361~370

361

 どうも世の出来事には、俺には見えない但し書きが沢山付いているようだ。空気を壊すなとか、身の程を知れとか、正体不明な言葉に刺され生きてきた。

 何も見えないこんな目は要らないな。

 視力を喪ってから、かえって森羅万象が明瞭はっきりと視えるようになった。皮肉だな。俺を生き神と崇める人々に囲まれて嗤う。

―見えない



362

 彩色さいしき前の工程を施した一反の布地。そこへ手早く、かつ正確に色を挿す。ぼかしを施した花弁なたびらがはらりと布からこぼれ、手を止める。いけない。

 本物らしさを目指すうち、私の筆はいつしか本物を生み出し始めた。

 毎回「まあまあや」と染めを評する師匠に、本来の腕を見せる日は来るのか。まだ、分からない。

―弟子の腕前



363

 王城の周りに集った臣民は夢にも思わないだろう。鷹揚に手を振る私が王ではない、などと。

 影武者の自分は王をしいし成り代わった。何故なにゆえか。この国は豊かで、民は聡明で、平和で、退屈だ。私はこれからこの世で最も壮大な遊戯を始める。国を手駒にした、戦争という遊戯ゲームを。

 民衆は、歓声を上げ続けている。

―この世で最も壮大な遊戯



364

 雑踏で突然、見知らぬ男に分厚い冊子を渡された。訝しむ私に「ポートフォリオです。あなたが葬ってきた物の」と淡々と言う。

 見れば、脚をもがれた虫、永遠の友情を誓った友人、そして、土まみれの婚約者の青白い――。

「思い出しました?忘れていたこと、全部」

 不意に悟る。自分の命はもう、長くないと。

―人生のポートフォリオ



365

 君が新人さん? 早速だけど仕事の説明をするね。

 ここにいるのが不要になった誓約書たち。皆自分の実効性をまだ信じてるんだ。時々霧吹きで水分を与えるくらいでいいよ。不要になったと悟った誓約書は粉々になるから片付けて。

 人間は薄情だよね。不要になった誓約書のことなんて、思い出しもしないもの。

―誓約書の看取り



366

 山で囲まれた村に深刻な報せがもたらされた。山に狂暴な獣が現れ、人を襲うという。獣に遭遇した村人は恐ろしげに獣をたとえる。声は雷鳴、体躯はいわお、牙と爪は鬼で、眼力は氷山と。

 そのうち、怠け者の若者が獣を手懐てなずけて帰村した――猫ほどの大きさの獣を。

「何かに譬えちゃ本質は見えないよ」

 若者は言った。

―獣の本質



367

 一日目。知り合いから珍しい植物の苗を貰った。観察日記を付けていく。

 三日目。本葉が出る。

 三十日目。蕾が付く。

 四十日目。開花。


 なるほど、私の養分となったのは律儀な男だったらしい。彼の代わりとなり、粛々と生活を営んでいこう。そして指先からたねを作り、我らがしゅをいっそう繁栄させていくのだ。

―種の養分



368

 昨日機嫌が悪かった夫が「一晩経つと全部忘れるんだよ」と愛想よく朝食を食べている。

 夫は超常の力を持つ。彼の機嫌を損ね、忘れられたものは世界から消える。私は政府から派遣された七十人目の妻だ。

 今日も私はにこやかに相槌を打ち、珈琲を淹れ、鞄を持たせて玄関で見送る。彼が地球を嫌わぬように。

―機嫌を取るひと



369

 原稿見ました、と編集者からの連絡。

「先生の並行世界の話には毎回度肝を抜かれます。身近な街が舞台とは思えない発想や展開は、どうやって考えるんですか」

 私は苦笑して部屋にある街並みの模型を見る。そこで起こった出来事をただ書き留めているだけなのだ。人や車がなぜ動くのか、私にも分からない。

―小さな並行世界



370

 北の森に怪物が棲むという。歴戦の狩人が数多あまた帰らぬ犠牲となった。

 今、私はその森深くにいる。魔物の討伐で培った嗅覚が、敵は近しと告げた。不気味な洞窟を進み、そこにうずくまるうら若き乙女を発見して目をみはる。

 声をかける直前に悟った。これは人間ではない、怪物の疑似餌ぎじえだと。つまりここは怪物のおとがいの中

―釣り餌

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