第58話 本性



「ライセンさん達はここに居てください」


 ティオは眼下のゼノスから視線を外さず、後ろにいる者達に告げる。有無を言わさない強い口調だ。


 だが、まだ若い使用人の1人が、義侠心からか反論する。


「ティオ坊ちゃん! 自分もお手伝いを――」


「足手纏いだ」


 使用人の提案を即座に切り捨てる。今度は反論すら許さない強い威圧と共にそれは放たれた。


 再び剣の様に鋭く、攻撃的な雰囲気を纏ったティオに言葉を掛けられるのは、この場では2人と1匹だけだった。


「むぅ……思いっ切り蹴っ飛ばしたんだけどなぁ……」


 ミラがゼノスを見ながら不満そうにため息を吐く。


「油断だけはするな。本気でいかないと勝ち目はないぞ」


「……ティオさんを追い詰める程の相手ですか」


「グルル……」


 真剣味を帯びたティオの言葉に、フィア達も警戒を強めていく。


 それを認めたティオは窓枠に足を掛け、先陣を切って飛び出した。


 もはや館や周りに気を遣う必要はない。ただただゼノスを倒す為、ティオは手加減なしの魔術を解き放つ。


「ライトニングスピアッ!!」


 瞬時に宙空に顕現した5つの雷槍は、雷速をもってゼノスに降り注ぐ。それはおよそ人が対応しきれる速度ではない。


 周囲に轟音が鳴り響き、雷光は視界を白く塗り潰した。


 そこに、今度は竜が如き竜巻が叩き込まれる。言うまでも無く、フィアの追撃だ。


 竜巻は地面を抉り、周囲に砂塵を巻き起こした。


「…………」


 地面に降り立ったティオは、舞い上がる砂塵のその向こうを睨み続ける。その眼には、これで終わったなどと言う楽観は全く見られない。


「直撃した手応えはあったですけど……」


 同じく館から降りてきたフィアがティオの隣に立つ。


 フィア達はゼノスとティオの戦いの一部始終を見ていた訳ではなく、ゼノスの実力の程を知らない。


 だが、ティオが油断するなと言った。故に、フィアは手加減など一切しておらず、殺すつもりで魔術を叩き込んでいた。


 フィアの、ストームタイガーの手加減なしの一撃だ。常人ならば形が残っていれば奇跡だろう。常人ならば、だが。


「こっちもだ。けど……」


 ティオのルミナ・ロードによる超感覚は訴えている。まだ終わっていないと。


 察したフィアはさっと右手を薙ぐ。すると突風が吹き、砂塵を吹き飛ばした。


 その中で、果たしてゼノスは平然と佇んでいた。


「…………」


 だが、その表情は浮かばない。ゼノスは肩についた埃を払おうともせず、怪訝そうにフィアを睨みつけていた。


「無詠唱……? まさか――」


 刹那、不意を衝いたミラがゼノスの背後に迫る。


 既に雷迅トールを発動しており、稲妻を纏った足を振りかぶる。しかし――


「――うっ?!」


 その蹴撃を振り切る前に、雷光の軌跡を残しながらその場を飛び退く。その直後、ゼノスの剣閃がその軌跡を切り裂いた。


「いたた……。危ないなぁもう……」


 辛うじてその一撃を回避したミラはティオ達の傍まで退避する。その腿には掠る程度の切り傷が出来ていた。


「……ミラの速度にもあっさりと対応出来るのか」


 ゼノスを甘く見ていた訳ではない。だが、それでも予想を上回る力に、ティオは背中に冷たいものを感じる。


「ミラ、大丈夫ですか?」


「うん大丈夫! けど……あの人怖い……」


 純粋で素直なミラだからこそ、その実力を怖いと評した。評することが出来た。


 その言葉でティオとフィアは脳裏に刻む。目の前の相手は、自分達の誰よりも、間違いなく上にいると。


「なるほど……。誰かと思えば君達・・か」


「…………」


 ティオはゼノスの言葉に眉を顰める。ゼノスはフィアやミラとは面識がないはずだ。あったのは、そう、まだ魔物の姿だった時。


 自分の知らないところで会ったのかと思い、ちらりと隣に視線を向ける。だがフィアとミラは首を横に振るだけだ。


 ゼノスが変な勘違いをするとも思えず、その言葉の真意を探る。だがその答えは、実にあっさりと本人からもたらされた。


「久しぶりだね、兎ちゃんに猫ちゃん」


「――っ!」


 ティオは動揺を押し殺しながらゼノスの瞳を視る。そこに、迷いや疑いは見られない。


(当てずっぽうやカマ掛けなんかじゃない……確信・・しているのか……!)


