第71話 幕間



 そぅっと底冷えするような石の床に踵をつける。

 そんで、ゆっくりと寝かせるように足の裏を爪先までのっぺり踵の動きに続けてく。


 焦っちゃなんねえ。

 そんなこたぁ、素人どものやることだ。

 コツは歩くんじゃなくて、足の裏を押し付けるってなとこだろうな。


 石壁は音が響きやがる。

 夜中たって、ちっと高い音を上げりゃあ、誰かしらに感づかれるだろうさ。


 それにしても。こんな夜中にランプを点けっぱなしにしてんだ。

 やつに気ぃ遣うモンもいるってこったな。

 暗がり歩かにゃなんねえ、オイラにしたってありがてえ。


 しかし、やだねえ。ああ、いやだ、いやだ。

 お貴族さまがたってえのは、ワリいことばっかりやってんだろうな。

 どんな貴族屋敷にも、地面の下にゃあ、こんなモンがありやがる。


 何百年前からあんのか知らねえが、冷てえ石床と石壁に、錆びついた鉄格子。

 かび臭えし、辛気臭えし、ついでに糞尿の臭いと死臭までしやがる。


 御上の言うこときかねえオイラみてえのが、ぶちこまれて来たんだろうさ。

 そういうやつばらが、がりがり引っ掻いた痕みてえのが格子の向こう側にゃ、たんと残ってる。


 どんだけの人数がこんなとこでこの世とおさらばしたもんか知れるってえもんだ。

 そいつらの死体の頭の上にでっけえ家をオッ建てて、ぐーすか寝られるってんだ。

 お貴族さまの胆はふてえや。


 オイラにも全然関係ねえ、ってわけでもねえが、ご同輩のために《冥府の女王》にお祈りしてる暇もありゃしねえ。

 下手うちゃ、オイラもお仲間入りだ。


 だいたい、こんなとこ、長え戦争中ならまだしも、今時分使いやしねえだろ。

……なーんて思ってるやつぁ、甘え。


 どんなモンの臓物も臭うもんだが、ここの家の貴族野郎よりはマシだろう。

 今時分こんなとこに、どんなヤツをぶっこんどくのかと思やあ、自分の弟だってんだから笑かしやがる。

 ガキどもで殺し合う畜生どもだって、んなこたあしねえっつーの。


 おっ、いた。

 よりによって一番奥にぶちこまれてやがる。


「……おい。……おい」


 返事がねえな。

 まさか、おっんでんじゃねえよな、おい。


……ちげえな、寝息が聞こえる。

 まじかよ、こいつ。


 なんでえ、しかも、良く見りゃぬくそうな綿の毛布があるし、摘み花に、本に、木剣まで置いてあらぁな。

 ずいぶん快適そうじゃあねえかよ。


 そんなら、オイラは先に仕事にかかるかねえ。

 おい、出番だ相棒。袖ん中に忍んでる場合じゃねえ、顔出しな。

 よしよし、いい具合だ。


 今夜の相手は、年代もんのごつい錠だ。

 親父が作る仕掛け錠なんかより、よっぽど取っつきやすいわな。

 さあ、いっちょやったるかい。


「…………なにしてんの、ケット?」

「――きゅっ……」


 急に声かけんじゃねえっ!

 あほっ面ぁ、ぶら下げやがって、てめえ。


「きゅ?」

「……声が高けえ。落とせ、アークリー……」


 相も変わらず、へらへら笑いやがって。

 こちとら仕事の真っ最中だっつぅんだよ。


「で? なにしてんの?」

「……見てわかんねえか? 伯爵さまのご令息をお救いに来たってわけだ。いんや、新伯爵さまの弟君ってのが当たりかね?」


 へっ、驚きもしやがらねえ。

 相変わらず妙ちきりんな胆の据わり方してやがらあ。


「ずいぶん、遅かったじゃん? 腕鈍ったんじゃない?」

「ばか野郎だな、世間さまじゃあ英雄さまでもよぉ? てめえんとこのばか兄貴が手放すわきゃあねえ。……この夜んために、手下潜り込ませて、てめえの居場所探って、段取りつけてぇ……よっ」


 錠を袖でくるんで、堅え格子を爪先でかるく弾く。

 かるーくだ。


 がつんと響く感触は、悪かねえ。

 戦狂いどもが、獲物の悲鳴を聞きたがるのは、オイラがこいつを何回でも鳴かせてえと思うのと似てるんだろうなあ。


 へっ、蝶番が錆びついてやがる。

 ちぃっとばかし静かに開けねえとなあ。


「ケット、開いたの?」

「錠は開いた。だが――っ」


 このばか。んな盛大に開けたら、音が響くだろうが!


