第53話



 森が白や黒の煙を吐き出していた。

 その煙が僕の視界の左奥から手前、北西から南東へと大きく煽られて幾条もの脚のように細くたなびいていた。

 その光景はなぜか、海を漂う大きなクラゲの姿を想起させる。


 大きなクラゲの太い胴体の真ん中ほどにちらちらと小さな舌が躍っていた。

 揺らめく西側から上がり始めた火炎は、直立する木々のいくらかを火柱へと変えていて、さらに燃え広がる勢いを見せていた。


 おおよそ火柱が見えるのは数十メートルの範囲。火種が燻っているのはもっと広い、煙が立ち上る直径数百メートルに亘るだろう。

 想像していたよりも、火と煙が広がっている。

 《人馬ケンタウルスとニコラウス》の壁に隔てられた南側には、ほとんど影響がないし確認できない。


 だからこそ致命的だ。

 いずれ炎はあの壁を越える。

 針葉樹で構成される森は、地上数メートル以上から枝葉が大きく広がっている。

 木々の伸ばされた枝のおおいは《人馬とニコラウスの壁》の上にもまたがっていた。


 おそらくは、それほど時をかけないで、西の戦場にも火の手は及ぶ。

 アークリーも、コルネリアが率いる死兵も、アリオヴィスタスも炎はくかもしれない。

 僕はアリオヴィスタスの焦りの一端を垣間見た。


 そんな森で、それらとは違う土煙が上がる。それと同時に音が上がっていた。

 僕の呼びかけに応じる足音。それがこの櫓に次第に近づいて来る。そして、やがて《人馬とニコラウスの壁》の前で停止した。

 僕は手すりから身を乗り出して下を見る。


「これは、どうしたことだ、オルレイウス?! なぜ、《グリア人》が火を放つ! 《ザントクリフ》は我らを裏切ったか?!」


 下から数百の《人馬》を従えたアンリオスが僕を厳しい眼差しで責め上げていた。


「ウォード伯が、民兵を唆しました! 彼は捕らえましたが、壁の西端でアリオヴィスタスと民兵の戦闘が始まっています! 早く加勢を! アンリオス!」

「愚かな人族めっ! ……良いか、オルレイウスっ!! すでに多数の同胞が火に巻かれ、《グリア人》に阻まれて、彼奴らに討たれて焼かれた! 《グリア人》と我がために同胞は命を散らしたっ!!」

「――待って、アンリオス! 議論をしている暇はありません! アークリーもコリーもきけ」

「オルレイウス!! 死するべきは、凶暴なアリオヴィスタスだけではない! 不実な《グリア人》も死するべきだ!!」


 アンリオスは叫んでいた。


 《人馬》の英傑、アンリオス。

 彼が僕の前でその悲嘆を真っ正面から露わにしたのは、今が初めてだった。


 僕はようやく、悟った。

 彼に従って僕を睨みあげる《人馬》たち。その瞳には怨恨が浮かんでいた。

 数は三百以上、いや、もっと少ない。だけど、もしかしてその数は、今戦える《人馬》の総数に近いのか?

 そして、彼は告げる。


「我らは火と煙を避ける要があった! 森の中央にあった同胞とも落ち合った! だが、それでこの数よ! そして、我らが手をこまねいていた間も、火勢は増しておる! ……このままでは、まだ生きる同胞の命が危うい! 火勢が強いのだ! 棲み家には未だ動けぬ者が多い! 我が手はこれ以上、間違えられぬ!!」

