永遠の逃亡者

紙倉ゆうた

前編


 ハイパーボリア――


 永遠の氷河に埋もれし、失われた大陸


 百の魔道士が術を振るい、千の奇跡が顕現けんげんせし、魔法の王国


 彼の地がつむぎしは、栄光と破滅、賢者と愚者の物語


 神官はおごり、魔道士は邪神にまみえ、コモリオムの都は栄え、そして滅びた


 劫初ごうしょの記憶を伝える、禁断の書のみがその名を記す


 ハイパーボリア――北風の向こう側


 *


「ゾグトゥク――イフフクシ――ンバアスムル――」


 エイボンの口がつむぐ呪文に呼応して、水晶球は妖しく輝き始める。


 そこらの店で売っているような、安物のガラス球ではない。古の魔物の眼球が鉱物化したもので、伝説の魔道士ゾン・メザマレックその人が使っていた品だ。


「おお、真実の目よ、ありうべからざるものの名において命ず、い寄る混沌の名において命ず、暗きハンの名において命ず――時を越え、空を越え、我が目に代リ真実を映せ――」


 呪文が進むにつれ、輝きはますます強く、そして禍々しくなっていく。凶兆を告げる極光のような輝きが、薄暗い天幕の内部を地獄さながらにいろどる。


 そして――。


「アハト!」


 起動の呪言と共に、水晶球の内部に、ぼんやりと真実が浮かび上がる。すなわち――。


「――赤だな」


 次の賭け競争で、その色の走竜が一着でゴールしている様子を。


「ひゃっほう! これでまた大儲けだぜ! ありがとうよ、魔道士さん!」


 客のチンピラは、エイボンに5パズール金子を放り投げると、小躍りして天幕を飛び出して行った。


 それを見送りながら、エイボンは重い溜息をいた。客に対してではない。己に対してだ。


「魔道士など恐れ多い――私はただの見習いくずれだよ」


 魔術のマの字も知らないチンピラに分からなかったのも無理はないが、四回目の大祓いを迎えて三年(二十三歳)の若造が、一人前の称号である魔道士を名乗れる訳がない。本来ならまだ、師の下で修行に励んでいるべき身だ。


 事実、つい一ヵ月前まではそうしていたのだ。


(師匠が今の私をご覧になったら、どう思われることやら)


 “荒野の大魔道士”ザイラック。


 王国一と噂される腕前と、いかなる権力にもびず、ムー・トゥーランの荒野にて孤高を貫く生き様から、その二つ名で呼ばれるかの人物が、エイボンの師匠だった。


 ザイラックが噂にたがわぬ魔道士であることは、半人前のエイボンから見ても明らかだった。


 異形の魔物を自在に使役し、ひつぎで眠る木乃伊ミイラから上古の秘密を聞き出し、肉体から魂を解き放って星の世界を訪れるぐらい、ザイラックにとっては日常茶飯事さはんじだった。


 師匠のようになりたくて、エイボンは日々、ザイラックの黒片麻岩の館で修行に励んだ。


 しかし、忘れもしないあの日――。


 エイボンは回想を中断した。あまり思い巡らすと、また夢に見てしまう。


 ともあれ、師の館を飛び出したエイボンは、そこから少しでも遠ざかろうと、ウズルダロウムの路地裏に潜り込んだのだ。


 それから一ヵ月、師の館から持ち出した水晶球で、賭博詐欺の真似事をして糊口ここうしのぐ毎日を送っている――こんな使われ方をして、水晶球もさぞ不本意であろう。


 今日はこれぐらいにして、宿に引き上げようかと考えたその時。


 どやどやと騒々しい足音が近づいてきたかと思うと、天幕が乱暴に開けられた。


「てめえか、こいつにインチキやらせてやがったのは!」

「ひいぃ、教えたんだから、許してくれぇ~」


 怒りの形相で詰め寄る男たちの後ろでは、ついさっき来た客が、荒縄で縛られて転がされている。どうやら、ばれてしまったようだ。


「おかしいと思ったぜ。いつもこいつばかり、バカスカ勝ちやがって――」


(しょうがない客だな。派手に賭けすぎるからだ)


