第98話
「リザル。戦えますか?」
ハガルとの四回目の試合開始前。
甲冑にも関わらず勇壮とは程遠いその姿を視界の端に収めて、オルレイウスはそう尋ねた。
語りかけられたリザルはうんともすんとも言わない。ただ、引け腰のままだった。
そんなリザルのすぐ左手側――オルの逆側に立ったルクレシアが、突き出されるほどに引けた腰に、ばん、と後ろから平手を加えた。
「リズ! しっかりしろ!」
「る、ルーシー。僕は大丈夫だって、ぃ……」
リザルは意気地を見せるようにハガルへと向かい合う。
だが、ハガルを改めて視界に収めたリザルの語尾は消え入ってしまった。
「おいおい! てめえらぁ、まじでやる気あンのかよッ!」
そんな口調とは裏腹に、ハガルはまだ二十歩は離れたところから、オルたちの様子を眺めながら彼らの準備が整うのを待っている。
街道の北側、赤土の荒野が夕暮れにいっそう赤く染まっている。
地平線を暗く染めるのは、西に迫りつつある夜空と北に間近に見える雑木林の陰。
あとは、一面、真っ平らの見晴らしのいい荒野だった。
「てめえ、なんだその腰ゃあッ?! うちの隣のババァでも、まだしゃんとしてらァ!!」
そんなハガルの言葉に、リザルの肩が大きく揺れた。
ハガルもまた自分が、リザルに大いに怖れられているという事実を理解している。
オルたちに戦闘訓練を課している彼としては、リザルが恐怖に耐えて仲間と協力できるかどうかは重要課題のひとつなのだ。
野次程度で竦んでしまっているようでは、お話しにもならない。
オルもそれを理解しているから、無暗に言い返したりはしない。
ただし、ひとりだけハガルに我慢のならない者がいる。
ずん、と半歩踏み出したルクレシアが夕陽の斜光を真正面に、怒気に染まった顔をハガルへと向けた。
「おまえッ、黙ってろッ! くそチビがッ!」
それはいつもの彼女の単純な侮蔑。
ハガルの顔色は逆光のために窺えなかったが、彼が醸す雰囲気が「チビ」の一言で大きく変化したことがオルにもわかった。
思えば、ルクレシアが《ダンの酒場》で蹴られたのも、その単語が原因だったはずだと、オルは思い返す。
「ルクレシア。それ以上はよしたほうが……」
「オル」
ハガルが思いのほか静かな声で、オルの言葉を遮った。
「言わせてみようじゃねえか。……なあ、
彼の声音の変化に、ルクレシアも一瞬怯んだが、彼女の蛮勇は止まる見込みがない。
「ハァ? ガキみてえに小せえくせして、耳は老いぼれてるときたもんだッ! どうやっても、つかえねえ野郎だッ!!」
ハガルは大仰にため息をついて見せる。
そして、極めて静かな声のまま語り出した。
「おい。ガキんちょ。ぺーぺーのてめえらが、なにを
「器がデケぇだと? どういう洒落だッ! なりに似合った器だろッ?! どうせ、おまえの×××も、小せえんだッ!!」
ハガルが「ふぅーー」と長い息を吐き出した。
オルはリザルの体が震え始めたことに気づく。
その兜の奥からは「僕はやる、僕はやる」と、まるで
「いいか、もう一遍だけ、忠告してやる。俺ぁ、器に比べて、気は短ぇほうだ」
「短いのは、脚だろうがよォッ! 股下だけじゃねえ、足も小せぇときてるから、笑えるぜッ! 靴のサイズはいくつだ? ガキ用なんだろ?」
「……おい。そっちの腰抜けぇ、しっかり立たせろ。……始めるぞ」
ハガルが腰を落として、その腰の両側に丸めて下げられている縄の一本に手を添える。
オルはまずいと考えた。
この距離も、どうやらハガルの射程の内側らしい、と。
鈍足のリザルのことを考えれば、これ以上の挑発は逆効果だった。
だが、やはりルクレシアは止まらないのだ。
「うるせえなッ、豆粒キン○マ野郎めッ! リズはドチビのおまえに、目線を合わせて腰屈めてやって……」
彼女がそう言い終える前に、ハガルは大きく振りかぶっていた。
縄というよりは、その突端に結わえられた
いつもは、鎖分銅のように縄を回したり手繰ったりして投げるのに、今回は野球の投手さながらのフォームで錘を全力投擲している、とオルは見て取った。
