391~400

391

 宝石の土台に彫金を施していると心が凪ぐ。

 新品のジュエリーは、まっさらな紙束のようなものだと思う。長い年月をかけ、所有者の手から手へ渡るうち、紙にはいわれが書き込まれ、装丁が付け替えられ、物語を内包するアンティークになっていく。自分より余程よほど長生きするそれ。

 私は、物語の種を作っている。

―種蒔く職人



392

 りぃん、と音がした方から「お兄さん、うちの風鈴を外してくれる」と着物姿の男の子が招く。高い所の風鈴を下ろすあいだ、彼は話し続けた。

「毎年風鈴の音がする時期だけこの家に遊びに来ててね。でもみんないなくなっちゃって。僕も眠らないと」

 ふと見ると男の子はいなかった。手の中の風鈴は、もう鳴らない。

―遺された風鈴



393

 昔、私は鏡に映る自分と喋っていた。君は私が守るよ、と実家の鏡の中で微笑んだ彼女はいつしかいなくなって。そういえばあの鏡、今はどこにあるんだろう。

「あんたが小さい頃、雷が落ちたの覚えてない?それで割れちゃったのよ。なぜか家の被害は殆どなかったけど」と母。

 そうか。守ってくれたんだね。

―鏡の中のあの子



394

 一人でいる時にだけ口ずさむ歌がある。幼い頃、もう顔も名前も忘れてしまった君が歌っていた、曲名の分からない切なく甘いメロディー。今では僕しか知らない僕だけの宝物だ。

 君が僕のことなんて綺麗さっぱり忘れていたらいいなと思う。聞く者のない旋律が広い空へ溶けていく。独りが僕を自由にさせる。

―名前のない歌



 395

 三日月が想像よりずっと細いことを、最近になって知りました。地球の様子はどうですか。変化のないこの星では遠方との文通を好む人が増えました。

 月や四季や赤い夕焼けはどんな風でしょう。これを読む貴方はどんな姿でしょう。

 何十年も先になるだろう貴方からの返事を楽しみに、私は生きていくのです。

―地球との文通



396

 日々を重ね、歳を重ねることの意味を、私は君から学んだ。

 君と出会うまでは、永いせいを漫然と浪費するだけの毎日で。君は自然の移ろいを掬い取って私に見せた。老いゆく君から、愛おしさと切なさを教わった。

 君と生きる速度が違いすぎた私は、これからも日々を積み重ねていく。胸の中の君を感じながら。

―またたきほどの交流



397

 可惜夜。あ、た、ら、よ。その美しい響きを知って、ああ、君と過ごした夜たちを、一言で表せるのかと驚いた

 。君の寝顔を見ると僕はすぐ眠たくなってしまった。独りで眠るのが下手な自分には、まだ夜は少し怖いけれど。きらめく夜空から、僕を笑って見ていてくれよ。

 どこかでにゃあ、と小さく声がした。

―夜の相棒



398

 裏山へ続く道に、妙な足跡を見つけた。追うほどに足跡は大きくなる。違う、自分が縮んでいるんだと気づくも手遅れで。

 気がつけば洞穴のような場所に、見上げるほどの巨大な女の姿。体表には小さな男どもが癒着している。思い出した。俺は幼い頃に彼女と約束をした。

「私の一部におなり」と女が言った。

―ひとつになる約束



399

 父はパイプを吸う人だった。特に夏の盛りなど、それはそれは美味そうにぷかぷかやっていた。どうしてそんなに楽しそうなの、と訊いたことがある。

「楽しいさ。このパイプの煙が綿雲になって、夏休みの子らが喜ぶんだからね」

 今では僕が跡を継ぎ、雲間に体をぷかぷか浮かべながら、夏の雲を作っている。

―雲のパイプ



400

 突風で巻き上がったもんが、可怪おかしな時や場所にバラバラと落ちてくることがあるだろ。ふぁふ……? 自分にゃ難しいことは分からんけどね。

 私も辻風に巻き込まれて全身を引き裂かれちまったのよ。それこそその右手と死の概念を、こんなところに落とすくらい。

 ざっと百年前の話さ。これで漸く往生できるよ。

―ファフロツキーズの檻

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140字小説 冬野瞠 @HARU_fuyuno

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