第95話



 道の上にしな垂れかかって来るような低木の枝葉が、雨粒に打たれて音を立てていた。

 雨を遮るものがなく洗われた石畳の道は、既に水気によって黒く変色している。


 枝葉を打ち鳴らす無数の音のなかに、確実に一定の拍子を刻む泥を踏む濡れた影が四つ。

 彼らは少しでも雨を避けようと、石畳の脇に茂った低木の木陰の中を歩く。

 だが、彼らの足裏に吸いついては剥がされる肌理の細かい赤い泥と水気を吸っていく装備は、わずかずつ四人の若者の体力と心に燈る展望を奪っていく。


「あのドチビのメシに、毒でも混ぜりゃ手っ取り早いだろ?」


 雨に負けないようにと声を張り上げる娘の言葉。

 その発言の内容は、声の陽気さに比して後ろ向きなものだった。


「もう、ずいぶん先に行っちゃっているもの。無理だよう」


 兜の中に籠った声は、高音のわりに情けない響きを帯びていた。

 実際に、彼らの仲間のうちのふたりは、その脚力に任せて先行している。


「それ以前に、それではハガルさんの提示された課題に、正面から向き合っていないということになりますわ」


 熱を帯びたような少女の声は真面目なものだったが、どこか切迫さには欠けていた。

 それを聞き咎めたのは、先頭を行く娘だ。


「へっ、なにもできねえやつが、言うことはいっちょ前かよ……」

「どうしてルクレシアさんは、わたくしがなにもできないと決めつけられるのです?」

「なんにもできるわけねえだろ」

「わたくしだって、冬には《ロクトノ平原》を踏破致しましたし、それ以前にも《魔物》を鎮めた経験がありますわ」

「そりゃいい。どうだった? 冬の《ロクトノ》は、なまっちろいおまえの体にそっくりだったろ?」

「相似性も類似性もございません!」


 今日、何度目かのふたりの言い争いに、兜の奥から溜息が漏れた。


「ルーシー……」

「なんだよ、リズッ! オレは、ほんとうのこと言ってるだけだろ? ちんちくりんの細腕じゃあ、ドチビに届くわけもねえし、ついでに乳もねえだろ」

「わたくしの胸のことが、関係ございまして?」


 先頭を行く娘が後続の三人へと振り返って、後ろ歩きに両腕を広げてみせる。


「ほらな、とうとう認めた! ちんちくりんの乳は、《ロクトノ平原》だ!」

「違いますと、幾たび申し上げればよろしいのでしょう!」

「おまえみてえな乳なしに、できることがあってたまるかッ! せいぜい、ソリの代わりがいいところだろ。引っかかるもんがねえから、よく滑るだろうぜッ」

「凹凸ならございます! それに、わたくしにだって、きっとできることはございますわ!」

「知らねえよッ! おまえのできることなんか! できねえことはわかるけどなッ! ……そいつじゃあ、男を悦ばすことなんて、できやしねえだろ」

「――ルクレシアさんは、お話に筋が通っていませんわ!」


「ルクレシアの言う通りですね……」


 ずっと、最後尾で三人の会話を聞き流していたオルレイウスは思わず呟いた。

 その発言に、全員の足が一斉に停まる。

 泥ばかり見て歩いていたオルも、ひとつ前を往くリザルの足が止まったのを見て、反射的に歩みを止めた。


「オルレイウス……? あなたも、わたくしには胸がないとぉっ?!」