「――アンリオスっ!!」

「案ずるな、子供! 彼奴の命は我が手によって刈り取る! だが、同胞はもう加わらん! ……初めから、こうするべきだったのだ……っ!!」


 彼の背後の《人馬》たちからひとりがアンリオスに歩み寄って彼の腕を取る。

 確か彼の名前はエレウシス。そして、彼は首を横に振った。


 最悪のタイミング。

 アンリオスの宣言は、彼以外の《人馬》たちの脱落を意味していた。

 それだけではない。エレウシスの動作は、アンリオスに翻意を希望するものだった。


 彼ら《人馬》は今までアンリオスに忠実だった。

 だけど、《ザントクリフ》にまで裏切られて、それでも闘う理由は彼らにはない。


 それでも、なお、アンリオスはエレウシスに首を振り返して宣言する。


「……赦せ、同胞。そして、小さき友よ!! 貴様の父にして、旧き友、ニコラウスにもそう告げよ!」


 離別の挨拶じゃないか、まるで。


「死ぬつもりですかっ?!」

「違うな、友よ!! 誇りとそなたからの信頼をまっとうするために足掻くのだっ!!」


 無茶だ。どう考えても無茶だ。

 いくらアンリオスが強くても、単独であの戦闘に加わる?


「無理ですよ! アリオヴィスタスは密集した人々の中央に……」

「気づいておるわ! 懐かしい、死することを呑んだ者の叫びよ! しかし、我一頭のみならば屍どもを踏み越えられよう! ……さあ、同胞行くが良いっ! 動けぬ仲間を救うのだ!」


