第72話 幕間



――そこは球の内部のような場所だった。

 ドーム状の高い天井と、くり抜かれたような半球の深い床。


 球の床側の頂点、その中央部には広場ほどの大きさの空間に演説台が設えられ、それと対となる天井の頂点とドームのそこここには採光用の穴がぽっかりと空いていた。

 永い経年にもなお純白を喪わない白壁に、天井から差し込んだ光が映えて、その白さに目が眩むほどだった。


 演説台の南北の壁際には、それぞれ入口と、球状のドームと床の中間ほどの高さに七つの席がある。

 南の入口と中央の広場と北の七席。

 それ以外の半球の床には、十分な間隔を空けて四十二の席が用意されていた。


 一枚布の上衣に身を包んだ者たちが席を埋めている。


――北の七席を埋める七名の終身議員と、四十二名の議員から成る、《ルエルヴァ共和国》最上位意思決定機関。

 この場所の名前を取って、彼らこれらの席を埋める者たちは《元老院》と呼ばれる。



「――《最上位冒険者》、《テオ・フラーテル》――《優良者》クァルカス・カイト・レインフォート殿、これへ」


 声を上げたのは北の七席の中央に座した老年の男性。

 彼は左右の終身議員たちに目をやり、起立を促す。

 ほかの全ての議員たちと、たった今入場した私を眺めながら、彼――マリウス・レギウス・クルソラムは、《女神アルヴァナ》とすべての《共和国民》へと宣誓する。


「――さて、本日、四つ目の議題に移ろうか。……クァルカス・カイト・レインフォート殿」


 私は、演説台の上から七つの終身議員席を見上げる。

 いつも、私たち《冒険者》が向かう市外に生息している《魔獣モンストゥルム》どもとは違う。


 見下げる者らだけではない。

 ほかの四十二対のどの視線も私を《魔獣》以上の熱意で見、そして量っている。

 私になにが出来て、なにが出来ないかを、ここにいる者たちは知ろうとしているのだ。


「貴殿は本来、《第一歩兵民会》所属ではあるが、この度はさきに述べたように《冒険者》として召喚されている」

「承知しております」


 カイト・レインフォート家は下級貴族に過ぎない。

 私は先代レギウス・レインフォート家当主の庶子にして、当代レギウス・レインフォートの異腹弟にすぎない。

 ほぼすべての議員が《上級民会》所属の上級貴族たちから選出される《元老院》に足を運ぶ機会など、《最上位冒険者》としてでなければあり得ない。


「たった今、《純潔神》の御名に貴殿が誓われたように、事実のみを語って頂こうか」

「承知いたしました」


 私の答えを聞いた白い長髪のクルソラムは目を細めた後で、老齢とは思われないほど声を張り上げる。


「それでは、《アプィレスス大神殿》の神託、およびその対象と考えられる《妖獣種レムレース》――《妖鳥王エンヘン・ディナ》討伐に関する報告を――っ」


 それまで静かだった《元老院》にざわめきが起きる。

 私は周囲の様子を窺った。


……確かに《妖獣種》の、それも王と呼ばれる存在ならば、《予知神》の神託も納得がいく。

……《妖獣の王》をほふったとなれば、かの《デモニアクス》以来の快挙か。


 素直にそう囁き交わしている者は、予想以上に少ない。

 我々、《テオ・フラーテル》が奔走して《妖鳥王》討伐に関する情報を統制していたというのに、動揺している者は全議席中、五分の一もいない。

 大多数の議員たちは先刻承知済みというすまし顔で座している。


 相変わらずイヤな、そして気持ちの悪いやつらだ。

 私には量れないものを秤にかけ、私には見通せないものを見通す。


「事の経緯を偉大なる《元老院》にご報告申し上げる。……発端は、先年のエルモネラの月の十二夜のこと。《ロクトノ平原》にて、みっつの《鬼火》が観測されたことが……」


 口を動かしながら、私はまったく異なる思考に囚われていた。


 彼ら《元老院》の大多数はどこから情報を入手しているのか?

 私たちが――正確にはあの子どもが――《エンヘン・ディナ》の討伐に成功した事実を知る者は限られる。


 同じ氏族クランに属し、今回、私の請願を受け入れたクルソラムは別として、ほかの者たちはどのようにして知った?