 リシルが蒼褪めた顔でオルを振り返る。

 その頬には雨に濡れた長い髪が張り付いていた。

 一方、ルクレシアは「だろッ?」と言って、リシルを指さして笑う。


「オルくん……」


 非難がましいリザルの声に、ずっと泥を見て考えながら歩いていたオルは「うん」と頷き、顔を上げた。


「僕らは、あまりにもお互いのことを知らな過ぎます」

「ハァ? おまえ、なんの話してるんだ?」


 ルクレシアの笑顔が崩れる。

 リシルの眉間にも小さな皺が寄り、リザルは兜ごと首をかしげた。


「僕らがどうすれば、ハガルに敵うか、という話ですが?」

「…………オルくんの性癖を聞かされたのかと思った」


 リザルの言葉にオルは首を傾げた。


 着衣状態のオルの聴力はそれほど良好ではない。

 加えて雨音と泥が踏まれて跳ねる音まで響いている。

 考え事に没頭していた彼の耳が明確に拾っていたのは、振り返ったルクレシアの大声ぐらいで、最後のほうの小声の嘲りはしっかりとは聞こえていなかった。


「オル! おまえ、話し聴いてなかったのかッ?」

「? ……みんな、どうすればハガルに勝てるかを、話し合っていたのではないですか?」

「ちんちくりんの乳が無えって話をッ、」

「それで! どうしようと言いますの、オルレイウス?」


 ルクレシアの言葉を遮って、珍しくリシルが大声を出した。

 正直なところ、オルとしてはリシルの胸よりも夕方に迫ったハガルとの試合のほうが重要だったので話を進行することにした。


「昨日の夜から考えていたのですが、僕らは相互理解に欠けています。僕は、リシルとルクレシアとリザルの、なんとなくの人となりと経歴は理解しているつもりですが、その理解が充分かと言えば、そうではありませんし、それ以上の理解が必要だと考えます」

「なに、今さらのこと言ってんだ、おまえ? 知らねえのなんざ、当たり前じゃねえか?」


 ルクレシアの言葉にオルは素直に頷いた。


「今さら、です。今さら過ぎて、なにを知ることから始めるべきかを考えていたのですが、ルクレシアの言うところから始めるべきだと思ったのです」

「ちんちくりんに、自分の乳が無えことを思い知らせ」

「ルクレシアさん、真面目にお話しましょう!」


 リシルが額に手を添えて首を振った。


「おい、ちんちくりん! おまえ、二度もオレの話をぶった切りやがったな? 次は、おまえの髪を」

「ルーシー!」


 あまり大声を出さないリザルが、声を高くしてルクレシアをたしなめる。

 そして、兜の内側で反響したのか、少し、たたらを踏んだ。


「リズッ、オレは別に、無駄話してるつもりはねえ! 《魔物オルカ》相手でも怪しいもんだが、あのドチビ相手なら、こいつは確実にお荷物だろ?」


 指さされたリシルの、雨に濡れて冷えた頬の色が、にわかに紅潮する。


 しかしながら、リザルは兜ごと首を横に振った。

 ルクレシアの言うことは間違っていると、言うように。

 ルクレシアが、信じられないとでもいうように、眉間に深い皺を寄せる。


「なんでだッ? だって、こいつは役立たずじゃねえかッ! そんなやつが、いけしゃあしゃあと、わかり切ってるド正論ぶっこんでくるんだぜッ? 黙らせとくべきだろうがッ!」