 彼はエレウシスの手を振り解き、背後の《人馬》たちに向かって腕を振った。だけど、《人馬》たちは動かない。

 痺れを切らしたように、アンリオスはたったひとりで駆け出そうとする。


「待ってください!」

「なんだ、子供っ! 時が惜しいのは貴様も同じだろう!」


 アンリオスの怒鳴る声。

 でも、僕の頭は冷え始めていた。


――火災だ。

 《人馬》たちが森林火災でこのままでは危ないというなら、あれを食い止めればいい。

 そうすれば――


「僕に《魔法》を使う時間を下さい、アンリオス! そして、エレウシスと《人馬》たち!」

「なにをしようというのだ、子供!」


 アンリオスよりも早く、エレウシスが僕の言葉に反応した。


「火災を止めます!」

「――馬鹿なっ! 雨でも降らせようというのかっ?! ニコラウスとてそのような」

「それですっ!」


 僕はアンリオスに叫び返し、アウルスを振り返った。


「アウー、できるだけ高くから遠くを視界に収めたい。肩を貸してください!」

「御意」

「おいも……」


 青年の申し出に、僕は快く頷いた。


 背の高いアウルスの肩に僕は立ち上がり、青年が手を伸ばして僕の尻を支える。

 アウルスが僕の両足首を両手でしっかりと掴んでいた。


「この手、この場で死のうとも離しませぬ!」


 僕はアウルスの言葉を流して、背筋を伸ばした。

 視界はこれで一メートル半ぐらいは高くなった。さっきよりも若干遠くまで見渡せる。

 冷たくて勢いのある風が、僕の頬を打つ。それでも、僕は手首を合わせた。


「なにをするつもりだっ! オルレイウス!」

「まずは、火災が発生している周囲の木々を腐らせて倒します!」


 下からかけられたアンリオスの声に、僕は彼と彼に従う《人馬》たちにも向かって声を投げた。



――僕の体にニックが描いた《呪文》は、みっつの《攻撃魔法》。

 ひとつは《大地魔法》。ひとつは《植物魔法》。そして、最後に《大気魔法》。

 手首を内側で重ねると《大地魔法》に。親指の根元あたりで重ねると《植物魔法》に。手の甲側で重ねると《大気魔法》の《呪文》がつながる。


 一番、《魔力》消費が少ないのは《植物魔法》で、激しいのは《大気魔法》。

 そして、今回はまず《植物魔法》を使用する。


 これは特殊な《攻撃魔法》だ。植物の根を腐らせて倒す。その重量で敵を攻撃することを目的としたもの。

 森林が多いこの《大陸》の北方地域では使える場面が多いと、ニックは言っていた。

 それを今回は、延焼を防ぐ目的のためだけに使用する。


 僕は濛々と煙を上げる火災の中心部へと目を落とす。

 視野を狭めて、目標地域にだけ集中する。淡い《魔力》が炎と戯れるように踊っているのが僕の目に映る。

 今回、敵はあの炎だ。それを強く意識しないと、《呪文》との整合性が失われてしまう。


 練習目標の禿山にはほとんど木々が残っていなかったけど、その禿部分を拡げることには成功した経験がある。

 問題は、そのときよりも木々を倒すべき範囲が広そうだということ。


 深呼吸をひとつ。

 つなぎ合わせた体の《呪文》に《魔力》を導いていく。

 右肩から、右腕を通って行く。

 手首あたりの空白、そこに言葉を埋め込む。


「……『炎を囲んで円弧を描け。描いた円に向かって斃れる死体。重い体は悲鳴と共に。しかし、仲間を生かすため。生きろや生きろ。嘆くな死にざま。涙は流れど、笑って送れ。冥府の女神、その慈愛の腕に、抱かれるだけよ。回りて、廻るそれだけよ。死してなお、つながって。円を描いて、続いてく』……」


 空白が埋まる。そして、左腕へ。

 螺旋を描く《呪文》を追っていく。ぐるぐると腕を巡り、やがて肩へ。

 さらには、左肩から背中、そして右肩を経て胸。


 そうして、胴を何周かして尻まで。

 僕の体を通して迸る《魔力》。それが空気の層に溶けるように、急に僕の視線の先に流出する。

 まるで、間欠泉のように。いくつもの火柱を取り囲むように、森に細長い楕円を描いて噴き出る感覚。


 そして、木々が一斉に大きな音を立てた。

 巨大なドミノでも倒したみたいに、北から南の広範囲に亘って点った炎を取り囲むように倒れていく。

 隣の木へと寄りかかり、そのまま枝をこそぎ取るように倒れていく。


 森を覆うようだった煙が波打った。

 その音に反応してどよめきを上げる《人馬》たち。だけど、これで十分なわけではない。

 倒せたのは、火柱へ変わっている樹木と、煙を上げる木々の周囲の二三本の幅程度。


 元からある根を腐食させて倒すだけだから、この《植物魔法》は燃費がすこぶるいいはず。

 なのに、僕の《魔法》の結果は不十分だ。


 どちらにしても、これだけでは延焼は止められない。

 煙は高温になっているはず。そして、火の粉が強風に舞い続けている。

 このまま北西から南東へ風が吹き続ければ、炎は枝伝いにさらに広がって行ってしまうだろう。


「アンリオス! 仲間を連れて、行ってください! どうか、死ぬつもりの《グリア人》たちを助けてください!」

「同胞は! ……炎はどうする?!」

「僕が、なんとかします! あなたの仲間は、僕の仲間だっ! 死なせはしないっ!!」


 アンリオスのとび色の瞳が下から僕を見上げて、背後のエレウシスを振り返った。

 エレウシスは逡巡したように、さらに彼の背後の仲間たちを振り見る。

 《人馬》たちが一層強い視線で僕を打った。


「あぅ……」


 僕の尻を支える青年の手が震えているのがわかった。

 でも、僕は強く《人馬》を見つめ返す。


「あなたたちは、僕の民だ! 誰がなんと言おうと、僕が守るべき者だ!」


 エレウシスが目を見開き、アンリオスは心地よさそうな苦笑をこぼした。


「――約束します! そして、《義侠の神》の神名に誓いましょう! 僕は、あなたたちを守ってみせる! 僕にはその力がある! 僕には《福音ギフト》がある! そのすべてを使って、あなたたちに尽くそう! だから、あなたたちは僕の仲間を助けてください!」


