第67話



「オル?! 《戦士》なら、そうじゃないでしょ!! 《騎士》でもなく、兵士でもないんだからっ!!」


 その言葉を言い終える前にイルマの握った木剣が幾度も僕の肌を掠め、最後に全裸の僕の柔らかい腹肉に食い込む。

 腹筋の抵抗もむなしく、木剣が内臓をえぐって僕の体は弾き飛ばされた。


「遅い! オル!!」


 僕の体を満たす《福音ギフト》が僕の体を治すけれど、痛みは即座に消えてくれるわけじゃない。

 受け身を取り損ねた僕をイルマの追撃が襲う。


 なんでだ?

 イルマが手加減していたとはいえ、僕は昔よりも遥かに強くなったはずだ。

 それこそ驚異的なほどに強くなっているはずなのに。


 なんで、打ち合うたびにイルマとの実力差が鮮明になっていくんだ。


「《戦士》なら、そうじゃないでしょう?!」


 僕がイルマの打ち込みを体を沈めて避けようとすると、脚を払われて転がされる。

 転がって逃げれば、また腹に木剣が突き立てられる。


「あがっ……」

「そうじゃないでしょ!!」



 この半年以上もの間、僕の生活は戦争が始まる前に立ち返ったようだった。

 《ギレヌミア人》の脅威は払拭され、戦後復興も順調だ。

 ただ、アークリーやコルネリアは相変わらずだし、アウルスすら僕の前に姿を現さなくなったのは気にかかっている。


 相変わらずニックはなぜだか僕の外出を制限したりしなかった。

 だけど、僕にはその時間的な余裕がまったくなかった。


 イルマが帰還して以来、昔のようにイルマとの訓練に時間を割くことが多くなったからだ。

 ただし、それは以前とはまるで違うものだった。



「どうしたの?! 《戦士》だったら、立ち上がるでしょう?!」


 イルマは僕と立ち合ってもそればかりだ。

 ニックとイルマの会話は少し減ったような気がするけれど、それとこのイルマの態度以外はほんとうに幼いころに返ったようだ。



 《戦士》ならば、《戦士》たるもの、《戦士》なのだから。

 繰り返されるイルマのそれらの言葉と、僕を打ち据える加減知らずの攻撃。


 イルマの態度は昔とは明らかに違っていた。

 彼女はいつだって僕に達成目標を示してくれたし、どこが間違っているのか勢い先行の言葉や剣筋で示してくれた。


 だけど、帰還してからのイルマはどこを間違えているのかどうすればいいのか、まったく表現してくれなかった。

 指示も指導もあったものじゃない。

 戸惑った僕は逃げるばかりになり、受けるばかりになった。


 そうすると、イルマは言うのだ。

 それは《戦士》ではない、と。

 そうして、またより強く打ち据えられた。


 意味不明な指導の連続に、当初、嫌々付き合わされていた僕もガマンが利かなくなった。


 だから、僕は攻めに攻めた。

 アンリオスとの訓練の日々。

 アリオヴィスタスとの死闘を思い出して、あらん限りの技を尽くして。


 そして、受けきられた。

 それでも無理やりイルマへと撃ち込んだ。


 受けたり逃げたりすることが《戦士》に相応しくないというなら、攻め続ければいい。

 そして、僕が攻め続ける限りはイルマも防禦に回らざるをえない。

 そう思っていた。


「そうじゃないでしょ!!」


 イルマがその言葉を繰り返すようになったのは、それからだ。

 やがて、僕の攻勢はイルマにさばき切られて、また僕は逃げるようになった。


「イルマ! わかり」


 僕が地面に這いつくばりながら叫ぼうとすると、背中に強い衝撃があって地面に埋まった。


「オル、音の聞こえない者でも戦えるわ」


