中編

 偉大なる地図書記グナイモンの手なる大陸地図――これも、師匠の館から持ち出した物だ――の、ほぼ中央。大陸を南北に分断するエイグロフ山脈のふもとを、テオの細い指は指し示す。


「――ここに?」

「はい、行かなければなりません」

(この辺りは、確か――)


 現在地ウズルダロウムから北上、旧王都コモリオムを通過し、さらに北。


 山脈にさえぎられた雨雲がはぐくんだ、広大なゼシュの密林が広がっている辺りだ。危険な生き物の巣窟そうくつであり、街村どころか、近付く人間とていない。


(こんな所に、何の用があるのだろう)


 当然の疑問が湧き上がる。しかし、テオに聞く気にはなれなかった。


「どうしても――行かなければならないんです」


 彼女の青い瞳に宿る、強い決意の光を見ていると。


(無理に聞かない方が、いいかもしれない)


 第一、自分の目的には、関係のないことだ。そう、自分はただ、少しでも長く、テオと共にいたいだけなのだから。


 詮索せんさく躊躇ためらったのは、そんなよこしまな想いを隠している、引け目もあったのかもしれない。


「厳しい旅になるでしょう。本当によろしいのですか」

「構いませんよ。密林で珍しい薬草でも採取できれば、儲けものです」

「ありがとうございます、よろしくお願い致します!」


 ――と、見栄を切ってはみたものの、想像以上に険しい旅路が、二人を待ち受けていた。


 途中までは、かつてウズルダロウムとコモリオムを結んでいた通商路――今はもう、彼ら以外に通る者もない――を利用することができた。


 しかし、ゼシュの密林が近づくにつれ、次第に石畳は木々の根に引き裂かれ、ついには完全に密林に飲み込まれてしまう。そこから先は、羊歯シダの海をき分け、椰子ヤシ天蓋てんがいを見上げながら進まなければならなかった。


 しかも、密林の剣呑な住人たちが、次から次へと二人を歓迎しに現れる。木々に紛れて襲い掛かる密林虎。長大な牙を剥き出す剣牙竜。邪眼で獲物を呪縛する単眼獣カトブレパス――その度に、水晶球の幻影で追い払わなければならなかった。


(確かに、女性が一人で旅するような所ではないな)


 しかし、予想に反して楽だった点もあった。それは、テオが全く足手まといにならなかったことだ。


 密林の蒸し暑さにも根を上げず、うねる木の根をひらりひらりと乗り越え、崖に行く手を塞がれた時は、あっという間に先に登って、後に続くエイボンを手助けさえしてくれた。


たくましい女性だ)


 美しく、賢く、しかも強い。また一つ、テオの新しい魅力に気付けたことに、喜びを感じるのだった。


 テオと励まし合い、支え合い、緑の魔境を進み続けること、三日間。全く変らない周囲の光景に、方向が合っているのかどうか、自信が無くなりかけていた時だった。


 密林の木々の合間に、それが姿を現したのは。


「エイボン様、あれは?」

「コモリオムの廃墟でしょう。方向は正しかったようですね」


 密林に抱かれて、かつての王都のしかばねは、静かに眠り続けていた。


 さすがに、雑草やつた蔓延はびこり放題だが、“大理石と御影みかげ石の王冠”とまで呼ばれた壮麗な姿は、ほぼ完璧に保存されている。


 数千の兵士が行進できる大通りに沿って、イホウンデーの神殿、王立劇場、行政長官公邸などの、白亜の建造物が立ち並ぶ。その様は、あたかも贅を尽くした王侯貴族の――墓標のようだ。


 いかにかつての美しさを保っていても、廃墟は廃墟。がらんとした街並みに人影はなく、響き渡るのは、獣や鳥の物悲しい鳴き声ばかり。


(そろそろ日が暮れるな)


 正直、気味が悪いが、それでも野宿よりは安全だろう。エイボンたちは、適当な民家を今晩の宿に定めた。


 テオは、釜戸がまだ使えることを確認すると、嬉しそうに夕食の支度を始める。彼女は毎食、携帯食と旅先で手に入れた食材だけで、よくもこれ程と言うぐらい多彩な料理を用意し、旅の疲れを癒してくれた。


「大変結構でした、テオさん」

「いえいえ、お粗末様でした」


 今夜のメニュー、密林茸と干し肉のスープも絶品だった。


「――テオさんをめとる男性は、幸せ者ですね」

「え? 何かおっしゃいました?」

「い、いえ、何でもありません」

(旅程も、もう半ばか――)


