第47話 愛を叫ぶ
あのバカっ、と悠里は毒づいた。
姫ヶ瀬FCジュニアユースの応援に駆けつけた連中、特にケルベロスどもを中心にして騒然とした雰囲気になっている。彼らにしてみれば勝ち越すに違いないと期待したPKを防がれ、しかもカウンターで五人抜きを演じられたあげくに失点したのだ。気持ちはわからないでもない。
おまけに暁平はその感情を逆なでするような決め方をしてしまった。
「キョウちゃん……」
不安げに凜奈が暁平の名を呟く。
せっかく帰ってきてくれたこの子にいらん心配をかけさせて、あいつはいったいどういうつもりなのだ。悠里は唇をきつく噛み締める。
ピッチには少しずつ物が投げこまれだしていた。飲みかけのペットボトル、うちわに百円ライター、ビールの空き缶、オレンジで統一された姫ヶ瀬FCのチームタオル、それにTシャツ。半裸の群れとなったケルベロスが常軌を逸した罵声を雨あられのごとく暁平に浴びせる。
「死ね」「ぶっ殺す」「生きて帰さねえ」
全部同じ意味じゃない、と心の中で彼らの貧しいボキャブラリーを詰ってみてもはじまらない。
審判団がどうにか制止しようと笛を吹き、警備員が彼らを囲むようにして説得にあたっているがまるで効果はなさそうだった。
なぜなら、ケルベロスの標的となって憎悪を一身に受けている当の暁平が「聞こえねえな」と言わんばかりに、耳に手をやったポーズで平然と煽っているからだ。
「ねえホセ、どうしたらいい?」
そう訊ねる悠里の声はひどくか細かった。
「あいつ、完全にタガが外れちゃってる。本気なんだ。本気でFCもケルベロスも何もかも叩き潰すつもりなんだ。どうしよう、どうしたらいいのかな」
なぜ暁平の感情が暴走しているのか、彼女に思い当たる理由はひとつしかない。
凜奈の姿を目にした、それ以外に何があるというのか。
事故からの二年間、暁平はたくさんの気持ちを抑え、言葉を飲みこんできたはずだ。そのすべてがこの場で噴きだしたとしか思えなかった。
「落ち着くんだ。今、ベンチからマサノブがキョウヘイをなだめに出ていった」
キョウの気持ちがおさまっても火のついたケルベロスはどうするのだ、と噛みつきかけて悠里はやめた。彼女のシャツの裾を凜奈が弱々しく握っているのに気づいたからだ。
するとホセの隣にいた見知らぬ男性が、意を決したように口を開いた。
「彼らがうちのチームのサポーターである以上、全責任は私にあります。大丈夫ですよ、お嬢さん方。榛名くんたちには一切危害を加えさせません」
言うが早いか、スーツ姿の男性は毅然とフィールドへ歩を進めていく。
「ねえホセ。うちのチームって、あの人いったい誰」
「会長だよ。ハニウラ・セラミックスの」
ホセの返事に「うそ……」と悠里も驚いた。まさかそんなえらい人だとは思ってもみなかったのだ。
センターサークルまでやってきた羽仁浦会長がスタッフにマイクを要求している。
「なに、マイクパフォーマンスでもやろうっての? プロレスじゃあるまいし」
怪訝そうな悠里に、ホセが「黙って見ていよう」と促してきた。
「ちょっと話しただけの印象ではあるが、彼は信頼できる男だと思う。とにかくサッカーが好きでたまらないっていうのが伝わってきたからな」
マイクを受け取った羽仁浦会長が咳払いをひとつする。その音がスピーカーを通して響き渡った。
「選手諸君、ならびに熱戦をご覧になっていた皆様。水を差すようで大変申し訳ございません。私は姫ヶ瀬FCのオーナー企業でありますハニウラ・セラミックスの羽仁浦慧と申します」
これにはさすがにケルベロスの聞くに堪えないコールも止んだ。かわりに周囲は「まさか会長が」とどよめいている。
「鬼島中学、そして姫ヶ瀬FCジュニアユース。双方ともに死力を尽くして戦っております。開始前には全国大会への調整試合と揶揄する向きも多かったことでしょう。しかし少年たちの熱意はどうだ。もしこのゲームが日本一を決める戦いだといわれても、私は何の疑問も持ちません。それほどまでに両チームの技量、そして勝利への想いは高いレベルで拮抗している」
身振りを交えた羽仁浦会長の熱弁には人の耳を傾けさせる引力があった。会場が水を打ったようになるなか、いったん言葉は区切られてスピーカーからはマイクが拾うかすかなノイズだけが聞こえてくる。
突然「なぜだ!」と彼が叫んだ。
「どうしてそんな選手たちを簡単にこき下ろすことができるのだ! 姫ヶ瀬FCにはひとくくりにしてドッグスと呼ばれる少々荒っぽいサポーター集団がいることは私も承知している。若さゆえにエネルギーがほとばしってしまうこともあろうかとこれまで大目に見てきたつもりだ。だがそれが間違いだった。そこにサッカーへの愛はなかったのだから。私はきみたちのように悪意を振りまく者をサポーターなどとは決して認めない。その悪意の矛先が私が愛してやまない姫ヶ瀬FCだけでなく、どこのチームであろうともだ!」
決然と、叩きつけるように激しい言葉を並べた羽仁浦会長に誰もが圧倒されていた。なかでもケルベロスの連中はすっかり意気消沈している。いい気味だ、と悠里は腹の中で笑う。
「たしかケルベロスと名乗っていたか。きみたちに最後のチャンスを与える。サッカーという素晴らしいスポーツを冒涜し、土足で踏みにじろうとしたことを両チームの選手たちに詫びなさい。ちっぽけなプライドが邪魔をしてそれができないというのであれば、即刻この場から立ち去りたまえ。そして二度とFCのサポーターを名乗るな」
彼の言葉通り、まさしくそれは最後通告だった。
いったいケルベロスがどう出るか、会場中が息を潜めるようにして見守っていた。そのうちに一人、また一人と応援席を離れだした。しばらくするとまるで何事もなかったかのように、二十人近くもいたはずのその場所には誰もいなくなっていた。
悠里としても失望はしなかった。「でしょうね」という感想がせいぜいだ。
ともあれ、これで試合の再開に支障はなくなった。投げこまれた物を両チームの選手たちが手分けして拾い集めているが、そこには羽仁浦会長の姿もまだあった。
「あんな変な……こほん、個性的な人のチームなら、たぶんキョウちゃんは水に合うだろうな。うん、高校に行ったらFCのユースもありだよね」
どこかうらやましそうに凜奈が言う。
そんな彼女の腕をとり、暁平たちにみせているより五割増しの笑顔で悠里が誘った。
「リン、もっと近くで応援しよう。ベンチにいたって怒られたりはしないよ。それで二人してキョウを野次ってやろうじゃない」
「おう、そうしろそうしろ」
傍らのホセも凜奈の背中を押す。
少しずつでいい、凜奈にサッカーへの熱を思い出させていこう。言葉にしなくとも悠里とホセには共通した想いがあった。
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