 《人馬》たちに、大きなざわめきが起こった。

 ただ、アンリオスひとりが大笑いしながら、僕に向かって呼びかける。


「――よかろう! 貴様は我が耳に嘘偽を吹き込んだことは無い! ……今一度、示せ! 我が同胞らにも明らかにせよ!」

「アンリオス! ……火元の近くに生存者は……?!」

「残らず拾って、東へ運んでおるわ! あやつらのために、どれほど時を費やしたことか! 二三十、虫の息の者もあるが、死んでも責めるなっ!」


 責められるはずもない。

 アンリオスは同盟者を裏切らない。裏切られても、裏切らない。

 ダイヤモンドのような硬度の、宝石よりも光り輝く矜持。


 きっと、彼は数百年もの間、そうやって生きて来たんだ。


「……感謝します。アンリオス。――これから、雪か雨か、なにかを降らせます! 水滴が落ちたら、行ってください! それ以外は逃げてください!」

「――正気かっ!!」


 僕は背筋を伸ばして、首だけで頷いた。

 正気ではあるけど、うまくいく保証なんて無い。

 失敗すれば、余計に森の被害が拡大する可能性もある。


 それでも、やるしかない。たとえば、廃人になったとしても。

 アンリオスだけじゃない。僕らは少なからず、《人馬》のみんなに助けてもらった。

 それになにより。


「……ここは、イルマとニックの領地で、僕の未来の領地……彼ら《人馬》は僕の民」

「オルレイウスどの?」


 アウルスの疑問の声に微笑んだ。

 だいじょうぶ。肚は決まった。

 安全地帯は細いけど確保したんだ。ここから先は、僕の《魔力》と空との勝負だ。


「ふたりとも、僕の体に異変があったら、……例えば、体の感触が消え始めたり、体重が軽くなったら、僕を下へと放ってください。厳命します」

「――なにをっ……」


 アウルスの戸惑いの叫びを無視して、手首を甲の側で合わせた――


――導く。《呪文》の冒頭、右肩の前面でそれは始まる。

 そのまま、腋を通って螺旋を描き、二の腕を廻って肘を通過する。


「……『冷酷無慈悲な北の神。猛き気性の南の神。悪戯者の東の神。穏やかなるは西の神。彼の神らを従える、海の果てにおわす神。《義侠の神》の御子にして、すべての息吹を司る。《女精霊ニンフアエリス》、《義侠の神》に見初められ、肉得て、御神孕みしも。嫉妬に狂う、《魔鳥》ども。囀り鳴くは、《ニコトーエー》。羽ばたき追うは、《オキュペーテー》。ただ一羽、《女精霊》を逃がす、《アエーロー》』……」


 これは、天候を操るといわれる《義侠の神》と、その眷属である風の眷属たちの逸話。

 そこからの借用だ。

 僕の髪をなびき、頬を打っていた冷たい風の流れが変わる。


「……『《ニコトーエー》より、かしましく。《オキュペーテー》より、まだ速く。我が子を守る、《女精霊》のごとく。肉無き者が、形寄り。もっとも軽い、衣を纏いて、ひた駆ける。従う者は、翼持ち、宙を足場に、渦を巻く。熱き血潮を共にする、母子を守って、飛び回る。駆けろや、懸けろ。導け、抱け。気勢を逃がすな、一片も。煙にまかるな、一時も。高みを目指して、駆けあがれ。懐胎に、終わりをもたらす産褥を、我が目に見せる、そのために』……」