「それを決めるのは、ルーシーじゃないでしょう? 強いて言えば、パーティーリーダーのオルくんだよ」

「――じゃあ、オル! おまえはどう思うんだ? この無い乳が役に立つとでも思ってんのかッ?」


 リシルがぼそっと「……無い乳……?」と呟く中、オルは考えていた。

 ルクレシアとリシルは合わないと、少し前から彼は認識していた。

 育ちが違えば、価値観が違い、好みまで違い、主義主張がぶつかり合う以前に、同じ話題すらも発見できない。


 だが、どうも違ったようだと、オルは昨夜あたりから考え始めている。


 ふたりは言い争いもできる。

 その内容は大抵しょうもないものだが、その事実が大きな発見であると彼はみなす。

 特に、リシル・グレンバルト・デモニアクス・ミアドールという少女に関してはそれは極めて好ましい発見である、と。


 リシルの、彼女の姉との関係性を直に見たことのある者ならば、誰もが彼女を温和だが消極的な少女であると考えるだろう。

 オル自身もその例に漏れなかった。


 しかしながら、よく考えてみれば彼女リシルはたった十二歳の少女なのだ。

 環境が変化すれば、いくらでも変化できるはず。

 そんな単純な事実を見落としていたことをオルは反省していた。


 大きく変化できるということは若者の特権であり、同時に、それは適応スキルとはまた異なる変化だとオルは考える。


 問題は、ルクレシアが意固地なまでにリシルを認めたがらないということだ。

 それを真っ正面から否定すれば角が立ち、あの風化しかけた砦の夜まで立ち返ってしまう。

 それでも希望があるとすれば、ルクレシアが理解力が乏しいわけではなく、むしろ聡いということ。


 こういう場合、オルにできることは多くないだろう。

 ルクレシアが自ら学習してくれることを祈りながら、リシルが成功する機会を与えることだ。

……などと、オルは自分も子どものくせに考える。


 そして、彼が同時に考えていたことは、ハガル――あの、《最上位冒険者》のハギルを相手にして、果たしてそのような打算を見込んだ戦略を成立させることができるのか、ということだ。

 そもそも、着衣状態の自分が一対一では彼に及ばないだろうということを、オルは悟っていた。


 問題は速度というよりもその挙動であり、間合いだ。

 ハギルの敏捷性はオルの瞳が追える限界に近く、その射程はオルが想定していたよりも広い。

 その挙動は直線的な攻撃行動を行うシクストゥスやレシルなどよりも遥かに老練で、姿を捉えにくい。


 加えて、彼の驚異的な視野の広さが、オルたちの挙動を操作し制限させている。


「黙りこくってねえで、なんとか言いやがれッ!」


 ルクレシアが泥をずんと踏んで、オルに一歩だけ詰め寄った。

 オルは考えをまとめて、ルクレシアではなくリザルのほうを見た。


「リザル、ひとつ訊いても?」

「……? なに、オルくん?」


 リザルが兜ごと首を傾げた。


「リザルは、昨日の立ち合いでルクレシアが突出することを察していましたね?」

「うん」

「では、あなたが退いた理由を伺っても?」

「――おいッ!」


 少し怪訝そうな顔で様子を見ていたルクレシアが、さらにオルに詰め寄った。


「おまえ、なにいちゃもんつけようと」

「えーと、ルーシーは、ハガルさんのことが好きじゃないから、絶対に跳び込むと思ったんだ。……そうすると、僕とミアドールさんができることは後ろからの支援だから。ルーシーには、オルくんがいるからいいけれど、ミアドールさんは戦えないでしょ? ミアドールさんが《祈り》に集中できるように距離を取ろうって」


