第97話



「おまえは、下手くそなんだよッ!」

「だから、僕のどこが悪いというのですか?」

「あぁッ?! どこもかしこもだよッ!」

「それは、つまり、極論、あんまり動かないほうがいい、と?」

「ああッ! それだッ!」


 ハガルとの三回目の試合のあと、荒れ野に転がされたオルレイウスは、同じく転がされたルクレシアと喋っていた。


 彼女の言葉にオルは不満を通り越して、呆れていた。

 ルクレシアによれば、オルの戦闘のやり方は下手くそなのだ。


 しかしながら、具体的になにが悪いのかを彼女は解説しようとしない。

 あるいは、彼女自身にもうまく説明できないのかもしれない。


 最初は真面目に聴いていたオルが、ルクレシアの批判に呆れてしまった理由は、なにも彼女が適当とも思える言葉ばかりを並べるからではない。

 オルの行動うんぬんよりも、彼女の行動のほうが遥かに間違っているように、彼には思えたからである。


 今回の試合は、前回と前々回の反省を生かして、試しにリザルとオルで前衛を張ることにして、ルクレシアは後列に下がるはずだった。


 リシルの《祈り》の効力が、なぜか三人のうちルクレシアだけには及ばなかったことが理由のひとつ。

 原因はどうあれ、ルクレシアが《祈り》を得られない以上、軽装の彼女が無理に前線に立つ必要はない。

 もうひとつ、今やリザルの心がハガルの圧力に屈しているという事実が否定しがたく、その重装を後方で遊ばせておくのは理に適っていないからだ。


 かつて、オルが父の蔵書から知識を得た通り、《神官》や《僧侶》に必要とされる素養とは、たとえ原野や山野においても神々に心安らかな《祈り》を捧げられる敬虔さであり、ハガルを前にしたリザルに、それは期待できない。

 オルに責められるのではなく、静かに諭されたリザルは、なにかと理由をつけていたが、最後には押し黙って頷いた。


 しかしながら、ルクレシアは「リザル前衛案」に強硬に反発した。

 彼女は、「リズはやれる」「リズの《祈り》は強い」「オレとおまえでリズを守れば済む」と繰り返し主張した。

 ようやく、当人リザルが囁くように承諾を宣言し、リシルの《筋力の強化》を受けた状態で歩く訓練を始める段になって、諦めたはずだったが……。



「もういいです。……それよりもなぜ、ルクレシアは飛び出すのです?」


 繰り返される前進の無い問答に疲れたオルは、ルクレシアをなじった。


 そう、後列に収まっていたはずのルクレシアは今回も開始と同時に突出した。

 これでは作戦も糞もなく、隊列もなにもない。

 真っ先にルクレシアが捕らえられたことで、リザルの腰は引け、オルとリシルは浮足立った。


 さらにリシルが《祈り》の実行前にハガルの縄に足を取られ、その救援にオルが奮戦している間に、リザルはルクレシア同様に転がされた。

 結局、《筋力の強化》の《祈り》はリザルが戦闘不能になった直後に成功し、オルがハガルと打ち合うことが可能となったのも束の間、彼の体力の低下が決め手となって簡単に敗北を喫した。