 あるいは、痛みに耐えかねて僕が剣を捨てても、イルマは僕を殴って言った。


「オル、慈悲のない者でも、光が見えない者でも戦えるわ」


 つまり、僕がどうしようとも攻撃が已むことはなかった。



 この儀式は常にたったひとりの声によって終わりを告げた。


「イルマっ!!」


 今日もまたニックの怒鳴り声にイルマは不機嫌そうに顔を曇らせる。

 いつものようにガイウスがこっそり城から呼んで来たに違いない。


「なにをしている……」

「ニックのバーカっ!! バーカっバーカっ!!」


 イルマはいつもそうやって風のようにどこかへと姿を眩ませた。


 残された僕を抱き起して、またニックは言うんだ。


「……オル、だから、きみもなんで付き合うんだ?!」


 そんなこと僕にだってわからない。

 イルマが木剣を二本持って現れたらそれが合図なんだから仕方がない。

 うちのお母さんがやることに意味があるのかわからないように、僕がそれに付き合うのに意味があるかなんて知ったことじゃない。


 だけど、今日はそこからがいつもと違った。


「……おい、ニコラウス。終わったか?」

「ええ。……オル、服を着なさい」


 僕が顔を上げると、そこには呆れたような顔のマルクス伯父が立っていた。



「今日は、少しばかりこの国とそなたの今後について話をしに来た」


 マルクス伯父は僕らの家の小さな居間の椅子に腰掛けると、間を置いてそう切り出した。

 マルクス伯父が僕らの家を訪れるのはアンリオスがこの国に来たとき以来だ。


 ニックの話によれば、伯父はイルマが帰還したときに殺されると思って怯えていたらしいけれど、イルマが怒っていないことを知ってからは元の英明さを取り戻したらしい。

 ただ、周囲に晒した醜態のせいで貴族たちからは以前よりも嘗められているそうだ。


「僕の今後ですか?」

「そうだ」


 その答えに僕は思わず、僕の隣に座ったニックの顔を窺った。

 いつも平静なニックが、険しい表情を見せている。 


「ごほん。……発端は、ガルバ候ばかが馬鹿なことをのたまわったことからだ……」


 咳払いとともに、マルクス伯父はしょうもないと言わんばかりに語り始めた。


「そなたもコルネリア・ガルバ・ケレブルーム・ネーヴスの状況は存じておろうな」


 僕は頷いた。


 コルネリアはまだお見合いを続けていた。

 マルクス伯父によれば、彼女の父親のガルバ候は、もちろん彼女のお見合いに熱心で国外にも彼女の求婚者を探していたそうだ。


 ただし、コルネリアが有能だとは言え彼女個人の名声は国外に及ぶものではない。

 彼女の値段を吊り上げようと考えたガルバ候は、アリオヴィスタスとの戦争において彼女がいかに采配を振るったかを《グリア諸国》へ吹聴した。

 ガルバ候には既に国外に嫁にやった娘たちがいたし、彼女たちの嫁ぎ先を通してその噂は《グリア諸王国連合》の主幹各国へも届くに至った。


 ここでガルバ候が大げさに語った戦争の内容が問題になった。

 先年、《モリーナ王国》を攻め滅ぼした《ギレヌミア人》の主力を《ザントクリフ王国》が壊滅させた、と誤認されてしまったんだ。


 話が違うと真っ先に声を上げたのは、《グリア諸王国連合》北方主幹国である《レルミー王国》、国王ティトゥス九世だったそうだ。


 モリーナ戦役と名づけられた先年の北方での戦争に、《ザントクリフ王国》が供出した戦力は五十名ほどの小部隊に過ぎない。

 《ギレヌミア》の大部隊を撃退できるほどの戦力を有しながら、それだけしか戦力を提供しなかったのは背信行為ではないか?

