第19話 西の端の魔女/3
†
魔王とその一行の旅は、初日より暗礁に乗り上げる形となった。
“
『実に興味深い世界だ』
結局、学び舎に戻ることとなった一行は、食堂にて休息を取っていた。折り悪く雨も降り始め、今日はこのまま夜を明かすという運びだ。
旅立ちのために一度は纏めた食料などの荷物を広げ、皆はそれぞれに食事などを摂っている。学徒たちには各々の自室があるが、そこで休むことは禁じてあった。何故かと言えば、
「駄目ですわ。どこを探しても、ドーリヤン先生の姿が見当たりません」
そう。森に残ったはずのドーリヤンの姿が忽然と消えていたのだ。
「私たちの後を追ってきてたってことはないの?」
「それならどこかで追いつくと思うけど」
「でもさ、森の外はあんな感じだったわけでしょ?」
「我々を見失って、今も平原を彷徨っていると?」
レーアンたちの問答を、魔王は静かに聞いていた。
「シルバが言ってた、“森の管理者”がやってきた可能性は?」
「それなら、その者たちが此処にいてもおかしくありませんけど、それらしい者も見当たりませんの」
「学長先生だけ連れて、帰っちゃったとか?」
「だとしても、我々と鉢合わせになっていないのはおかしいですわ」
『……確かにな』
レーアンの指摘に、シルバは肯く。
『何れにせよ、この地はもはや安全とは言い切れん。いつ何処から何者が襲い出てくるか判らぬ。この雨ではすぐに動くこともできない。警戒を怠るな』
「分かりました。我々は引き続き、周辺の警戒を続けますわ」
「無理しないでね、レーアン」
頷き、レーアンはフィルマとシービィを伴って食堂を後にする。
オルハは改めてシルバと向き合う形に座り、視線を手元へと落とす。そこには一冊の本が置かれ、今は最初のほうのページが開かれていた。
『主よ、いくつか訊いておきたいことがあるのだが』
「ん、なに?」
本から視線を上げたオルハに、そのままでいい、と手で指示をし、シルバもまた視線を窓の外へと飛ばす。そこには無残に焼け落ちたかつての森の姿がある。
『君はこの「世界」について、何を知っている?』
「んー……」
本のページを捲り、オルハは静かに答える。
「……正直、よく分かんない、かな。ボク、この学び舎が、ボクの世界の全てだと思ってた。でも……それは違ったんだよね?」
『そうだ。
「空の向こう……?」
『君は、何があると思う?』
「んー……空の向こうって言われても、空は空でしょ? 向こうなんてないんじゃないの?」
『彼の少女もそう答えた。「ない」と。――それは「分からない」であり、「知らない」だ』
「……どういうこと?」
ぱらり、ページが捲られる。
『さぁな。私はこの世界について何も知らないに等しい。だから、君たちに分からないことを、私に分かるはずがない。そこで、先の質問に戻る』
「ボクが、この世界について何を知っているか?」
『そうだ』
シルバは、これまでのことを思い返す。これまでとは、この世界に呼び出されてから、今までのことだ。
『君は私をこの世界に呼び出し、〈
君は魔導士となり、私は君との〈契約〉に従い、君の「世界」を滅した』
「でも、世界はそこで終わりじゃなかった……」
『私が、君の手袋を再構成したときのことを覚えているかね?』
「え……うん、覚えてるよ」
召喚に際し、オルハの手袋は黒く焼け焦げ、使い物にならなくなった。それを、シルバが再構成し、〈焦熱〉の魔石を抽出したのだ。
『あのとき、私は手袋を一度〈魔素〉に戻し、再び手袋として構成し直した。私にとっては造作もないことだったが、君はなんと言ったか』
「そんなの、無理だよ……普通、物を〈魔素〉に戻すなんてできないもの」
『何故だ?』
「何故って……」
オルハは己の手を覆う手袋を見る。新品のようにピカピカなそれは、自分の手にぴたりと嵌まるサイズで、とても使い心地がいい。
「……〈魔素〉で出来てるわけじゃない、から?」
『おやおや、私はそれを〈魔素〉で編み直したのだがね』
首を傾げながらの回答に、魔王は否を返す。
「だよね……うーん、でも物体を〈魔素〉に戻す……っていうか、換えるなんて、普通は不可能だよ」
『これは異な事を。ならば
「いや、あれは……あれは〈魔素〉だよ、ね? だから、こう、〈魔力〉で制御ができてる、というか……」
『そうだ。であるならば、その〈魔素〉製の手袋であっても、同じことが言えるはずであろ?』