 エイボンは毛程の動揺も見せなかった。口の中だけで、こっそり呪文を唱え始める。


「さあ、儲けを吐き出してもらおうか――やっ!?」


 エイボンを捕らえようと手を伸ばした男たちが、あんぐりと口を開けて立ち尽くす。自分が掴んでいるのが、魔道士のローブを着たわら人形であることに気付いて。


「や、野郎、いつの間に!?」


 全くの同時刻。


 寝座ねぐらにしている安宿のベッドで、エイボンはむっくりと身を起こした。ついさっきまで、ここに寝かされていた藁人形の藁くずが、ぱらぱらと散る。


「身代わりの術を用意しておいて、正解だった」


 見習いくずれとは言え、エイボンも魔道士の端くれ。この程度の術、基本中の基本だ。


(やれやれ、この街はもう潮時か)


 すぐにでも、別の街へ移らねば――そう考えると、改めてみじめな気分になる。


(また逃げるのか、私は――)


 迫害から逃れ、魔術の道からも逃れて、ここまで来たというのに。


 ただ、逃げ続けるだけの人生だ。


 *


 新王都ウズルダロウム。


 旧王都コモリオムから遷都されたのは、二十三年前――しくも、エイボンがこの世に生を受けた年――。それ以前は交易の中継地であり、商業の町だった。


 郊外に建造中の新王宮――あくまで旧王宮を再現しようとするファルナヴートラ王に『税金の無駄遣い』と非難が集中している――に群がるように、派手な看板を掲げた商店が立ち並び、その隙間を網の目のごとく路地が張り巡らされ、人々が窮屈そうに行き来している。


 ごちゃごちゃして治安が悪い、と王侯貴族は漏らしているらしいが、だからこそ、ここには人々の生きた息吹がある。


「安いよ、安いよー!」

「新鮮なショングア豆は如何かね~」

「オッゴン=ザイ産の織物だよ。どうだい、この手触り!」


 1パズールでも多く儲けようと、声を張り上げ、人々は終わらぬ祭りを繰り広げる。


 ザイラックに弟子入りして以来、縁を断っていた俗界に、こんな形で舞い戻ることになるとは――いや、戻れてはいない。ただ潜り込んだだけだ。いくら儲けようとも、それで守るべき家も家族も、彼にはないのだから。


 次の目的地も決まらぬまま、とりあえず、走竜が引く車の停留広場を目指していた時だった。


(何だ――?)


 広場に、何やら人だかりができている。吟遊詩人が語る英雄譚にかれて――ではないのは、すぐに分かった。


「ああ、神官様、どうぞお見逃し下さいませ」


 情けを請っているはずなのに、全く卑屈に聞こえない、音楽的なまでの響きを備えた声の主を見た瞬間。


(――!)


 エイボンはもう、他の何も目に入らなくなっていた。


 それ程の美女だった。


 すっきりとした鼻梁びりょう、絶妙の曲線美を描く頬。それらをかすみのように取り巻く、黄金の髪。


 簡素な服装だったが、その上からでも分かる、華奢きゃしゃな肩、すらりとした手足、そして豊かな胸。


 個々の部位の美しさだけではない。全てが、幾何学的な調和を成している。例えるなら、それは氷の花。完璧な、ゆえに、僅かに崩れるだけでも台無しになりそうな。


 危うい程の、完璧な美。


(何という――この世のものとは思えん)


 魔術の神秘以外のものに陶然とうぜんとしたのは、生まれて初めてだった。しかし、そんな気分を、下卑た声がぶち壊した。


「そうはいかんなぁ」

「左様、これも聖なる務めゆえ――」


 美女とはあまりに対照的な、醜い男たちが彼女を取り囲んでいる。金糸銀糸で飾り立てた豪華なローブは、醜さを払拭ふっしょくするどころか、食用ナマケモノのような腹をさらに強調している。


