第78話



 東向きの天窓から陽の差し込む、《冒険者ギルド》本部に併設された資料館で、オルレイウスは巨大な壁のようにそびえる本棚の間を歩いていた。

 書架の木立と、ページの木の葉によって構成された森のようだ、……そんなことをオルは思う。


 この資料館は、おもに達成された依頼書に報告書を付けて収容する目的で建てられたようで、申請さえすれば《冒険者》ならば誰でも立ち入ることができる。

 だが、アマリアによれば、実際に利用する《冒険者》の数は少ないということだった。

 理由は、単純に《冒険者》の間の識字率がかなり低いことと、資料の内容が簡潔すぎてあまり役に立たないからだと、彼女はオルに語った。


 依頼書に対して報告書を作成することは、《冒険者ギルド》発足当初から行われている規則のようだが、もともと平民以下の身分が多い《冒険者》の多くは、もちろん家庭教師をつけられた経験などなく、字の読み書きができない者も多い。

 ゆえに、報告書の作成は、ほぼ《ギルド》職員の業務のひとつと化しているらしい。


 結果、現場に出たことのない職員が事務的に作成するものだから、報告書は無味乾燥な事項の羅列で終わることが多いらしい。

 つまり、この円筒形に見える建物――資料館の内部に蓄積された羊皮紙の束は、大部分がまさしく利用価値を達成してしまったものがほとんどだった。


 円筒形に見える・・・という言葉は、実際には円ではなく多角形であるという意味であり、それは内部に入ると良くわかる。


 内部中央には、大きな台座の上にデモニアクスの石像が屹立しており、その周囲を取り囲むように、弧を描く卓面を持つ机がいくつも並んでそれを取り囲む。

 さらに、それを何重にも取り囲む巨大な書架が並べられていて、それが壁際まで続いている。

 デモニアクスの像に面を向ける本棚の数と出入り口と受付を合わせた数だけ、この建物には壁があるらしい。


 並べられた資料は三桁から四桁の番号で整理されている。

 頭の一桁、あるいは二桁の数字は建物の壁に振ってある番号で、その後ろの一桁は書架の位置、最後の一桁は段の位置を示しているようだ。


 例えば〈135〉と振ってある資料は、〈1〉と振ってある壁の面と並行に並べられている書架たちの、デモニアクス像から数えて〈3〉列目の書架の、上から〈5〉段目に並んでいるということになる。

 それぞれの資料は、実際に探索が行われた方角と地域ごとに分類されて収納されているらしく、オルが探すべき資料――《アブノバ鉱山》関連資料は、おおよそ〈11〉と番号の振られた壁と並行に並べられた書架たちの、デモニアクス像から〈2〉列目の書架の、〈5〉〈6〉段目にまとめられている、とアマリアが教えてくれていた。