「さっさと行くよ~」

「だああっ……走るんじゃねえっ」


 なんで、ガキってえのは手がかかるのかねえ。

 木剣持ってすたこら行きやがる。

 んでもって足音なんざ気にもしねえで、石段を上がりきりやがったら、今度は門とは逆に駆け出すってんだからたまったもんじゃねえ。


 おい、待て待て待て。


「てめえ、どこに行くつもりだ?」


 アークリーはにへらっつって笑いながら、言いやがった。


「ちょっと兄貴に挨拶してくるよ~」

「……ばか野郎っ!!」




「――で、どうだ、このざまあ……」


 あっちゅうまに捕まって、アークリーの野郎は暴れもしねえ。

 後ろ手に縛りあげられて、野郎の兄貴の眼の前に引きずり出されてるっつうのはよお、どういうことだい。


「おい、アークリー。てめえの兄貴も呆れてるぜぇ」


 ちっ、睨みやがんの。

 野郎の兄貴たあ思えねえぐれえ、目つきワリいな、こいつ。

 暗い髪色はちっと似てるが、それ以外はてんで似てねえ。

 ついでに齢もずいぶん離れてんな? 見たとこオイラぐれえじゃねえか?


 しかも、なんだいその毛皮は。

 こちとら毛皮の毛がぜーんぶ禿げちまうまで着倒すってえのに、まるっきし下ろしたてじゃねえか。

 その下は絹かい。かあっー、いいもんお召しなすってらあ。


「……そやつの言う通りだ、アークリー。俺は呆れている」

「おい、アークリー、溜息つかれてるぜえ?」


 おぅ、また睨むんかい。癇性持ちだねえ、このアンちゃん。

 ああ、黙ってりゃあいいんだろうよ。


「なぜ、いちいち俺の手を煩わす? お前はどうして昔から……」

「エウ兄貴こそ、別に、オレに気い遣わんでいいんでね?」


 アークリーはオイラの隣でへらへら笑いながら言いやがる。

 おい、兄貴の眉間のシワが濃くなってるぜ?


「どういう意味だ、それは? 俺が末弟のお前に気を遣う?」

「あれっしょ、オレの世話してくれるみんなが優しいのさ、エウ兄貴が見ねえフリしてっからじゃん?」


 おい、アークリー。

 てめえの兄貴のただでさえワリい目つきがどんどん悪くなってんぞ。


「下男や下女がお前に何をどう奉仕していようと、伯爵たるこの俺の知ったことではない」

「知らないわけねーっしょ? 頭ワリぃオレと違って、エウ兄貴がさあー」


 おい、煽んじゃねえよ、アークリー。

 てめえはいつだって一言多いんだよ。


「エウ兄貴は、あれだよねー。なんつーの? ほら、『慈悲深い』? 昔っからさ」

「はんっ」


 鼻で笑っちまわあ。

 この目つきがワリい、ヒゲ面のアンちゃんがあ、慈悲深い?

 それがまかり通るなら、オイラぁ辺りは、聖人さまになるんじゃねえか。


「妄言はいい。なぜ、俺の寝所を侵さんとした? その木剣ごときで、俺の首を取れるとでも思ったか?」

「なんだかんだ、オレの世話焼くのって、いっつもエウ兄貴じゃん? 一言お礼言わなきゃじゃん」


 ばか野郎の言いぐさに、アンちゃんは首を大きく横に振った。


「……お前がそのようだから、親父も苦労する」

「親父は関係ねえさあ。エウ兄貴も家割るのヤなんでしょ? 早くオレに出てって欲しかったんじゃない? にしては、ちょっとオレに肩入れし過ぎっしょ? そーゆーのって『慈悲深い』って」

「もういい」


 野郎の兄貴は椅子からすっと立ち上がるってえと、従士どもに手を振って、道を開けさせてアークリーの正面に立ちやがる。

 おぉ、おぉ。やっこさん、大層なしかめっ面じゃねえかよ。


「……この俺が、慈悲深いだと?」

「うん」

「嗤わせるなっ! アークリーっ!!」


 滅茶苦茶怒ってんじゃねえか。


「末弟のお前に、俺の何がわかる? 知ったような口を利くな!」


 おいおい、殺されるんじゃねえか?


「お前ごときに家督を奪われることを怖れていた俺がっ! お前を手放すまいと地下牢に投げ込んだ俺がっ!! 慈悲深いだとっ?!」


 あん?