 さらに、《ザントクリフ軍》の将たるイルマ・アガルディ・ザントクリフ・レイアは軍務を途中で放棄している。

 これらについてどのように釈明するつもりか。


 モリーナ戦役の実質的な総帥のティトゥス九世はそのような趣旨の文書をマルクス伯父へ送ったらしい。


 そもそも《ザントクリフ王国》が《グリア諸王国連合》に加盟するにあたって尽力したのは《レルミー王》にほかならない。

 彼にしてみれば、半ば恩をあだで返された気分だったようだ。


 マルクス伯父はそれは誤解だ、と返書をしたためた。

 《ザントクリフ王国》を襲ったのは《ギレヌミア人》の小部族に過ぎない、と。


 だが、続いて届いた書状にはマルクス伯父にとって予想外の答えが書いてあった。



「アリオヴィスタスとの戦争の際、雇った《冒険者》どもがどうも《ギレヌミア人》の大勢力と戦闘を行ったと吹聴していたらしいのだ」


 僕は思わずニックの顔を見た。


「《冒険者》たちには《ギレヌミア人》の規模は正確には教えていない。だが、逃げた。彼らは契約を半ば反故にした形になる。そんなことが評判になれば、彼らにとっては汚点だ。だから、言い訳をする必要があったんだと思うよ」


 なんだか《冒険者》って思っていたより情けない。

 そこで、ため息混じりにマルクス伯父が補足する。


「加えて、ニコラウスがかつて《共和国》において《冒険者》だった経歴を知られたようだ」

「それが、どう問題なのですか?」

「それだけならば構うまい。問題は、そのニコラウスがこの《ザントクリフ》において要職にあり、レイア王家が《共和国》の《商会ギルド》に借財をしたことまで知られたことだ」

「つまり、《ザントクリフ王国》が親・《ルエルヴァ共和国》派の国なのではないかと疑われているんだよ、オル」


 ニックの言葉に僕は考える。

 南の大国である《ルエルヴァ共和国》と《グリア諸王国連合》は表面的には必ずしも敵対しているわけじゃない。

 けれども、《グリア諸王国連合》の結成は《ルエルヴァ共和国》の圧力に抵抗するという目的によるところが大きいはず。


 それが北西に親・《共和国》派の、しかも独力で《ギレヌミア人》の大部隊を撃退できるほどの強国を抱えることは《グリア諸王国連合》にプラスになるわけがない。


「……《レルミー王》のそれは下衆の勘繰りというものではないですか?」


 僕の正直な感想に、マルクス伯父が深くため息をついた。


「だが、こちらも腹を探られれば痛い。北の森には《人馬ケンタウルス》がおるし……」


 マルクス伯父の視線が痛い。

 確かに、全裸で戦う僕の外聞が非常に悪いことぐらいわかる。


「余とて黙っていたわけではない。……主幹各国に根回しをし、我が国に制裁を加えよと主張する《レルミー王》を抑え込んだ」


 マルクス伯父は簡単にそう言った。

 ほんとうに謎の政治能力があるものだと感心してしまう。


「だが、《レルミー王》は、裏を取っておったのだ」

「裏、ですか?」


 マルクス伯父はむつかしそうな顔をして頷く。


「そうだ。《レルミー王》は此度、調査団の派遣を主張し、このままでは主幹各国に採択される。さすがに調査団さえを受け入れないというのは、印象が悪い」

「それでは、《人馬》たちの存在が……」


 北の森を探られてしまえば、まずいんじゃないか?


「《人馬》どもは脚が速い。なんとでもなるだろう。腹を探らせてやるのもまだいい。問題は、そなたのほうだ」

「……? なんで、僕が? さすがに僕だって調査団の人たちの前で全裸になったりは……」

「違う。調査団員に《レルミー王》が推しているのが、リスクス・ウォード・アドミニウス・ガステールなのだ」


――僕は息を飲んだ。

 アークリーの父、元ウォード伯のリスクス・ウォード・アドミニウス・ガステールは、《ギレヌミア人》にこちらの情報を流していた、言わば裏切り者だ。

 彼のその後の消息は聞いていなかったけれど、まさか《レルミー王国》にいるなんて。


「彼は、すべて知っているじゃないですか……?」


 《人馬》のことも、アリオヴィスタスの狂猛さも、そして僕の秘密も。

 なにより、彼は《人馬》を嫌っているし、ニックも憎んでいるし、《人馬》を受け入れてニックを重用したマルクス伯父を恨んでいるんじゃ?