その速度は、オルが予期し得る速度を大幅に超えていて、ルクレシアにとっては彼以上に不意を衝かれた形になっただろう。
刹那、オルが考えたことは、なぜ、
一瞬ののちに、清々しい金属音が響き渡る。
「お」
ハガルがちょっと意外そうな声を零した。
オルもまた同様の感慨と共に、隣の光景を眺めていた。
ハガルとルクレシアを一直線に結ぶ、射線上。
そこに急にリザルが躍り出ていた。リザルの兜に弾かれた錘が、宙を舞う。
「よっしゃッ!!」
大げさにのけ反って倒れるリザルをひとっ跳びに跳び越えるルクレシア。
まるで、ゴングを鳴らされたボクサー。錘と兜が奏でた音が、戦闘開始の鐘の音だとでも言わんばかりの突進。
そんなことを考えながら、オルの体もまた反射的にルクレシアと並ぶように駆け出した。
他方、ハガルは緩んで宙を漂う縄を、もの凄い勢いで振り回す。
手首や腕どころか体ごと振り回して、手繰り、手繰っては、力を縄とその先端の錘に与えていく。
オルは駆けながら考えていた。
ハガルとて、手許から遠く射出された縄を操るために隙が生じる。
そう考えたのも束の間。
縄がまるで意思を持った生き物のように躍り出す。
オルが視線を転じれば、中空を漂っていたはずの錘がハガルの意志に応じてルクレシアの後頭部を襲うところだった。
「ルクレシア!」
オルが警戒を呼びかける間に鳴る衝撃音。
しかし、奏でられたのは、また先刻と同じような金属音だった。
オルは目を疑った。
今度も、兜の向きを直しながら立ち上がったリザルの頭部に、ハガルの錘がぶつかっていた。
しかも今度は、びくりとひとつ体を揺すっただけだ。
「……おいおい」
ハガルの口元が少しゆがみ、彼の空いているほうの手が腰にぶら下がっているもう一本の縄の塊へと伸びる。
ほぼ同時に、ルクレシアが駆けながら一本目の槍を投擲する体勢に入っていた。
「おらァッ!!」
彼女の荒々しい気合いと伴に、至近距離からの投槍がハガルの頭部へと奔る。
ハガルの体が低く沈む。腰の縄へと伸ばされた彼の手が、一瞬、頭のカツラを抑えるために塞がった。
しかしながら、次の瞬間には大股に開いた姿勢で彼はカツラから腰へとふたたび手を滑らせ、錘の付いた縄をルクレシアに向かって投げ飛ばす。
それを、今度はオルの長剣が弾いた。
錘と長剣の重さによろめいた彼が、体勢を立て直して瞳に捉えたものは、大上段から二本目の槍でハガルに打ちかかるルクレシアの姿だった。
ハガルは手繰った縄を、両手で頭の上にぴんと張って槍を受け止める。
うにっ、と一瞬だけ縄が大きくたわみ、ハガルとルクレシアの間で拮抗した。
「――ド、チ、ビぃ~~」
非常に心地よさそうに、大きく笑みゆがめられたルクレシアの唇から会心の侮蔑が零れる。
ただでさえ彼女よりも背の低いハガルは、さらに足を開いて姿勢を低くしていたために、今や真上からのしかかられるような格好だ。
だが、上から降りかかる侮蔑を受けてなお、ハガルの顔にはまだ余裕があるようだった。
一対一の近接戦で、ルクレシアが彼に及ばないことは既に証明されている。
オルがハガルへの追撃に向かったとき、ハガルの姿勢がさらに低く沈み込む。
「――ぁん?」
ルクレシアの体重が思い切りかかっていた槍は、ハガルが傾斜をつけた縄の上をオルが挑みかかって来た方向へと滑る。
槍もろともルクレシアの体がオルの進路上へと躍り出た。
「あ」
オルは悔やんだ。
リシルに《祈り》を捧げてもらっておけば良かった、と。
おそらく、リシルは今、後方で棒立ち状態だ。
彼の肉体は未だ虚弱なままで、上段から打ち込みにより勢いがついた長剣の重さに引きずられる。
加えて、体勢を立て直そうとルクレシアが横に振り回した短槍の石突がオルの腹部に潜り込んだ。
「げふっ」
「おまっ、なん……がッ!」
体勢が崩れたオルの手から半分投げ出されたような長剣の腹が、ルクレシアの頭頂部とごんっ、という鈍い音を立てた。
彼としては刃を立てないようにするのが精いっぱい。
次の瞬間、オルの足が地面を見失う。彼の視界がぐるりと回る。
受け身をとったオルが立ち上がろうとすると、首が勢いよく絞めつけられる。