 ルクレシアがリザルを振り返った。


「リズ! オレはいいけど、ってなんだよッ!」

「一理あります。しかし、前掛かりになるルクレシアを僕に任せられても困りますし、結果的にはハガルの間合いの外には出られなかったわけ」

「オル! なに、ふつーに流してんだよッ!」


 オルはルクレシアに怒鳴られて、首を傾げた。


「リズが、臆病風にでも吹かれてるとか言うつもりだったんだろうが?!」


 彼女の言葉にオルは、今度は反対側に首を傾げる。


「リザルは僕と約束をしたのに、逃げるわけがないでしょう?」

「ハァ?」


 リザルが後退したという事実を、オルは臆病風に吹かれたからだとは考えていなかった。

 逃げないというよりは、信じるという約束を両者はしていたからだ。


「第一、あなたが飛び出すことを察知したリザルが、どうして臆病風に吹かれなければならないのです? 因果関係など無い」


 ルクレシアはなにかを言おうとして、次の言葉が出て来ず、そのまま口を閉じた。

 オルは改めてリザルに向き直る。


「あのような場合には、隊列をできるだけ密に保つために、前に出てもらったほうが良いと思うのです」

「でも、それだと一網打尽にされちゃうよ?」

「僕は体力がありません。ですので、できるだけまとまっていてもらったほうが、守りやすいのです」

「むしろ、オルくんも退いて、ルーシーの強化と相手の阻害を一緒にやったほうが良くないかな?」

「ルクレシアの軽装では、厳しくありませんか? それに、リシルは相手の間合い内でも、問題なく《祈り》を遂行できるでしょう?」

「そうなの?」


 オルとリザルは一斉にリシルを見た。

 彼女は逆に驚いたような顔をして、頷く。


「クローラルさんも御出来になりますでしょう?」

「……できません。……ごめんなさい」

「なに、嫌味を言ってやがるッ! 無い乳がッ」

「――待ってください! リシルのそれに悪気はありません」


 オルは、しょぼくれるリザルの背を叩き、鼻息を荒くするルクレシアを止めに入る。

 そして、ため息をついた。


 相互理解は遠い。

 では、どこから始めてどのように落ち着けるべきか。

 思案顔でオルは口を開く。


「……僕が確認しているルクレシアの長所は、その敏捷性と投槍の腕です」

「ハァ?」


 苛立っていたルクレシアの顔が大きくゆがんだ。


「昨日にハガルに投擲を行ったときも、それ以前のキルス・ヒュセイノフへの投槍も見事なものでした」


 そう、ルクレシアの投げた槍はかなりの速度で、正確に標的の頭部へと向かっていた。

 それなりの《投擲術系技能》を習得しているのだろうということは、オルも承知している。


「……なんだってんだ、急に?」


 ルクレシアはちょっと照れたような、毒気を抜かれたような顔をする。


「しかし、ハガルには通用しませんでした」


 その言葉に今度はその顔が大きくしかめられる。

 なにか言い返そうとする彼女を制するように、オルは「……無い乳……」と呟いているリシルへと顔を向ける。


「リシル、あなたはルクレシアの言うように、近接戦闘能力が皆無に等しい」

「…………えっ?」


 リシルは少し間を置いて、はっと顔を上げた。

 オルは彼女の顔を見て、もう一度、口を開いた。


「あなたは白兵戦ができませんね?」

「ええ……」


 リシルは少しだけ切なそうな顔をした。


「……同時に、その若さで《高位司祭》相当の《神官》であるにふさわしく、大勢のひとを治癒している事実も僕は知っています」

「オルレイウス? ハガルさんからの試練において、治癒が必要になるほど、どなたかが怪我をされると考えているのですか?」


 オルは首を横に振った。


「それ見ろ、おまえなんかに出番はねえんだッ!」

「ルーシー!」


 八つ当たりするように嘲るルクレシアを、リザルがふたたび窘める。

 今度は、そのリザルへオルは目を向ける。


「そして、リザル。あなたについて、僕は装備が充実していることと、博識であることしか知りません。あなたの《祈り》がどのようなものであるかも、知らないのです」

「おい……おまえ、喧嘩売ってんのか?」


 オルの言葉に俯くリザルを庇うように、ルクレシアがさらに一歩前に出た。

 オルは素直に首を横に振った。


「喧嘩なんて売っているつもりは、ありません。それに、もちろん、ほかのことはある程度理解しているつもりです」


 リザルとルクレシア、ふたりに共通する仲間から排斥されたらしい過去。

 それが、ふたりの自分への信頼と、他者への信頼をそれぞれに奪ったという事実。

 リシルについては、別け隔てなく他者へと注がれる思いやりや優しさ、そして、年頃の少女らしい純真さ。


 それぞれの顔を眺めて、そんなことを思い浮かべたオルは、改めて口を開く。


「事実を述べただけなのです。そして、僕はそれだけのことしか、みんなと共に戦う上で知らないという、知ろうとしなかったという事実を、今さら反省していて、後悔もしているのです」