 今回も紆余曲折はあったが、戦犯は、誰が何と言おうとルクレシアだった。


「別に構わねえだろうがッ! オレは大抵の《魔獣ザコ》なら、抑えられるッ! おまえだってそうだろ?」

「だけど、ハガルを抑えられないから、僕らは今、こんな格好で横になっているのでしょう?」

「…………」


 少し離れたところから、ただルクレシアの荒い鼻息が鳴る。


 彼女も理解しているということを、オルはそのやるせない鼻息によって理解した。

 別段、オルと彼女の間に認識上の齟齬は無い。

 だが、実際の彼女の行動はその認識に基づいたものとしては、非常に不可解なものだった。


「……だいたい、あのドチビがおかしいだろッ!? 単独で闘える《工兵パイオニア》なんて、聞いたことねえんだよッ!」

「実際に、僕ら四人をまとめたよりも強いのだから、しょうがないでしょう?」

「…………」


 ルクレシアは沈黙したが、オルの言葉は正確ではない。

 たとえ、着衣状態だったとしても、策を弄すればオル独りのほうが、今の四人よりもハガルに対して善戦できる確率は高い。

 単純にそこに三人が加われば勝率があるはずなのに、そうなっていないのは、足並みが揃わないからだ。


『オル、どうしても全裸にならないというのなら、この《ピュート》が妙案を授けよう』


 《蛇》の言葉に、オルが珍しく耳を傾けている。


『ほかの三人を使って、あの小男を抑えるんだ、オル。そうして、三人諸共、お前の《魔法》で埋めてしまえ』

「……聞いて損をした」

「ハァッ? おまえ、なんか言ったか?」


 オルが落胆と共に吐き出した言葉を聞き咎めるルクレシア。

 彼は溜息混じりに、彼女を諭す。


「いいですか、ルクレシア? あなたは言っていることと、やっていることが違います」

「あぁッ?!」

「リザルはやれると繰り返して言うのに、あなた自身がそれを信じていないようじゃないですか?」

「おい、オル、おまえふざけんなよッ! オレは、ずっと、リズは後衛うしろのほうが活きるって言ってんだろッ!」

「じゃあ、あなたのリズ・・・・・・は、前衛ではまともに働けない。そういうことですか?」

「――喧嘩売ってんのかッ!? 買ってやろうじゃねえか、クソ童貞野郎がッ!!」

「僕も、ルクレシアも、まともに動けないでしょうに……」

「見てろッ、おまえ! こんな、縄なんか……」


 ルクレシアが横たわったままエビのように動いているらしい音が聞こえてくる。

 どうにかして、オルを殴りつけるつもりのようだ。


 他方、オルはリザルの態度について考えを巡らせる。

 二回目の試合の前、話し合いのときのリザル・クローラルには見られた余裕と小さな積極性が、昨日ハガルにこてんぱんにされてから霧消した。


 それどころか、オルの語りかけに対してまったくやる気が見られない。

 まるで、《ダンの酒場》でハギルに説教をされたときぐらいの覇気の無さだ。

 前衛案に対する承諾も、決意ではなく、言われたからやるといった具合だった。


 それでも、リザルは「やる」と言ったのだ。


「……ルクレシアは、もう少し協調性を持ってください。リザルが挑戦すると言っているのに、なぜ、あなたがそれを横取りする必要があるのです?」

「あぁんッ? おまえ、まさか、ほんとにリズがやりてえと思ってるとか、勘違いしてねえよなッ?!」

「……乗り気じゃないことはわかっています。それでも、やるしか無いというときは、あるでしょう?」

「おまえは、リズを信じるって言ってたじゃねえかッ?!」

「信じています。リザルならできると、信じているのです」

「ハッ、おまえの勝手な妄想を、リズに押しつけるんじゃねえよ! これだから、童貞はッ!!」


 ルクレシアの言葉に、オルは疑問を覚える。


 彼女の言うように、オルはリザルを全面的に信じると言い、事実信じている。

 では、明らかにハガルに怯えているリザルを後衛に置き続けることが、リザル・クローラルを信頼している者として正しい行いか。


 否であると、オルは考えている。

 オルが信じているのは、リザル本人が圧力を跳ね除けて意志を持って立ち向かえる、ということ。

 それは、誰かの背中を見ることではなく、脅威に対して真っ正面に立ち、挑むことができるということだ。


 だが、ルクレシアによれば、それはオルの勝手な都合だという論法になるらしい。


「勝手なことを言っているのは、ルクレシアでしょう? あなたこそ、リザルにはできないと決めつけている」

「言わせておきゃあッ! ……いいかッ! おまえが、もうちょいちゃんと持ち堪えられれば、リズが不安になることなんて、いっこもねえんだッ! おまえの貧弱さをオレとリズのせいにするんじゃねえッ! くそ童貞の早漏野郎がッ! 童貞の妄想に、オレらを付き合わせるんじゃねえッ!!」