 彼が調査団として来るならば、僕どころかこの国が危ない。


 マルクス伯父はちらりとニックを見る。

 そして、僕に頷き返した。


「先日、内々に《レルミー王》から、そなたを追放せよと申し入れがあった」


 声が出なかった。

 どうしてそこで僕が出てくるのだろう。


「僕を? なんで僕のようなただの子どもを?」

「《レルミー王》も落としどころを探っておるのだ。……そして、リスクスの怨恨は余やそなたの父よりも、そなた自身に注いでおるということだな」


 よくわからないけれど。


「リスクスはともかくとして、《レルミー王》は本気でこの国をどうにかするつもりはない……ということですか?」


 伯父は軽く頷く。


「示威だろうな。《ザントクリフ王国》を脱退させる、あるいは攻めるよりも、《連合》のうちにあって《レルミー王国》の下風に立たせているほうが利は大きかろうて」


 リスクスの執着と《レルミー王》の狙いはそこで食い違うのだ、とマルクス伯父。

 それにしても、と僕は考えずにはいられない。


「リスクス……アークリーの父親が、僕に怨恨を抱いているというのも納得いきませんけど。……それよりもなぜ、《レルミー王》はリスクスにそこまで協力的なのですか?」


 他国の元伯爵なんかにどうしてそこまで肩入れするのか?

 リスクスと《レルミー王》にはなにか深い関係があるのだろうか。


「まあ、それほど不思議なことではない。利害の一致というところだな。《レルミー王》は《ザントクリフ》の上に立っていることを示したい。リスクスはそなたに復讐したい。また、《義侠神》は弱き者を助ける者をこそよみするという。国を追われたリスクスを庇う《レルミー王》の行為は、それに適うものだろう」


 加えて言えば。

 僕の隣からニックが口を挟んだ。


「《レルミー王》はリスクスを調査団の一員として送ることに、危惧を抱いてもいると陛下はお考えなのさ。ただ、一度庇護すると決めた者を粗略に扱うわけにもいかない。引っかき回されるぐらいなら、王族のきみを追放させる。……そうすれば、調査団の派遣を行わないという申し入れなのさ、これは」


 《レルミー王》が求めているものは、加減なのだ。

 今度は、マルクス伯父が話を進める。


「余が甘んじて飲み込み、余を屈服させたのだと周辺諸国が認める程度の加減だ。そなたは我が甥にして、我が妹イルマとニコラウスの唯一の子息であり、王族に連なるものにして未来のアガルディ侯爵だ。そなたは自らを単なる子どもと言うたが、そなたが思うよりもそなたの価値は高い」


