第18話 西の端の魔女/2

    †


 目的地の分からぬ旅、というのは中々に心折られるものだと、レーアンはぼんやりと思った。

 正直に言って、あんなちっぽけな森の中が世界の全てだと思い込んでいた自分が情けなく、愚かしく、馬鹿馬鹿しく思えており、それがかつての己なのだという事実が、今のこの状況を歓迎しているように思えた。


 森の外、というものについて、考えたことがないわけではなかった。

 しかしながら、森は「抜け出られぬもの」であったし、「踏み入ってはいけない場所」という認識があった。それがそもそもの間違いであったのだが、かつてはそれが、己の抱く真実であったのだ。


「……真実というのは、嘘だと分かると途端に安っぽくなってしまいますのね」


 今、目の前に広がる草原地帯も、真の姿を見せていないという。

 それは魔術的なことなのか、はたまた別のものによることなのか、そんなことさえも今のレーアンには分からない。

 ただ、そんなレーアンにも分かることがある。それは、


「……雨ですわね」


 空が呻いていた。黒々とした雲が頭上を覆うように広がり、落ちかけの微かな陽の光さえ遮って、辺りを早々と夜闇に変えていく。


「オルハ、急いだほうがよくありませんの?」


 集団を先導するのは、魔王を従える少女だ。何処へ向かうのか、それを決めるのは彼女の役目である。

 しかし、振り返る少女の顔は、頭上の空のように晴れない。


「や、そうなんだけど……人影どころか道すらないんだよ」


「なんですって……!」


 立ち止まる魔王と少女に追いつき、共に眼前へと視線を向ける。が、確かに少女の言う通り、


「……何もありませんわね」


 見渡す限り草原が続いている。雨の予兆なのか、背の方向から強い風が吹いてきて、少女たちは帽子を飛ばされないように押さえた。


「このままでは雨に晒されてしまいます。どこか風雨を凌げそうなところに退避したほうがよろしいんじゃありませんの?」


「うーん、そう言われても……」


 何もないのだ。木陰も、岩場も、何一つ見当たらない。

 緩やかな勾配で下りとなったその遥か先に、が見えているが、一向に近づけてはいない。


「シルバ。“世界”って、こんなに何もないものなの?」


 少女の問いかけに、魔王はふむ、と肯き、


。“黒き森ゲルムント”から見た眺めでは、草原を緩やかに下った後、森のようなものに行き着くはずであったが、何故かまた登り、今はまた下っているようだ』


「うーん、そうだったかな……言われてみればそうだったような」


 魔王は、後ろを振り返る。彼らの後を付いて来ているのは、レーアンをはじめとした魔導士たち、三十名ほど。そしてその向こうには、彼らが通ってきた跡がずーっと続いている―――はずであったが。


『おや、あれは“黒き森ゲルムント”』


「えっ!?」


 少女たちが背後を振り返ると、そこには姿


「ど、どういうことですの……!? だって、あんなに歩きましたのに!」


 彼女らの見る先、そこには確かに、彼女らが踏み越えてきた“黒き森ゲルムント”が、焼き払われた姿のままで存在していた。



    †


 世界には果てがある。つまり、限りがある、ということだ。

 無論、それは“大地に限った話”であって、大地を囲う「海」には、果てというものは存在しない。

 つまり、限りなどない、ということだ。


 『魔女』は、その力に限りを受けない。何故ならば、それが「海」というものだからである。

 海の力に限りはなく、限りがないので止め処ない。

 『魔女』は今、その大いなる「海」に乗って、大地を飲み込まんとしていた。


「いまいっときの侵しとなろうが、“世界の果て”にはそれで充分よ」


 果てに飲まれたものは、果てとなるのだから。


「さあ、侵攻を始めようぞ」


 それは、至って静かに始まった。

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