 彼らが誇らしげに被っている、鹿の角を模した額冠サークレットに、エイボンは嫌という程見覚えがあった。


(イホウンデーの神官どもか――)


 ヘラジカの女神イホウンデーに仕える聖職者――とは名ばかりの生臭神官どもは、遷都騒ぎで衰えるどころか、それによって生じた人々の不安に付け込んで、ますます勢力を拡大している。


 苦い記憶が、エイボンの眉間にしわを刻む。あたかも傷痕のように。


(父上――)


 エイボンの父ミラーブは、イックァの大公家に仕える文書管理官だった。公子ザクトゥラの教育係でもあり、彼の良き相談役だった。


 そんな父を、勢力拡大の障害とみなした神官たちは、異端の嫌疑をかけ、イックァから追放させたのだ。


 慣れない野の暮らしで体調を崩した父は、幼いエイボンを残して他界。父の友人であったザイラックが迎えに来てくれなければ、エイボンも父の後を追っていただろう。


 神官ども――エイボンにとっては、父の仇と言うべき連中。


 争いを好まない父に、復讐などしてくれるなと言われたこともあり、あえて考えないようにしていたのだが、いざ目の前にしてみると――握り拳に力がもる。


「それは、ただの装身具でございます」

「ふん、随分と悪趣味なことだな」

「よもや、邪教の祭具か何かではあるまいな?」


 神官の手には、黄金製と見える首飾りが握られている。さては、難癖を付けて、美女から取り上げようとしているのか。


「これは、念入りに審問する必要がありそうだ! どうれ、神殿まで来てもらおうか!」


 違った。神官たちの狙いは、美女本人だった。それも、異端審問のためなどではないのは、そのいやらしい笑みを見れば明らかだ。


 周囲の野次馬たちは、同情の表情を浮かべてはいるが、誰も助けに入ろうとはしない。神官たちの不興を買うのを、恐れているのだ。


(仕方ないか――)


 この程度の仕返しなら、父も大目に見てくれるだろう。エイボンは懐から水晶球を取り出し、小声で呪文を唱え始める。


「くっくっく、大人しく――」


 ごてごてと指輪をはめた神官の手が、美女の肩を掴もうとした、その時。


 ばさあっという羽音と共に、周囲を影が覆った。


「む? 何が――ひっ!?」


 思わず見上げた神官たちが、凍りつく。


 羽音と影の主は、翼長十メートルにも達する、巨大な怪鳥だった。羽ばたく度に、毒々しい色彩の羽がき散らされる。剣のような鉤爪は、人間どころか走竜すら餌食にできるだろう。馬を醜悪化したような顔は、憎々しげに眼下を睨みつけている。


 シャンタク鳥。一説には、異世界から時空の壁を越えてやって来るとされる魔鳥――等という薀蓄うんちくは知らなくとも、それが脅威であることは、神官たちにも理解できた。


「うわあああ!」


 悲鳴を上げて逃げ出す。当然、野次馬たちも後に続き、たちまち周囲は混乱の坩堝うつぼと化した。


 ほくそ笑むエイボン。彼らの誰も気付いていない。シャンタク鳥の撒き散らす羽が、一枚も地面に積もっていないことに。


(まあ、のぞき屋よりは、有意義な使い方か)


 そう、あのシャンタク鳥は、水晶球で空中に映し出した幻なのだ。そうとも気付かず、神官どもが慌てふためく様は、痛快だった。


(さて、あの御令嬢は――)


 いた。群衆とは対照的に、妙に落ち着いた様子で、何やら周囲を見回して――何かを拾い上げた。あの首飾りだ。慌てた神官が落としていったのだろう。こんな状況で、随分と冷静なことだ。


 ともあれ、あの様子なら、自主的に逃げてくれるだろう。英雄譚の主人公ではあるまいし、わざわざ名乗り出ることもあるまい。そう思ってきびすを返そうとした、その時。


 美女と目が合った。


 吸い付けられているかのように、ただひたすらエイボンを凝視している。


(まさか、偶然だ――)


