第57話 一緒に
「ぐっ……?!」
ティオはナイフが刺さった肩口を抑え、膝をついた。
(体が痺れる…………毒かっ!)
「そう、毒の塗ったナイフさ。でも致死性の毒じゃないから安心していいよ」
なんでもないように、平然と食堂に入ってきたゼノスが告げる。
そこには何の気負いも、警戒も見られない。する必要もないと思っているのか。
「おい! なんだお前は!」
「やめろ! 近づくなっ!」
ティオの制止も虚しく、使用人の1人が不用意にゼノスに近付く。
すると闇の中から1つの影が飛び出し、ゼノスと使用人の間に割り込んだ。
「――へ?」
間抜けな声を上げる使用人をよそに、その影は流れるような動作で腰に差した剣に手を掛ける。
なんの戦闘訓練も経験も積んでいない使用人に、それに対処する術はない。ただ、首を落とされるのを待つだけだ。
「くっ……!」
ティオは自身に刺さっていたナイフを引き抜き、影に向かって投げつける。
それは正確に影に向かって飛ぶ。だが影は闇に溶けるようにその姿を消し、ナイフは空を切って闇の向こうに消えた。
だが結果として、無謀な使用人は首を落とされずに済んだ。
「坊ちゃん?!」
「いいから下がれっ! 全員だ!」
その号令により、全ての使用人達が慌ててティオとライセンの元に集まり、腰が引けながらも模造剣を構える。
役に立つかどうかはさて置いて、この状況で腰を抜かしていないだけマシだろう。
「その麻痺毒を受けて動けるとは。流石だねティオ君。まあ、意味が有ったとは思わないけどね」
ゼノスはそう評しながら、煽るようにパチパチと手を叩く。
それと同時に、ゼノスの背後から先ほどの影が飛び出し、使用人達と同じようにその主人を囲む。その数は十ほど。少なくとも見える数は、だが。
それは紛れも無く人間だ。だが、使用人達が来ていたものと同じような黒装束を纏い、正に“影”といった異様だった。
そして、使用人達と異なるのはその全てが刺すような殺気を放っていること。ティオ達が何をしようと、惨劇は避けられない。そう、ゼノスは言っているのだ。
「さて、本調子じゃないティオ君に手を出すのは本意じゃないけど、命令だし仕方ないね。お前達……行――」
「デトクスッ!!」
ゼノスが指示の手を掲げ、それを振り下ろそうとした瞬間、ティオが叫ぶ。それと同時にティオの身体が淡い光に包まれた。
それを見たゼノスは不敵な笑みを浮かべる。
「……解毒の魔術。扱いは難しい類のはずだけど、呪文無しとは恐れ入るね」
「はぁ……はぁ……。一瞬で上級魔術を発動できるお前には、言われたくないな」
麻痺毒を緩和したティオは、少しふらつきながらも立ち上がり、軽口を返しつつ前に出る。まるでライセン達を守るように。
「ティオ様っ! お下がりください!」
「坊ちゃん! ここは我々に任せて……!」
「……邪魔だ。下がっていろ」
「……ッ!」
まるで抜き身の刃物の様に鋭い気迫と口調で言い放つティオ。
そんな、自分達の知る……
そんな彼らの心境など意に介さず、ティオはそのまま剣を抜き、剣先をゼノス達に向ける。
「……いいのかい? 盾くらいにはなると思うけど」
「…………」
あくまで余裕の態度を崩さず、面白がるように話すゼノス。
だが、ティオは答えない。魔素を漲らせながら、己の全てを研ぎ澄ます。
「ふむ。なら、見せて貰おうか。――行け」
今度こそ、ゼノスが影に指示を下す。それを合図に2人の影がティオに襲い掛かった。
影の1人が真っ向からティオに剣を振り下ろす。それをあっさりと見切り、回避して見せたティオはその影に向けて剣を振るった。
だが、それと同時に横合いから別の影が迫る。
「――ブラスト」
ティオが呟く様に声を発すると、迫る影の正面で風が渦を巻く。それは次の瞬間、激しい音と共に炸裂した。
「……ッ?!」
「ぐああっ!」
その直撃を至近で受けた影は、吹き飛ばされ、食堂の窓から外に飛び出す。その隙に、ティオはもう1人の影を斬り伏せた。
瞬く間に2人を屠ったティオに、影達が動揺と警戒を露わにする。
そんな影達に軽蔑したような視線を向け、ゼノスが呟く。
「油断しないように。無様を晒す奴は、僕が殺すよ?」
なんでもないように、先ほどとは変わらぬ声色で、ゼノスが告げた宣告。だがそこに込められたのは確かな殺意だ。
「――っ!