 隠匿するために、わざわざここ《ルエルヴァ》から離れた属領都市オクトダラスの《冒険者ギルド》を選んで、戦利品を保管しているというのに。


 私のパーティーメンバーから漏れることは無い。

 ロスは禁酒しているし、ハギルは念入りに脅しているし、ルドニスは滅多に喋らない上に分別がある。

 ゆえに、考えられる情報流出の経路はおもに三つ。


 その中で最もありそうなのは、客人であり依頼元の《ルエルヴァ神官団》所属であるリシル・グレンバルト・デモニアクス・ミアドールからか。

 《ルエルヴァ神官団》と《元老院》は、まったく別物には違いないし、一般的に聖俗の交わりは忌避されていたはず――



「――では、《鬼火ウィルオ》と思われたものの正体は《双生神》だった、と?」


 議席のひとつから発された質問。

 クルソラムが刹那の渋面を見せ、少なくない数の議員たちもまた見せかけの嫌悪に顔をゆがめる。

 彼らの場合は、それもまた交渉術だ。


「メプロバスト殿。順序を踏まれよ」


 クルソラムの注意に、輝く銀髪の男――ライオス・レンス・メプロバストは白い歯を見せた。


「失礼致しましました。マリウス・レギウス・クルソラム殿。……それでは、質問を」


 クルソラムは平静そのものに戻った顔でメプロバストに頷き返した。

 議員たちを蒼褪めさせる彼の渋面も、この男には効果が無いようだ。


――厚顔な《大神官》。


「クァルカス・カイト・レインフォート殿、先程は失礼した。みっつの《鬼火》だと思われたものうち、ふたつの正体は、《双生神》の《神火》だったということでよろしいのですかな?」

「それは、そちらのほうが良くご存知なのでは? 《大神官》メプロバスト様」


 メプロバストはより笑みを深め、ざわめきが《元老院》を満たす。

 私の耳には噛み殺し、吐き捨てる罵声と、心地よさげな称賛が聴こえていた。


……《準位最高司祭》どのも、《優良者》には敵わぬだろう。

……下賤の腹より産まれた者めが、身の程を知らぬ。

……《神官》なぞが栄誉にまで手を伸ばすゆえ、噛みつかれるのだ!

……薄汚い妾腹の《冒険者》めが、!


