第70話 幕間
「また来たのかい?」
コルネリアは呆れた思いで、人払いを済ませた彼女の部屋に導かれた青年を眺めた。
「この身とて、貴女のような者に……」
青年の言葉の最後のほうは弱々しくて、とても聞き取ることができなかった。
「はっきり言い給え! アウルス・レント・マヌス・ネイウス! その大きな
コルネリアの罵声のごとき嘲弄にアウルスの頬に朱が差す。
えらがごりごり鳴りそうなほどに力んで張りだし、それでも奥歯を噛みしめながらアウルスは言う。
「じょ・げ・ん・を・も・と・め・に・き・た」
「もっと流暢に喋り給え、アウルスくん! 君のごとき凡才には、それさえも難しいのか!」
「――助言を求めに来たのだっ!!」
「よかろう! 答えてあげるよ、アウルスくん! ぼくは頭脳明晰なだけではなく、溢んばかりの慈悲を持っているのさ!」
「……どこがっ……」
アウルスの抵抗も彼の矜持と忠誠同様に、コルネリアにとってはどうでもよかった。
第一、コルネリア・ガルバ・ケレブルーム・ネーヴスはアウルスの一切に興味がない。
というよりもコルネリアの興味と好奇心のすべてはひとりの人物に集約していたから、それ以外の者に注ぐことは無かった。
それは、アウルス・レント・マヌス・ネイウスの忠誠心もまた同様と言ってよく、奇遇なことに彼の忠誠心と彼女の好奇心を集めていたのは同一人物だった。
「それで!」
「……?」
「早く話し給え! アウルスくん!」
「……今日のことだ。オルレイウスどのが帰還」
「違うだろう! アウルス・レント・マヌス・ネイウス! 前回聞いた続きからだ! どうせ君はオルレイウスくんを監視していたんだろう?!」
「…………十日前の日の出からだな? ……夜明けと共にオルレイウスどのは床を払われたようだ。お屋敷の外壁に耳をつけて家鳴りを聴いていたから間違いない……」
そうしてアウルスはこの十日ほどのことを細大漏らさず語り始めた。
アウルスがオルレイウスの様子を本格的に見守り始めたのは、戦争後間もなくだった。
だが、アウルスとて四六時中、主君と仰ぐオルレイウスの警護をしているわけにはいかない。
それが彼の最大の幸福だったとしても、臣下たるものやるべきことは幾らでもあった。
だから、アウルスがオルレイウスの身辺を見守ることができたのは、おもに早朝と夜を迎えるほどの時間帯に限られた。
彼にとってそれは十分なものではなかったが、彼にはそれで我慢しなければならない理由があった。
「……そして、《
「君はほんとうに愚物だな! アウルス・レント・マヌス・ネイウス!」
「黙れっ!」
「なぜ、その鳴き声とやらの原因を調べなかったんだい!」
「わからずやの《
「だから愚か者だというんだ、君は! 不正確な情報をオルレイウスくんの耳に入れて、ちっとも有益な情報をもたらしていない!」
「ぃっ……」
コルネリアはいつものように容赦がなかった。
「だから、君は先の戦争においてまともな功績を上げられなかったんだ!」
アウルスが童顔をゆがめたのは言うまでもない。
彼は思い知っていたのだ。主君の信頼が自分よりもほかのふたりに向かっていることを。
「アウルス・レント・マヌス・ネイウス! 君は忠誠心とやらさえ捧げればいいなどと考えているようだが、そんなものだけでオルレイウスくんの臣下が務まるわけがないだろう!」
「……そんなことは、思っていない……」
「ほう! ならば、実力と努力が伴わないだけかな! だとすれば、なお目も当てられない!」
ぐうの音も出なかった。
アウルスとて理解していたのだ。
己には決定的に主君に必要とされるだけの才能が無い。
武芸はからっきしだし、知恵も乏しい。
それが己が「誰かの脚になる」という一芸にのみ懸け続けた結果だと、受け入れていたのは三か月前までだ。
主君に必要とされない臣下に価値は無い。
せめて、「考える脚」にならねばならない。
そう思い至ってコルネリアに恥を忍んで教えを乞うようになったのもまた三か月前からだった。
集団を効率的に指揮し運用する力を。
