第56話 邂逅
森閑と更ける夜、静寂を破る足音が一つ。
「……ここか」
目的の場所に辿り着いたティオは、その館を見上げる。
館と呼ぶにはやや小ぶりなそれは、確かに情報屋から受け取った情報通りの場所に建っていた。
館内から覗く僅かな灯りだけが光源となり、申し訳程度の門番はティオが手を出すまでも無く眠りこけている。
侵入者を止めようと言う意志は見られない。むしろ、用があるなら遠慮なく入ってこいと言わんばかりだ。
(ますますもって……いやむしろ露骨すぎるな)
館の近くの草むらから様子を窺っていたティオは、その状況に眉を顰める。
「ヴルル……」
ティオの隣のネスレが何かを感じ取ったかのように唸る。やはり、何事もないなんてことは無さそうだ。
「ネスレ。ここから先はダメだ。流石にお前は侵入には向かないからな」
ネスレはティオに視線を向ける。
心配するような、懇願するような、複雑な視線を向けられ、ティオはため息を吐きながら少しだけ折れることにする。
「……もし、何か派手な音が響いたら、来てくれ」
「ヴォフッ」
ネスレが尻尾を振りながら頷く。
そんなに嬉しいのかと半ば呆れながら、ティオは再び館に視線を戻し、感覚を研ぎ澄ませた。
「――それじゃあ、行ってくる」
そう言って、ネスレを草むらに残し、ティオは闇に紛れて館へと向かった。
――カチャ
前回と同じく魔術で窓のカギを開けたティオは、難なく侵入を成功させる。
だが、中の状況は前回とは大きく異なっていた。
「……人の気配がほとんどないな」
警備はおろか、使用人の気配すらない。
時刻は日が変わる頃、使用人に関しては寝ている可能性もあるが、護衛は居て然るべきだろう。
そして、その代わりとでも言うべき気配がある。
(息を潜めてるな。……6人……7人か?)
正確な位置は掴めないが、わざと気配を殺そうとしているのが数人いる。その
そして、普通ではありえないその気配。それは罠であることの証明だ。
(まぁ、気配を殺し切れていない程度の相手だし、そこは問題無いか。気になるのは向こうの真意だけど……)
ただ罠というにはあからさま過ぎる。普通の護衛がいないのもおかしい。むしろ罠ではなく、ここに隠れ住んでいると言われた方が納得出来るほどだ。
これでは隠れているのか、罠にかけようとしているのか解からない。ディノ・ライセンの真意はどこにあるのか。
「そうだな……結局、直接問いただすしかないか」
もはや遠慮も不要だと、ティオは気配を隠しもせず堂々と館を歩む。向かうのは、外に灯りが漏れていた部屋だ。
そして、ティオはその扉の前に辿り着く。中には確かに人の気配があった。
――コンコン
ティオは躊躇なく扉を叩く。すると直ぐに返事があった。
「――誰かね」
「……ティオです。お久しぶりです、ライセンさん」
ティオは一瞬前回の様にカマをかけてみようかと悩んだが、直球で行くことにした。以前は多くの交流を持った相手である。まずはその信頼関係を信じてみようと思い至ったのだ。
ティオが名乗ると、扉の奥から動揺交じりの声が響く。
「……ま、まさか本当に……。いえ、失礼しました。どうぞお入り下さい、ティオ様」
その言葉を聞いてティオは内心で安堵する。その“様”には、クルーガーと違って確かな敬意が込められていた。
だが、実際がどうであれ、ディノ・ライセンが真実に近い位置にいるのはもはや明白だ。油断だけはしない様に気を引き締めながら、ティオは扉を開いた。
扉の奥、そこは食堂だった。中央に置かれた巨大なテーブルの最奥で、ディノ・ライセンは
ライセンはティオの姿を見た途端、堪えきれないといった様に立ち上がる。
「おお、ティオ様。よくぞ、ご無事で……!」
ライセンは声を震わせながらティオに歩み寄ってくる。それをティオは手で制した。