「――静粛に」


 クルソラムの威厳に満ちた声に、場内は徐々に静寂を取り戻していく。

 マリウス・レギウス・クルソラムは表情を変えないまま、私を青灰色の瞳を以って射る。


「クァルカス・カイト・レインフォート殿。メプロバスト殿は只今は・・・、《元老》としてここに列席されている。……質問に応じられよ」


 私は頷き、笑顔のメプロバストへと向き直る。

 罵りを囁かれようとも、まったく変わらない笑みを浮かべる男へ。


――ああ、イヤな男だ。


 確かに長い《ルエルヴァ共和国》の歴史においては、《神官》が《元老院議員》を務めたことがあるとは耳にしている。

 だが、メプロバストはこの席をアルヴァナ金貨で購った。


「……メプロバスト殿、失礼いたしました。……確かに、報告にあったみっつのうち、ふたつの《鬼火》は、仰せのごとく《双生神》であった、と」

「もうひとつ、よろしいかな、レインフォート殿。……それを確認した者は、何者なのでしょうか?」


 わかっている。《元老院》の席などというものは、所詮、購われるものだ。

 名声と、アルヴァナ金貨の輝きによって。


 だが、この男はなおこの笑顔を私に見せるのだ。

 まるで、婦人を魅了するために用意しているような、己の魅力を惜しげもなく振り撒くような。


――なぜ、それほど心地よさげに笑う。

 なぜ、そのように笑えるのだ。


 ああ、良くない衝動だ。

 出来ることなら、この場にいるすべての者を、一人残らず殴ってやりたい。


 情誼すらも秤にかけ、親愛と真心を売り捌く。

 特に、聖職にありながら、それ・・に悦びさえ見出しているこの男は――


「レインフォート殿、いかがされましたかな?」


 その笑顔に沸き起こる嫌悪を、飲み込んだ。


「…………失礼。私の徒弟となった者が認めております」


 さきほどよりも多くの議員たちがざわめきを上げる中、私はクルソラムへと合図を送る。


「その者については、同じくクァルカス・カイト・レインフォート殿より、議題が提起されている」


 クルソラムは息を吸い、そして、改めて議員席を見渡した。


「その者、オルレイウスに、《中級冒険者ミディアム》の責務と権利を与えるべきだ、と――」


 今度は半球を埋める議席すべてにさざ波が起こった。

 立ち上がった者までいる。


「マリウス殿っ! 《冒険者》ごときの身内びいきに我らを付き合わせるおつもりかっ?!」

「タンドス・アイトマートフ・カイエン殿、座られよ」

「しかしながら、クルソラム卿っ! なんのために《冒険者民会》などというものがあると思し召しかっ!」


 ひとつ呼吸を置き、クルソラムはタンドス・アイトマートフ・カイエンを含む、議員たちを睥睨した。

 老齢の彼に威圧され、《元老院》は静まり返る。

 だが、静かな水面の下で潮流が渦を巻くように、未だ着席しないカイエン卿を初めとした多くの議員たちは私へ敵意に満ちた視線を投げつけている。


 それらはどうも、建前を取り払ったもののように私の瞳には映った。

 そんな情を未だに持ち合わせていたのか。

 なら、私も少しだけ彼らに親近感を覚えることができるだろう。


「この議事を進行する私の耳には、次のような言が入れられている」


 クルソラムは、また一拍を置いて、視線を己に集めると、口を開いた。


「オルレイウスなる十三の少年が、《妖鳥王》討伐に際し目覚ましき功を挙げたゆえ、《優良者》クァルカス・カイト・レインフォートの徒弟とし、また、《冒険者ギルド》において《中級冒険者》の責務と権利を与えるべきである、と。……間違いはないかな、レインフォート殿?」