 貧弱。その言葉がオルを少々傷つけた。


「ええ、そうですね。……僕がクァルカスぐらいの大男ならば、リザルも《祈り》に集中できるでしょう。……だけど、違う。僕は、残念ながら《優良者》ではない!」


 ルクレシアが動く音が止まる。


 オルとてまったく鬱憤うっぷんが溜まっていないわけではない。

 彼は全裸になりさえすれば、人族社会の公序良俗規定による排斥と神罰を下せられない限り、ありとあらゆる困難を独力で打破できる。

 肉体に溢れる全能感を知っている彼にとって、服を着用したまま行動するということは、本来、責め苦に近いはずなのだ。


 だが、オルにしてみれば逆さまなのだ。

 全裸になりたくないからこそ、なれないからこそ、彼は全裸に頼らない方法を模索している。


 しかしながら、ルクレシアの要望を十分に満たすためには、全裸にならなければならない。

 そんな、みょうちきりんな葛藤がオルに声を荒げさせていた。


 彼の言葉を受けて、ルクレシアの荒くなった呼気が鎮まっていく。


「逆ギレかよッ?」

「違います。……僕が思うに、リザルは過剰に怯えすぎています。そして、あなたはそれを助長している」


 ルクレシアが唾かなにかを吐き捨てる音がオルの耳に届く。

 思わず感情的になってしまったことを彼は恥じていた。


 ルクレシアがぽつりと砂を噛むようにして吐き出す。


「リズの気持ちを考えろよ……」


 彼女の言葉の意味も、オルにはわかるような気がした。

 あくまでも、リザル自身が望んでもいないことを無理強いしてはいけない。

 それは、オルも理解できることだ。


 だが、望む望まざるに関わらず、リザルはここにいる。

 事態に臨んでいる。


 リザル・クローラルが本心からそれを望まないというのであれば、今すぐに逃げ出すべきなのだとオルは考える。

 やらない理由を探す者は、別のところでなにかを探さねばならない。

 自ら進んでやるべき理由を見つける者こそが、そのような意味では最良なのだろうとオルは考える。


 それは、王者であった伯父の姿を見て、その言葉を聴いて、オルが学んだことだ。

 マルクス・レックス・ザントクリフ・ユニウス・レイアという男は、状況を自ら動かすことに長けた者だった、と。


 それでも、己を飾りだと彼は言っていた。

 そして、自ら進んで・・・・・、その飾りを担ぐ必要がある者を手放せないと言ってもいた。

 マルクスは、臣下にその必要を創り出すことに、なによりも熟達していたのだ。


 では、リザルはどうか。

 翻って、現在の自分はどうだろうか、とオルは考える。


「僕も、リザルも、自らの足でここまで来たのです」

「だからよぉッ! おまえは、わかってねえッ! 今のリズが自分でここまで来たのが、どれだけスゲぇことなのかがッ!」


 それは、そもそも誰かに理解を求めるようなことではない。

 それを理解しようと努める者はオルレイウスおせっかいやきぐらいだろう。


「……しかし、そもそも、リザルの《戦棍メイス》の腕は、悪くないのでしょう?」

「ああ、そりゃそうさ! 悪くねえどころか、養成所時代から《あんまりみないマイナー》級さ。救貧院うちに居るときも、訓練は欠かしてねえ」

「リザルが最後にそれを実戦で使用したのは?」


 その問いに、ルクレシアの返事はなかなか返って来なかった。

 しばらくしてから、ようやく呟くように彼女は言う。


「…………クソどもに、いいように使われてたときだ。オレがそいつを知ったのは、ずいぶん後だったけどな……」


 一度習得した《技能スキル》が劣化することはない。

 しかしながら、心には怯懦や畏怖、不安や失望といった錆びが生える。


 オルはまたひとつ理解した。

 錆びついてしまっているのは、リザルの心だけではないようだ、と。


「……だいいち、オレに《祈り》をかけられねえ、あのちんちくりんはどうなんだよ?」


 ルクレシアの言葉に、オルは改めて父の蔵書〈ルエルヴァ年代記〉の内容を思い返す。

 彼ら《神官》が積む経験とは、敬虔にほかならない。

 精神状態が《祈り》においては、なによりも重要視されるべきものなのだ。


 つまり、リシルの《祈り》がルクレシアにだけ効果を上げない理由は彼女の心の問題である可能性が高い。


 それはリシル本人にしてみても異常事態のようで、彼女が《祈り》を捧げて効果が顕れなかった対象は、今までにはいなかったと言う。