 そうではないことは、すぐ明らかになった。美女はゆっくりと、しかし迷いのない歩みで近づいてくる。右往左往する群衆を、実体のない幻のようにくぐり抜けながら。


 気が付くと、すぐ目の前に立っていた。


 間近で見る彼女は、また一段と美しかった。長い睫毛まつげふち取られた青い瞳は、水面のように自分の姿を映している。輝きを放つような白い肌に、目がくらみそうだった。


 何を言えばいいものやら、へどもどしていると、美女の方が先に口を開いた。


「もしや、あなたが助けて下さったのですか?」


 口調こそ質問だが、声は確信に満ちていた。


「いや、その――」


 違うと突っぱねることもできたはずなのだが、なぜかエイボンは頷いてしまった。たちまち、花開くような笑顔になる美女。そして、悪戯いたずらの相談でもするかのように、くすくす笑いながらささやく。


「とりあえず、この場を離れましょう。神官様方にばれる前に」


(何と――妙に落ち着いているとは思ったが)


 気付いていたらしい。あのシャンタク鳥が、幻であることに。


(この女性は一体――)


 いつか、師と交わした会話を思い出す。


『師匠でも、ご存知ないことがあるのですか?』

『そんなもの、いくらでもあるわい。例えば、女よ』

『女性――ですか』

『ああ、女こそ、男にとって、最大の謎よ』


 *


「ありがとうございます、魔道士様。おかげで助かりました。あ、どうぞ、ご遠慮なさらず。お代は持たせて頂きますから」

「――恐れ入ります」


 二人がいるのは、入り組んだ路地の奥にある、茶を供する店だ。ここなら神官たちに見つかる恐れはないという、美女の提案に従ったのだが。


 店主が、甘い香りを放つアボルミス茶を運んでくる。「どうぞ、ごゆっくり」と言う口元がゆるんでいるのを、エイボンは見逃さなかった。彼の目に、自分たちはどう映っていることやら。


(慣れないことをするものではないな)


 なにせ、師匠の館で修行に明け暮れること十数年。その間、女性どころか、師匠以外の人とさえ、ろくに会話したことがない。人付き合いは、好きでも得意でもなかった。


(適当に世間話でもして、さっさと切り上げよう)


 世にも勿体もったい無いことを考えているエイボンであった。彼女と茶が飲めるなら、命を投げ出しても惜しくない男だって多かろうに。


「本当に助かりました。いくら神官様でも、これだけは献上致し兼ねますわ」


 美女は、首飾りを大切そうにでている。それを見て、思わずエイボンは眉をしかめた。


 百足むかでを思わせる鎖に、太ったかえるとも羽のない蝙蝠こうもりともつかない生き物を形象モチーフにした飾りがぶら下がっている。黄金と思っていた材質も、よく見れば、何やらぬらぬらとした光沢を帯びていて――。


(悪趣味というのも、あながち外れてはいないな)


 その時、ふとエイボンの脳裏を過ぎる記憶があった。


(あの形――)


 気のせいだろうか。どこかで見たことが――。


 が、首飾りが収まっているのが、美女の胸の谷間であることに気付いて、慌てて視線をらす。女性にそういうものがあることすら、忘れていたエイボンであった。


「申し遅れました、わたくしはテオと申します」


 ウズルダロウムの住人ではなく、旅の途中で寄ったのだという。


「テオさんお一人ですか?」

「はい」


 美女、テオは事も無げに言うが、女性の一人旅がいかに危険かは 言うまでもない。事実、ついさっきも、あのような目に遭っていたことであるし。それでも、行かなければならない理由があるのだろうか。


 考え込みかけて、テオが何かを期待するような目をしているのに気付き、慌てて自己紹介する。逃亡生活で、すっかり素性を隠す癖が付いてしまったようだ。


「エイボン、魔道士見習いです」


 もっとも――。


「――各地を旅して、修行中の身です」


 師の下から逃げ出したとは、さすがに言えなかったが。


(本当のことを知ったら、この女性は幻滅するのだろうな)