あるいは、開拓事業に関する知識と経験を。
または、汎用的な思考能力を。
コルネリアは彼にそれらを一から鍛えろと罵詈雑言というよりは、的確に弱点をえぐる嘲弄と共に命じたが、どうもうまくいかなかった。
コルネリアの要求が性急で、かつアウルスの思考がひとつの目的以外に盲目的だったからなのは言うまでもない。
だが、彼らを深く知り、彼らに対して的確に判断を下せるおそらくは唯一の人物であり、友人の少ない彼らが友人と認めるただひとりの人物でもあるアークリーとは音信不通だった。
それがアウルスをより不幸にしていたこともまた言うまでもない。
「それで、賛同者はどの程度になったんだい!」
「……貴族子弟の半数ほどだ……」
「半数だって?! このひと月ほどの間に?! なんでだ?!」
「少ないことはわかっている……」
コルネリアは目を剥いた。
彼女が訊いたのは、彼女の求婚者だった者たちのことだ。
平和を
他方、オルレイウスが受け継ぐことになるアガルディ侯爵領には人材が不足していた。
だから、コルネリアは独身の貴族子弟を集める夜光灯の役目を買って出たのだ。
暇を持て余して求婚してきた者たちを説得してアガルディ侯爵領へと送り込む。
だが、彼女にはそれがうまくできなかった。
彼女にできたことは求婚者たちの心を折ることだけだった。
戦争時に民兵たちを指揮して煽った経験から、彼女には容易いことだと思われた仕事も、始めてみると失敗の連続だった。
彼女の歯に衣着せぬ言葉の数々は、若者たちには辛辣過ぎたのだ。
ここは戦場ではなく、戦勝に浮かれる彼らには、彼女が考えるほど追い詰められているという自覚もなかった。
彼女は失望するに足る現実や、悲観的な現状分析を突き付けることには長けていたが、希望を提供することはお世辞にもうまいとは言えなかった。
というよりも、彼女はそれが絶望的に下手くそだった。
――だが、
アウルス・レント・マヌス・ネイウスは主君を尾行するうちに、オルレイウスの性情を実に多く(それが必ずしも正確なものであるとは言い難いが)把握していた。
そして、彼が熱っぽく褒めそやす主君像(実情とはいささか異なると付言せねばなるまい)と、単純な彼自身の夢は、同年代の若者たちを確かに魅了した。
そう、
「君はなんて馬鹿なんだっ!」
「……なにがだ……」
「――なんてことだっ!!」
「?」
コルネリアは敗北感と共に頭を抱えた。
今、オルレイウスがもっとも必要としている者は地盤を支える協力者たちだ。
だが、今まさに切り拓かれ続けている最中のアガルディ侯爵領に地縁を持った有力者など望むべくもなく、オルレイウス個人に従う者も非常に少ない。
有能な者がひとりやふたりいても、従う者がいなければどうしようもない。
それを、用意する者が、才能に恵まれたコルネリアではなく、馬鹿の代名詞のアウルス・レント・マヌス・ネイウスだと――
その事実が、コルネリアの《アルゲヌス》よりも高い矜持を、いたく傷つけたことは想像に難くない。
……実際は、コルネリアが心をばきべきに折ったからこそ、アウルスの熱が染みやすくなったのだが、心の機微に疎い彼女には理解できない。
それは同時に
「……ひとつ、訊きたい。コルネリア・ガルバ・ケレブルーム・ネーヴス」
「なんだ! 馬鹿!」
もう、アウルスはそんな単純な罵声には慣れ切っていた。
「……貴女は認められたがっていたはずだ。そして、それは今、報われている」
「それが、なんだと言うんだ!」
「なぜ、オルレイウスどのに尽くす?」
コルネリアはくしゃくしゃにかき回していた頭を上げると、アウルスの顔をまじまじと見た。
彼女の整えられていた髪の毛はぐしゃぐしゃだった。
「馬鹿だな、君は!」
「答えを聞かせろ、コルネリア」
「ぼくはぼくの才能を知っている! ぼくは天才の部類だ! ぼくより劣っている者がぼくを認めるのは当然だろう!」
「は……」
