に枯渇してしまっているイラクとイラン。


 目ぼしい地下資源も何一つない、不毛な大地が広がっているだけの砂漠地帯――そんな将来性が一向に見えてこない、お先真っ暗の寂れた国家の呼び方なんて砂場で十分だ。両国の首脳陣は何時になったら気づくのでしょうね。重要な地下資源である原油が、とっくの昔に無くなってしまっていることに。今回の国境紛争と関係がないので、二つの王国が建国される前に若気の至りで一滴も残さず採油し尽くしてしまった大量の原油のことは、綺麗さっぱり忘れることにしましょう。


 扶桑皇国軍の統帥権を皇帝陛下から委譲されている私は、インド洋のソコトラ島とディエゴ・ガルシア島に駐留させている戦略打撃軍の戦略爆撃機を少しだけ動かしただけだ。諸外国から死の鳥だと恐れられている500ポンド(227kg)爆弾を多数爆装させたB-50(B-29の改良型で、加熱等の問題が多かったエンジンの換装と垂直尾翼の拡大)と、戦略パトロール任務から外したB-36を数十機ほど、係争している地域の上空で嫌がらせのように編隊飛行させただけ。


 それだけで簡単に解決できてしまった国境紛争に溜息しか出ない。


 両国間の国境線になっている河川(アルヴァンド川)の領有を巡って、死傷者が生じてしまう無意味な小規模紛争を飽きることもなく、高額な宝くじを当選した後で関わりの薄い親戚(そんな親戚、知らんがな)が大挙として襲来してきた新年の挨拶みたいに何度も繰り返しているのだ。確かに灌漑用の農業用水の確保は大事なことだと思うけど、うんざりするほど小競り合いの回数が多いせいか、若干の苛立ちを覚えそうになる。


 理性と知性のある人間同士なんですから、まずは殺し合うよりも先に話し合うべきでしょう?どうして、当事者同士で平和的に話し合えないのかな?あの人達は、聞く耳を持っていないお猿さんなんですかね?ああ、キーキー叫んでいる猿以下の知能しかない馬鹿だから、同じことを何度も繰り返しているんですね。


 毎回、当事国双方が痛み分けになるよう、面倒臭い現状維持の調停案を考えている私の身にもなってくださいよ。まあ、原始的な弓矢と魔法で殺し合っているところに爆装させてある戦略爆撃機を飛ばした私も大人げないと思いますけどね。武力介入をしている諸外国の国民からは、二心のない皇帝陛下の忠実な走狗として蛇蝎の如く嫌われているので、自分に対する相手の評価なんか今さら気にもなりませんし。ふふっ……秋田のナマハゲみたいに嫌われすぎているから、逆に面白くなってきた。嫌われ者、ここに極まれり。


 死傷者というおもりを載せている天秤が傾く前に、戦いの勝敗という天秤そのものを手にしているメイスで叩き壊す――扶桑皇国の一方的な武力介入によって、甚大な被害を受けてしまった諸外国の民衆から、聞くに堪えない怨嗟の声を浴びせられても此方は反論することもできない。甚大な被害を受けてしまった彼等には怨嗟の声を浴びせる資格があり、被害を与えた我々には血生臭い悪行を何度も重ねている自覚がある。


 ありもしない国際協調や相互理解などと嘯きながら、拒否権を持つ大国同士のパワーバランスの影響で、常に玉虫色の結論しか出せない国際連合のような日和見主義のバランサーではなく、扶桑皇国は明確な暴力装置として世界を平和に導いている。


 様々な理由で起きてしまった紛争を強引に解決するため、当事国双方に紛争の早期終結を促す調停案を一方的に通告。通告された調停案の内容に御不満があるのでしたら、我が扶桑皇国の外務省に向けて、領土拡張を願っている自国民を一人残さず殺して回ってくださいという滅亡必須の最後通牒をご返送ください。最後通牒を返送しても、返送しなくても、紛争の継続を決めた時点で扶桑皇国が武力介入することは変わらないんですけどね。


 この聞き分けが悪い馬鹿ばっかりの世界に、百倍以上の国力差がある扶桑皇国と戦火を交えたがる馬鹿な国家は存在しない。


 多国間の連合を組んで対抗しようとしても、此方は重箱の隅を突くような各個撃破で対処できる。思惑を抱いたままの各国の足並みが揃っていない連合なんて、瓦解しやすい烏合の衆にすぎませんから。そうそう、破滅願望がある二国間の紛争の話でした。此方が勝手に用意した紛争(戦争)の調停案を当事国が蹴った場合、戦時体制の総動員された扶桑皇国軍に当事国双方の国土が文字通りの意味で踏み潰されるだけだからだ。