 これまで心の隅に押し込めていた想いが、頭をもたげ始める。


(奇跡に恵まれ、こうしてテオさんと旅をしているが――それも、あと二、三日だ)


 テオを目的地に送り届けたら、今度こそ今生の別れだ。それを思うと、内蔵をねじられるような痛みを覚える。父や師匠と別れる時にも、同じ痛みを感じた。何度経験しても慣れない、別離の痛みだ。


(しかし、万が一――)


 それまでに再び、奇跡が起きたら――。


 ――エイボン様、もう一つお願いをいいでしょうか――わたくしと――。


(――拒否する理由は、何も無い)


 自分はもう、魔道士ではないのだから。


 水晶球も、魔道書も全部処分して、魔術とは今度こそきっぱり縁を切って。テオと平凡な幸せを築くのも、悪くは――。


「――――」


 溜息を吐いて、妄想を断ち切る。自分がテオの何だと言うのか。ただの護衛に過ぎないくせに――ただの逃亡者に過ぎないくせに。


(すみません、テオさん――あなたを汚して)

「エイボン様、お疲れでしょう。どうぞ、先にお休みになって下さい」


 今は正直、テオの姿を見ているのは辛かった。言葉に甘えさせてもらって、隣の部屋で横になった。


 *


 それは、エイボンがザイラックの館を飛び出す、少し前のこと。


 夜の読書に備えて、屍獣脂のランプに火を灯していた時だった。雑用係の使い魔に、ザイラックが旅から戻ったことを告げられ、慌てて出迎えたエイボンは、大いに驚かされたのだった。


『ついに見つけたぞ!』


 岩より冷静と称される師匠が、子供のようにはしゃいでいた。その手に、奇妙な品をたずさえて。


 書物――と呼んでもいいものかどうか。紙のように薄い金属板をじ、書物のように仕立ててあるのだ。表紙は、絶滅した首長竜ディプロドクスの皮で装丁そうていされていた。


 ザイラックの見立てでは、世界から姿を消して久しい蛇人間の魔道士ズロイグムの手になる魔道書に違いないという。


 太古の世界に、天まで届く塔が林立する都市を築き、異質ながらも壮麗な文明を誇った蛇人間。その謎が、この書によって解き明かせるかもしれないと、ザイラックは期待していたのだ。


 しかし、なぜだろう。エイボンはどうしても、師匠のように喜ぶことができなかった。金属製のページにのたくる、まさしく蛇のような文字を見ていると、寒気が走るのを止められなかった。


 それからザイラックは、連日連夜ズロイグムの書の解読を続けた。エイボンも手伝ったが、解読は遅々として進まなかった。無理もなかった。人間とは根本的に精神構造が異なる、蛇人間の手になる書なのだ。ザイラックが悔しげに漏らした言葉を覚えている。


『単に字面を追うだけでは駄目だ。蛇人間の感覚で考えなければ――』


 ザイラックは、私室に一人でもるようになった。何のためか、一晩中不気味な呪文を詠唱し、紫色に沸き立つ妖しげな薬を調合し――そのあまりの執着ぶりは、エイボンの目からして、不気味な程だった。


 エイボンの不吉な予感は、ますます高まっていった。しかし、まさか師匠に、解読を止めてくれと頼む訳にもいかない。そもそも自分にも、一体何がそんなに不安なのか、説明が付かないのだ。


 結局、エイボンにできたのは、自習や巻物の整理などで、不安を紛らわしながら待つことだけだった。


 そして、数日後。


 未だに、ザイラックは私室から出てこない。食事を取っている様子もなく、さすがに心配になったエイボンは、扉をノックした。


 返事はなかった。その代わり――と言ってもいいものか。


 返ってきたのは、しゅうしゅうという奇妙な声と、ずるずるという何かを引きずるような音だった。


 只事ではないと感じたエイボンは、やむなく開錠の術で扉を開け、中に入った。


『お師匠様、どうなさったのですか――』


 師匠の私室は暗かった。しかし、何かが潜んでいるのを、エイボンは確信した。

徐々に目が暗闇に慣れてくる――いる――部屋の隅に――光を避けるようにうずくまって――しゅうしゅうと奇妙な声を発して――何かを身にまとっている――エイボンも見慣れた――。