「凡愚どもめ、遅いというんだ! 本来ならば、死に価する怠慢だ! そんなことだから、常に動きが遅くなる! そもそも、ぼくの実力も思想も理解していないくせに、ちょっとした功績を上げただけで称揚するという腐った精神性に虫唾が走る! 体制を変える気概も無い者どもが、ぼくを凡骨どもの理解の及ぶ思考の内部に取り込んだとでも考えているならば、笑止と言わざるを得ない! ぼくとオルレイウスくんの手によって撃退した《ギレヌミア人》はわずか数千人だ! 北方には未だに数十万から数百万の知性を放擲して、蛮性に身を委ねるやつらがうようよしている! 南には皆兵制度と階層制度によって統率された、軍人国家だ! だが、言わせてもらえば、共和政などというものは愚者に言い訳と夢を持たせるだけの……」
語り続けるコルネリアに、アウルスの開いた口は塞がらなかった。
――この女は、この身とは違う類いの馬鹿者だろう。
アウルスがそう確信したのも無理からぬ話だった。
「――だが、いいか、アウルス・レント・マヌス・ネイウス! ぼくのすべてを認めた男はオルレイウスくんだけだ!」
細められていた目を見開いたコルネリアはそう宣言した。
「能ある者は、能ある者を見抜く! オルレイウス君は有能だ! 疑いようがない! そんな有能な男が、ぼく以上に認められていないのは我慢ならない!」
アウルスが期待していた答えとは違う。
おそらく忠義とは違う。
「……ならば、オルレイウスどの以上に貴女を認める者が現れたら、その者に仕えるのか?」
「どれほど馬鹿なんだ、アウルスくんは! いるわけがないじゃないかっ! オルレイウスくん以上に興味深く、ぼくを認める男なんて!」
コルネリアはそう言い切った。
それはアウルスにしてみれば、半ば意外で、もう半分は納得に足る理由だった。
「……男……か」
「なんだ?!」
「いや、なんでもない」
アウルスはコルネリアの言葉の変化に気がついたが、指摘するのは止めた。
深く掘り下げれば、最悪、オルレイウスの対応次第で、コルネリアに対してかしずかなければならなくなる。
こんな女にかしずくのは、できれば御免被りたい、と彼は考えた。
そんなことよりも、アウルスには語っておくべきことがあった。
「……聞け。オルレイウスどのは、《ギレヌミア人》を救ったぞ」
「ほう!」
コルネリアは即座に思考を始める。そして、数瞬ののち、大まかな結論を得た。
オルレイウスに《ギレヌミア人》、それはなかなか悪くない組み合わせだ。
では、どのように事態を運んでいくべきだろうか。
アウルスはアウルスで、野蛮人にも慈悲を垂れるオルレイウスの姿に感動を深くしていた。
そして、そんなオルレイウスに髪を掴まれ、叱責されたのは自分だけだ。
厳格な父であるレント伯の薫陶の許に育ったアウルスは知っている。
臣下の重大な幸福は、臣下が誤ったときに、次の機会を与えてくれる主君を得ることである。
そして、アウルスは馬鹿ゆえにひとつの極論を信念としている。
臣下の最大の幸福とは、己がまったく理解できない部分――超越的な感性を持つ主君に仕えることである。
オルレイウスがアウルスを叱った理由も《ギレヌミア人》を救った理由も、彼には理解できない。
だが、命は奪われなかった。
つまり、機会を与えられたのだ。
――次は、子どもの泣き声や《ギレヌミア人》の鳴き声を完全に排除してみせよう――
アウルスはそれを固く心に誓っていた。
「君にしては悪くない報せだな!」
コルネリアが凶暴な将来図を描きつつ、アウルスに声をかけた。
偶然にもふたりが思い描いたことは、細部はかなり異なるが、おおよそは異なったものではなかった。
おそらく彼らがそれぞれに思い描いた将来を口にすれば、また言い争いになったであろうことは確かだろうに。
「……ところで、オルレイウスどのには折檻を受け、ニコラウス閣下にはオルレイウスどのへの接近禁止を命じられてしまったが、どうすれば」
「アウルス・レント・マヌス・ネイウス! 君は馬鹿としか言いようがない!」
そうして、コルネリアは次の知恵をアウルスに吹き込むのだった。
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