 彼の言葉が終わる前から、徐々に《元老院》は異様な静けさへと落ち込んでいく。

 しわぶきどころか、囁きも、息遣いさえも消えていく。

 ただ、すべての瞳が今度は敵意とは異なったなにかを孕んで私に注いでいる。


 まるで伏魔の森にでも投げ込まれた気分だ。


 驚くべきことに彼らはこれほど熱心に私の姿を注視していながら、その実、私にも私の徒弟にも興味など持っていない。

 彼らが見つめているのは、私たちが彼らにもたらすものだ。


 人性を捨ててまで、彼らが追い求めるものが、私には理解できない。

 だからこそ、気味が悪く、怖ろしいのだ。


「……事実です」


 どよめき。

 だが、たったひとりの老人の手によって、それはすぐに沈黙へと変わる。


「よろしいかな、マリウス殿」

「貴方ほどの御方が、私などに許しを求められることがございましょうや」


 クルソラムが静かに着席し、その白髪短髪の痩身の老人が代わりに立ち上がった。



――七名の終身議員のひとり、ユリアヌス・アレントゥス・ホノス。


 任期二年の最高行政官である執政を、七期連続で務めた男。

 かつて十四年間、《ルエルヴァ共和国》はこの男と共にあった。


 《上級民会》に籍を置く者たちが羨む老人。

 栄誉と権勢のすべてを手に入れ、それと同化したとでもいうべき男。



「《優良者》クァルカス・カイト・レインフォート殿。貴殿の勇名はこの弱った耳にも聞こえている」

「光栄に存じます、《老アレントゥス》」


 老人らしい柔和な笑みと立ち姿。

 それでも、なお、この強大な《共和国》を動かし、今なお躍らせているという事実が彼の姿を大きく見せる。


「さて、クァルカス殿。……そのオルレイウスという少年の姓、あるいは氏は?」

「……ございません」


 《元老院議員》の反応は様々だった。

 思案顔の者、哂う者、先を予想して私をねめつける者、あるいはホノスの立ち姿に見惚れる者まで。

 ただ、六名の終身議員たちと、私に微笑みかけるホノスの表情はまるで揺るがない。


――いや、もうひとり。

 ライオス・レンス・メプロバストだけが、私だけを見つめ輝く笑顔を振り撒き続けていた。


 《老アレントゥス》――《共和国》初期から存在するアレントゥス氏族の、現在最高の惣領は、柔らかく口を開いた。


「つまり、奴隷かな?」

「仰せの通りにございます」


「――この《元老院》にて――」


 頑として着座を拒んでいたタンドス・アイトマートフ・カイエンの声。

 しかし、彼はそこで口を噤んだ。


 ホノスの指が彼を指していたからだ。

 枯れ枝のような指がわずかに上下する。

 それに従ってタンドス・アイトマートフ・カイエンは、蒼い顔をして着座する。


「クァルカス殿。貴殿の徒弟は、どれほどの実力かな?」

「経験は不足しておりますが、既に少なくとも《上級冒険者》に相応しい剣と、そして《魔法》の腕を」


 十三にして? そんな言葉が漏れ聞こえた。

 そう、通常ならばあり得ないことだ。

 だが、少なく見積り過ぎてもそれだ。


 そもそも、あの少年は既にその領域にはいないのかもしれない。


「その生国は?」

「……《グリア地域》であると聞いております」

「《グリア》もまた懐が深い。貴殿ほどの勇者の徒弟に相応しい少年が産まれる。確か、貴殿の剣の姉弟子も《グリア人》だったな?」


――背筋が凍りつく。


 当時を知る《冒険者》ですら、その事実は知らない。

 ロス・レギウス・サルドーラムの徒弟だった私には、彼を含めて六人の師がいたのだ。

 そんな節操のない《見習い》が誰に師事し、その姉弟子が誰だったかなど、ほんとうならば当人たち以外憶えているはずもない。


 だが、ホノスは事もなげに言うのだ。


「《まがつるぎのドルギアス》が、貴殿らの師であったか?」


 大勢が息を飲みこむ音。



 かつての私の剣の師にして、《魔族戦争》終結以来、初めての《剣聖》到達者と言われる、ドルギアス・ゴーグ。

 彼の名を知らない者は、根っからの《共和国》生まれではないだろう。


 しかし、彼が死ぬ間際のことを正確に知っているのは、彼女と私――ドルギアスの弟子たちだけだ。

 ただ、遺された肉片と神々による神託は、彼の名を永遠にした。



「どうだったろうか。このかびた記憶は正しいかな? 《優良者》どの」


 微笑んでいるであろう老人の顔を直視できない。

 彼はどこまで知っているのだろうか。

 なぜ、ここでそれを問うのだ。


 クルソラムからの助け舟は出ない。

 正しく、答えるべきなのか。それとも、偽るべきなのか。あるいは、どこまでを語るべきだろうか。


 剣技に狂い、そして死んだ、あの英雄ドルギアスの最期と、私が目にしたもの――



――《禍つ剣》。それは《共和国》が震撼した悪夢だ。

 神々に愛されたはずの《剣聖》保持者が、同胞たちに凶刃を向けるという白日夢。


 弟子だった私ですら、彼の凶行に戦慄した。



――だが、怖ろしい。なお、恐ろしい老人だ。

 この老人は、私について、いったいどこまで知っているのだろうか。

 そして、なにを求めているのだろうか?


