第40話 おいらが「ですます調」と「である調」を混在させる理由

 バカだからです。以上。


 で終わらせたら、つまらないですね。ここは面白くなるようにしよう。

 この駄文を見て有識者は「ですます調」と「である調」を混在させている。こいつは日本語のイロハも知らないと嘲笑う事でしょう。当然です。おいらスエーデン人だから。本名エドベリって言います。


 すみません、嘘です。生粋の日本人です。たぶん。


 どうしておいらが両者を混在させるか? その前においらが書いた小説を読んでもらえると分かるんですが、(読みたくない? 面倒くさい? そうですよね。今日は暑いですからね。2016年7月3日記す)ちゃんと使い分けているはずです。(たぶん。ちょっと自信なくなってきたな)……読んでくださった方、ありがとうございます。ちゃんと使い分けていましたか? 答えが聞こえない。当然か。まあいいや。基本的に(便利な言葉だ)小説では両者を使い分けるようにしています。ではなぜ、この駄文では使い分けていないか? それはこの駄文がエッセイだからです。えっ、答えになっていない? それは申し訳ございません。

 わざと、難しいことを言うと、明治時代に国語界では『言文一致運動』ということが行われました。それまでは『書き言葉』と『話し言葉』とが明確に分かれていました。だから古文の時間がかったるくてわけが分からないんですね。ああ、そうですか。あなたは古文が得意でしたか。それがどうしました?

 挑発的言動は慎もう。数少ない顧客がいなくなってしまう。


 その『言文一致運動』ですがようするに、普段話し慣れている言葉で、文章を書こうということですよね。そこで、おいらはそれを一歩進めて、『隣にいる人に気さくに話しかけているような文章』を心がけているんです。媒体(パソコン、スマホ、タブレット)の中で喋っている感覚で書いているんです。だから、お客さんがいないと独り言になってしまうんです。どうか逃げないでください。廃人おいらを助けると思ってね。弱者救済!

 それはともかく、親しい人と喋っている時、『ですます調』だの『である調』なんて気にしませんよね。混在しますよね。まあここはひとつ、するといってくださいな。


 だから、混在を気にしないで文の流れに応じて使い分けているのです。間違ってますかね。もっと過激なことを言えば『ですます調』と『である調』を混在させてはいけないという、国語のルールが間違っている。古臭いルールだ! なんていうのは言い過ぎでしょうか?


 言葉というのは常に変化していくものだと思うんです。だから『ですます調』と『である調』が混在しているからといっておいらの駄文を「ルールに沿ってない!」と言って切り捨てないで、内容で判断してもらえれば嬉しいです。えっ、それ以前におもしろくない? ああ、そうですか。勉強し直してまいります、と言って八代目桂文楽は高座を下りて再び上ることはなかった……ってなんのこっちゃ?

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