 価値。

 その言葉にニックがマルクス伯父を睨みつけた。


「事実だ」

「――マルクス」


 ニックが伯父を呼び捨てにする。

 こんなに敵意を持ってマルクス伯父の名を呼ぶニックの声は初めて聞いた。

 僕は、思わず口を開けて険しいニックの横顔を眺める。


「きみといえども、許すことができない発言だ」

「ニコラウス。息子の前だからとはいえ、お前のその言いぐさもなかなか不敬ではないか?」


 マルクス伯父はなぜか愉快そうに笑う。

 ニックがさらに目つきを鋭くすると、伯父は大笑いした。


「許せ、友よ。……なあ、オルレイウス。そなたの父は、どうしてこうも融通が利かんのだ?」

「えーっと……」


 僕は初めて見るふたりのやりとりに面食らってしまって言葉もない。

 不意にニックがやれやれというように長い息を吐いた。


「陛下、失礼致しました」

「うむ」


 なんだか微妙なやりとりだ。

 そして、よくわからない。

 ニックがどうしてそこまで価値という言葉にこだわるのかもわからない。


 そこでふと、僕は気になっていたことを思い出いした。


「父上、そして陛下? ひとつ疑問があるのですが」

「言うてみよ、オルレイウス」


 僕は、さっき疑問に思っていたことをふたりにぶつけることにした。


「なぜ、リスクスは僕を標的にするのでしょうか?」


 リスクスが僕にこだわっている理由も僕にはいまいちわからない。

 ニックやマルクス伯父のほうが恨まれていてもよさそうだけど。


「知らん」


 マルクス伯父は即答した。


「……早いですね、陛下」

「しようがあるまいニコラウス。余とて全知とはいかぬさ。第一、リスクスごときの腹のうちなどに興味はない。そなたも気にするな、オルレイウス」

「はあ……」


 伯父らしいといえば、伯父らしい。

 さて、という言葉と共にそこで伯父は朗らかに笑った。


「どうする? オルレイウスよ」

「え?」


 マルクス伯父がなにを尋ねているのか、僕にはわからない。


「そなたの今後をどうするか、と問うているのだ」

「どうするもなにも、僕は追放されるのでしょう?」

「ばかなっ」


 マルクス伯父は大げさに首を横に振った。


「そなたは、この国の現状が見えておらぬな、オルレイウス」

「え?」

「以前にも言うたであろう、王座とは少数の諸侯に担がれている御輿にすぎぬ、と」


 そういえば、北の森でマルクス伯父は確かにそんなようなことを言っていた気がする。


「余の御輿を支える諸侯はそれなりにおる。だが、もっとも力んで支えておるのはそなたの父だ。そして、そなたの父でさえ、これだ」

「それはどのような……」


 マルクス伯父は親指でニックを指しながらイヤそうに顔をゆがめる。


「そなたのためならば、この男は余への忠誠など喜んで捨てるだろう。さきに、ニコラウスが怒ったのは、そなたに価値がつけられぬからだ」


 僕はニックの顔を見上げた。

 ニックは伯父の言葉を否定しない。


「わかるか、オルレイウス。余を担ぐ者の中で余にとって重要な者とは、それなりに能があり、自ら進んで余を担ぐ必要がある者・・・・・・だ。そやつらが余を見限らぬ限り、余は安泰であろう?」

「はあ、」


 それは、そんなに簡単な物だろうか。

 僕は思わず伯父の頭の上に載っている物を見つめた。


「うむ。王冠これにはなるほど見せかけながら権威があり、権力がある。だが、それはひとたび揺らげば脆い。余を進んで担ぎ上げていた者が手を離せば、それは見る間に崩れ落ちよう」

「……わからなくもないですけど」

「そなたを手放せば、ニコラウスもイルマも、あるいは少なくない有為の若造どもも去るだろう」

「そんなに簡単には……」


 わかっておらぬな、オルレイウス。

 マルクス伯父は自嘲する。


「最低限、ニコラウスが余を進んで担ぎ上げるという事実のみによってこの小国は諸国に対しても十分立ちゆくのだ。ニコラウスにはイルマが付いて来るしな。こやつらは人望が厚い。それなりに働け、充分に守られるならば、民は頭上に興味を持たぬ。力ある者を従えて、多少の権益を割いてやれば貴族どもも下手に背こうとは思わん」


 いや、わからなくもないけれど。


「だから、選ぶがよい」

「え?」

「そなたが国に残ると言えば、余は《グリア諸王国連合》を脱退するに躊躇はない。それでもそなたら一家が残るならば、問題なかろう。そなたが国を出るというならば、ニコラウスが余を見捨てぬように説き伏せてくれ」


 なんだ、それは。



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百十年、ザントクリフ王国歴千四百六十七年、セラティミスの月、二十九夜


 先夜、夜更け、珍しくイェマレンが我が家を訪れた。

 《冒険者》時代からの付き合いの彼の来訪に、イルマも起きて来て歓迎した。


 だが、イェマレンは皺が深々と刻まれた厳めしい顔をより険しくさせ、問い質した。


「《グリア諸王国連合》から調査団が派遣されるのは、事実か?」


 まだ決定ではないが、マルクスからは先の戦争に関しての調査団が来るかもしれないと言われていた。

 そう答えると、イェマレンはわずかに沈思したあと告げた。


「ならば、その調査団には《アプィレスス大神殿》の《高位司祭》が加わることになるだろう」


――《ルエルヴァ神官団》。

 その頂点にある七つの《大神殿》のうちのひとつが、なぜ?