 彼女は真剣に神々の機嫌を損ねたのではないか、と思い悩んでいたが、オルは楽観的に考えるように諭すにとどめた。

 彼女が懊悩すれば、今成功している《祈り》も失敗する可能性がある。


 ただ、ルクレシアはそんなリシルを事あるごとに責める。


「……ルクレシアの主張もわかりましたが。……明日は、僕とあなたとリザルの三人で、一斉にかかりましょう」


 オルはとりあえず、そう結論を出した――



――夜半。

 気がつけば、いつの間にかルクレシアのいびきが野天に響いていた。


「胆が太えのか、なんなのか……なぁ?」


 焚火に枝をくべながら、ハガルが呆れたようにそうオルに話しかけた。


「ローブを着ている僕はともかく、彼女は寒くないのでしょうか?」

「俺が思うに、あのガキにゃあ神経が……」


 二本目を手に取ったハガルの指が止まる。

 オルは首を傾けてなんとかハガルの顔を視界に収める。

 見れば、彼の視線が闇の中へと注いでいた。


「ハガル?」

「……ルディッ!」


 オルの問いかけを無視して、ルダニスを呼ぶハガル。

 それに答えるように、数瞬後、天幕テントから長身のルダニスがするっと姿を現した。

 その手には弓、背中には矢筒が負われている。


「ルダニス?」


 オルの問いかけにふたりは応えない。

 だが、ふたりとも同じ方向――北へ顔を向けていた。

 彼らの横顔には、わずかながら緊張感が漂っている。


「……やっぱし、来ねえな。もう、尻尾まいちまった」


 しばらくしてから、ハガルがぽつりとそう言った。

 ルダニスがそれに頷いて、左右で指を八本立ててから二、三本を折った。


「そうだな。数減らしとくのも手だった」


 ふたりのやり取りを見せられていたオルはようやく、状況を把握しつつあった。


「《魔獣モンストゥルム》ですか?」

「あぁ、そうだ。《カンビローナム》を離れてから、俺らの周りを窺ってやがる」

「昨日からふたりが先行していた理由が、これですか?」

「そうだな。固まってても来やがらねえから、かかって来やすいように、ふたりで誘ってみたんだが。……思ったより、頭が回る」


 ハガルがオルへと視線を向ける。


「てめえら、早ぇこと仕上げろ」


 オルはそれに対してただ頷いた。



 〓〓〓



 徒歩行も四日目。どこまでも変わらないと思われた景色に変化が訪れる。

 見通しの利く荒野の果て、オルたちの進行方向の先に、高い石積みの橋のようなものが現れた。

 それが、《アブノバ鉱山》へ水を供給する水道橋だということはオルにもわかった。


 背の高い構造物が多い《ルエルヴァ》の壁の内側では、なかなか目にすることができない代物だ。

 しかしながら、いつもならば、それに対して勝手に蘊蓄うんちくを垂れているはずのリザルは沈黙していた。


 《カンビローナム》から《アブノバ鉱山》へと到る道にはわずかながら上り勾配がある。

 それが、にわかに厳しさを増し始めて重装のリザルと、虚弱状態のオルの息を荒くさせている。


 どうも、リザルが会話をしようとしない理由は、それだけではなさそうだと、オルは感じていた。

 会話が無いのは、彼らの間だけではない。

 当然のように、リシルとルクレシアの間にも無い。


「……そろそろ、《筋力の強化》の《祈り》を捧げられると思いますわ」


 沈黙に耐えかねたわけではないだろうが、リシルがそう言った。

 オルは彼女を振り返って頷き返す。


 リシルが乏しい胸の前で指を組み合わせ、三人に対して《祈り》を捧げた。

 にわかにオルの体に力が漲り、リザルの鎧に小さな無数の光の球がまとわりつく。

 やはり、ルクレシアの体には変化が無いようだった。


「では、歩行訓練を行いましょう」


 オルは宣言すると、率先して歩き出した。

 コツを掴んだ彼は、変化のない感覚と強くなった肉体の妥協を確実なものとしていた。


 オルが早々とコツを掴み、安定的な肉体の運用が可能となった理由はいくらかあるだろう。

 彼自身の特殊な《福音ギフト》の性質や《学術系技能》の豊富さ以上に、呼吸と筋によって各個の骨とそれらが伝達する力を制御する《体術系呼吸法技能》や、あるいは意図せずとも体を効率的に操作するという《雑技術系操御法技能》などが、彼の身には染み付いている。