「ぁんだよッ! くそッ!!」
ルクレシアの悪態。
彼女の動く音に合わせて、オルの首に指のようなものが食い込む。
「――オルッ! 縄外せッ!!」
その声で、オルは転ばされると同時に、首に縄をかけられたのだと悟った。
そして、首にかかる縄の動きとルクレシアの言葉によって、それがどうやら彼女の槍と連動しているようだ、とも察した。
縄が今度はほぼ真横へと引かれ、隣の地面に人体が打ちつけられる音がして、砂埃が舞う。
「げはッ!」
「誰の足が小せェか、間近で見ゃぁがれッ!!」
地面からルクレシアの悶絶の声と、頭上からハガルの怒鳴り声。
オルが《呪文》を唱えるために気道を確保しようと首を回すと、彼の顔を砂が迎え撃つ。ハガルが蹴り飛ばしたらしい。
首にかかる縄が緩んだかと思えば、それが今度は移動して両腕ごと体を絞めつける。
縄に引きずられたかと思えば、彼の背中がなにか柔らかいものと接触した。
「くそ野郎がッ!! ××××の×××野郎ッ!!」
間近から聞こえたその罵声で、オルは背中にぶつかったものがルクレシアだということを知った。
さらに、彼女の大声のためにオルはハガルの位置を把握できなくなった。
じゃりじゃりする目蓋。霞む視界にオルが見たものは。
呆然と立ち尽くしているリザルとリシルの姿だった。
「オルッ! ド下手くそ野郎ッ!! 童貞ッ!!」
ルクレシアの悪態が、オルの鼓膜にキンと刺さった。
〓〓〓
荒野が夜の闇に沈み込む。
灯りは夜空をゆっくりと動く星と半月、そして、オルレイウスとリシルからいくらか離れたところで焚かれている
転がされて放置される者に初めてリシルが加わり、他方、ルクレシアとリザルは免除になっていた。
オルはぐったりとしたまま黙然と目を閉じる。
いつものように、体の気怠さに頭の巡りまで大きく鈍化していた。
リシルが時折、オルに話題を振ったが思考のまとまらない彼は気のない返事を放るばかりだった。
オルには、どこか嬉しそうなリシルの振る話題よりも優先して考えるべきことがあった。
今回の訓練は期せずして非常に上手く行った。
ルクレシアの過度の挑発による戦闘開始も、リザルが初撃と二撃目を防いだことで功を奏した形となった。
挑発からの奇襲という、事前の打ち合わせに無い作戦が成立した。
それにより、多数で同時に接近戦を挑むという快挙が達成され、その先には確実に勝算が転がっていた。
彼らにとっての最大級の収獲は、
だが、結局は失敗した。
その原因を、オルは自分にあると認識していた。
彼は回らない頭で改めて自身を省みていた。
一党にとって最大級の収穫はハガルを降せる見通しが立ったことだったが、オル個人にとっての最大級の収穫は別にあった。
鈍い思考力による長い内省の果てに、彼はつまるところ、ルクレシアの言葉が正しかったのだと考えるに到る。
彼女の「下手くそ」という言葉。
「……オルレイウス、怒っていますの?」
「え?」
考えに耽っていたオルの思考を呼び戻すリシルの言葉。
彼には彼女がなにを言っているのか、少しの間わからなかった。
「わたくしが役に立たなかったことですわ?」
「えぇ?」
リシルはリシルで反省しているようだった。
それも当然といえば当然のことだ。なにせ、彼女は終始後方から三人の挑戦を眺めていただけなのだ。
「わたくしが、指示を待たずに《祈り》を捧げていれば、勝てたかも……」
「それは、敗因ではありません」
「え?」
今度はリシルが疑問の声を上げた。
オルには、なにもできなかったにも関わらず彼女を責めるつもりがない。
無暗に挑発を繰り返したルクレシアにも、最後にはハガルに背を向けたリザルにも、責任は無いと彼は考えていた。
オルは夜空を見ながら、口を開く。
「今回、リザルはなんとなく
「ええ、それに比べてわたくしはなにも」
「違います。僕が言いたいことは、ふたりが協力していたということです」
「それは、よく理解しているつもりですけれど……?」
オルはまた少し考え込む。
リザルがルクレシアに向かう攻撃を防ぎ、彼女はそれを信じて駆けていた。