「――爵位などもう知らんっ!! 俺は降りるっ!!」

「はあっ?」


 思わず声が出ちまったよ。

 しょうがねえだろ。ほかの従士の旦那たちも仰天してんだぜ? んな睨むんじゃねえ。


「おい、貧民」

「……あん? オイラか?」

「お前以外にどこに貧民がいる」


 ちげえねえ。


「お前は、何故、アークリーを救いに来た?」

「……ダチだからだろ……?」

「これだっ!!」


 オイラを指さしてずんずん近づいて来やがる。

 んだよ、このアンちゃん、頭イッてんじゃねえかよ。


「良いか、アークリーっ!! お前のために、このような貧民までもが命を懸けるっ!!」

「別に、命なんか懸けちゃあ……」

「黙れっ!!」


 怒鳴んなよおぅ。


「俺は、俺の器を知っている! 俺の為に命を懸ける者など、一人もおらぬっ!!」


 いい歳した男が腕をぶん回して、癇癪おこしてるぜ、おい。


「いいか?! 学園にもまともに学ばなかったお前が、剣の才に恵まれるっ! そして、貴賤を問わずにこれほどに人を惹きつけるっ! 聞けば、あのガルバ候の令嬢も、レント伯の令息も、王族さえもお前は惹きつけているっ!!」


 指をぴぃんとアークリーの額に突き立てて、アンちゃんは喚きやがる。


「俺が王城にて、かのニコラウス・アガルディ・ザントクリフ・レイアにどのように蔑視されていることかっ!! そして、お前の剣の師たるアガルディ侯まで戻っているっ!!」

「落ち着きなよぉ……エウ兄ぃ」

「うるさいっ! お前だっ!! お前以外には、おらんのだっ!!!」


 さんざ、喚き散らしたエウルレッド・コメス・ウォード・アドミニウス・ガステール伯爵さまはよお、膝ぁ突いて、野郎の目ぇ見て頬に触れる。


「……俺は疲れたのだ、アーク。親兄弟でいがみ合うのも、王城で諸侯の顔色を窺うのにも。……もう、胃が痛い……」


 相変わらずのしかめっ面で、だが、どうも兄貴臭ぇ風をアンちゃんはまとってやがる。


「兄の願いだ。聞いてくれ、アーク。俺は、お前に従うならば本望だ。……伯爵は、お前だ」


「え、ヤダよ?」


 オイラあ、言葉も出なかった。

 即答してやんの、こいつ。


 エウルレッドのアンちゃんは肩を落としながら、立ち上がる。

 んで、酔っ払いの千鳥足さながらによろめきながら、また元通り椅子に収まった。


 いや、元通りってーのは、ちぃと違うか。

 両脚投げ出して、背中ぁ丸めて、半分寝っ転がるみてえに椅子の背もたれに頭ぁ預けてやがる。


 指先を眉間に当ててたかと思やぁ、やっこさん笑い出しやがんの。


「くはっ、はははは…………もう、よいわ」


 んで、そのまんまの格好で、伯爵さまはのたまわったわけだ。


「好きにしろ」



――んで、オイラとアークリーは好きにすることにした。

 ちょいと時間食っちまったが、坊ちゃんが国を出されるのにゃあ、間に合うはずだ。


 屋敷の門のとこまでわざわざ見送りに出て来た伯爵さまは神妙な顔して馬上のアークリーに呼びかける。


「アーク、ひとつ言っておこう」

「なにさ、エウ兄ぃ?」


 ひとつ深呼吸すると、しかめっ面のまんまアンちゃんは言った。


「俺は親父が大嫌いだ」


 あんだよ、そりゃあ。


「オレもさ」


 アークリーはにへらって笑いながらそれに応える。


「……嘘をつけ。お前はあんな親父でも、憎み切れないのだろうが。……それこそが器の差だ」


 そんで、伯爵閣下は情けなさそうに笑いやがる。

 なんだ、そんな笑い方もできんのかい。


 アークリーによく似てんじゃねえか。


 アークリーもひとつ笑顔を返して、北の森へと馬を走らせ始めた。



 オイラもついて行こうかとも思ったがねえ、野郎が言いやがるのさ。


「エウ兄ぃの本意を、ニコラウス閣下に伝えといて…………それに、」


 やつはまたへらっと笑う。


「こっから先は、オレら――オルちんと一番の臣下ダチの旅っしょ」


……まったく、ばか野郎だよ、オイラのダチは。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る