 そう思うと、ますます居心地が悪く――なると思いきや。


「エイボン様は、どんな場所を巡って来られたんですか?」「魔術の修行って、どんなことをなさるんですか?」「魔道士の方々は結婚なさらないって、本当ですか?」


 テオは好奇心のおもむくままに、次々と質問を浴びせてくる。大人しそうな外見に反して、物怖じしない性格のようだ。


 苦笑しながらも、一つ一つ答えている内に、エイボンは気分が晴れてくるのを感じていた。


(そうか、私は――)


 先の見えない逃亡の途。自分で思っている以上に、孤独にさいなまれていたらしい。ひさしぶりに他者と交わした会話、それも、何の打算も要らない、他愛の無いない会話は、朝日のように暖かかった。


 魔道士と言え、所詮しょせんは人間。一人で生きていけるようには、できていないのだ。


「確かに、結婚しない魔道士は多いですが、それは単に、甲斐性かいしょうが無いだけですよ。魔術に入れ込みすぎてね」

「まあ、ウフフ――」


 テオは、少女のように無邪気に微笑んでいる――ように見えるが、その微笑には、どこか気遣っているような雰囲気もあった。無論、エイボンを。


(もしや、私がふさぎ込んでいることを察して――?)


 エイボンに話をさせることで、気晴らしをさせてくれたのだろうか。ありえない話ではない。水晶球の幻を、あっさり見破った彼女なら。


(不思議な女性だ――)


 エイボンには分かった。テオの瞳が、その深奥しんおうに、底知れない神秘をはらんでいることが。


 それを。


(知りたい――)


 そう欲している自分に気付き、少なからず驚くエイボン。ついさっきまで、さっさと帰りたい等と思っていたくせに、一体どういう心境の変化なのか。


(まさか――)


 女性など、修行のさまたげとしか思っていなかった。恋愛など、自分には関わりのないことだと思っていた。いや、この感情がそうなのかは、分からない。しかし、認めざるを得なかった。


 もう少し長く、テオと居たいと願っていることだけは。


 しかし――。


(――何を期待しているのだ、私は)


 自嘲するエイボン。テオが「今日はありがとうございました」と言って席を立ったら、自分に引き止める術はない。そうしたら、自分はまた一人――。


「あの、エイボン様――」

「な、何でしょう?」


 ふいにテオの口調が変り、はっと居住まいを正すエイボン。顔に出ていなかっただろうか。


「先程助けて頂いたばかりで、図々しいことは、重々承知しているのですが――」


 ぴくりとエイボンの指が動く。


「エイボン様の腕前を見込んで、ぜひ、お願いしたいことがございます」

(まさか――)


 エイボンの願いを、何処いずかかの神が聞き届けてくれたのだろうか。続くテオのおずおずとした声は、福音ふくいんのように聞こえた。


「旅の護衛をお願いできないでしょうか」


 ついさっきまでのエイボンなら、あっさり断っていただろう。しかし、今のエイボンにとっては、まさに渡りに水竜だった。


(彼女と一緒にいられる――それも、当分の間)

「やはり、女の一人旅は何かと物騒で――」

「分かりました」


 思わず即答してしまい、慌てるエイボン。いくら何でも、多少は逡巡しゅんじゅんする振りをしないと、不自然だっただろうか。幸いテオは、怪訝けげんそうな顔一つ見せなかったが。


「よろしいのですか? 大したお礼はできませんが――」

(そんなことはない)


 彼女と一緒にいられること。それが何よりの報酬だ――等とは、口が裂けても言えないので。


「構いませんよ。どうせ、当てもない旅の身です」

「ありがとうございます、エイボン様!」


 エイボンの素っ気無い口調にも関らず、テオはもういいと言うまで、何度も頭を下げ続けた。礼なら、こちらこそ言いたいぐらいだというのに。


 ――彼は気付いていない。テオが口の中だけで、呟いていることに。


「――…ァよ、巡り合わせに、感謝いたします」

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