それぞれに補い合いながら、彼らはハガルとの間合いを殺したのだと、オルは分析する。
それこそが、《冒険者》に求められるべき連携なのだ、と。
「オルレイウス?」
「僕は《祈り》について、深い知識がありません。それでも、リシルが有能であるということぐらいは、わかります」
通常、《祈り》は必ずしも成功するものではない。
だが、リシルはルクレシア以外の対象者に確実に《祈り》を成功させている。
神々に深く愛されている証拠であり、加えてそれは仲間の力によって脅威から守られ、《祈り》が全うできると考えている証拠でもある。
「リシルは自分を疑うべきではない。むしろ、神々に対して信頼を寄せるように、今まで通りに僕らのことを信じて欲しい」
「そうでしょうか?」
「そうです」
リシルは「信じる」と小さく呟いた。
一方、オルの頭を支配し始めたのはリザルとルクレシアのことだった。
ルクレシアが過剰にリザルを庇い、あるいは無謀とも思える突進を繰り返すのは、リザルが自信を喪失していることを理解しているからなのだろう。
それらの行動は、彼女の性格もあるだろうが、本質的にはリザルを守り導くための行動なのかもしれない。
では、リザルはどうなのだろうか。
オルは旅に出て以来、リザル・クローラルという人物を捉え損なっているように感じていた。
意志がなさそうに見えて、張る必要もないような意地や理屈を張って見せたり。
戦闘が苦手そうなのに、ハガルの錘を受けてもけろりとしていたり。
臆病で我慢ができなそうでいて、ルクレシアに言わせれば《
つまり、努力ができないわけではなさそうだし、会話ができないわけでもない。
戦闘能力や耐久力が乏しいわけでもなく、矜持がまったくないというわけでもない。
だが、そもそもなにをしたいのかがわからない。
やりたいことがわからないと言いながら、オルの言葉には頷く。
頷きながら、結果がまるで付いて来ない。
そして、結果が出ないことを受け入れているようにも見える。
オルには、そんなリザルをどのように一党に受容すればいいのか、わからないのだ。
オルは自分が、リザルからあまり信頼されていないのではないかと考える。
信頼されていないから、現在の気持ちや希望を打ち明けてもらえないのではないか、と。
当然のことではある。
彼らはまだ出会ってから日が浅い。
さらに、リザルは過去に仲間に裏切られているらしいのだ。
リザルが、オルのように盲目的に誰かを信じることができると考えていたオルが馬鹿なのだ。
オルは考えを一歩進めて、リザルからの信頼を勝ち得なければならないと考える。
リザルからそれを得るには、いくら《技能》のキレを見せても甲斐はないだろう。
では、自分は言葉以外にどのようにして、リザルに信頼を示すべきなのだろうかと、彼は自問する。
「オルレイウス? なにを考えているのですか?」
黙っていたオルに、リシルがそう問いかけた。
オルは頭の巡りに合わせて、ゆっくりと口を開く。
「うーん……僕ら全員が、工夫しなければならない、ということでしょうか?」
「? 理解はできますが、どのように?」
「つまり、僕もリシルも、歩み寄らねばならないということです」
オルはリシルにそう言うと、「歩み寄る」と噛みしめるように呟く彼女を置いてまた冴えない頭で思考に没頭しだした。
リシルへかけた言葉は、なにより彼自身へも向けられた言葉である。
そう、オルは自身の欠点を見つけたつもりでいるのだ。
彼が自身の欠点として認識し始めた事実は、彼の来し方を考慮すれば当然の帰結であり、いささかも短所などではない。
《
彼の白兵戦の師は、およそ人族最高峰の《戦士》の母と、数百年戦場を駆けた百戦錬磨の《
戦闘行為におよぶときは、ほとんど全裸であり、かつて彼とまともに肩を並べて戦った者は、人族よりも戦闘に優れた種族である《人馬》たちのみ。
両親と彼以外のすべての者どもは、オルにとっては庇護対象に等しく、同じ戦場に立っていたとしても、全裸のオルには足手まといにほかならない。
だが、オルは反省していた。
それでもオルは、気づいたのだ、と考えている。