「《神官団》は《元老院》とは異なる。調査団に加わる理由は、いくらでもこしらえられる。公平な第三者機関である、とかな」


 確かに、《グリア地域》にあっても《アルヴァナ教徒》は増加している。

 しかし、だからといってなぜよりによって《アプィレスス大神殿》が動くのか?


「わからぬ。むしろ、その答えはお前が知っているのではないか?」


 《高位司祭》ならば、《陽神アプィレスス》の神託を聴けるはず。

 オルの存在によって《陽神》の予知には狂いが生じていた。

 今回の戦争でも、《陽神》の予知とは異なった結果が出たのだろうか?


 私は《アプィレスス》の影を感じて身震いした。


「お前の予感は、おそらく当っているだろう。……気をつけろ」


 それだけ言うと、イェマレンは敷居も跨がずに帰って行った。



「どうも《レルミー王》にしてはしつこいと思うておったが、リスクスのやつめが《レルミー王》のもとにいる」


 翌朝、登城すると不快そうな面持ちのマルクスにそう告げられた。

 《レルミー王》から《ザントクリフ王》の甥を追放するように、と申し入れがあったというのだ。

 でなければ、リスクス・ウォード・アドミニウス・ガステールを調査団員として派遣することになる、と。


 しかし、行方不明のリスクスが《レルミー王》の庇護の下にいるとは。

 事実なのだろうか。


「カッシウス・エキテス・ライツの書状によれば、事実だ。《レルミー王国》に遣いした時に、王につきまとっているリスクスの姿を見たらしい」


 カッシウスと《モリーナ王国》の民百名あまりは既に国元に帰っていた。

 わざわざ知らせて来るとは、あの男も義理堅い。


 では、《レルミー王》はオルレイウスの特質や《人馬》についても知ってしまったのだろうか?


「さあな。だが、知っていたとしてもすべてではあるまい。ほかの主幹国を含め対応が手ぬるい」


 マルクスは続けた。


「《レルミー王》がどの程度この国の事情を知っているかは測りえぬが、それを主幹各国に告げている形跡はない。リスクスが打ち明けておらぬのか、それとも王が知らぬふりをしておるのか」


 おそらくは前者だと私は思った。

 マルクスも同意のようだ。


「うむ。およそリスクスという男は、人を信じぬ。己のみが知るそれを、易々と《レルミー王》に語るとも思えぬ。それに、やつとて一度は《人馬》を匿い、末に余を裏切った身の上だ。そのような者を助ける者などおるものか」


 そう、リスクス・ウォード・アドミニウス・ガステールとて、易々と信用されるとは思っていないだろう。

 その上、下手に事実を明かそうとすれば、己の不忠を私たちに暴かれることになる。

 裏切者の肩身はどこでだって狭いものだ。


「《レルミー王》は余との序列を示したいのだ。傍目にはっきりしている事実は、リスクスが追われて息子が伯位を継いだ程度。誰ぞに追われた伯爵を演じておるのではないかな、リスクスは? 《レルミー王》とてやつを信じてなどおるまい。かの王にしてみても、厄介者だろう」


 追われる者には、追われるなりの理由があるものだ。

 リスクスがどのように《レルミー王》に謁したかは定かではないが、《レルミー王》とリスクスに血縁・縁戚をはじめとした繋がりはないはず。

 《レルミー王》からすれば、リスクスは多少の利用価値がある他人にほかならない。

 しかし、国元を追われるような人物だ。


 貴族の叙爵権は、その国の王の権威と権力の証明だ。

 それに他国の王が口を出すというならば、マルクスとて黙ってはいられない。

 《レルミー王》がリスクスなどのために、その危険を冒すだろうか。


「無いな。それでは《レルミー王》としては、やりすぎなのだ。ほかの主幹国の同意が得られなかった以上、《レルミー王》は独力で我が国を裁かねばならん。イルマと、《ギレヌミア人》を撃退できるほどの戦力を有した我が国をな」


