第20話 西の端の魔女/4

    †


「う、わ……」


 急ぎ食堂の窓から外へと出たオルハたちを待ち受けていたのは、一面の「水」だった。

 視界の全てを「水」が埋めている。「水」は一定の方向に揺らぎを持っており、じわりじわりとその嵩を増している。

 ばしゃりばしゃりと足音を立て、導士の少女たちが次々に降り立つ。

 雨は思ったよりも優しく降り注いでいるが、少女たちの全身を濡らすには十分な量だ。水面で跳ね、飛沫を散らすせいで、もやのように視界を塞いでいた。


「これは……!?」


『ふむ……異常事態だね』


「見れば分かりますわ!」


 灼熱蜥蜴サラマンデルが「水」に触れないよう、両肩に避難をさせたレーアンが、暢気な声を出すシルバに忌々しげに返す。

 シルバは足元に溜まりつつある「水」を掬い上げ、まじまじと見つめた。


「どうしたの?」


『主よ。ちょっと、この「水」を舐めてみてくれないか』


「……?」


 オルハは首をかしげたが、シルバの言う通り「水」を掬って、舐めた。


「―――っ、けほっ、けほっ……しょっぱ!」


『やはりな。これはただの「水」ではないようだ』


「ちょっと……っ! 分かっててやらせたの!? ひどい!」


 見れば、オルハ以外にも「水」を掬い舐め、同じように咳き込んでいるものがいる。素直なことだ。


「む、ぐ……た、確かにしょっぱいですわね」


「ぺーっ、ぺっぺっ! うひぃーからい、「水」なのに余計に喉が渇くよー」


「塩水、ってこと……?」


「こんなにたくさんの塩水、いったい、どこから……」


『まぁ……“向こう”から、だろうな』


 「水」は、一定の方向に揺らぎを持っている。揺らぎの始まる先が、その発生場所ということだ。

 少女たちの視線が集まる先、もやの先から何かがやってくる。


「あれは……」


 ザザザザザ、と「水」の巻く音と共に、ひとつの存在が彼女たちの前に現れた。


「フ、フ、フ……」


『女……?』


 妖しく笑いながら現れたそれは、シルバの言う通り女のシルエットをしていた。というか、


「何で、服を着ていないのかしら……」


 ポカン、とした間が一瞬降りた。




「―――ん? 何か間違ったかな」


 女は、全員の視線が自分に向いていることを疑問に思ったようだ。小首を傾げ、逆に全員に視線を返す。


「あの……なんで、服着てないんです、か……?」


 全員を代表する形で、オルハがおずおずと尋ねる。女は自分の姿を一度見下ろして確認すると、自分を見てくるものたちを見返し、


「お前たちは、何故服を着ているのだ?」


 再び、ポカン、とした間が一瞬降りる。




「―――ふむ、やはり何か間違ったか?」


 女は腕を組み、顎に手を当てて目を閉じ、何事かを考えているようだ。しかし、女は再び碧色の目を開き、両腕を軽く広げた。


「まぁいい。この“世界の果て”にはどうでもよいことだ。お前たちもすぐにこの『海』に沈めてくれる」


 ズゾゾゾゾ――、と、女の背後に「水」が渦を巻いて起立する。壁のようにせり上がったそれは、チャプチャプと揺れながらまるで“意思”を持つ生き物のように前後に揺れ動いている。


『「海」だと……? この世界には「海」があるのか?』


「うみ……? シルバ、うみって?」


『うむ……世界を二分するとき、「空」と「大地」に分かれるのだ。「空」は地表よりも上を、「大地」は地表より下を指す。そして、「大地」を囲うように世界の範囲を決めるもの――それが「海」だ』


「世界の範囲を、決めるもの……」


「ほう。よく知っているな。何も知らぬものばかりではないということか」


 女は感心したように笑みを浮かべ、雨に打たれ波立つ髪を大きく振り払い、飛沫を飛ばす。


『それで、お前がその「海」だと?』


「その通り。“世界の果て”はこの『海』の化身である。そして『海』は大地を呑み、この“世界の果て”をひろげるのだ」


「果てを、拡げる……?」


『待て。“”ではないのか?』


「何を言っている? “世界の果て”に呑まれたものは即ち“世界の果て”となり、やがてはになるのであろうが」


 お互いが、疑問を浮かべて沈黙する。オルハにも、薄々分かりつつあった。

 、ということが。


「ちょっと待って、じゃあ、この……海? が、“世界の端”ということなの?」


「知れた事を。そのものが言うたであろう? 世界は空と大地、そしてそれを囲う『海』に分かれていると。この“世界の果て”は『海』そのものであり、大地を呑んで『海』とするものだ」


「え、と……じゃあ、あなたは『世界』を“飲み込もう”としているの?」


「そうだ。先ほどから言うておるであろう。この“世界の果て”こそが『海』であり、全てを呑むものだと」


 ザア、と、「海」が動く。浸み出すようにゆっくりと嵩を増していたそれは、一息に女の背後へと集まりつつあった。渦を巻き、膨れ上がった「海」は、今にも零れ落ちんとばかりにザブザブと揺れた。


「さあ、“話”は終いだ。これからは“流れ”といこうか」


 女は両腕を緩やかに広げ、全てを抱き込むようにして胸を開く。そして、


「さぁ往け――“世界の果て”よ」


 飛沫を上げてなだれる怒涛が、まずは女を頭から呑み落とした。

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「王」から学ぶ魔界術 黎夜 @dagger_parallel

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