自分が自力を恃むあまりに、他者の力を頼ることが出来ていないのではないか、と。
信頼し、歩み寄るということ。
そんな下らないことに、彼の心は割かれている。
「……おい、おいッ!」
緩やかな星の動きを追っていたオルの視界に、影が落ちた。
「生きてるだろ?」
そこには、二本の短槍を片手にまとめて携えたルクレシアがいた。
思考を強制的に断たれたオルは星影の中に呆れ顔を浮かべる彼女を見上げた。
「どうしたんです?」
「リズと一緒に、おまえらの縄を解きに来た。ドチビがいいってよ」
そう言うとルクレシアは片膝を突いて、乱暴に仰向けのオルを、横倒しの状態にする。
ローブの上に縄まで着いて、さらに虚弱化しているオルはなされるがままだ。
オルが耳を傾けると、少し離れたところでリザルとリシルが会話をしているような声が聞こえた。
大人しいオルの様子に、ルクレシアが彼の顔を覗き込む。
「元気がねえな。……おまえ、落ち込んでんのか? 下手くそだからって?」
「無神経ですよね、ルクレシアは」
「ハァッ? 今さらだろ? だいいち、なにへらへらしてやがる?」
「へらへらなんてしてないですよ?」
自分もまた足手まといなのだと、オルは考えている。
確かに、オルには圧倒的に、小さき者どもと少数で
だから彼には、ルクレシアやリザルが次にどのような行動に出るか、自分に局所的になにを期待しているのかがわからない。
なにが齟齬を来しているのか、見当さえもつかないのだ。
当然、当然のことだ。
なぜならば、全裸の彼に協力などという惰弱な思考は必要ない。
ひとりで千の敵を相手に勝利を収めることすら叶うというのに、なぜそれを求めることがあるだろう。
だというにも関わらず、オルは独力で解決の出来ない問題の出現と、仲間と共に挑まねばならないという状況を、どこか喜んでもいた。
「僕は怠惰でした」
「知らねッ。そんなことより、解けねえぞ、おい!」
ルクレシアはオルの言葉よりも、縄の結び目に集中していた。
「ルクレシア、僕はもっと、あなたたちのことを知るべきなのです」
「あぁ、そうかいそうかい。……くそっ」
縄と苦闘を繰り広げるルクレシアに引きずられながら、オルはどうすればいいのか、考えを巡らせる。
現在の彼の力では、ハガルのような自分よりも敏捷性に優れた相手や、堅い敵には致命傷を与えることができない。
そうすると、どうしても仲間の力が必要になる。
「一度、それぞれに手合わせをしてみるのはどうでしょう?」
「なんでだよッ! なんで解けねえんだよッ! ――あ?」
そのとき、ぐいぐい縄を引っ張っていたルクレシアの手が止まる。
オルもまた、彼女がどうして止まったのか理解した。
「――そんなっ! だって、あなたは……」
「リズ?」
ルクレシアが声の主の名を呼ばう。
いつになく動揺したような声のリザルは彼女には応えずに、リシルに向かって意味を紡がない言葉を漏らす。
「《アルヴァナ大神殿》から……準位最高司祭様に? え? 志願?」
「ええ、友人のオルレイウスに助力を、と思いまして」
リシルの回答に、リザルの喉から上ずった呟きがこぼれる。
「命令ではない? 自分の意志で? ……冗談でしょう?」
「? なぜ、冗談だと思われるのでしょうか?」
「それじゃあ、あなたは
「? そうですわ?」
「……なんで……なんのために……?」
「? 友を、困っている人を助けたいからですわ」
当然のごとくそう言ったリシルから、一歩、二歩と後ずさるリザルの足音。
「おい、リ……」
「だって、あのひと、言ってたのに。……あれ? おかしい……」
そうして、がしゃり、と音がして、リザルは押し黙った。
どうやらリザルが膝を折った音のようだった。
姿を見ることができないオルにも、リザルが衝撃を受けていることだけはわかった。
ルクレシアもまた、会話の内容を理解できずにいるらしく、問いたげな視線を送っている。
「おい、どうしたんだよ?」
「…………わから、ないよ」
リザルはぽつりとそう言った。
ルクレシアの剣呑な視線がリシルへと向かう。
「クローラルさん? どうされたというのです?」