 何故気付いたのか。そして、いつから気付いていたのか。


 フィア達はエグシスタで姿を変えられるようになってから、魔物の姿に戻ったのは数えるほどのはずだ。その決定的瞬間を見たとは考えにくい。


 2人が初めてゼノスと会った時はそもそもエグシスタを使えなかった。つまり、、2人を見て看破したのだ。


(“看破”? そんなもの、普通は出来やしない。絶対に。つまり……ゼノスも普通じゃない何か・・を持っているということ……!)


 フィアとミラは魔物から人間に、根本的に別のモノへと姿を変えている。それを“看破”するなど、有り得ない。そこには何かしら、特殊な感覚センスが必要だ。


 或いはそこに、ゼノスの強さの根源があるのかもしれない。そして……


(そして……それに対して疑いすらない。自分の感覚を信じきっているのか、それとも、知っていた・・・・・のか)


 魔物が人の姿に。


 それを素直に信じる人間などいやしない。それこそ、その瞬間を直接見ない限りは。


「お前……まさか」



 ――ゾク



「――ッ!?」


「うっ……」


「ひぅ……!」


 瞬間、ティオ達の背筋を得体のしれない恐怖が奔る。何を問おうとしたのかも忘れるほど。


 特に何かされた訳ではない。ただ、ゼノスが1つの仕草を取っただけ。たた……割れた眼鏡を外しただけだ。


 ここまでの攻撃でひび割れ、そして先ほどのミラの奇襲を迎撃した衝撃がトドメとなったらしく、眼鏡のレンズが砕けていた。


 これまでも強烈と言わざるを得ない殺気、気迫を放っていたゼノスだが、今この瞬間に於いてはそれすらもそよ風に感じられる。それほどまでに強く、そしておぞましい空気だった。


「――いや、大丈夫。この眼鏡は視力が悪いから着けていた訳ではないんだ」


 そんな中、ただ1人平静な声色でゼノスが呟く。


「むしろ、色々と・・・視え過ぎちゃってね。だから、視界を歪める特殊なレンズを嵌めていたんだ」


 ゼノスは外したそれを、まるで慈しむように胸のポケットにしまい込む。そんな仕草とは裏腹に、その異質な雰囲気は何一つ変わらない。


「視界を歪めでもしないと……抑えきれないんだ。――この衝動想いを」




 ――――




「――ッ!!」


 瞬間、ティオ達は幻視した。否、未来視だ。数瞬先の、自分達を。


 首が飛び、宙を舞う自身の視界に映る、バラバラの肉塊自分達


 ここで動かなければ、“死”が自分達を襲う。それを理解させられた・・・・・ティオ達は本能的な反応で地を蹴った。


「っ!」


 フィアとネスレはその身体能力を全力で発揮して後方に。そのフィアよりも脚力に優れるミラは…………動くことが出来なかった。


「ミラッ!?」


 フィアの悲鳴の様な叫びが響く。


 ミラはゼノスの発する空気に呑まれ、咄嗟の対応が出来なかった。そして、そんなミラに目を付けたようにゼノスが襲いかかる。


 それでもなお、ミラは動かない……動けない。


 蛇に睨まれた蛙の様に、恐怖が身体を硬直させていた。


「……!」


 ミラは自分に向けて振るわれる刃を、ただただ他人事のように眺めていた。それしか、出来なかった。


 そして、視界が血で染まる。


「――え……?」


 茫然としたミラの呟きが耳に届く。


 身体を血で染め上げながら、ティオ・・・は呆れたように呟いた。


「……いつもの無駄な元気はどうしたよ……馬鹿」


「――ティオッ!?」


「ティオさんッ!」


 ミラを庇う様に立つ、ティオ。


 その身はゼノスによって袈裟掛けに斬られ、おびただしい量の血が噴き出していた。


 唯一の武器である短剣も、ゼノスの斬撃を受け止めたことにより根元から折れてしまっている。しかしそれが無ければおそらく、ティオは両断されていただろう。この程度で済んだのはむしろ幸運だったと言える。