「っ! くそっ!」
ライセン達を狙われたことで思わず悪態吐くが、影達はそんな反応もお構いなしに迫る。むしろ、ティオを動揺させるのが狙いなのだろう。
「ブラストッ!」
ティオは再び空気を破裂させて牽制しつつ、迫り来る6つの剣撃を捌く。1人で6の影に対して一歩も引いていない。
だが、流石にライセン達を狙う影を止める余裕はなかった。
「ディノ様! お
使用人達がライセンを庇う様に前に出るが、彼らでは本当の意味での肉壁にしかならない。
大した時間稼ぎにもならず、皆殺しにされるのに十数秒あれば十分だろう。
「ちくしょうっ!」
それを解かっているのか、自棄のように叫びながら使用人の1人が影に向けて模造剣を振るった。文字通りの自棄。言うまでもなく、悪手だ。
当然の様にそれを避けた影が、刹那の後には目の前に迫る。
「散れ」
単純で簡潔な死刑宣告。その言葉と共に鈍く光る刃が使用人を襲う、その寸前――
「ガアアッ!!」
「――ぐあっ!」
突然乱入した何者かが、雄叫びを上げながら影に襲い掛かる。
何者かはそのまま影を押し倒し、その喉元に喰らい付いた。
「ネスレッ!」
乱入したのはネスレだった。どうやら戦闘音を聞き、異変を察知したようだ。
喰らい付いた影の喉元を、そのまま噛み砕いたネスレは残りの影に向けて吼える。
「ヴォンッ!!」
ランク4たる黒狼犬の参戦と咆哮は、影達を大いに動揺させた。
「ガルムだと!?」
「なんでこんなところにッ!」
「狼狽えるなっ! 複数人で囲めば問題ではない!」
「で、ですがこれ以上人数を減らすとあの少年を抑えられ――」
影の言葉が途中で途切れる。
その影に何が起きたのか、他の影は瞬時に察した。そして、当人だけが事態を把握出来ず、床に転がった首は困惑した表情を浮かべていた。
「――嗚呼、まさかたった十数秒前に言った言葉を忘れるなんてね。弱音なんて吐く無様な部下は要らないよ? 解かってるね?」
片手で剣を振り切った姿勢でゼノスが呟く。その言葉は転がった生首と、残った影達に向けて放たれた。
ゼノスの言葉に、先頭の影が震える身体を必死に抑えながら頷く。
その影は先ほど他の影に指示を与えた人物だ。おそらく影のリーダー格だろう。そのリーダーでさえ、仲間であるはずのゼノスに恐怖を抱いていた。
音も無く、剣筋さえ見せずに同胞の首を刎ねたその腕前と容赦の無さ。逆らうことも、反論することすら許されない差が両者には有った。
「うん。それじゃあ、君達はあの子犬と雑草を刈り取ってくれ。彼は僕が相手をするから」
「……は」
素直に頷いた影のリーダーを見て満足そうに頷いたゼノスは、改めて影に指示を下す。
影はそれを受け入れる。もし断れば、もし、一言でも余計なことを言えば、次に床に転がるのは己の首だと、正しく理解していた。
「そう言う訳だ、ティオ君。一緒に遊ぼうか、あの時みたいにね」
「……ああ、今度は一泡吹かせてやるよ」
軽口を返しながら、剣をより強く握りこむ。
言うまでも無く、そう簡単な相手ではない。むしろ未だティオより格上と言っていいだろう。
そんなゼノスを相手取る以上、ライセン達に気を向けている余裕はない。だが、前回と違ってティオは1人ではなかった。
「ネスレ。その人達を頼む」
「ヴォフ……」
ティオの頼みにネスレは頷いて応えるが、その眼にはティオを心配する色が浮かんでいる。ゼノスが只者でないことを嗅ぎ取ったのだろう。
心配はいらないと、そう口にする代わりに、ティオは裂帛の気合を込めて床を蹴った。
「せあっ!」
一瞬でゼノスとの距離を詰め、勢いそのままに剣を振るう。
並の相手であればまともに反応する間もなく断殺するであろう勢いと速度、そして重さを秘めた一撃は、ゼノスが構えた剣にあっさりと受け止められる。
「……なかなかにいい一撃だね」
「ありがとよッ! ディスチャージ!」
ゼノスの舐める様な挑発へのお返しとばかりに、ティオは剣に電撃に流す。
だが、その魔術が完成する前にゼノスは飛び退いた。間一髪で電撃を回避したゼノスだが、それを追う様にティオが再び距離を詰める。
ティオは電撃を剣に纏わせたまま2撃、3撃と剣を振るっていく。それを流れるような動きで回避するゼノスの口元には未だ余裕の笑みが浮かんでいた。
「ははは! 電撃を纏わせ続けることで僕に
「――ぐっ!」
ティオの肩口から鮮血が舞う。
斬撃を回避したゼノスがそのまま、ティオに
「剣術で僕を上回らないと、意味はないね」
言いながら、さらに2撃、3撃と剣を振るう。先程とは攻守が逆転した様相だ。しかしその剣速は比べ物にならず、ティオは次々に傷を増やしていく。
雷撃を纏わせた剣で受け止めれば、少なからずゼノスにダメージを与えられるのだが、それすら叶わない。
(強い……!)
