381~390

381

 ショウの一時ひととき、私は華やかな衣装と微笑で観客を欺く。私は高飛車で傲慢な女。特別な才能があるのよ、と。

 ある夜、控え室に見知らぬ麗人が現れ、素顔の私に言い放った。

「貴女は本当は無垢な人だ。そちらの方が断然いいよ」

 そこで目覚めるように思い知る。私がずっと欺いてきたのは、自分自身なのだと。

―欺いていたのは



382

 始まりは、ある男の飢餓感だったという。その飢えは感染性で、食欲に限らない人類の尽きぬ欲を亢進こうしんさせた。読書欲に溺れ餓死した者、スリルを感じたくて崖から転落する者。

 僕も感染者だ。人を■したくてたまらない。きっと君を■しても渇望は満たされないんだろう。

 ああ、まだだ。まだ全然足りないよ。

―感染する飢餓



383

 君がこれを見る頃には僕は死んでいるだろう。さんざん世話になった君に、僕しか解除の方法を知らない、とびきり強力な呪詛をかけたんだ。術者の命を代償に、効果が何年も持続するやつ。

 手紙を書き終える前に君が謝れば許すつもりだったけど、残念ながら叶わなそうだ。

 それじゃ、先に逝って待ってるね。

―地獄で逢いましょう



384

 おや、新顔だね。あんたも〝めでたし、めでたし〟の先から逃げてきたクチかい? 分かるよ。作者も読者も、その後も続く私らの人生になんて興味ないんだから。

 あんたの夫、外面そとづらがいいだけの暴力男だったの? そんな奴なんか忘れて、ここでのんびり過ごせばいい。

 自分の手で最高の後日譚、作っていこうね!

―最高の後日譚



385

 人類史の証人なんて望んでなかった。

 僕の行く先々で歴史的な出来事が頻発するのだ。地が揺れ、要人が殺され、山が火を噴き、摩天楼は崩壊する。なおかつ常に無傷な僕が、災厄を招いていると誤解されるのも無理からぬことだ。

 でもここに閉じ込めても無駄さ。ほら、聞こえるかい。脱獄囚たちのときの声が。

―歴史の証人



386

 頭部を打ち、記憶喪失になったと説明された。日常生活に支障はなく、私は私自身の記憶だけを綺麗に無くしていた。

 事故前は物語を書いていたらしい。私の本は、面白かった。貪るように読んで、もっと読みたくなる。

 私は辿々たどたどしく言葉を綴り始めた。記憶を失う前の私と、記憶を取り戻した後の私へ向けて。

―自分へのファンレター



387

 数年ぶりに友人邸を訪れ、私は絶句した。北日本の厳しい冬なのに、立派な暖炉は冷えきっている。

「気味の悪い幻影が炎の中に浮かぶのさ」

 憔悴した顔で友人が言う。顔見知りが死ぬイメージが見え、実際それは現実となるのだと。

 訪問の数ヶ月後、彼は帰らぬ人となった。それから私は、火を見るのが怖い。

〰️暖炉の幻影



388

 炬燵でみかんを剥いたら、中から小さな柴犬が出てきた。

 つぶらな目で僕を見上げるそいつにカンタと名付け、せっせとご飯を与えればすくすく育ち、今では普通の柴犬と遜色ない大きさだ。散歩のたびに、この世には同じ生まれ方の犬が他にもいるのかも、と思う。

 ちなみにカンタとは「みかん太郎」の略である。

―みかん柴



389

 始まりは肉まんだった。

 高校時代、私には箱入りの友人がいた。門限は六時、道草も買い食いも禁止。とても寒い日の帰り道、私は彼女をコンビニへ誘った。半分にした肉まんを頬張る友達は、いたく感動してたっけ。「友達と一緒に食べるのが一番美味しい」と。

 今では彼女と私は、食べ歩き旅の相棒同士だ。

―内緒の味



390

 初詣の後、振る舞われた甘酒を飲む。やっぱり舌に合わない、と苦笑した。

 自分の意思で移った土地は、生まれ故郷とは何もかもが違う。きんと張り詰めた清冽せいれつな冬の空気や、もこもこした雪溜まりは見当たらず、言葉も未だに身に馴染まない。

 相変わらず苦手な甘酒の味だけが、新年の私の心を洗ってくれる。

―変わらないもの

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