 おそらく最初に《レルミー王》の描いた図面は、こうだったのだ。

 《共和国》との繋がりを臭わせる私の存在や《商会ギルド》への借財、イルマの軍務放棄を理由に、主幹各国を焚きつけ、《グリア諸王国連合》の武力を頼りに追放されたリスクスを伯爵に据え直す。

 そうなればマルクスの王としての権威は失墜し、《ザントクリフ王国》を屈服させるに等しい。


 《グリア諸王国連合》の威を借りればそれは容易く、実際に元伯爵のリスクスを抱えているのは《レルミー王》だ。

 《レルミー王》は改めて北方主幹国の王としての己の権力を周辺諸国に知らしめることができ、《ザントクリフ王国》の内側にリスクス・ウォード・アドミニウス・ガステールという配下を手に入れる。


 だが、初手で《レルミー王》は失敗した。


 単にリスクスを伯爵に据え直すというだけでは、《グリア諸王国連合》の主幹各国は動かない。

 主幹各国を動かすには、どうあっても《ザントクリフ》の《グリア諸王国連合》への背信が認められなければならなかったはず。

 主幹各国がマルクスの根回しによって同意しなかった以上、《レルミー王》にとってのリスクスの利用価値は著しく低下したと見るべきだ。


 そして、《レルミー王国》に単独でマルクス……というよりイルマ率いる《ザントクリフ軍》の相手をする力はなさそうだった。


 では、わざわざオルの追放を提案してきたのは、なぜか。

 その答えも簡単だ。


 つまりは、リスクスが語ろうとしないマルクスの弱味がどの程度のものか、甥の存在と天秤にかけて量るつもりなのだ。

 下手に言いなりになってオルレイウスを追い出せば、王族を追放する程度にはリスクスには利用価値があると《レルミー王》は考える。

 もしかすると、マルクスの致命的な弱味をリスクスが握っているのではないか、と。

 かといって、リスクスをこの国に入れるのも面倒ごとの元だ。


 だが、マルクスは私の考えを否定した。 


「そなたの考えは穿ち過ぎだな、ニコラウス。ティトゥス九世という王は見栄っ張りだが、そこまでの知恵は無い。オルレイウスの追放を提案してきたのは、リスクスを送って寄越せば余が《グリア諸王国連合》を脱退すると考えるに至ったからだろう」


 どういうことだろうか。

 私の表情を読んだのか、マルクスは続けた。


「よかろう、ニコラウス。そなたに教授して進ぜよう。《レルミー王》たるティトゥスが求めておるのは、栄誉だ。諸国に号令を下し、従う者が多いということがあの男には重要なのだ。あの国の地勢では、今以上の力を蓄えるのは難しいからな。ならば、無形の力を求める道理よ」


 確かに、《レルミー王国》は《グリア諸王国》の中では大国だが、三方を敵対勢力に囲まれている。

 そして、どの勢力も《グリア人》には荷が重い種族だ。

 領土を得て、国力を上昇させるという選択は難しいのだろう。


「ほかの主幹各国に《ザントクリフ》への嫌疑を訴えたのも、不義を働かれたのではないということを、己が謀られたのではないということを主張するためだろう。嘗められたくないだけなのだ、かの王は。リスクスを伯爵に戻して思うさま操ろうなどとは、思いつきもせん」


 そう言ってマルクスは笑った。


「だが、リスクスは違う。やつがこの国に入らば、必ずひと悶着起こすだろう。リスクスは余とそなたを恨み、《人馬ケンタウルス》を憎んでおったという。そのすべての影を拭いさるには、一度、国を潰したほうが早いぐらいだ。ティトゥス九世ならば知らずとも、多少察する程度のことはできるだろう。胆は細くとも王だからな。人を見る目はある」