その実力差に、ティオは歯噛みする。
ティオの剣術は、商人としての仕事や勉強の合間にラステナから教わっただけのものである。いくら魔物化や魔術で身体能力を底上げしたとしても、“本物”には到底敵わない。
ティオとてそれは百も承知である。元より、ティオの戦いとは決して
「それに、それを破る方法は他にもあるよ? ディスチャージ」
ティオが悩む間に、ゼノスはさらにティオを追い詰めてゆく。
ゼノスもティオと同じ様に、剣に電撃を纏わせる。次の一撃を受ける訳にはいかないと、ティオは痛みに耐えながら剣を振るった。
ゼノスはそれを解かっていたかのように雷撃を纏う剣で受ける。その瞬間、それぞれの剣に纏った魔術による疑似電撃は、相反するように鬩ぎ合い、紫電を撒き散らす。
「くっ……」
「この程度かい? もっと威力を上げるよ?」
そう宣言すると同時に、ゼノスの剣がより強い雷撃を纏い、より激しい紫電を放つ。
猛る稲妻はティオの放電魔術ごと呑み込み、ティオに流れ込んだ。
「――あぐッ!!」
感電したティオは弾かれるように後退し、膝をつく。
決定的な隙を晒したはずのティオだが、それを追い討つことなくゼノスはため息を吐いた。
「ん……才能は感じるし、戦い方も悪くはない」
ゼノスのその呟きをよそに、ティオはまだ終わっていないと、足に力を込める。
だが、立ち上がるその前に、既に首元に刃が添えられていた。
「――けど、それだけだ」
「…………」
失望した。とでも言う様に、ティオに剣を突きつけたゼノスは声を沈ませながら評する。
ティオはその評価に対して、ただゼノスを睨むことしか出来なかった。
「ガウッ!!」
ティオが視線だけ移せば、7人の影を相手に善戦するネスレと、必死にそれを支援するライセン家の人間が目に入った。
「まさかガルムを飼っているとは思わなかったけど、彼らも時間の問題だね。ここで君が倒れて僕が向こうに手を出せば、時間の問題にもならないけど」
言いながら、チラリとティオに視線を投げる。その眼はまるで何かを期待しているようだ。
だがその眼に映るのは満身創痍で息を荒げるティオだけだった。
「……少し、がっかりだよ。君なら、と思ったのだけど――」
ゼノスは剣を振り上げる。その眼には確かな失望が見て取れる。
「せめて、
「…………」
“最期”という言葉の意味に引っかかりを覚えながら、感覚を研ぎ澄ませる。
そして、なおも動きを見せない
「はぁ。……ったく、こっちから言わなきゃ意地でも出てこないつもりか。意地っ張りというか、頑固というか……」
「……?」
ティオの呟きの意味が理解できず、ゼノスは眉を顰めた。
だがティオはそれを無視して
「悪かったよ」
「なんの話だい? 謝られたところで……」
「お前らのことは頼りにしてる。だから――」
ティオは吹っ切れたように優しい笑みを携えながら、手を差し出した。
「――戦ってくれ、一緒に」
――轟ッ!!