 実際問題、オルは反省し後悔していた。

 故郷の友人たちを捜すことに時間を使って、眼の前の新しい仲間たちに対しての配慮を怠っていたのだ、と。


「長い付き合いのリザルとルクレシアはともかく、みんなも同じようなものでしょう? ……僕らはお互いにお互いの《技能スキル》と経験を知らな過ぎます」


 三者三様に黙っていた。

 ルクレシアはしかめっ面で、リザルは腰が引けているような、踏みとどまっているような立ち姿で。

 そのなかで、真っ先に口を開いたのは少なからず立ち直っていない顔をしていたリシルだった。


「……考えてみれば、わたくし、みなさんに伺ってばかりで、的を射た意見のひとつも提示できていなかったように思いますわ……」

「おい、ちんちくりん! おまえなんか、それ以下だろがッ!」

「ルーシー」


 リザルが、まだリシルに突っかかるルクレシアを、今度は静かな声音で窘めた。

 そして、リザルは少しだけおどおどしながらも、オルへと真正面に向き合う。


「僕も、反省しなくちゃいけない。《優良者》の徒弟のオルくんと、あのふたりに頼っていれば、僕がダメでもなんとかなると思ってた……」


 オルはリザルの告白を聞いて、実に消極的な姿勢であると思った。

 しかし、それを言い募っても始まらないのだ。


 リザルは腕を組んで指で二の腕あたりを叩いているルクレシアへと向く。

 彼女は「ちっ」と舌を打ち鳴らした。


「オル、おまえの言ってることは、間違ってんだよッ!」

「間違っていますか?」


 素直にそう返すオルに、ルクレシアは水しぶきを飛ばして髪を掻き上げた。


「ああ、そうだ! オレは、てめえがクソ五男坊シクストゥスの剣戟を受け切って、ドデケぇ《魔法》で野郎をぶっ飛ばすところを見てるッ!」

「微妙に正確ではありませんが?」


 内心、そんなふうに見られていたのか、とオルは考えた。


「あの×××の絞りッカスは、クソと一緒にするとクソにキレられるような野郎だが、腕前はモノホンだ! 《剣の達人ソード・アデプト》を持ってるって吹聴するぐれえさ! 認めたくねえが、たぶん、それに近い腕はあるだろ!」


 《剣の達人》は、《剣師》に次ぐ《剣術系技能》だ。

 一般的には《あんまりみないマイナー》から《ふつうじゃないアンコモン》級の《技能》であると見なされる。

 人族最高峰――《きしょうな技能レア・スキル》の二歩手前といったところ。


 そこでルクレシアは雨を払いのけるようにオルを指さした。


「おまえは、野郎の刺突を受け切って、勝った! ……オレは知ってんだよ、おまえは少なくとも《剣術系》が《あんまりみない》――最低でも《剣客ソーズマン》ぐれえだろ? そんで、あんなデケぇ《魔法》を使えるんだッ! ふつうはありえねえッ!」


 その話を聞いたリザルの兜がオルを向いた。

 リシルは割と当然のように聞き流している。


 実際はオルの《剣術系技能》は《剣聖》だ。

 だが、ここでそんな事実を言っても話が混乱するだけだとふつうは考えるだろう。


「僕は《剣聖》を持」

「つまりだッ、オレが言いたいことは、そんなありえねえおまえが、あのドチビをぶっ飛ばしちまえば早ぇだろうってことだよッ!」


 ルクレシアに聞き流されたオルは、とりあえず自分が《剣聖》であるということを主張することは諦めた。

 着衣状態の自分の実力が、傍から見れば四段は落ちる《剣客》級だということがわかっただけでも収穫だと、彼は考え直す。


 そして、ルクレシアに静かに反論する。


「いいですか、ルクレシア? 僕としてはハガルのほうが、ありえないと言わざるを得ません。……おそらく彼の敏捷性と視野ならば、かなりの広範囲を対象にした《魔法》を使用しても、事前に察知されて避けられるでしょう。それに、僕の《魔法》だって何度も使えるわけではありません」