「おかげさまで。ですが、僕はここへ再会の喜びを分かち合うために来たのではありません。言わずとも……貴方なら解かるでしょうが」
ティオの言葉にライセンはハッとした表情を浮かべ、慌てて佇まいを直す。そして、表情を真剣なものに戻した。
「そう、ですな。私としたことが少しばかり取り乱したようで…………? ティオ様、その瞳は……」
そこでライセンはようやくティオの瞳の色に気付いたらしい。ティオの
「…………」
ライセンは疑いと戸惑の視線を向ける。それも当然だ。
普通、人間の瞳の色が変わる等有り得ない。ティオはその常識の外にいる。そこに生まれるのは、偽物ではないかという疑念だ。
「……幼い頃、綺麗で真っ直ぐな瞳をしていると褒められたことがありましたね。この通り、
ティオは唐突に思い出話を語る。昔、確かに在ったライセンとの交流、その一幕だ。
そしてそれは、ティオ本人以外は知るはずのない一幕だ。
「――っ! 失礼、しました。私などが想像の及ばない経験をされたのでしょう。無礼をお許しください」
「いえ。気にしないでください。それより、本題に入りましょうか」
“本題”。そう口にした瞬間、空気が変わる。
「は……商会のこと、ですな」
ライセンの言葉に、ティオは頷く。それを認めたライセンはゆっくりと口を開いた。
「それは…………お答えできません」
――パチン
ライセンが指を鳴らす。その瞬間、周囲の扉から全身を黒いローブで覆い、武器を持った者達が雪崩れこむ。そしてそのまま、ティオを囲い込んだ。
「……どういうこと、ですか?」
罠であることに気付いていたティオに動揺はない。だが、ライセンの真意は量りかねていた。
「どういうことでもありません。ティオ様。マグナー商会は、もう……終わったのです」
「…………」
ティオは黙ってライセンの言葉を受け止める。
「貴方が王都に来たと知った時から、どうするか考えておりました。下手にクルーガーのところに行かれてはまずいと思い警戒させましたが、後手に回り、あのようなことに……」
「……考えた結果が此処、ですか?」
「ええ。
「この館は?」
「さあ? おそらく、どこぞの没落した貴族の別荘でしょうか。ここは以前から放置されていましてな。そこに目を付け、改装させていたのです。ここならば、奴らの目も届かないでしょう」
ライセンと言葉を交わし、いくつかの疑問が解消されるが、同時に新たな疑問も生まれる。
「わざと足跡を残したのはなぜです?」
「お気づきでしょう? これは罠です。貴方をおびき寄せる為の」
「おびき寄せ、人知れず殺す為の、ですか?」
「…………」
ライセンは答えない。沈黙は、肯定と同義である。
「殺すのであれば、早く指示をすればいかがですか? 無駄な話をしている時間がもったいないのでは?」
「……そうですね。それが一番手っ取り早いのですが、仮にも貴方は我が恩人の忘れ形見です。私の中に僅かに残された良心がそれを摘み取るのを良しとしません。後始末も面倒です」
ティオの挑発染みた発言に対し、ライセンがティオを睨みつけながら告げる。
「ティオ様、どうか投降していただきたい。悪いようには致しません。ほとぼりが冷めるまで、この館から出ないようにするだけで良いのです」
その言葉を合図に、周囲を囲む黒ローブからの威圧が増す。断るなら……という訳だ。
「…………」
ティオは周囲を観察するように見渡す。
包囲に隙はなく、誰かと倒して突破するのも難しいだろう。普通なら、だが。
「ティオ様、どうかご賢断を……」
ライセンに視線を向け、その瞳を視る。
そしてティオは一つ笑みを作り、黒ローブのうちの1人に歩み寄っていく。
「ティオ様っ!?」
ライセンの驚いたような声が響く。それでも、ティオは歩みを止めない。