「――ごはっ……!」


 ティオが吐血する。だが地面には既にティオの血溜まりが出来ており、もはや吐いた血と身体から垂れ流す血の境は解からない。


 無意味と知りながらも傷口を抑えるティオに、ゼノスはあくまで平坦な声で呟く。


「残念だよ、ティオ君……」


 命を散らすティオに対してか、或いは己自身に対してか、ゼノスは悄然とした息を漏らした。


 ゼノスの言葉にも応えず、ただ俯くティオ。そんなティオにトドメ指す為、ゼノスは剣を握る手に力を込める。


「せめて、君の最期は――ッ?!」


 ティオは俯き、その表情は見えない。ゼノスが辛うじて見えたのは、ティオの口元。


 気付けば、ティオは薄く笑みを作っていた。


「なん――」


「ようやく、だ……」


 口から血を流しながら、血に塗れながら、ティオは呟いた。


 それは、ゼノスをして、初めての悪寒を奔らせた。


「――ようやく、隙を見せたな」


 ゼノスはいつの間にか自分の胸に添えられていたティオの手に気付く。


 しかしそれをどうにかする前に、衝撃がゼノスを貫いた。


「…………かはッ!?」


 自分の身体を何かが貫く感覚、衝撃で身体が宙に浮かぶ感覚。そして、自分の理解を超える事態に、目の前の異質・・に、初めての、恐怖と云う感覚をゼノスは抱いた。


「なに……が……――ぐぅッ!?」


 事態を把握する前に、別の衝撃がゼノスを襲う。


 何某かの直撃を受けたゼノスは混乱したまま吹き飛び、地面を滑る。


 自分を吹き飛ばしたのは何なのか。魔術だとしても、いつ詠唱したのか。フィア達と同じように、ティオも無詠唱で魔術を使えるのか。いつから・・・・、使えたのか。


 混乱と疑問が、ゼノスの思考を埋め尽くす。


 しかしてゼノスは百戦錬磨の手練れである。いかに不意を衝かれ、理解不能な事態に陥ろうが、為すがままということなど有り得ない。


 嘔吐しそうなほどの衝撃に腹部を抑えながら、すぐさま体勢を立て直して正面を見据える。


 そして視界に入ったのは、全身、そして瞳を真っ赤に染め上げ、100を超える氷槍の群れを背に浮かべるティオの姿だった。


「は……ははっ…………はははははあッ!!」


 狂ったように嗤うゼノスに構わず、ティオは氷槍を撃ち放つ。


 それに対して、ゼノスは迷わず踏み込んだ。


 己を刺し貫こうとする数多の氷槍に一切の怖れを見せず、避け、或いは氷槍を斬り砕き、真っ直ぐにティオに迫っていく。


 およそ人間とも思えない反射と敏捷でティオとの距離を詰めていく。しかし……


「――っ!」


 ゼノスが横に跳ぶ。次の瞬間・・・・、ゼノスがいた場所は地面から突出した土の槍によって貫かれた。


 人間離れした回避行動を見せるゼノスだが、1つのミスを犯す。回避の瞬間、ティオを視界から外してしまったのだ。


 すぐさまティオへと視線を戻すが、そこには既に誰もいない。


「――シッ!」


 ゼノスの視界の外、背後に姿を見せたティオは風を切りながらゼノスを蹴り抜いた。


「がはっ!」


 ミラにも劣らない威力の蹴撃で、ゼノスはまたしても地を滑る。


 しかしティオの追撃はまだ止まない。先程までゼノスを襲っていた氷槍はその向きを変え、再びゼノスに迫る。


 その、普通では有り得ない挙動に目を剥きつつ、ゼノスはそれを迎え撃った。


「跪け! エアプレッシャー!」


 空気が沈む・・


 草花が潰れ、氷槍は悉く地に堕ちた。比類なき制圧力を誇る上級魔術だが、ティオがそれを見るのは二度目だ。


 それを打破する一手を、ティオは既に打っていた。


「――墜星フォールノヴァ


 いつの間にかゼノスの頭上に浮かび上がっていた、星が如き礫塊れきかい


 今この瞬間まで重力に逆らっていたそれは、ティオの言葉と共にゼノスへ向けて降下を開始した。


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