「クソの五男坊に使った手はどうだッ?」


 オルは首を横に振る。


「あんな荒野に、生きた種がどれほど埋まっていますか。それに、僕だってよくわからない植物を無暗矢鱈に」

「待て。ちょ、待てよ?」


 ルクレシアは大層、驚いた顔をしていた。


「なにか? 種がなけりゃ、おまえの《魔法》は使えねえのか?」


 今度はオルが驚く番だった。


「当り前です。《植物魔法》というものは……」


 言いかけて、オルは幼いころの父の講義を思い出す。

 《魔法使い》に必須の《魔導の素養》を持つ者は十人に一人程度の割合で存在する。

 しかしながら、それがそのまま、この世界の人口に対する《魔法使い》人口の割合ではない。


 五官における《魔導の素養》は、《魔力》を感覚できる器官の数が多いほど優秀な《魔法使い》になれる。

 《魔法》の行使に適する才能とは、あくまでも全感覚器官に《魔力》の受動能力が発現することを意味する。


「おい、なんだよ?」

「ルクレシア? ……今まで、《魔法使い》の知人は何人いましたか?」

「ハァ? 養成所には《魔法使い》志望のやつらがいたけど、オレはまともに話したこともねえよ?」


 そこでリザルが代わるように発言する。


「オルくん、養成所では《魔法使い》の生徒と、ほかの《冒険者》の生徒はあんまり課程が一緒にはならないんだよ。それに、養成所に入るときにはたくさんいる志望者も、ちゃんと《魔法使い》になれるのはほかの《冒険者》よりも、ずっと少ないんだ」

「でも、ロスのような現役の《魔法使い》による、教育が受けられるのですよね?」


 そう、オルはひとつ気にかかっていたことを思い出していた。


 オルの故郷がある《グリア地域》では、《魔法使い》の才能にはその血統が大きく作用するものだと考えられていた。

 だが、実際には《魔力》の受動能力を発現させるための環境と、《魔法》の行使に必須の教育が、多くの人族に用意されていないだけなのではないか、とオルは考える。

 つまり、十分な検証が行われていないために、遺伝的素養と環境的な培養の正確な作用比率が判明していないのではないか、と考えていたわけだ。


 それらの点において、家庭内で識字教育を受けられ周囲に先達がいる貴族の《魔法使い》は、平民以下とは一線を画することは自明。

 環境さえ整えられれば、もっと多くの《魔法使い》が生育される可能性はあるはず。


 だから、オルは《共和国》の《冒険者》に養成所が存在すると聞いて以来、《共和国》には相当数の《魔法使い》が存在すると考えていた。

 さらに言えば、《冒険者》にはきっと平民出身の《魔法使い》が多く存在するだろう、と。


 だが、リザルは。


「オルくん。《魔法使い》の先生は、《魔法使い》志望者にしかつかないの。それに、ひとつの期の卒業生のうちで、《魔法使い》なんて十人もいないのが当たり前だよ? 《魔術師ウィザードリー民会・エクレシア》に所属しているひとたちみたいな、優秀な《魔法使い》なんてほとんどいないんだよ? 僕らだって《魔法使い》とは、まともにパーティーを組んだこともないし」

「そうなのですか……?」

「《魔法使い》は取り合いになるし、優秀な《魔法使い》は有望な《冒険者》と組むことが多いし。……あとたまにあるのは、《上級》とか《上位》のひとたちが、改めて徒弟にとってパーティーを組める等級になるまで育てる、とか」