「と、止まれ……!」
狼狽した黒ローブが制止の声を掛けるも、変わらない。そして、黒ローブはティオから距離を取るように後ずさる。
「どうしたんですか? 僕を殺すのでは?」
ティオのからかうような声で我を取り戻したのか、構えに力を込めて踏み留まる。これ以上近付くと容赦しないという気迫も感じられる。
その全てを無視して、ティオは歩みを続けた。
「ぐ……悪く思うな!」
黒ローブが剣を振り上げる。
「――ま、待てっ!」
咄嗟にライセンが制止の声を上げるが、それは致命的に遅く、かくして凶刃は振るわれた。
――ブォン
思い切り剣を振るったことによる風切音が響く。だが、響いた音はそれだけだった。
つい一瞬前までティオがいたその場所には、何もない。ティオの血も、ティオ本人の姿さえもだ。
「ライセンさん、投降してもらえませんか」
「――っ!!」
動揺する黒ローブのすぐ後ろから、声が響く。
咄嗟に振り向こうとする黒ローブだが、いつの間にか首元にティオの剣が添えられており、身動きが封じられていた。
「見知った顔もいる様ですし、貴方方に剣を向けるのは少々気が引けますからね」
言いながら、ティオはフードを一息に剥ぎ取った。
「――ティオ……坊ちゃん。気付いておりましたか……」
顔を隠していたフードを剥ぎ取られた男は驚愕に満ちた声で呟く。それを聞いたティオは笑みを浮かべ、剣を引いた。
「お久しぶりですね、ハイルさん。他の方も、ライセンさんの使用人の方々でしょう?」
ティオがハイルと呼んだ初老の男の正体はライセン家の執事長だ。ライセン家と交流のあったティオとは当然面識がある。
他の黒ローブたちにも動揺が広がる。その反応からして、ティオの言が正しいのは明らかだった。
彼らは視線を彷徨わせ、最終的に自らの主に向ける。視線を向けられたライセンは諦めたように頷いた。
それを合図に、黒ローブに身を包んだ者たちは次々にそのフードを外していく。そして顔を出したのは執事やメイド、ライセン家の家人達だ。
もはや彼らに戦意は無い。それを認めたティオはライセンの正面へと戻る。
「……ティオ様。貴方は……いったい……」
ライセンは掠れた声で、呟いた。
「ご存知でしょう? ティオ・
「……!」
家名を強調して名乗りを上げる。商会を終わらせなどしないと、そう意味を込めて。
「本当のところを話してください、ライセンさん。最初から、貴方には僕をどうこうするつもりも無かった。こんな剣を使うくらいですし」
「……はっ? い、いつの間にっ?!」
ティオはハイルの横を通り過ぎた一瞬で、剣を掠め取っていた。その剣の刃先を、人差し指でなぞって見せる。だがティオの指には傷一つ付かない。
それは模造剣だった。わざと刃を潰しており、切れ味は無いに等しい。これでは思い切り振るっても、骨は砕けるだろうが命には届かないだろう。
「先ほどの言葉も、僕を大人しくさせる為のハッタリでしょう? 少し前までの僕になら効果もあったでしょうね」
ライセンの、ティオを殺すという発言も、周囲を囲んだ使用人たちも、全てはハッタリだった。それはライセンの眼を見た時に確信を得た。
それさえ解かれば、ティオに退く理由はない。
「ティオ様……傭兵になられたという情報を聞いてまさかとは思っておりましたが。本当に、貴方に何が……」
「それも含めて、話し合いましょう。ライセンさん。これまでのこと、これからのことも」
茫然とするライセンを諭すように、ティオが優しく話しかける。それは、あの夜襲が起きる前までのティオと同じ表情だ。
優しく、聡く。この少年に、商会の未来を視たことを、ライセンは思い出した。そして今、再びそれを垣間見た。
だから、だからこそ、その