 オルにいろいろと資料館の利用価値と利用方法を口授してくれたアマリアは、今は第六区にいるはずだった。

 昨日、ハギルにへこまされたルーシーの胸甲を修理するためだ。


「……おぉう……」

「おぉい、ニィちゃんよぅ、こんなとこに居て、暇じゃあねえのかい? 暇すぎて、ナニをいじくってんじゃあねえだろうなぁ? おい」


 すぐ隣の本棚の向こう側からは、資料の膨大さにきょどるリザルと、資料館の受付男性に絡み続けるルーシーの声が聞こえて来ていた。

 リザルもかなりダメな部類だと、オルは考えてはいたが、ルーシー――ルクレシアもまた劣らずにダメなのだという結論を得ていた。


 今のところオルは、リザルはともかくとして、ルクレシアの手綱をうまく取る手段を思いつけないでいる。

 ルクレシアは道を歩けば道行く人に喧嘩を売り、舟に乗れば行き交う舟に乗る人々を冷やかした。

 彼女の正確な年齢はわからないが、年上らしいリザルの言うことも聞かないし、師のアマリアの注意に対してはそれに倍する勢いで言い返す。


 昨夜のカサリナとリザルの話によれば、少し前まではもう少しマシだったのだ、ということ。



 拾われたばかりのころ、ルクレシアはアマリアによって大層甘やかされたそうだ。

 もともと、少しばかり粗野だったルクレシアはわがまま放題に振る舞うようになり、カサリナの躾けも焼け石に水を注ぐ程度のものだったという。


 アマリアは《冒険者》になるのだから、それぐらいのほうがうまく渡っていけるだろうと考えていたようだ。

 だが、リザルに続いてルクレシアを養成所に通わせるようになってから、考えを改めた。


 ルクレシアは先達の《冒険者》たちの講義をまったく聞かないし、真面目に養成所にも通わない。

 それでも、要領がいいのと才能には恵まれていたらしく、《槍士》としての成績は最優だった。

 問題は、ルクレシアが同輩たちをバカにして挑発し過ぎて孤立していたことだった。


 このままでは彼女は、《冒険者》になってもパーティーが組めない。

 そう考えたアマリアは伝手を使って、ルクレシアが養成所を出ると同時に貴族の子女のみで構成されていた《冒険者》パーティーに強引に加入させた。


 アマリアに助けられた経験からか、昔のルクレシアは年上の女性の前では比較的大人しくなる性質タチだった。

 年上の女性たち、しかも彼女たちは貴族の子女であり、実力こそ《初級》からなかなか上がらなかったが、言動はたおやか。

 そんな女性に囲まれれば、いくらルクレシアといえども大人しくなるのではないか、とアマリアは考えたらしい。


 それは短期的には成功したが、長期的には失敗した。

 ルクレシアの言動は、愛玩動物の世話や茶会の準備などというまったく《冒険者》らしからぬ仕事と、落ち着いた女性たちに囲まれたことによって、次第に穏やかなものになっていった。

 アマリアは非常に喜んだが、ルクレシアの情緒はなぜかだんだん不安定になっていった。


 また、どうもルクレシアの加入によって彼女のパーティーの方針が微妙に変化したようだった。

 彼女たちは《冒険者》らしい依頼を積極的に受けるようになり、パーティーは《初級》から《下級》へと昇級した。


 そして、数か月前、そのパーティーは突然解散した。

 以来、ルクレシアはなぜか輪をかけて粗暴になり、誰ともパーティーを組めずにいるのだという。



 また、カサリナとリザル当人の説明によれば、別の理由でリザルもパーティーを組めずにいた。

 元々貴族のリザルは平民よりも完全市民権における基本給金が多い。

 リザルには正直、《冒険者》をやる必要性が無く、そして致命的なことには極度の人見知りだった。


 養成所の集団生活はそんなリザルには向いておらず、カサリナはリザルの不登校を容認した。

 それでも、生来の生真面目さと才能に恵まれたリザルの成績は非常に優秀で、実技と座学を最優のままに養成所を卒業した。

 そして、リザルはそのまま救貧院の家事手伝いのような位置に収まった。


 ルクレシアのことでもそうだったが、カサリナとアマリアの教育方針はリザルに関しても食い違った。

 元々、リザルは貴族の子弟だし繊細な子なのだから無理に《冒険者》などやらせる必要はないというカサリナに対し、アマリアはせっかく才能があるのだから《冒険者》として活躍すべきだと主張した。