 結果、オルは早くも訓練開始から二日にして多少の違和感を覚える程度で、リシルの《祈り》に強化された肉体を十全に使いこなしていた。


 だが、リザルはそうはいかなかいようだ。


 がっしゃん、と金物が鳴る音。


 オルが振り返れば、起き上がったばかりでぷるぷると震える両脚。

 その歩みはまるで産まれたての四足獣のよう。

 そして、加減を誤って前のめりに倒れたり、自分の手で庇えないほどの勢いで後ろに転んだりしている。


「おい、ちんちくりん! おまえ、加減とかできねえのかよッ!」

「わたくし、そのような器用なことは……」

「つっかえねぇなあッ!」


 ひとり《祈り》の効果が及ばないルクレシアはそう言って地面を蹴った。


「や、やめてよ! ルーシーっ!! 僕が……」


 ルクレシアの非難を逸らそうとして集中を欠いたリザルが、何度目かの転倒。

 オルはその様子を見て、少しばかり考えに耽る。


 そのザマとは裏腹に、リザルには確実に進歩があった。

 昨日は、《祈り》が効果を発揮している間、十歩も歩けなかったが、今日は既にそれを大幅に超えていた。

 おそらく、そう遠くない将来、リザルもまた強化された肉体を使いこなすようになるだろう。


 だが、とオルは考える。

 間違いなく、それは今日明日のことではない。


 この訓練そのものは無為ではないが、ハガルの計画によれば明日には《アブノバ鉱山》に到着する。

 ハガルとの試合も、ひとまず明日で最後ということになるだろう。


 試合の勝利には間違っても貢献しそうもないし、《アブノバ鉱山》に到着すれば本格的に探索が始動する。

 下手に感覚を狂わせるようなこの訓練を継続するよりは、歩きながら陣形や連携の打合せをしたほうがいいだろうか、と。


 四人だけでの行進は、それだけで十分に訓練になる。

 特に、この辺りには《魔獣》が出現するという緊張感を持った行動だ。

 そちらに集中したほうが得るものは大きいのではないだろうか、と。


 そんなことをオルが考えているうちに、リシルの《祈り》の効果が切れた。


「……オルレイウス? 大丈夫でしょうか?」


 そう不安げな様子で問うリシルに、オルは呼吸を整えながら頷いた。


 強化された肉体を十分に使いこなせるといっても、オルの循環器系にはそれは苦役と言ってよいものだった。

 むしろ、その点においては重そうな鎧を装着しているリザルのほうが遥かに余裕があるように見える。

 《筋肉の強化》の《祈り》の継続時間が、オルにはいかにも長すぎる。


 およそ、オルが満足に動いていられる時間は三十を数えるほどの間だけ。

 それを過ぎれば動悸と息切れと吐き気によって脚が止まる。

 ほぼ停止していても、《祈り》の効果が継続している間は肩で息をしなければならない。


 加えて、この訓練には大きな問題点があった。

 それはリシルが、続けて《筋力の強化》の《祈り》を捧げられるようになるまで、いくらか間を置かなければならないということ。

 彼女の申告によるその時間の長短はまちまちで、いくらも歩かないうちに出来ると言うときもあれば、陽が大きく動いても申告の無いときもあった。


 問題は尽きない。

 だが、オルはそれでも倦まない。


「では、隊列を組んで歩きましょうか」


 そう言った彼の顔はむしろ、どこかしら晴れやかだった。

 そんなオルを、ほかの一行は思い思いに見つめて、その背中に続く。


 他方、前を向いたオルが考えていたことは昨夜の《魔獣》のこと。


 ハガルとルダニスが先行した理由は、少数のほうが《魔獣》を釣りやすいと考えたからだろう。

 だが、《魔獣》が接近して来たのは夜になってからだった。


 《魔獣種》というものは、一般的には百獣よりもいくらか知性的な程度であると見なされる。

 だが一方で、《スノウ・ハーピー》などの言葉を解する知性的な種も存在する。

 ならば、周囲を窺っているというその《魔獣》が、一党の戦力を分析している可能性もあると、オルは考えていた。


 もしも、ハガルとルダニスのふたりよりも、オルたち四人のほうが与しやすいと看破されたなら。

 しかし、彼の警戒は杞憂に終わる。



 そうして、オルたちはハガルに四回目の試合を挑むのだった。


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