「……確かに」
オルハは、もう一度己の手に嵌まる手袋を見つめる。
「うーん……でもさ、シルバ」
『なんだ? 主よ』
「この世界のものが全部〈魔素〉でできてるとしてさ、どうして“森”を燃やしたの?」
『……というと?』
「や、だって〈魔素〉に換えられるなら、〈魔素〉に換えちゃうだけでよかったんじゃないの? 〈焦熱〉の魔石を使って、全部焼いちゃう必要なかったよね?」
『ふむ……』
「それに、クロが〈魔素〉を食べた後も、“森”はまだ残ってるよね?」
黒く焼け焦げた木々の残骸が、窓の外には広がっている。確かに、異様な光景ではある。
『……さて、どういうことになるか。〈焦熱〉によって焼き払うという行為は、主の願いであった「世界の破壊」を、事象として解りやすくするために用いた方法ではあった。丁度良い具合に魔石も温まっていたのでな。解き放つにはいい頃合いだったのだ。
その後、
……まさか、
すると、オルハの背筋をズゾゾゾゾ、と駆け登り、小さな影が飛び出した。
「うぁ!?」
『やいやいやい! このオレ様が食わず嫌いなんかするわきゃねェーだろ! あそこにあった食える〈魔素〉はゼーンブ食ったっつーの! きゃほお!?』
最後の言葉は、オルハに肩から叩き落とされたことによる悲鳴である。
「いきなり変なトコから出てこないでよ! あーびっくりした……」
『なるほどな。つまり、あそこには喰えない〈魔素〉があった、そういうことか』
「クロにも食べられないものってあるんだ?」
『アォン!? 確かにオレ様は雑食だけどな、自分の〈魔素〉にできねぇモンってのはあンだよ!』
「それって、例えば?」
『ぇえ? ぁー、そうだな……固定化された〈魔素〉? とでも言えばいいんかな』
「固定化された?」
『おぉよ。その手袋だとか、あの森だとかのことだよ!』
忌々しげに毒づくその口調は、何度もそれを試みたといった風情だ。
しかし出来なかった。理由は分からない。
「〈魔素〉の固定化って……つまり、どういうこと?」
『ふむ。まぁ、何者かが「その形であれ」と〈魔力〉を注いで形作っていた、ということであろ。
そうであったならば、世界の全てを喰らい尽くしてしまうからな』
「そう、だよね。じゃあ、あの“森”も、誰かが作ってた……?」
『それこそが“森の管理者”とされるものだ。己が注いだ〈魔力〉だ、変化があればすぐに伝わる。だからこそ、私は「すぐにも現れるだろう」と言ったのだが……』
幸か不幸か、その者は現れなかった。
代わりに消えた者はいたが。
『ふむ……ドーリヤンか。彼の者は何処へ行ってしまったのだろうね』
魔王は知っている。彼の〈魂〉が、もう輝きを失っていることを。
それでも彼は、それを少女に教えることはない。
『何れ、分かるさ……』
遠くを見、ひとり語散る魔王を、少女は不思議そうに見上げる。と、
「大変ですわ!」
バァン! と食堂の扉を叩き開けて、警戒に出ていたレーアンたちが戻ってきた。外にまで出ていたのか、全身ずぶ濡れで、ぽたぽたと水滴を垂らしているが、そんなことには構っていられないとシルバたちの下へ息を切らせて駆け寄ってくる。
『何事だ』
「―――水が! 水が迫ってますの!」
『水?』
「雨のこと? 迫ってるって……」
「違うよ、水! 遠くから、ざばーって!」
フィルマが補足をしてくれるが、それでもよく分からない。オルハが眉尻を下げた顔でシルバを見るが、シルバのほうもよく分かっていない様子だ。
「……っ! きた!」
シービィが叫ぶ先、食堂の入り口から、彼女たちの言う通りに“水”がやってきた。
それは音もなく、皆の足元へと静かに流れ込んできた。
「うわっ! え、なにこれ!?」
ぱちゃん、と水を踏み、オルハがもう一度うわ、と声を上げる。
『ふむ……確かに水だな』
「納得してないで、対応は!?」
そうこうしている間にも、水はその嵩をゆっくりと、だが確実に増している。靴裏を舐める程度だった水は、もはや爪先を濡らしはじめていた。
暖炉の火が消え、室内が暗くなった。
「ど、どうするの、シルバ!」
『とにかく、狭い空間に閉じこもっていては危険だろう。皆、急ぎ脱出しろ。流れに逆らおうとするな、窓から出るんだ』
「みんな、急ぎますのよ!」
レーアンの一声により、一斉が行動を開始する。
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