 アマリアの救貧院には、まだまだルクレシアの後輩たちがいる。

 彼女としては、リザルには彼らの指標となってもらいたかったようだ。


 だが、アマリアは母親カサリナとは異なって、子どもを叱ることができない性質タチだった。

 そこで、彼女は荒っぽい、これぞ《冒険者》とでもいうようなパーティーにリザルを加入させた。


 地獄のような日々だったと、リザルは語った。

 おどおどしたリザルの言動はパーティーメンバーたちを常に苛立たせたらしく、最終的にリザルの拒否権も発言も人権も無視されるようになった。

 リザルのパーティーメンバーは、盾役ではなくて、リザルをまさしく盾その物として使い、ときには《魔獣モンストゥルム》に対する餌としても使った。


 それでもリザルが命を落とさなかったのは、それだけの実力があったからだと言えなくもないだろう。

 とにかく、憔悴していくリザルを見かねてカサリナがパーティーに乗り込まねば、リザルは《魔獣》の腹に収まっていたことだろうとカサリナは語った。


 初老のカサリナに怒鳴られたパーティーメンバーたちは、母親に叱られる子どものように言い訳を繰り返した。

 ガキが足手まといだからいけない。そいつにもうちょっと実力があれば。

 カサリナはそれらを真に受けず彼らに説教をしたが、隣で聞いていたリザルは違ったようだ。


 リザルの人見知りは、対人恐怖症の域に達し、ただでさえ乏しかった自信は粉微塵に砕かれた。


 その一件以来、反省したアマリアによって穏当そうなパーティーへの加入にリザルは連れ出されたが、一度、探索に出ればクビを言い渡された。

 言われる理由は「意思疎通ができない」「顔が見えないから表情も読めない」「いざという時に逃げる」「甲冑を着ているのに前に出ない」などなど。

 そんなことを繰り返すうちにリザルは人前で甲冑を脱がなくなってしまった。


 カサリナでさえリザルの顔を最後に見たのがいつだったか忘れてしまっていた。



 文献を見つめながら、オルが考えていたことは、どうも相性が悪いのではないか、ということだった。

 確かに、リザルもルクレシアも相応の問題を抱えていたに違いないだろうが、アマリアの荒療治がなければ悪化しなかったのではないだろうかとオルは考える。

 かと言ってアマリアが悪いかと言えば、そういうことでもなく、相性の悪さのみが際立っている印象だった。


 なんだかなあ、と思いながら、オルは《アブノバ鉱山》関連資料に目を通していく。

 既におおまかに、十六年前と八十年前、ふたつの報告書を眺めたあとだった。


 ハギルが言っていたように、《アブノバ鉱山》の探索は非常に一般的なもののようで、探索事例がとても多かった。

 何百という探索報告書にざっと目を通していくと、時折、几帳面な《冒険者》が残した報告書に行き当たる。

 その存在が、今のオルにとってはなによりもありがたかった。


 報告書の書式には基本的な形式があるらしく、


 一、依頼受領日

 二、依頼達成日

 三、現場地域概要

 四、依頼概要

 五、達成者名


 以上の項目が必ず立てられていた。


 簡潔な報告書と詳細な報告書の差がどこにあったかといえば、三と四の項目の情報密度だった。

 もっとも簡潔な部類の報告書の、三番目の項目には〈《アブノバ鉱山》〉としか書かれていないものまである。

 四の項目に至っては、難度と報酬額しか記載されていないものが少なくない。


 だが、詳細な報告書にあっては、三の項目に〈別紙参照〉と書いて周辺地図までつけているものもあれば、わざわざ鉱山の断面図を描いて、過去に崩してしまったものから現在のものまですべての坑道を書き記したものまである。

 四の項目にあっては、日記風に《ルエルヴァ》出発から帰還までのすべてを冊子状にして付けてあるものまであった。


 それらに細かく目を通していくことは非常に疲れる作業だったが、オルはそれが必要だと考えていた。


 オルが八十年前と十六年前以外の資料にも目を通そうと考えたことは気まぐれではない。

 どこにヒントが落ちているかもわからないし、まず、一般的な事例とどこが異なるのか把握しなければならないと考えたのだ。


 詳細な報告書は十数件ほど、八十年前と十六年前の報告書にはどちらにも〈別紙参照〉の記載があったが、肝心の別紙が付いていない。

 それでも、割と簡潔なものだったが、ある程度の情報はその本紙のほうにも残されていた。

 どこの坑道が現場だったか、依頼前にどのようなことがあったか、それらが簡単に明記されていた。


 アマリアの言うように八十年前と十六年前の報告書とそれ以外のものの差は歴然としていた。


「表記が違う」


 そう、ほとんどの報告書には人的被害の数は〈死傷者数〉として明記されているが、例外とでも言うべき二件の事例では〈行方不明者数〉となっている。

 つまり、死亡を確認することができなかったということだ。

 加えて、ほかの事例が数人なのに対して、その二件だけが異様に数が多い。


 アマリアが《魔獣》ではないかもしれない、と語った理由がオルにも理解できた。

 《魔獣》が人族を襲う理由は、おもにみっつに大別されると言われている。

 食事と、縄張りの維持と、攻撃本能だ。


 だが、どちらにしてもまったく痕跡を残さないというわけにはいかないはずだ。

 骨まで食べる《魔獣》は少ないし、血の痕跡まで嘗めとるような《魔獣》はいないのではないか。

 縄張りの維持に関しては、周縁に死体を残しておいたほうが効果的なはずだし、攻撃本能とやらでは死体の後片付けなんかしないだろう。


 加えて、数十人単位の人間が消えた痕跡を完全に消しているというのが解せなかった。

 オルの思考は巡り、資料を隅々まで見ていく。


 詳細な報告書によれば、出現する《魔獣》として過去挙げられているものは、《魔猿ケルコープス》か《穴小鬼コボルト》が多く、例外としては《ハルピュイアイ》などの《魔鳥》があるのみだった。