「ティオ様、我々が貴方の生存を知り得たのは偶然、いや、奇跡です。ティオ様の顔を知る家臣が町中で貴方を目撃したからです。今ならばまだ間に合います。奴らに生存を知られる前に、全てを忘れ、この館で身を潜めてください!」
「……なるほど。この館はライセンさんの隠れ家でなく、僕を隠す為のものだったという訳ですか」
ティオの疑問の一つが解消される。ライセンがわざと影を使って行動を隠した理由も、中途半端に情報を残して自分を追わせた理由も。
つまり、ライセンは敵にもマークされていたのだろう。自分から動けば敵に察知される。その上で敵に知られずティオと会うには、ティオに自身を
敵には王都を出たように見せかけ、自分を追う者は容易に追える様に足跡を残す。回りくどいやり方だが、それだけしなくてはいけない相手だということだ。
ティオの反応から、退く気はないと察したライセンは、最後に問いかける。
「…………ティオ様、商会を取り戻すのは容易ではありません。敵は強大です。ともすれば、今日とは比べ物にならない
ライセンはまるで確かめるように、ティオの眼を真っ直ぐに睨みつける。
その言葉と視線を受け取ったティオは、笑みを浮かべ、何でもないように応えた。
「――ありませんよ。そんな
「…………」
一瞬、失望を浮かべたライセンを無視し、ティオは続けた。
「繰り返させませんから、もう二度と……絶対に。そう誓ったんです」
「ティオ……様……」
「確たる根拠はありませんけどね。でも、この誓いも、商会の復権も……諦めるつもりは毛頭ありません。当然でしょう?」
眼に確かな力を込めながら、ティオはそう締めくくった。
ライセンは呆気にとられながら、ついに笑みを零した。
「ふふっ……そうですね。そりゃあそうだ。覚悟なんて出来るはずがない」
そう、覚悟など、出来るはずがない。
犠牲を覚悟するなど、諦めに他ならない。そんなものをしている暇があるのなら少しでも、それを防ぐための考えを練るべきだ。
「ええそうです。そんなもの必要ない。……ですが、僕一人では子供の夢物語だと笑われかねません。ですから……」
スッと手を差し出す。
「協力してください、ライセンさん。貴方がその眼で見て、聞いた事の全てを、話してください。そして、以前の様に共に……」
ライセンはティオから差し出されたその手を、懐かしいものを視る様に眺める。そして、首を横に振った。
「その手を取る資格は……私には有りません」
「ライセンさん……。そうですか。確かに、貴方の言い分もあるでしょうし、まずは話を聞きましょうか。聞かせてくれるのでしょう?」
少し残念そうに話したティオに、ライセンは頷いて応える。それを認めたティオは、まず初めに核心を訪ねた。
「――では、“奴ら”とは、誰ですか? 僕達を、商会を嵌めたのは……」
「それは――」
――ヒュッ
「――ッ!!!」
刹那、ティオは確かに聞き取った。僅かに空気を切る、その音を。
そして咄嗟にライセンを庇う様に前に出たのと、それが飛来したのはほぼ同時だった。
「ぐっ!」
「ティオ様っ!?」
ティオの肩口に何かが刺さる。それは柄の無い黒塗りのナイフだった。
およそ用途が限られそうなそれは、開かれたままの扉の向こう、蝋燭の灯が届かない闇から飛来した。
気付けなかったことに歯噛みしつつ、ティオはその闇の向こうを睨みつけていると、そこから場違いに愉快そうな声が届く。
「あれ、防がれちゃったか。腕を上げたみたいだね?」
「お前は……!」
闇の向こうから足音もさせずに姿を現したのは、一度ティオに土をつけた男だった。
「久しぶりだね、ティオ君」
「ゼノスッ……!」
ゼノスはあの時と変わらない笑みで、殺気を漲らせながらそこに立っていた。
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