 叙爵権か。


「そうだ。あの王からすれば、リスクスが復位を望んでいるように見えることだろう。そして、もしリスクスが事を起こせば、己が送り込んだ男が、余の権威を侵すことになる。つまり、オルレイウスの追放を提起したのは、リスクスが手に負えないと悟ったゆえだ。リスクスがこの国を再び訪れれば、事態が大きくなると知ったのだ。あの王はええかっこしいだが、胆は本当に細い。ふだんのティトゥスならば、主張が主幹各国に却下された時に追徴を止めていてもおかしくないほどだ」


 笑いながら語るマルクスを私は呆れた思いで見つめていた。


「それでも、これほどしつこいのはリスクスの存在があるゆえだ。ええかっこしいのティトゥス九世陛下は、己が庇護を与えた者にできる限り便宜を図ろうとする。そして、ティトゥスの予測を凌いでリスクスが執念を燃やしておる、というところか」


 だが、それならばどうしてオルレイウスを指名してきたのかわからない。


「訴えたのであろうよ、リスクスが。オルレイウスに地位を追われたのだとでも。つまり、今回の申し入れは『私は面子を守りたいが、事を大きくするつもりは無い。だから、王族のひとりも追放して、恭順を示してくれないか』ということだ。申し入れをして来たという時点で、ティトゥスの意向は察せられる。ま、そのあたりはどうでもよいが」


 どうでもいいわけがない。

 しかし、マルクスは続けた。


「だが、面倒であることは事実だな」


 そう。リスクスが動かぬ証拠を調査団の前に示してから、すべてを暴露しようと考えているとすれば。


「厄介は厄介だな。リスクスの求めるものには終わりが見えぬ。余に生まれ変れというに等しい」

 

 マルクスはそう付け加えた。


「一番簡単なのは、イルマに一切を教えてやることだろう。さすれば」


 私はマルクスに終わりまで言わせるつもりはなかった。

 イルマがあの子のために手を汚すなど、想像したくもない。


「まあ、調査団ぐらい受け入れてやるべきだろう。リスクスがいかに大声を上げようとも、証拠を与えてやらねば良い。あれの息子も少し脅せば言うことを聞くはずだ。むざむざ手に入れた地位を父に還すとは思えんからな」


 マルクスはそう冗談めかして笑った。


 私は沈思していた。

 その時、私の頭の中には《アプィレスス》が送り込んでくるのかもしれない《高位司祭》の影があった。


 リスクス独りならば大きな問題はない。

 だが、オルに復讐心を燃やすリスクスと《アプィレスス》の手の者が同道するとなると、話が違う。


 なんとしても調査団をこの国に入れたくはない。

 だが、そのためにはオルを国から出すか、最悪、私の意固地のために《グリア諸王国連合》を脱退しなければならない。


 調査団は《グリア諸王国連合》から送られてくる。

 それを拒むということは、《グリア諸王国連合》からの審判を拒むというに等しい。


 そうなれば、まずは経済制裁、武力行使もあり得るだろう。

 私とオルはいよいよこの国を離れられなくなる。

 マルクスに借りを作ることになる。


「まさか、反対だとでも? なにかあったか?」


 私は簡単に頷いた。

 今度はマルクスが沈思する番だった。

 そして、王座から立ち上がると彼は言ったのだ。


「オルレイウスはそなたの家か?」



「そなたが国に残ると言えば、余は《グリア諸王国連合》を脱退するに躊躇はない。それでもそなたら一家が残るならば、問題なかろう。そなたが国を出るというならば、ニコラウスが余を見捨てぬように説き伏せてくれ」


 呆れたことに、マルクスはオルにそう言ったのだ。


 オルはどこまでその意図を飲み込んだのだろうか?

 やがて、私を見つめ、笑顔を浮かべて、彼は言った――


「ニックとイルマは、僕がいなくなっても、大丈夫ですよね?」


 と〉


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