 師匠の長衣ローブだ。


 安堵あんどの溜息を吐くエイボン。何を狼狽ろうばいしていたことやら。この部屋に、師匠以外の何がいるというのか。


『お師匠様、少しはお休みになりませんと――』


 お体にさわりますよと言いかけて、エイボンは絶句した。


 にゅるりとでも擬音を付すべき動きで、それに振り返られて。


 それは、体長5エルを越える大蛇だった。胴の太さも、エイボンと同じぐらいある。ザイラックの長衣を身に付けている。我が物顔で、この部屋に居座っている。


 この状況が何を意味するのか、分かりたくないのに分かってしまった。ザイラックの言葉が脳裏を過ぎる。


 ――単に字面を追うだけでは駄目だ。蛇人間の感覚で考えなければ――。


『まさか、お師匠様――!?』


 そう、ザイラックはズロイグムの書を、そして、その基礎となっている、人間とは異なる哲学を理解するために、自らを蛇人間に近付けようとしたのだ。あの呪文や薬は、そのためのものだったに違いない。


 しかし――。


『しゃああ!』


 鎌首をもたげ、牙から毒液をしたたらせるその様子に、もはやザイラックの自我が、欠片かけらも残っていないのは明らかだった。エイボンは無我夢中で、近くに置かれていた、万物溶解液入りのビンを投げつけた。


 しゃああああ――歯擦しかつ音の断末魔を聞きながら、エイボンは恐れおののいていた。師匠の変わり果てた姿に? いや、魔術の業の深さに。


 エイボンとて知ってはいた。魔術とは、便利な召使いではなく、とんでもない高利貸しであることぐらい。身に余る領域に手を出せば、即座に破滅という名の証文を突き付けられると――。


 ――そう教えてくれた師匠に、予想できなかった訳がない。こうなる可能性があったことぐらい。


 承知の上で、己の体と魂を賭けたのだ。全ては、魔術を極めるために。


『そ、そこまでして――』


 自分に、同じことができるか? 自問するまでもない、無理だ。


 魔道――そんな、中途半端な覚悟で踏み込むべき道ではなかった。


 完膚無く打ちのめされたエイボンに選べた選択肢は、ただ一つ。師匠の館から、魔術の道から、全てに背を向けて、逃げ出すことだけだった。


 *


「――イボン様、エイボン様!」


 無明の闇を彷徨さまよっていたエイボンの意識は、己が名を呼ぶテオの声で目を覚ました。


 とっさに状況が掴めない。ついさっき、師匠の館を飛び出したはずなのに――ここはどこだろう、この女性は誰だろう――。


「起こしてしまって、ごめんなさい。ひどく、うなされていらっしゃったもので、つい――」


「あ、いえ――」


 テオの声を聞いている内に、混乱が収まってくる。そうだ、あれはもう一ヵ月前のこと、とうに過ぎ去ったこと――の、はずなのに。


(また、あの夢か――)


 これで何度目だろう。あの日を夢に見るのは。


 逃げても逃げても、過去は影のようにぴったりと尾行してくる。無理もない。脇目も振らずに前進しているならともかく、今の自分は、ただうろうろと逃げ回っているだけ。それでは、過去を振り切れる訳がない。


 ――無様の極みだ。


「私は――臆病者だ」


 思わず、そんな独り言を漏らしてしまう。目は覚めても、心は悪夢に、過去に置き去りにされたまま。


「迫害から逃げ、魔術から逃げ――何からも、逃げてばかりだ」


 独り言のつもりだった。当然だ。突然こんなことを言われても、困惑して目を白黒させるのが関の山だろう。


 しかし、テオは今回も、あっさりエイボンの想像を超えて見せた。


「――逃げることは、悪いことではありません」


 エイボンの肩に、テオのしなやかな手がえられる。はっと顔を上げると、テオはただただ、優しく微笑んでいた。月光を背にしたその姿は、無限の愛をもって、全てを許す女神のようだ。


「逃げた先で見つかる道もありましょう――ただ一つ、生きることからさえ、逃げなければ」


(逃げることは、悪ではない――)


 思ってもみなかった、そんなこと。しかし、他ならぬテオの言葉だからこそ、すんなり受け入れられた。


(そうかもしれない――そのおかげで、テオさんに会えたのだから)