「…………事実です。しかし、彼を師と仰いだのは一時のこと。また、姉弟子とはこの十数年、音信不通にして」

「かの《戦豹》が、我らが《ルエルヴァ共和国》を離れたのは、私が執政にあった時だった」


 ホノスが上げたその名に反応した者もまた少なくはない。



 《戦豹》――イルマ・ザントクリフ・ユニウス・レイア。

 《剣聖》到達者にして、ドルギアス・ゴーグの一の弟子。そして、私の姉弟子。

 未だに「最強の《剣士》は誰か?」と問われると、「《戦豹》以外にはありえない」と応える《冒険者》は少なくない。


 ドルギアスの事件によって《冒険者》の管理体制を強める《共和国》から、彼女はあっさりと出奔して見せた。

 《元老院》にとっては著しく不名誉なことだったはず。



 私を取り囲む視線が、より一層深刻さを増す。

 猜疑。警戒。嫌悪。少ないながら好奇と同情。そして、敵意と殺意。

 その中で、私がやっとの思いで仰ぎ見たホノスの瞳は、なお静かだ。


 喉の渇きを覚えながら、口を開いた。


「私の、《共和国》と《元老院》への忠誠を御疑いでしょうか?」

「まさか。貴殿はかの者らとは異なる」


 皺だらけの顔の笑み細められた目蓋の奥の瞳。

 それをどれだけ窺おうとも、彼の意図は読めない。


「ただ、《優良者》たる貴殿の眼には、その少年はどのように映っているだろうか?」


 老人が予感しているもの――それは、おそらく私があの少年に感じたものと同一のものではなかろうか。


「……それは、徒弟が、彼らと同じなのでは、とのご懸念でしょうか?」


 ユリアヌス・アレントゥス・ホノスは微笑を浮かべたまま答えない。

 答えないが、それでも私は確信した。


 この男は、私に逃げ道を与えようとしているのだ、と。


「万が一、そのようなことがあり得たあかつきには、私の手によって徒弟の息を止めましょう」


 私の言葉に《老アレントゥス》は満足したように頷き、宣言する。


「さて、栄光ある《元老院》に名を連ねる諸氏よ。私がふたりの兇人の名を上げたことによって、まさか、君たちともあろう者が、誤解することはないでしょう」


 ささやかな手振りで彼は私を示し、続ける。


「彼こそは《優良者》――クァルカス・カイト・レインフォート。私が明かした事実は、むしろ兇人たちから、彼がどれほど遠いかを示している」


 静かな、それでいて良く通る声で。


「彼の師は誤り、彼の姉は去った。それでも、彼は我らと共にある。――ならば、私たちは彼の覚悟と信頼に応えるべきだろう」


 彼の語りかけた言葉に、ぱらぱらと、やがて寄せる大波のように、拍手が起こる。

 それを聞き、ユリアヌス・アレントゥス・ホノスは居並ぶ終身議員席へと微笑み、そして最後にこの議事の議長を務めるクルソラムへと頷きかけた。


 この議事において、私の庇護者たるマリウス・レギウス・クルソラムは無表情に頷き、立ち上がる。


「それでは、この件については、ホノス卿の言葉と、クァルカス・カイト・レインフォート殿の誓い、……そして、なによりも《元老院》諸氏の喝采を以って、採決としよう。いかがだろうか?」


 クルソラムの言葉。

 それにさらなる拍手が巻き起こる。


 それを受けて、クルソラムはひとつ私に頷いきかけ、そして、腕を大きく振って拍手を収めた。


「それでは、クァルカス・カイト・レインフォート殿に《妖鳥王》討伐に関する事実報告を続けて貰おう」


 私は、クルソラムの指先に応じて、おそらくは《冒険者ギルド》へと走る書記官を眺めて、続きを語る。


……始終、私から剥がれることの無い、笑み細められたメプロバストの視線を感じながら。



 〓〓〓



――いったい、どこまでがマリウス・レギウス・クルソラムの手のひらの上だったのか――?

 それとも、ユリアヌス・アレントゥス・ホノスによってゆがめられたものだったのか…………?