「…………」
おそらく、リシルの問いかけにリザルが答えないのは、旅が始まって以来初めてのことだった。
しばしの沈黙。
ルクレシアの瞳が途方に暮れたように、とっぷり暮れた荒野をさまよう。
「……なんだ? ドチビとのっぽが出て来やがった?」
暫くしてルクレシアが漏らしたそんな言葉に、少し鎧がきしる音がした。
「おい! てめえら、こっち来い!」
離れたところからハガルの声が野天に響く。
同時に、オルは予感する。
ここ数日、ハガルたちが警戒していたことだ。
「来やがるぜ!」
「なにが来るってんだァッ?!」
ルクレシアの問いに返って来たハガルの返事は、オルの予想した通りものだった。
「《
「うそつけッ!」
そう吠えつつも、ルクレシアは立ち上がると「リズッ!」と呼ばう。
「…………」
「クローラルさん?」
「おい、リズ! なにを呆けて――」
『ぎゃあっ、ぎゃあっ』
同時に、人族のものではない雄叫びが北に闇と共にわだかまる雑木林の梢を揺らした。
「そいつらぁ、こっち引きずって来い!!」
ハガルの指示は明快だった。
つまり、動けないオルとリシルを、ルクレシアとリザルのふたりで天幕に向かって連れて来いということだ。
彼は天幕に近い場所で、《魔獣》の群れを迎え撃つつもりなのだ。
「無理だ」
呟いたのは、ルクレシアだった。
横倒しにされたままのオルには仔細がわからない。
ただ、自分とリシルは動けず、リザルがなぜか動こうとしないということは理解できた。
まともに動けるのは、ルクレシアだけ。
加えて、今日の天幕の設営位置は彼が転がされているところからは、小さく見える程度に離れていたはず。
だが、冷静に考えれば、ハガルとルドニスの脚は速く、彼らは中距離・長距離の攻撃手段に熟達している。
彼らに状況を報せて、少し待てば救援が来る。計画を少し変更するだけだ。
オルはそう考えた。
しかしながら、ルクレシアの考えは違ったようだ。
「オレが突っ込む」
オルは下から彼女の切迫した顔を見上げた。
「あぁ――ヤってやるぜッ!!」
弾けるようなルクレシアの声。
そう言うや否や、止める間もなく彼女はオルの体を跳び越えた。
「はぁ??」
素っ頓狂な声を出したのはオルだけではなかった。
「てめっ――ハァァアッ?!」
ハガルの声は驚きを通り越して呆れ、さらには呆れを通過して、激怒に包まれていた。
だが、ルクレシアはオルの眼前を颯爽と雑木林へ向かって駆けて行くのだ。
「待つんだ! ルクレシア! せめて僕らの縄を!」
「お待ちなさい!」
口々に呼び止める声を背中に受けながら、ルクレシアは躊躇しない。
二本の槍を一本ずつ両手に携えて、夜風を切って駆ける。
あっという間に、猛る声が聞こえ続ける雑木林の闇へと、彼女の背中が溶けていく。
「てめえらっ! 下手に動くンじゃねえぞッ!!」
後方、遠くからかかるハガルの声が近づいて来る。
ハガルの判断もまた早かった。
横向きに転がされたまま上手く動けないオルレイウスは大声で応える。
「心配しなくても、動けませ」
「ばかヤロウッ!! そっちに寄って行っちまうだろうがッ!! 口利いてンじゃねえッ!!」
ハガルのそんな言葉が、オルの予想よりも遥かに早く、間近に聞こえた。
数瞬後、黒い影がオルの体を飛び越して雑木林へと一直線に奔っていった。
オルは前方の荒野と雑木林の境目に目を凝らす。
オルが転がされている場所からだと、
街道の北側の天幕設営地の、さらに北側に星明りさえも嫌うように雑木林はわだかまっている。
街道の北側ということは、北方にはそれほど距離を置かずに広大な《ロクトノ平原》が拡がっているということになる。
そんなことに、オルは今さらながら気がついた。
そして、ルクレシアの影はもう闇の中に吸い込まれてしまった。
遅れて、ハガルの小さな影もそこに消えつつある。
呼応するように、猛々しい《魔獣》の雄叫びが林のそこここから奏でられる――
――そして、雑木林は《魔獣》をひり出した。
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