 それにしても、今回の紛争は本当に危なかった。


 最近はやることがなくて、欲求不満気味になっている皇帝陛下(捜すのに苦労するので、行方をくらませないでください)が本格的な武力介入することを決断なさっていたら、馬鹿な両陣営の国土全体が木っ端微塵に吹き飛ばされて、雑草も生えてこない焦土に――参戦する意志も示していない紛争当事国の罪もない国民が十回は確実に殺されていたはずだ。


 紛争当事国の国民が死傷する度に、光竜王シュアニーヴェ様の権能の一つである回復魔法と蘇生魔法を繰り返している(金銭の授受という付け届けをすれば、ころっと騙されて蘇生してくれる)ので、紛争で生じてしまった死傷者の有無については問題ない。たまに強力すぎる蘇生魔法の加減を間違えて、お墓に埋葬されている腐敗が進んだデロデロの死体も棺桶の中で完全復活するけど。


 ……それは死体があればの話だった。


 加減をすることや自重することを前の世界に置き忘れている皇帝陛下が本気になったら、死者の蘇生に必要な死体が原子レベルで跡形もなく消失しかねない。失われそうな魂の器になる死体の断片(髪の毛や火葬されている骨でも可)が残っていなければ、魂と記憶が保存されていても蘇生できなくなってしまう。その場合は死んだことを後悔しながら、運が悪かったと諦めてください。


 しょぼしょぼしている眠たい目をゴシゴシ擦りたいけど、充血気味の真っ赤な目に悪そうだから擦らないほうがいいかもしれない。大きな欠伸が出そうになるのを必死に我慢している私は偉すぎる。一秒でも早く、ベットの中に入って眠りたい。


 うんともすんとも答えて下されない皇帝陛下が自分の部屋から逃げ出さないで大人しく待っていてくれてたら、私の仕事もとうに終わっていて、今頃はベットの中でグースカ夢も見ないで寝ていたはずだ。まったく……この頃の楽しみは、ベットの中で寝ることしかないのに報告を待たないで自室から逃げ出すって、何様のつもりなんですかね。ああ、覇権国家である扶桑皇国の皇帝陛下でした。


「ブルグント王国の周辺諸国に対する露骨な軍事的恫喝のことなのですが、在位している現国王の首を別のものにすげ替えることで対処いたします」


 皇帝陛下からの返事はなかった。これも私の想定のうちだった。

 この案件はすぐにでも解決できる。


 軍事的恫喝を主導しているのは、この世界を支配している扶桑皇国の現体制に強い不満を持っている愚かな国王とその取り巻き連中だけだからだ。彼等が声高に叫んでいる周辺諸国へ向けての露骨な軍事的恫喝は、八方塞がりの現状を打破することもできない弱者の証明でもある。「我々が求めている領土を割譲しないと本当に戦争をなるぞ!」と周辺諸国へ叫び続けて、国民の愛国心に訴えないと現在の政治体制が維持できなくなるぐらいブルグント王国の国内は混乱している。


 ちなみに扶桑皇国は違います。


 扶桑皇国が他国に対して軍事的恫喝を行う場合は、総力戦前提の出師準備(国内経済に悪影響を与えない程度の戦時態勢から、さらに強度な臨戦態勢へ移行すること)が整い終わったことを全世界に告げるものだ。流血を避けられない戦端が開かれる寸前の死刑判決に近い脅し。ぶっちゃけると、「貴国の国土に侵攻して、国民を一人残さず皆殺しにできる準備は全て整いました。自殺志願間違いなし貴方達は、千回くらい死に戻りを繰り返すおつもりですか?」の意味である。聞き分けのない相手が納得するまで説得して無駄な時間を浪費するよりも、原形を留めないくらいボコボコに殴り殺してから、相手の死体に独り言を呟いていたほうが精神的に楽ですからね。


 本当に怖いね。国内の総人口が二億人を軽く突破しちゃってる扶桑皇国。


 平時編成の皇国陸軍だけで二百万の兵数を超える。国内にいる予備役と後備役を全て動員できれば、半年以内に二千万を超える皇国軍の出来上がり。その最大動員数は小中国家の総人口さえ凌駕して、圧倒的な数の暴力で敵対する国家を簡単に包囲殲滅することができる。


「ネウストリア王国の通商代表部の方々が帝都のネウストリア大使館に到着なさいました。以前から貿易上の懸念材料になっていた、穀物と嗜好品についての支払いに関する事前協議でしょう。私が恙無く差配いたします」


 皇帝陛下からの返事はなかった。これも私の想定のうちだった。

 この代表者同士の事前協議は難航が予想されている。


 国内で流通している貨幣を著しく減少させてしまった貿易相手国であるネウストリア王国側は、扶桑皇国の要求を満たすことが到底出来ないからだ。完全な輸入超過の状態に陥ってしまったネウストリア王国は、信用不安で国家経済が破綻する寸前。支払い代金の金塊の代わりにブルターニュ半島の租借権をネウストリア王国側から支払われそうになって、私は非常に驚いた記憶がある。


