三品目:クリームシチュー(前編)
初めて《妖精の宿り木》を訪れたのは、今から半年前のことだ。
──半年前。
モンスター討伐を終えたオスカーは、冒険者ギルド【翼竜の鉤爪】で報告を済ませていた。
「こちらが今回の報酬です! お疲れ様でした!」
「……あぁ……」
受付嬢リベットから報酬袋を受け取ると、オスカーはギルドを後にした。
外はすでに日が落ち、冷たい月光が街を照らしている。
家に戻って鎧を脱ぎ、軽装に着替えたオスカーは、再び外へ出た。
アセムント通りは夜でも人で賑わい、露店や飲み屋からは笑い声と喧噪が絶えない。
季節は冬。吐く息は白く、夜風が頬を刺した。
(……寒いな。腹も減ったし……さて、飯はどうするか……)
人混みを避けて路地裏を歩くと、古びた酒場が目に入った。
覗き込むと、酔った冒険者が数名、騒がしく杯を交わしている。
(面倒だが……ここでいいか)
店に入ると、無愛想な中年の店主がメニューを放り投げてきた。
オスカーは文句も言えず、拾い上げて中を覗く。
(……まぁ、安いのでいいか)
「腸詰と……スープとパンを」
「はいよ」
しばらくして出された料理は、色味の薄いスープと黒く固いパン、脂っぽい腸詰。
味は薄く、パンは石のように固い。
(……温かいだけマシだな)
パンをスープに浸して、ようやく噛みちぎることができる。
味も香りもほとんどないが、空腹だけは満たせた。
食べ終えると、黙って硬貨を置き、店を出た。
(食べ直すのも面倒だな……どうしたものか)
この街では、酒が主役の店が多い。
食事は二の次で、質の良い料理を求めるなら高級宿【黒羊の宿】に行くしかない。
(……仕方ない。少し贅沢するか)
そう思ったその時、ふと薄暗い路地に目を向けた。
街灯もなく、昼間でも通る人のいない小道。
(……少し散策でもするか)
何気なくその路地に足を踏み入れると、奥の方に小さな明かりが見えた。
近づくと、木製の看板にこう書かれている。
──【料理屋 妖精の宿り木】──
(……こんなところに店が? まぁ、何かの縁だ)
扉を開けると、カランカランと鈴が鳴った。
店内には白い服を着た男がひとり。
「いらっしゃいませ」
「…………どうも」
(客がいない……ハズレか?)
「開けたばかりで、まだお客様はいません。どうぞカウンターへ」
「……あぁ」
勧められるまま腰を下ろすと、男が水と温かい布を差し出した。
「……何も頼んでないが?」
「サービスです。水はお代わり自由ですので」
「……は?」
(無料の水……? この布は……温かい!?)
指先に伝わるぬくもりに、思わず息が漏れる。
冷え切った身体が、少しずつほぐれていくようだった。
「ご注文は?」
「……軽いものを適当に」
「それでは、クリームシチューとパンはいかがですか? 温かいですよ」
「…………クリームシチュー?」
「はい。乳で作る、白いスープです」
(乳のスープ……? 想像できんが……温かければいいか)
「それで頼む」
「かしこまりました」
白い服の男──店主は鍋に火をかけ、ゆっくりとかき混ぜ始めた。
湯気とともに漂ってくる、やさしい乳の香り。
(……これは……いい匂いだ)
空腹が刺激され、腹が鳴った。
(ハズレどころか……これは当たりかもしれないな)
数分後、白い器に注がれた料理がオスカーの前に置かれる。
「お待たせいたしました。クリームシチューでございます」
真っ白なスープの中には、肉と野菜がたっぷり。
スプーンで掬うと、重みを感じるほど濃厚だった。
一口。
その瞬間、温もりが身体の芯まで広がる。
乳の甘みと旨み、そして肉と野菜の濃厚な味が重なり合う。
(う、美味いッ!!)
「……美味い……」
「ありがとうございます。弱火で時間をかけて煮込んでおります」
パンをちぎると、ふわっと小麦とバターの香り。
軽くトーストされた表面はカリッ、中はモチッと弾む。
(これも……うまい)
パンをシチューに浸して食べると、旨みがさらに広がった。
(こ、これは……! 味が混ざり合って、もう止まらん!)
気がつけば皿は空。パンで最後の一滴まで拭い取っていた。
「ごちそうさま……すごく美味かった」
「ありがとうございます」
身体がぽかぽかと温まり、外の寒さを忘れるほどだった。
「……いくらだ?」
「えっと、三百ルーンでございます」
「……安いな」
硬貨を置き、立ち上がる。
「また寄らせてもらってもいいか?」
「ええ、いつでも」
扉を開けると、夜の冷気が頬を撫でた。
だが、心は不思議と温かいままだった。
(クリームシチューか……美味かったな。明日も行くか)
その日、オスカーは知らぬ間に、ひとつの運命の扉を開けていた。
――それが、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます