第66話
イルマだけではなくて誰も彼もが僕を見ていた。
訝しそうな視線で、全裸の僕を。
そのすべてが険しさを増していくのが僕には肌でわかったんだ。
千近い
「オルレイウスどの……っ!!」
なぜかアウルスひとりだけが興奮の眼差しで射る。
この場の誰ひとり飲み込めていない状況を、彼ひとりが飲み込んで確信しているような。
――ただ、誰よりも混乱していたのは僕自身だ。
僕は仲間ではなくて、今、敵を助けた。
彼らは僕の友を傷つけ、たくさんの仲間やアンリオスの命を奪ったのに。
――なんで?
どうして?
……ひとつだけ確かだったことは、考える時間なんて与えられていなかったということ。
僕の甘さ。それが露わになっていた。
そして、決断を迫られていたわけでもないのに、僕の体は動いてしまった。
ただ、厳然たる結果が事実として突き付けられていた。
僕の体を隠すものはない。
彼らの視線から僕を守ってくれるものはない。
僕は自分から暴露して、選んでしまったんだ。
みんなと違うということを。
「――なんで、」
イルマの声が動揺している。
僕はイルマをも裏切ってしまっ……
「あたしの一撃を受け止めることができたわけ?」
「……え?」
イルマの問いと、そのオレンジ色の瞳は、おそらくほかのみんなと違う感情で満たされていた。
証拠にイルマは、僕に初めて見せる禍々しい笑みで頬を裂いた。
「オル、あたしの一撃を止めたわね?」
「イルマ……? 僕は、別に彼を庇おうとしたわけでは」
「そんなことは問題じゃないの、オル」
イルマが無造作に一歩を踏み出した。
同時にイルマの右腕がゆらりと動く。
僕の見る世界が停止する。
イルマ以外のすべてのものが動きを止める。
そうでもなければ、きっと僕にはイルマの振るった腕が剣ごと消えたように見えたことだろう。
イルマの足が荒れた地面を踏み、粉砕する。
力の流れがキレイで、自然で、どこまでも滑らかに、彼女の腕とそこに繋がれた剣が空気を斬り裂く。
受けられない。きっと。
どうして、さっきは受け止めることができたのだろうか。
僕は力を抜き、背中から倒れるように体を沈める。
鈴の音のような透き通った音が鳴り響く中、イルマの剣戟をすんでのところで倒れ潜る。
地面を転がって片膝をついて顔を上げると、そこにはもうオレンジ色の瞳が僕を待ち構えていた。
「今度は躱したわね!」
しゃがんで僕と視線を合わせるイルマは、ものすごく嬉しそうに見えるのに、ものすごく怖い。
僕は思わず飛び退いた。
飛び退くと同時に、右手にわずかな軽さを覚える。
さっきアウルスから借りた剣の先が、指一本分の長さだけ斜めに斬り取られていた。
イルマは本気だ。
「お、怒っているのですか?!」
首を振りながら立ち上がったイルマは、瞳を輝かせた。
まるで生きる意味について語っていたあの時のように。
「違うわ、オル! あたしは喜んでいるの! とっっても、嬉しいの!!」
「えぇ?」
イルマはまた一歩、無造作に距離を詰める。
僕は大きく跳び退いた。
静寂の帳がこの村を中心に森の中まで広がっているように思える。
誰一人として口を利かない。
みんな生きることを忘れてしまったように、イルマを眺めている。
「わからない? あたしは本気で剣を振ったのよ、オル! 命を絶つはずの一撃よ! それをあなたは受けて、躱した!」
母は今、慈愛とは異なる熱で僕を見つめている。
「じゃ、邪魔をしたことは謝り」
「邪魔? そんなことはどうでもいいのよ!」
イルマの一歩が開墾されたばかりの地面に沈む。
それと同時に、朽ちかけた根の切れ端が、建てられたばかりの木と土壁の匂いに包まれた掘っ立て小屋が、動かない村人たちの呼吸まで沈んでいくようで。
彼女の一歩がこの小さな開拓村にあるすべてを、小虫のように踏み潰す。
「ああ、可愛いオル! こんなにも早く、こんな時が訪れるなんて!」
「イルマ、なにを言っているのかわかりません!」
その動きがだんだんと速くなっている。
僕はさらに距離をとろうと、イルマに目を合わせながら後ろ歩きでさがり続けた。
「お母さんには、わかるわ! オルが練り上げたものがっ!! その中心にある、信念の萌芽がっ!!」
コワかった。
イルマをこれほどコワいと思ったのは、意思疎通が困難だった赤ん坊のとき以来。
いや、あのときよりももっとコワい。
今のイルマはあの巨躯のアリオヴィスタスよりもよほど大きく見える。
そして、なによりも絶望的なことは今の二回の斬撃で僕が気づいてしまったということ。
イルマのそれはたぶん僕よりも速くて、アリオヴィスタスのそれよりも一撃が鋭い。
アリオヴィスタスの腕力でも、動いている剣先を斬り取るなんて芸当は困難だろう。
それをイルマが容易く実現できるのは、腕力だけではなく《技能》の賜物だということはわかる。
わかっていても、冷や汗が止まらない。
どれだけの重さがイルマの剣には載せられているのだろうか。
ひょっとして、イルマの腕力はアリオヴィスタスを凌いでいる……?
「オルが今立っているその場所は、あたしに言われて剣を振るっていただけでは、至らないのよ! あのちっちゃかったオルが、《戦士》の領域にいる!」
イルマが肩を震わせながら笑っていた。
歓喜に震えるような母が、僕には未だ見たことのないどんな《
「……ち」
なにか、なにか言わないと。
イルマがおかしい。どんどん速度が上がっている。
息子の僕が知らなかったイルマが、来る。
「ち、違います! 僕は、《戦士》なんかじゃないっ!!」
――じゃあ、なにものか。
僕には、その答えも出せていない。
だけど、激情家のうちのお母さんはそんな言葉じゃ納得してくれない。
「それも違うわ、オル! あたしにはわかる! お母さんだから! 抱き締めて温めてあげるようにして、オルに注いできたものが、結実しつつあるってことがわかるの!!」
「僕にはわかりませんっ!!」
知らない。こんなことをするイルマは知らない。
それに、僕が今どこにいるのかなんて、わからない。
「今こそ、あたしに全身全霊を見せるのよ! 大丈夫! お母さん、死なないから!」
――それは知ってる。
でも、きっと僕が死ぬ。
僕はイルマに背中を向けると一目散に壁へと向かい、ひとっ跳びに跳び越えた。
「待ちなさい! オルっ!」
狂喜乱舞せんばかりのイルマの声が背後に迫って来る。
彼女の脚は滅法速い。
このままでは追いつかれる。
「イヤだあっっ!」
森へと逃げだした僕は、一切振り返らずにそのまま《
やたらめたらに走り回り、イルマの気配がしなくなっても、陽が沈んでもそれでも走り続けた。
どこにいても、休めば背後にイルマが立っているのではないかと思って脚を止められなかった。
……《ギレヌミア人》の残党を追い回していたエレウシスと出遭って保護されたのは、昼夜を何度か走り抜けたあとだったけれど、記憶ははっきりしない。
〓〓〓
〈――ルエルヴァ共和新歴百十年、ザントクリフ王国歴千四百六十七年、エウラの月、一夜
オルレイウスが姿を消してから三夜。
私がアウルス・レント・マヌス・ネイウスから一連の報告を受けたのは、一昨夜のこと。
北の森の異変、エレウシスからの親書、オルを村へ連れて行き、そこにイルマらしき人物が現れ、そして、オル共々森へ消えたこと。
報告を受けた私はすぐさまアガルディ侯爵領へと足を伸ばした。
この数日というもの私から離れようとしなかったマルクスも、向かう先にイルマがいるかもしれないと知ってついて来なかった。
村に着くなり、村民全員が私の前にかしずき、アウルスからの問いに一斉唱和で答えるという、仰々しい出迎えを受けた。
私を称揚する言辞の数々に耳と心が痛くなる。
やめさせた。
アウルスに尋ねてみると、マルクスが《騎士》を呼び戻す前から日夜この訓練を村民たちに課していたらしい。
マルクスを連れて来なくてよかった。
さらに明らかになった事実は、最近はそれを苦にして村を出て行く者も少なくなかったとか。
民の流出の原因のひとつが明らかになった。
私はアウルス・レント・マヌス・ネイウスの説得を試みたが、彼はよくわからない主張を繰り返すばかりで頑として折れなかった。
これまで私に逆らったことのない彼が「お言葉ですが、こればかりは譲れません」と興奮しながら語るのだ。
なぜか? と問えば、
「オルレイウスどのの御為!」
「御方こそまさに天啓であり……」
「偉大なる未来の大公爵閣下は幼い頃よりかしずかれることが相応しく……」
……私は、長い時間をかけて聞き出すことにより、そこで初めてアウルス・レント・マヌス・ネイウスの我が子への異常な執着を知った。
そればかりか、彼の頭の中でオルは大公爵となり《ザントクリフ王国》が始まって以来の広大な領土をもたらし、その後、三代の王に仕えて治国を成し遂げるという、ふわふわした物語の主人公に抜擢されていた。
この青年は危険だと私は思った。
彼のオルレイウスへの忠誠は、尋常ならざぬものだ。
まるで《狂い神》に魅入られているようだ。
このままでは、オルのためにも彼のためにも良くない。
私は言った。
今後、私の息子に近づかないでくれ、と。
結局、その結論を得るのに陽が沈むまでかかってしまった。
それを聞いたアウルス・レント・マヌス・ネイウスがなおも食い下がったからだ。
息も荒く胸のあたりを掻き毟る彼を置いて、私は次の仕事にとりかかった。
この村と北の森でなにが起こっていたのか、はっきりとさせねばならない。
私は他の者たちに事情を訊くことにした。
貴族子弟のうち半数ほどはアウルス・レント・マヌス・ネイウスによって洗脳でもされたのか、同じようなことを繰り返していたので聞くに値しなかった。
しかし、残りの半分、そして民兵と村民たちからは事のあらましを聴くことができた。
ここ数日来、《
それが徐々に近づいて来ていて、どうやら《人馬》と争いになっていたらしいこと。
ちょうど、《人馬》からの親書が届いたこと。
それによってオルレイウスがこの北端の村にやって来たこと。
彼らがオルを称揚していると《魔獣》が姿を現したこと。
《魔獣》だと思っていたものが、どうやらふたりの人間だったこと。
そのうちのひとりを、オルが「母」と呼んでいたこと。
そして、その「母」に追われるようにオルレイウスと彼女が森に消え、最後のもうひとりもその後に続いたこと。
オルが「母」と呼んでいた人物はイルマで間違いない。
超一級とでも言うべき《剣士》のイルマの精神に干渉できるような《魔法使い》はいないだろう。
神々ならば、イルマを操ることもできるかもしれないが、《
イルマに姿を変えた誰かという線もないわけでは無いが、オルを剣で凌ぐほどの存在がそうそういるわけがないし、姿を変え続ける《魔法》を使用できる者が現在のこの《大陸》に存在する可能性はほぼ無い。
それにイルマに姿を変えてオルに近づく意味がない。
成り代わりは、成り代わる当人を押さえてこそ意味がある。
イルマを押さえられる者など、いるわけもない。
それに偽者だったならばむざむざオルを森に逃がしたりはしないだろう。
オルが偽者だということを見破ったならば、その場で相手を捕らえていたことだろうし。
イルマがオルに剣を向ける理由には心当たりがないわけでもなし、イルマはイルマで間違いはない。
彼女が《モリーナ王国》から消えてから、おおよそふた月という時間も、彼女の脚を考慮すれば計算が合う。
なぜ、向こうを発ったのかは未だ謎ではあるが。
問題は、もうひとりだ。
多くの者が《ギレヌミア人》のようだったと語り、数人が《ギレヌミア》の氏族長のように見えたと語った。