 扶桑皇国の小麦などの各種穀物はかなり低い金額(採算が取れるギリギリのライン)で各国に輸出されているが、それでも支払えずに滞ることがある。支払いは金塊、銀塊、人間、そのいずれかを選択可能。資源に限りがある金貨や銀貨を鋳直して作られている金塊や銀塊で支払ってしまったら、自国で発行している貨幣の含有比率を大幅に引き下げなければならなくなる。それだけ、輸出している穀物の取引量が膨大なのだ。


 金銀に代わる人間の支払いについては、「ニトンの穀物をそちらの国に輸出します。代金として体重五十キロの成人を二十人か、体重三十キロの子供を三十人ほど皇国に送ってください」といった風に取引をしている。愛する家族との別離は辛いものであるから、通常は家族単位で支払われて貨客船に乗って海を渡ってくる。


 そうやって、この扶桑皇国は人口を徐々に増やしてきた。


 取引先である大量の穀物を輸出した国家は国内にいる余剰な人間を合法的に減らすことができ、自国民を飢えさせる危険性(大規模な反乱や革命運動)を減少させることができる。扶桑皇国は穀物輸入の支払い代金にさせられた人々を保護して、十分な食事と高度な教育の機会を与えて更に国力を増す。


 王侯貴族などの特権階級が好んで消費する嗜好品については、かなり高額に設定されている。ウハウハである。まさに笑いが止まらないくらいのウハウハである。ワインや香辛料、楽器や煙草がなくても人は生きていけますので。


 蛇足ながら、この貿易方法を考えたのは私です。


 扶桑皇国の建国理念は、誰も殺されない世界を実現させること。皇帝陛下の理想は、この世界に満ちている全ての死を自らの管理下に置くこと。たった一つだけの特別な雫を絶対に手のひらから取り零さないようにするための理念と理想。


「私の基本給のアップと、溜まりに溜まった有給休暇を消化させてください」


 皇帝陛下からの返事がなかった。これは私も想定していなかった。


 ……え、返事がない?


 厚生労働省の大臣から名指しで長期の休暇を取るように言われて、鬼畜な皇帝陛下に会う度に「休みがほしい」と呟き続けてきた結果がこれ?「休みもしないで働き続けている貴女の存在そのものがブラック企業を容認、助長させているのです」と言われた私を24時間365日の無間地獄に叩き落したのに返事もなし?


 これは皇帝陛下の黙認を受けたと解釈してもいいの?


 基本給のアップはともかく、溜まりに溜まった二十年分の有給休暇の消化は無理に決まっている。グアム辺りの砂浜で、パラソル付きのデッキチェアに寄り掛かってゆっくりしたい私は世界を支配している扶桑皇国の宰相なのだ。私個人の職業選択の自由以外は皇国のほぼ全権を委ねられている。


 私が長期間の有給休暇を取ってしまったら、皇国の政治経済は破綻しかねない。

 短期は大丈夫、中期もなんとか、長期は……終わった。


 私の目の前にある玉座には、確かに身動きはないが人影はある。

 それは間違いない。


 まさか、皇帝陛下は既にお休みになられている?今の時間は深夜二時をとうに過ぎているのだから、皇帝陛下がお休みになられていても不思議ではない。でも、毛布も掛けずに冷たくなった玉座に座りながら居眠りする?金銀財宝で過剰に飾り付けられいる硬い木製の椅子の上で寝る?自分の寝室に馬鹿みたいな大きさの寝台が置いてあるのに?ありえない、皇帝陛下がこんな場所で居眠りするはずがない。


 それまで感じていた眠気が一気に覚めた。


 おかしい、おかしい、何かがおかしい。

 寒気がする。吐き気がする。警鐘の鐘の音が頭の中で盛大に鳴り響いている。


「……陛下、玉座にいらっしゃるのでしょう?」


 不安げな表情を浮かべているだろう私の声が玉座まで届いているはずなのに、皇帝陛下は何故か無言のままで返答してくれない。私はゆっくり立ち上がり、世界の支配者が座っているはずの玉座に向けて歩き始める。一歩一歩足元を確かめるように進むにつれて、感じたくもない嫌な予感と気持ち悪くなるぐらいの緊張が増していく。


 お願いだから、玉座に座っていて。


 暗闇の中から浮かび上がるようにして、絢爛豪華な装飾を施されている玉座が現れた。


 抗うことを望む恐れ知らずの愚かな者達へ、苦痛に満ちた死の制裁と無限の罪過を与え続けている超越者達――人知を超えた六体の竜王で象られている玉座がそこにはあった。



 そして、その玉座の上には、人間大のクマのヌイグルミがぽつんと置かれていた。



「………………………………え?」

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