 師匠の館で魔術漬けの日々を送っていたら、こんな体験は一生できなかっただろう。そう思えば、逃げたのも無駄ではなかったかもしれない。


「ごめんなさい、お説教じみたことを――」

「いや、ありがとう――おかげで、気が楽になりました」


 自分はずっと、誰かにそう言ってもらいたかったのかもしれない。自分の弱さを、許してもらいたかったのかもしれない。


 ずっと付きまとっていた過去の影が、すうっと消えていくのを感じる。今、ようやく、本当の意味で、自分は過去から逃げ果せたのかもしれない。自分が一ヵ月掛かってできなかったことを、テオは物の数秒でって退けた。


(本当に、不思議な女性だ――)


 出会った日にも思ったが、改めてそう思う。どうして、こんなに自分のことを分かってくれるのだろう。まるで――母親のように。


「テオさん、あなたはなぜ――」


 こらえきれず、尋ねようとした、その時。


 テオが、はっと目を見開いた。


「――どうしました?」


 テオの表情は、緊張に強張こわばっている。ついさっきまで、この場を包んでいた安らかな空気は、一瞬で霧散してしまった。


「外に、何かが――」


 テオの鋭さは、今さら疑うまでもない。旅の間も、幾度も猛獣の接近を感知してくれたのだ。


 窓から、そっと外の様子をうかがい――エイボンは息を飲んだ。


 暗闇に紛れて、何十対もの黄色く輝く目が、周囲を取り囲んでいる。月明かりを頼りに、何とか正体を判別する。


「ヴーアミ族――!」


 エイグロフ山脈一帯に生息する、毛むくじゃらの人間もどきだ。性質は凶暴で、しばしば集団で人を襲う。コモリオムはすでに、奴らの棲家になっていたらしい。


「エイボン様、如何いかがいたしましょう」


 テオは落ち着いていた。自分を信頼してくれているのだろう。それに応えるべく、エイボンは焦りを押し殺した。


「ご心配には及びません。念のため、全ての扉に封印の術を施してあります」


 鍵を開かなくするだけでなく、扉を鉄のように硬くしてしまう。この術を施された扉を開けるには、開錠の術で相殺するしかない。この家は、まさに難攻不落の砦――。


 そのはずだったのだが。


 かちゃり。正面玄関の鍵が開く音を、エイボンは確かに聞いた。


(馬鹿な――!?)


 それが幻聴でないことを証明するように、どかんとぶち破るような勢いで扉が開く。


「グギャギャギャギャッ!」

「ヒャーホホホホホッ!」


 けたたましい雄叫びを上げながら、ヴーアミ族どもが乱入してくる。その手には、獣の骨を削った槍が握られていた。粗雑な造りだが、エイボンたちを血祭りに上げるには十分だろう。


(なぜ――いや、考えるのは後だ)


 慌てて水晶球を取り出し、起動の呪文を唱える。たちまち、天井一杯にシャンタク鳥の幻が翼を広げ、不吉な鳴き声を響かせる。


 その恐ろしさは、ヴーアミ族の単純な頭脳にも理解できたらしい。醜い顔を、ぎくりと強張らせ、じりじりと後退し――。


「ウジャタ、バオバブピタ!」


 後退がぴたりと停まる。奴らの背後から発せられた、意味不明の怒鳴り声によって。


(――まさか)


 嫌な予感は的中した。ヴーアミ族の一匹が、シャンタク鳥の幻に骨槍を投げつける。


 無論、あっさりすり抜けて、突き刺さったのは天井にだ。


(ばれた!?)


 見ると、ヴーアミ族の群れの中に、異彩を放つ一匹がいる。獣の頭蓋骨を被り、鳥の羽で飾り立て、捩くれた木の杖を振りかざしている。


(しまった、呪い師がいたのか)


 普通のヴーアミ族は、猿よりは賢い程度だが、ごく稀に高い知能を備えた個体が現れることがある。そういった“天才”は、群れの頭となり、時には魔術すら操るという。


 当然、幻と実体の見分けなど、朝飯前だろう。さっきの怒鳴り声の意味は、おそらくこうだ。


 騙されるな、それは幻だ!