――ネシア・セビ。
やつがその場に連れて来られた理由も想像に難くない。
イルマの進路上に彼らがいたことが気の毒だったと思うほかない。
決定的な問題は少なくない人間が次のように証言したことだ。
「オルレイウスさまが、侯爵さまから《ギレヌミア人》をかばった」と。
私が彼らにほのかな《魔法》を行使することに躊躇は無かった。
村民たちがオルレイウスの行動に対して戸惑い続けるように。
それで、充分だろう。
結局、そうこうしているうちにさらに丸一日を費やし、今日を迎えてしまった。
そして、昼、アガルディ侯爵領に滞在する私のもとにイルマが帰還した。
興奮冷めやらぬ様子でイルマは私にキスをせがみ、語った。
「あの子は、あたしの剣を受けたっ!! 躱したっ!! そして、あたしを撒いたのよっ?!!」
イルマは熱に浮かされたように私への感謝を口にした。
私はイルマを抱きしめて落ち着かせると、質問した。
どうして、今きみはここにいるのか? と。
「胸騒ぎがしたの。なにか大切なものをなくしたと思った。……だから急いで帰って来たのよ」
それを第六感という言葉で表すべきだろうか。
とにもかくにも、イルマがオルの生死に反応したことは間違いのないことのように思われた。
イルマに問いただすべきことはほかにもあった。
なぜ、私に黙ってオルを鍛えていたのだ。
なぜ勝手に軍務を放棄してしまったのだ。
しかしながら、慎重に言葉を選んだつもりでもイルマは大いに機嫌を損ねたらしい。
「ニックだって、オルを戦わせたんでしょう?!」
彼女の言葉に私は反論した。
オルにしかできないことがあったからだ。
そもそも、私がオルに求めた以上のことを彼はやった。
だがそれは、結果的にうまくいったにすぎない。
オルは彼自身の判断によって命を落とすところだったのだ。
オルが私との約束を軽く見るようになったのは、イルマがそう誘導したからではないのか。
「自分がオルを守れなかったのは、あたしのせいだと言うの?!」
そうは言っていない。
だが、イルマはオルを自分と重ねすぎている。
オルはきみとは違う。
「それは、ニックのほうじゃない!!」
彼女はそう言ったのだ。
そして、続けた。
「あなたは自分ができなかったことをオルに夢見てる! ニックが過保護なまでにオルを守ろうとするのは、オルがニックと同じ誤りをすると決めつけているからよ!!」
そのあとは話し合いにならなかった。
イルマは泣き喚き、私に鉄拳をくれると、居たたまれなくなったように私に背を向けた。
「……あたしは、それでもニックが生き方を間違えたとは思ってない! あなたは、自分の足跡ばっかり振り返ってるけどねっ!!」
わかっている。オルレイウスは僕とは違う。
愚かしくも、蒙昧なまま進み続けて、結局取り返すことができないところまで行ってしまった僕とは。
だから、余計に希望を託してしまっていることも。
突き抜けてしまえば、二度と得られないものがあるのだから。
ひとつの夢に身を投ずることはひとつの可能性を捨てることだ。
イルマだって、知っているだろうに。
僕が永遠に失くしてしまった資格を〉
〈――ルエルヴァ共和新歴百十年、ザントクリフ王国歴千四百六十七年、エウラの月、三夜
《人馬》の新しい居留地へオルを迎えに行くと、半ば獣のようになったオルを発見した。
イルマの名前を出すと過剰に反応して逃げ出そうとするオルを《魔法》で拘束して連れ帰るのに、一夜ほどかかった。
オルの様子を見て、さすがのイルマも反省したらしい。
それもそうだろう。
今のオルレイウスは、イルマに懐くどころか呻り声と共に逃げ出そうとするのだ。
彼が常態に復するまではもう少しかかりそうだ〉
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