371~380
371
紙束を綴じる。自分が創った物語の、物理的な厚みを感じる。封筒に入れ、投函する。祈りに似た気持ちで。
地球は荒廃し、生き残りが何人とも分からない。私は宇宙で一人ぼっちかもしれない。けれどどの星行きか知れぬこの
それが私の、生きた証になるはずだから。
―創作の理由
372
「盆栽は単なる木のミニチュアに非ず。木の周囲の世界まで表現するのだ、と弟子に言いました」
封印した盆栽の取材を受け、来歴を明かす。弟子が育てた盆栽は圧倒的だった。見ていると虜になり、魂が別世界へ飛んでいくほどに。
最低限の世話しかできない盆栽は、彼の失踪後に命名された。魂喰らい、と。
―魂喰らい
373
貴方からの一番の贈り物は名前だった。私や動植物の名。言語、鉱物、数式、気象、あらゆる物の名を貴方は教えた。その度に視界が広がり、世界がより細かく見えた。でも
今渦巻く好き以外の貴方への感情も、
―私が天国に行けないのなら
374
子供の頃、観光地で椅子を背負った男性に会ったことがある。
椅子って可哀想だろ? 家の中で人に乗られるだけの毎日だ。だからこうして連れ出して、青空や微風を体験させてんのさ。
日々液晶を前に篭っていると、彼の言葉を思い出す。そして僕も漂泊の旅に出たくなるのだ。勿論椅子と一緒に、どこまでも。
―椅子と旅する男
375
「傷の取り引き承り
路地裏に怪しい店舗、奇妙な張り紙。店番の老婆曰く、どんな種類の傷も他人のものと付け替え可能らしい。
俺は怖くなって逃げ出した。だって亡き愛猫に付けられたこの傷痕も、胸の奥の黒歴史の古傷も、元は他人のものだったかもしれないのだ。
俺は走る。店の記憶が消え去るまで。
―その傷は誰のもの
376
寂れた街角で女の子が泣いている。「皆、どこ?」と頻りに
私もかくれんぼの途中だった。自分が隠れているつもりが、表の世界から隠されてしまったのだ。
あの反転から二十年。
―反転
377
手を挙げろ、と拳銃を構えた。自分の手も声も、震えている。眼前の凶悪犯は微笑んだ。
「男前な刑事さんに私の秘密を教えるね。見てて」
女の顔面がぐにゃりと変化する。文字通りの百面相。呆然とする俺の隙を突き、人相を変えた女は逃亡した。
今度は全身が震える。あいつは俺が捕らえる、という決意で。
―震える
378
さらさらと懐かしい音がした。ああ、雪が降ったのか。目覚めて窓の外を見ると、入植時と殆ど変わらない、赤茶けた景色が広がるばかり。
「お婆ちゃん、薬の時間だよ」
首を巡らすと、孫が服薬ゼリーに粉薬を混ぜている。その微かな音が火星に雪を降らせたのだ。ありがとうねえ、と万感をこめて声にした。
―雪景色は幻
379
手で作る影絵、あるだろ。あれって影の方が本体で、手は変な形になるよな。俺の人生は影絵そっくりなわけ。つまり俺の本体は影で、肉体がある方の俺は単なる付属物だって気がするんだよ。最近はあれこれ指図する影の声がうるさくてさ。
ぼやいた彼は数年後、影に主体を明け渡したのか、完全に沈黙した。
―影の声
380
僕は料理がたんと乗るような大皿が怖い。そういう皿の裏には大抵、奴が潜んでいるからだ。
灯りの傍に巣を張る蜘蛛のように、皿に盛られる食物を狙う怪異。皿が食卓に置かれると、奴は人間の視線の隙を突き、長い腕をそろりと伸ばして皿の上の料理を食らう。
そうして成長した
―大皿に潜むもの
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