 リザルの解説。

 それを聞いて、オルはようやく自分の迂闊さを思い知った。


「……では、ふたりは《魔法使い》になにができて、なにができないかを知らないのですか?」

「知るわけねえだろ?」

「僕は、多少は知識があるけど。……《植物魔法》? そんなの初めて聞いたよ?」


 オルは思い知った。そう、彼は、弱体化時の彼を理解される努力さえも、怠っていたのだ。

 自ずからして相互理解など及ぶべくもない、ということを。


 今や、ただ雨の落ちる音だけが、四人を取り巻いていた。

 そして、オルを含めた全員の顔にわずかながら、ひとつの共通認識が産まれ始めていた。


 沈黙を破ったのは、ルクレシアだった。


「……じゃあ、なにか? おまえひとりじゃ、あのドチビを黙らせられねえ、と?」

「おそらく、無理でしょうね……」


 着衣状態のオルでは不可能に近いだろう。

 ルクレシアは力が抜けきったアホ面を晒す。


「おまえ……先に言っとけよ。……オレが突っ込んだのは、おまえがなんとかするから別に、いいだろって……」

「……ルーシーは、ただ、ハガルさんを公然と痛めつけたかっただけでしょ?」


 リザルにそう言われたルクレシアは、ちらっと兜を眺めて、少し間を置いたあと「うん」と頷いた。


「あのぅ、オルレイウス? わたくしは、なにをどうすればよろしいのでしょうか?」

「リシルは治癒以外の《祈り》は使えないのですか? 例えば、味方の能力を一時的に上昇させる、とか?」


 おずおずと手を挙げたリシルに、オルはそう質問した。


 《祈り》は、《神官》や《僧侶》が寵愛を授かる神々によって効力が異なる。

 だが、オルは、具体的にどの神に《祈り》を捧げれば、どのような効果が得られるのかを知らない。

 父を偏愛していた《陽神》が治癒を司るということや、一般的な《神官》――《純潔神》、《冥府の女王》、《夜の女神》、《陽神》の信仰者たち――が、治癒や癒しに長けているということぐらいだ。


「えぇと……わたくしが授かれる加護は……《技能スキルの性能上昇》と《鎧の強化》と《盾の強化》と《破魔》と《よく回る指》、《鎮魂》と《戦意減少》と《罪赦》と《死への祈り》、《生産系技能の性能上昇》と《意気軒昂》と《筋力の強化》と《祈りの炎》と」

「待って、待ってください、リシル」


 オルに止められて、リシルは首を傾げた。


「なにかございました、オルレイウス?」

「その、なんというか、多くありませんか?」

「そうでしょうか……?」


 リシルは眉をひそめる。

 そんな彼女の発言にオルは酷く驚いていた。


 オルの知る唯一の《祈り》の適性者である父は、ほとんど治癒しか使用していなかった。

 それは、父が《陽神》を嫌っていたからということもあるだろうが、ひとつの神から受けられる加護の種類が多くないだろうことを、オルは予測していた。

 しかしながら、リシルはなんだかよくわからないうちに加護をたくさん並べたてた。


 驚いたのは、オルだけではなかったようで、ルクレシアもまたリシルに向かって唾とも雨粒ともわからないものを飛ばす。


「ウソつけッ! 姐さんだって、そんなに《祈り》を使えるわけじゃねえんだぞ?!」

「虚偽などではありませんわ!」

「そんなウソついたって、すぐにわかんだぞ?! なぁ、リズ?! ……リズ?」


 ルクレシアに呼びかけられたリザルは、ゆっくりと泥の中に膝をつけるところだった。


「なに、やってんだよ?」

「……やっぱり、噂はほんとうだったんだ」

「ハァ?」


 リザルはどうしたことか、リシルに向かって跪く。

 というか、明らかになった事実に愕然としているようだった。


「おい、リズ!」

「るる、ルーシー。……とと、《三重恩寵トリプル・グレース》だよ……」

「なんだよ、そりゃッ?!」


 呆けたようにしゃがみ込むリザルを、ルクレシアは立たせようとするが、その鎧の中に砂でも詰めたようにリザルは動かない。


「お立ち下さい、クローラルさん。どうなさったというのです?」

「みみみ、ミアドール様。あああ、あなたは、さささ、三柱の神々より、おおおぉ恩寵を賜っているんですね?」

「? ……そうですけれど。それが、なにか?」

「やっぱり! このパーティーに入って良かった!!」


 リザルの言っていることも、オルにはなにがなんだかわからない。

 というより、いつにないリザルの興奮具合に、彼は若干引いていた。


「……とりあえず、もう少し雨をしのげそうな場所で、話しましょう」


 オルは濡れそぼった三人にそう告げた。


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