 どれも群れて活動する《魔獣》であり、繁殖力に富み、また《魔獣》のなかではそれなりに知能が高いと言われている。

 どうやら、坑道のうち、人の手があまり入らないものに《ロクトノ平原》から流れて来たそれらが棲みつくようだ。


 だが、知能が高いといっても数十人からの死体の痕跡を消すことができるほどとは思えないし、やる意味があるとも思えない。

 それにそのような《魔獣》は群れるからこそ怖ろしいのであって、数体程度ならばそれほどの脅威にならない。

 やはり、それらの《魔獣》が原因とはオルレイウスにも思えなかった。



――オルは改めて、十六年前の報告書の討伐者欄に記載されている名前を見た。


〈イルマ・ザントクリフ・ユニウス・レイア、ニコラウス、老司祭〉


 イルマはともかくとして、ニックはなぜ名前だけなのか。

 老司祭というのは、ニックの手記に一緒に《冒険者》をしていたと書かれていたイェマレン司祭でいいのだろうか。

 管理体制が強化される前とはいえ、適当すぎないか、《冒険者ギルド》。


 などとオルは考え、次いで八十年前の報告書の討伐者欄にも改めて目を通す。


「……これは、そういうことなのだろうか……?」


 そこには、擦れた文字で次のふたつの名前が並んでいたのだ。


〈モロキ・イェマレン、ニコラウス〉


……確かに、ニコラウスの手記には、イェマレンの年齢が百五十歳を超えていると書かれていた。

 それに、よくよくオルが思い返してみたところ、自分がイェマレン司祭の名を知らなかったことに気がついた。


 初代デモニアクスの師であるというイェマレン司祭ならば、《聖モロキ》――聖人と崇められていてもおかしくはないかもしれない。

 ニコラウスが《魔族戦争》終戦後、なにをしていたかはわからないが、イェマレン司祭と共に行動をしていたという可能性はなくもない。


 つまり、オルの父ニコラウスとイェマレン司祭は、二度、《アブノバ鉱山》の異変を収拾している……?


 そこまで考えたオルだったが、肝心の《アブノバ鉱山》の異変の原因についてはわからなかった。

 一度目は八十年前、二度目はそれから六十四年後の十六年前。

 そして、三度目が今回。


 そこには周期性を見出せそうな、見いだせなさそうな。

 だが、少なくともニコラウスはなにか知っていたはずだ、とオルは考える。

 昨日、リザルが《アブノバ鉱山》は《魔族》にとって有数の鉱脈だったと言っていたことを思い出したのだ。


 オルはふたつの報告書を見比べた。


 実は、八十年前の報告書について一点だけ、興味深い端書きがある。

 見慣れた父の筆跡。だが、八十年の時を経たものではなく、おそらくは後から書き足されたもの。


〈湖だ〉


 それだけだ。

 貯水池ではなく、湖。

 父の筆跡でなかったら、ただの落書きか書き間違いだとでも考えたことだろう。


 では、なぜ湖なのか?

 どの報告書に目を通しても、《アブノバ鉱山》の周囲に湖があるなどという報告はなく、水棲の《魔獣》の出現例も無い。


 なにか、ヒントが欲しい。


「……おい、陰毛ヤロウ」


 その声に振り返るとルクレシアとリザルが立っていた。


「閉まるらしいぜ?」


 東から差し込んでいたはずの陽が赤く染まって西側から差し込んでいた。

 閉館時間を告げたルクレシアは、「けえるぞ」と言ってさっさと歩き出した。


 資料の持ち出しは禁止されている。

 名残惜しく思いながら、オルレイウスはそっと父の筆跡の残る報告書を書架に戻したのだった。


 

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