(封印の術を破ったのも、こいつか)


 扉が開いた時点で、予想すべきだった。己の迂闊うかつさを呪っても、もう遅い。ヴーアミ族どもは一転して調子付き、あざけるような叫びを合唱しながら、二人を取り囲む。


 慌てて青銅の剣を抜くが、こんな物でどこまで持ちこたえられるか。


「エイボン様!」

「テオさん、私が時間を稼ぎますから――!」


 あなただけでも逃げてくれと叫ぶ暇もなく、数十本の骨槍がエイボンに殺到する。思わず、ぎゅっと目を閉じてしまう。


 時が引き伸ばされ、一瞬が永遠と化す。まるで、死ぬ前に、たっぷりと後悔させようとしているかのように。


(ああ、やはりちゃんと修行を続けていれば、こんな事には――いや、私の事はい

い。気の毒なのは、テオさんだ。私のような半端者を、護衛にしてしまったばっかりに――)


 幻の未来が、脳裏をぎる。もうすぐ、槍が自分を貫く。血飛沫と共に、穴だらけにされる自分。そして、数秒後には、テオも同様に――。


 しかし、彼女はいつだって、エイボンの予想をくつがえし続けてきたのではなかったか。


「見られたくなかった――あなたにだけは」


(え?)

 ひゅんっ! 何かが、疾風をともなって、エイボンの横を通過する。そして――。


「ギャ―――ッ!?」


 ヴーアミ族どもの叫びが、時の呪縛を打ち砕く。


(――何だ?)


 困惑するエイボン。人間の耳でも、十分聞き分けられた。その叫びは、勝利の雄叫びなどではなく――悲鳴だった。


 恐る恐る開いたエイボンのまぶたが。


「!?」


 驚愕で見開かれる。


 今まさに、自分を穴だらけにしようとしていたヴーアミ族どもの全身に、何かが巻きついて動きを封じている。黄金に輝く、細長い何かが無数に――どこから伸びているのか、思わず追ったエイボンの視線が辿り着いたのは。


 自分の、すぐ横だった。


 *


(テオ――さん?)


 エイボンは我が目を疑った。


 テオの黄金の髪が、無限長に伸びて、ヴーアミ族どもをがんがら締めにしていたのだ。


 ヴーアミ族どもは必死で身をよじるが、テオの髪はびくともしない。それどころか、大蛇の如くうごきながら、さらに強く、みしみしと締め上げ――。


 ぐしゃり!


 潰した。熟れたスヴァナ果のごとく、いとも易々やすやすと。降り注ぐのは、文字通りの血の雨。


「お退きなさい。さもなくば、このようになりますよ」


 原型を留めていない死体を、残りのヴーアミ族の前に放り出して、脅しつける。仮面のような無表情で、あくまで淡々とした口調で。


 その姿は、あたかも美しくも無慈悲な、殺戮さつりくの女神。


 ぐらぐらと視界がゆがむ。すぐ目の前のいるはずのテオの姿が、全てが遠くにあるように感じられる。目は確かに眼前の光景を映しているのに、心がそれを受け止め切れていない。結果、認識のずれが生じ、そんな感覚を引き起こしているのだ。


(テオさん――なのか、あれが?)


 彼女でなければ誰だと言うのだという、理性のさとしはあまりにか細かった。無理もない、誰に想像できよう。普段の彼女から、今の彼女が。


(あなたは、一体――)

「ヒ、ヒ―――ッ!?」


 ヴーアミ族どもの醜い顔が、ああまで見事に恐怖を表現できるものか。ばらばらと骨槍を投げ出し、後ずさり始める。


 いや、一匹だけ踏み止まっているのがいる。あの呪い師だ。


「グギャー! ウルダ、ヤシムダ!」


 逃げるな、命令だぞ、とでも言っているのだろうか。本音は自分も逃げたいのかもしれないが、ヴーアミ族にも面子めんつというものがあるらしい。


 その手に握る杖に、ばちばちと青白い電光が宿る。元素の矢の術だ。直撃すれば、竜すら倒す。しかし、それを放つことは叶わなかった。


 百条に分かれてのたうつテオの髪の一条が、ざびゅっ! 死神の大鎌と化して、呪い師ヴーアミの首をぐ。


 一瞬後、そこに立っていたのは、ぴゅいいと笛のような音を立てて、首から血を噴出す、首無しのむくろだった。


 指導者の無残な最期に、ヴーアミ族の士気は、今度こそ崩壊した。悲鳴を上げ、我先にと密林に逃げ散っていく。


 それを見届けて、テオの髪はしゅるしゅると元の長さに戻っていく。獲物を平らげて満腹した蛇が、巣穴に引っ込むように。


 何とおぞましい。


(違う――こんなものが、テオさんであるはずがない――)


 どこへ行ってしまったのだ。自分の過去を受け止め、癒してくれた、あのテオは。


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