第38話 ハーフタイム・ショー〈1〉
重い、重すぎる。兵藤に食らったラストの一撃は暁平を落胆させるのに充分だった。いつもであればバネ仕掛けのような自慢の足も、重りのついた鎖で絡めとられている気がする。まるで囚人だ。
体からは驚くほどの汗が流れ、それを吸収した水色のユニフォームがやけに重い。肌にまとわりつく濡れた感触もいつになく鬱陶しい。
ベンチに戻ってきてからも、普段なら立ったままで後半の戦い方について意見を交わすはずが、自分でも気づかないうちに腰を下ろしてしまっていた。
いつもより長い試合時間、いつもより強い相手、いつもより消耗の激しい戦術。そのすべてを暁平は甘く見積もっていた。控えの選手から受け取ったタオルを頭から被って己の不明を恥じる。
それでもこれ以上醜態をさらしているとみんなに心配をかけてしまう。
空元気を振り絞って暁平が腰を浮かしかけた、そのときだった。なぜか彼めがけてボールが蹴りこまれてきたのだ。
油断していたせいで避けきれなさそうだったところを、近くにいた政信が間一髪でクリアしてくれた。そして政信にしては珍しく声を荒げる。
「どういうつもりだ」
政信の険しい視線の先には、まったく悪びれもせずにこにこと笑っている姫ヶ瀬FCのフォワード、大和ジュリオがいた。
こうして改めて顔を眺めてみると、日系人という話ではあったがやはり自分たちとは造作が異なる、というのが正直な印象だ。褐色がかっている肌もあって、数々の世界的なスター選手を輩出しているサッカー大国ブラジルからこの子はやってきたのだ、と否応なく意識させられてしまった。
ジュリオは政信に跳ね返されたボールを右足の甲で固定し、ひょいっと浮かせてまるでオットセイのように額で転がして遊んでいる。それから軽くヘディングでまた暁平へとボールを寄越してきた。
「ショーブしよ、ショーブ」
日本語はまだ不慣れらしく、若干片言気味ではあったが、彼のご指名は間違いなく暁平だった。
率直なところ、「また面倒なことを」と暁平も内心で思った。勘弁してくれ、と。しかし勝負を挑まれて断るのは鬼島の流儀でも彼の流儀でもない。
「いいぜ、やってやるよ」
虚勢だと自分でもわかっているが、傲然と胸をそびやかしてみせる。
だがそんな暁平の視界を塞ぐように、弓立が彼の前に体を割りこませてきた。
「おいおいブラジリアン、てめえの目は節穴かあ? こんなのに勝っても何の自慢にもならねえぞ?」
親指で後ろにいる暁平をさしながら好き放題なことを言っている。
ジュリオは早口だった弓立の発言が理解できなかったか、不思議そうに首を傾げた。
「そのひと、すごくうまい。だからショーブしたい」
「ちっ、うるせえなあ」
さも面倒くさそうに弓立が舌打ちをした。
「どうせやるならもっと面白いやつとやらせてやるっつってんだよ。そうだな……おいヒロ!」
「はいっす!」
弓立に名を呼ばれた五味裕之が敬礼のポーズをとって返事する。
「おまえ、ちょっとこいつと遊んでこい。わかってるだろうが負けるんじゃねえぞ」
「おっとアッちゃん、誰に向かって言ってるんだか。こてんぱんにしてやって泣きべそかいたこいつをブラジルに送り返してやりますって。そんときゃついでにおれも一緒に連れていってもらいますよ」
そうなりゃセレソンも夢じゃねえ、と元気よく叫んで五味が飛びだしていった。
暁平はちらりと貝原の顔をうかがう。その視線に気づき、貝原も苦笑してみせる。
「彼と五味ならまあ、条件としてはイーブンだからね」
さっそく一個のボールをめぐって楽しそうに戯れだした五味とジュリオを眺めながら、ほとほと呆れたように弓立が呟いた。
「セレソンって。あいつ、本当にびっくりするくらいアホだな」
こいつに言われるんだからヒロも大概だな、と暁平は思ってみても口には出さない。そのかわりに弓立には伝えなければならない言葉があった。
「アツ、ありがとう。助かったよ」
「はあ?」
振り向いた弓立は心底いやそうな表情をしてみせる。けれども暁平は彼がどれほど天邪鬼な人間なのか、よくわかっているつもりだった。
弓立には正攻法の素直なセリフこそがいちばん効果的なのだ。
「おれのためにわざとあんな憎まれ口をたたいてくれたんだろ?」
「わけわかんねえ。いやマジで、おまえが何言ってるのかわけわかんねえ」
大袈裟に両手を上げ、首を何度も横に振りながら弓立が必死にまくしたてていた。それを見ている他の部員たちの顔には安堵に似た笑みが浮かんでいる。
気がつけば暁平の肩にはだいぶ力が入りすぎていたようだった。どこまでいっても1点は1点なのだ。重いわけでも軽いわけでもない。
自分のプレーに絶対の自信を持つ暁平にだってできることとできないこととがある。その線引きをきちんとすべきだった。
ありがたいことにゲームはまだ半分しか終わっていない。
まだ充分にやり直しがきく、そんな心持ちになれただけで暁平の体を地面に縛りつけていたような重い鎖から解き放たれていくのを感じとっていた。
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