 私が物思いに耽りながら、《元老院》を出ると、正面からひとりの巨漢がやって来るのが見えた。

 ゆったりとした服にも隠れきれない筋肉と、短く刈られた髪の色はほとんど見ることがない黒。

 《共和国》に二名だけの軍務長官のうちのひとり、ザカリアス・ラインバッグだ。


 軍務長官殿は、珍しいことに鎧姿ではなく議服を着用している。

 どうやら、彼もまた《元老院》に召喚されているらしい。


 相手も私に気づいたようで、額から左眼を跨いで頬まである三本の傷をゆがませた。


「《優良者》どのか」

「久しいな、《三英雄》の末裔どの」


 ザカリアスは苦笑をこぼし、私に歩み寄って来て肩を叩く。


「そろそろ、総司令下こちらで働かないか、クァルカスどの?」

「私が《冒険者》を辞めると思うかね?」


 強面のザカリアスが両手を挙げてまさしく、お手上げといった格好をする。

 傍から見れば、私が彼に襲われているように見えるかもしれない。

 私もそれなりの巨躯だが、ザカリアスより額ひとつは小さい。


「高名な貴男が率いるだけで、《第一歩兵大隊》の者どもは気概を見せるだろうに」

「今だって、十分に力を発揮しているだろうに」


 彼は兵士たちの実力に不満を覚えているらしく、鼻で哂った。

 次いでザカリアスは私と、今、私が出て来たばかりの《元老院》へとつながる門とを見比べる。


「それで?」

「それで、とは?」

「《優良者》どのが呼ばれるとは、何事だ?」


 ザカリアスの問いたげな視線。


「《妖獣種》の王の討伐に成功した」

「なんと……」


 言葉を喪うザカリアスに、私は逆に問いかける。


「きみは、なぜ老人たちに呼ばれたのだ?」


 彼もまた察したようだった。

 《妖獣種》の王の討伐――それに伍する程度の情報を寄越してもらわないと困る。


「……まあ、構うまい」


 刹那の逡巡ののち、ザカリアスは語り始めた。


「北西の《ギレヌミア諸族》に動きがある」

「《ギレヌミア諸族》? 一氏族ではないのかね?」


 首を横に振って、彼は続ける。


「北の《ギレヌミア王》……その噂は聞いているか?」

「確か、昨年の春に《冒険者》の間でも話題にはなったが……」


 あまり名の売れていない《上級ハイアー・冒険者アルゴノーツ》が、戦ったとか戦わないとか言っていたはず。

 しかし、《ギレヌミア王》だ。そう名乗る者が、出現したのは史上初めてのことで、わずかに二、三年前のことだった。


 《ギレヌミア諸族》に指導者が現れたならば、それは《ルエルヴァ共和国》にも無視できない脅威となる。

 全員が馬に乗って移動する《ギレヌミア人》は脚が速い。

 北方の遠い出来事だと侮っていれば、あっという間に鼻先に刃が迫ってしまうことだろう。


 実際にその《ギレヌミア王》とやらによって、《グリア地域》にある国が滅亡したとか、しないとか聞いた憶えはあったが。

 しかしながら、その《ギレヌミア王》とやらは、確か。


「……死んだのだろう?」


 そう。

 《ギレヌミア王》を名乗っていた者は死んだはずだ。


 それを確認するために《ルエルヴァ神官団》さえも動いたはずだ。


「ああ……だが」


 ザカリアスは頷き、そして、言う。


「だが、いるようなのだ。《ギレヌミア王》を名乗る者が」


 真実。ザカリアスの瞳がそう語っていた。


「かつての《ギレヌミア王》と同じかはわからん。……だが、確かに存在する」

「いくつの氏族を従えているんだ……?」


 私の問いかけに、なぜかザカリアスは首を横に振った。


「わからない」

「わからない? 《ギレヌミア人》が大規模な行動を起こして、わからないなどということが?」

「耕しているのだ。そして、麦を育てている」

「――はっ?」


 嘘ではないかと思った。

 《ギレヌミア人》が耕作を行い、それも麦を生育するなどという話は聞いたことがない。


 彼ら《ギレヌミア人》は他力を頼らない。

 ゆえに、天候を初めとした神々の恵みに頼らざるを得ない農耕を厭う。

 それは長大な歴史が証明している。


 だが、ザカリアスの茶色い瞳はそれが事実であると告げていた。


「それも、どれほどの氏族が参加しているのか、全容が掴めない。……元々、散り散りの《ギレヌミア人》の正確な数など、誰も知らないしな」


 あの《ギレヌミア人》たちに耕作を教えて導いている者がいる。

 それだけでも驚くべきことだが。


「それを率いている者が、《ギレヌミア王》だ、と?」


 彼はそこでなぜか困惑したような情けない笑みと共に頷いた。


「大きな声では言えないのだが……播種用の麦を売るふりをして、《工兵部隊パイオニア》を商人として潜入させた。……そこで、聞いたのだそうだ」


 ザカリアスは半ば笑い、半ば呆れながら、言った。


「『これで、《ギレヌミア全裸王》もお喜びになるだろう』という《ギレヌミア人》の言葉を」

「――っ??!」


 私は言葉を喪った。

 その場でよろめいてしまうほどの衝撃を魂に受ける。

 まるで《巨鬼》の棍棒でも受けた時のような。


「クァルカス?」


 私の体を支えようとする、ザカリアスの手を私はやんわりと断った。


「……なんでもない。……あまりにも下らない称号に目眩を覚えただけだ……」


 私の返答に彼は笑った。


「だろうな。俺も冗談か聞き間違えかと思ったよ。しかし、さすがに《元老院》には……おい、もう行くのか、クァルカスどの?」


 歩き出した私を呼び止める、ザカリアスの声に向かって手を振り、私はよろめきながらその場を後にした。



――《ギレヌミア全裸・・王》――?


 偶然。偶然に違いない。

 なぜならば、あの少年は、《ギレヌミア人》ではないし、ここ数か月我らと共にいるのだ。

 彼がいくら北から来たからといって、関係があるわけは無い。


 だが、彼以外にそんな涜神的な称号が似合う者がいるだろうか?

 あるいは、彼と同じようなを持つ者がまだ……?


…………私は、そんな煩悶と共に、ロス・レギウス・サルドーラムの邸宅へと向かった。

 私の師ならば、《奇才》サルドーラムならば、なにか。


 見過ごすことはできない。

 なぜなら、彼は私の徒弟なのだから。


 そう、呟きながら。


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