ティオがそう言った瞬間、どこからか烈風が室内に吹き込んだ。
「――ッ!!」
「風ッ!?」
「一体なん……ぐおああッ!」
突然吹き荒れた烈風に、ティオ以外の全員が身構える。
だがそれをあざ笑うかのように、風の中を泳ぐように竜巻が奔り、一瞬で影達を呑み込んだ。
まるで風で出来た竜の様なそれは、影達をその身体の内に封じながら、そのままゼノスへと迫る。
「……!」
ゼノスは咄嗟に飛び退き、それを回避する。
狙いを外した風の竜はそのまま窓を突き破り、影達と共に館から飛び出した。
「これは……!」
辛うじてそれを避けたゼノスは、その異様に驚きを露わにする。
それはゼノスらしからぬ“隙”だった。故に、風の竜とは別に迫るもう一つの影、否、光に気付くのが遅れた。
「うっりゃああああっ!!」
ゼノスが飛び退いた先に雷光を伴って迫るミラ。
文字通り雷光が如き一撃は、確かにゼノスを捉えた。
「――ッ!!!」
ミラの一撃をまともに受けたゼノスは、奇しくも影達の後を追う様に窓を突き破り、館の外へと吹き飛んだ。
「いぇーい!」
ミラはそれを満足そうに眺めた後、勝利宣言の様にVピースをキメていた。
それを呆れた顔で眺めるティオの視界に影が差す。
「……無様ですね」
「フィア……」
ティオの眼前まで歩み寄ってきたフィアはただ一言、ティオに投げつける。だが言葉とは裏腹に、その顔には優しい表情を浮かべていた。
フィアとミラは少し前から食堂の外から様子を窺っていた。ゼノスも気付かない程の気配殺しの術は野生の生活で得たものだろうか。
ティオだけがルミナ・ロードで気付いていたが、いくら自分が追い込まれようと出て来なかった2人に、流石に苦言を呈す。
「もうちょっとで殺されるとこだったぞ……?」
「まだ
「ぐ……」
ティオは反論出来ず、苦い表情を浮かべる。全くもって正論だった。
「その……悪かったよ……。お前らを頼りにしてるのは本当だし、さっきの言葉に嘘はない」
「当然です! だいたい、ティオさんは考えが甘いのです。何でも1人で出来ると思ったら大間違いなのですよ! それに――」
なおも言い募ろうとするフィアを遮り、ティオはもう一度手を差し出す。それを見たフィアは、先程のティオの言葉を思い出していた。
――戦ってくれ、一緒に
ぴくり、とフィアは手を震わせるが、その手を取ることを躊躇する。
「……手を取りに来てくれたんじゃないのか?」
「か、勘違いしないでくださいです。助けたのはただ、ティオさんに死なれたら私が困るから……魔素のことがあるから……それだけ、なのです」
言い淀みながら言い訳の様に理由を挙げていくフィアに苦笑する。
「じゃあ、この手は取ってくれないのか?」
「ぐぬ。……仕方がないです、手伝ってあげるですよ。――今まで通り」
そう言って、フィアは諦めたように笑みを零し、ティオの手を取った。
「……そうだな。
ティオも、釣られるように笑みを浮かべる。それを最後に、2人のわだかまりは解けて消えた。
「ミラもねっ」
「ヴォンッ」
いつの間にか傍にいたミラも、ティオの手を取る。手を取れずとも、想いは同じだとネスレは吼える。
そして、フィアとミラに手を引かれ、ティオは再び立ち上がった。
「――ありがとう」
3人で手を繋ぎ、笑みを交わす。そこには確かな信頼関係が在った。
「……ティオ様。その少女達は……」
何とか無事であったライセンが会話に入る。だがティオはそれを制した。
「まだ話したいことは多いですが、それは敵を排除してからにしましょう」
「……? 敵ならもうぶっ飛ばしたですよ?」
ティオは真剣な表情に戻しながら、ゼノス達が突き破っていった窓の傍に寄り、外を睨めつける。
今ティオ達がいるのは2階に位置する食堂だ。そこから見えるのは、眼下に広がる開けた空き地と、その奥に倒れ伏している
「――この程度で終わるなら、苦労はないさ」
ティオの視線の先には、服についた埃を払いながら、平然と歩いて来るゼノスがいた。
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