 すでに、僕がそれを唱えている間にも、《魔力》が炎と煙の元を囲んで噴き出していた。

 《呪文》に導いた《魔力》が導いた端から、どんどん吸い取られていく――


 そして、末尾へ。終わりを迎える。

 視界が霞む。目眩、吐き気、頭痛。そして、鼻の奥から鉄の匂い。


 だけど、僕の創った《魔法》は成功した。

 少しだけふらついた。


「――オルレイウスどのっ!」


 僕の足首を握ったアウルスの手にぎゅっと力が込められていた。

 落ちそうになった膝と腿に気合を入れ直す。

 そして、見た。


 霞む視界の中に、一本の太い旋風が持ち上がっていく。

 黒ずんだ煙を巻き込んでいることで、それがはっきりと目に見える。

 ちゃんと制御されている。効果範囲も予定通り。火元のあたりの、僕が円状に木々を倒したよりも狭い範囲。


 創り出された旋風は、地表の煙を吸い上げる。

 僕の体を通して吐き出された《魔力》が、煙と戯れるように踊っている。

 煙をかき集めて、木の葉や雪や、腐植土までも吸い上げて、成長を続ける。


 ニックが刻んだ《呪文》は旋風に標的を巻き込んで攻撃するもの。

 今回、僕が標的として選んだのは、森の上から目に見えるほど大きくなった炎と煙。


 そして、付け加えた《呪文》は風の眷属たちの名に託して、その挙動を制御するはずだ。


「オルレイウスっ!」


 アンリオスの声が吹きすさぶ風音の中でも聞こえた。


――伸びあがる。

 旋風が大きく空を目指して伸びあがっていく。その風が炎を吸い上げ、くねる一筋の紅蓮の縄を中心へと立ち上げた。


 勝算はあった。

 今冬はまだ、二回ほどしか降雪が無い。だけど、北西風は海風だ。多くの海から蒸発した水蒸気を孕んでいるはず。

 そして、北の森の東には北西風を阻む《アルゲヌス山地》が屹立している。


 今日は、曇天。火災によって生まれる地表からの上昇気流。

 僕の《魔法》で北西風の影響を少しだけ和らげて、温まった大気を上空へと導くことができれば。


「オルレイウスどの! 血が……」


 アウルスの頭に落ちていく、僕の鼻血。

 悪いとは思うけど、このぐらいは我慢してもらおう。


「……火柱が、大きくなっちょりゃあ……せんか……?」


 僕の尻を支える青年の言葉。

 わかってる。そりゃそうだ。燃えてるところに無茶苦茶に酸素を送り込んでるんだ。

 燃焼は加速する。でも、まだ、僕の《魔法》で制御できているうちは大丈夫、のはず。


 炎の柱が天へと昇る。大きなクラゲのすべての脚が、上空へと昇っていく。

 旋風が豪風とも表現すべき唸り声を上げている。

 上空の雲を突きあげるほどの上昇気流に育て上げれば、圧された上空の大気層に下降気流が生まれるはず。

 凍った水蒸気の粒子が、炎によって暖められた大気によって融けて、くっつき合うはずだ。


 そして、《大気魔法》で送り込んだ多量の煤。

 結露した水分がそれを核にして大きな塊を作れば、自重で落ちるだろう。


 さっさと吐き出せ。

 頼むから吐き出してくれ。


 泣け! 泣けったら、泣け!


 僕は雲を睨んだ。空に祈りを投げつけた。


「火柱が――」


 青年の声。

 一筋の火焔の柱が揺らいでいる。

 煙と炎と戯れていた《魔力》が枯渇しつつある。


 あまりに早い。そして、僕の目的からはあまりに遠い。


 火柱が身じろいだ。《魔力》を食らい尽くし、増した火勢と生まれた上昇気流によって、旋風は《魔法》から半ば独立して存在している。

 このままでは好き勝手に動いて、それこそ森をく。


――だから、もう一度、手首を合わせる。


 ニックに体に描いてもらった《呪文》は全部で三つ。

 一番、《魔力》消費の少ない《植物魔法》で、ひと時に連続で発動すれば三度で目眩を覚える。

 ニックからは、一番、《魔力》消費量の多い《大気魔法》はひと時に一度だけにするように言われていた。


……もう、少し強化した《植物魔法》を一度と、それなりに強化した《大気魔法》を一度使用した。

 それに、目眩や頭痛を感じてから、みっつの《魔法》のどれかを使用するのは初めてだ。


……関係が無い。それと、この状況、身じろぎしている火柱とは、なんの関係も無い。

 関係が無いということは、正当な理由では無いということ。

 僕の行為は、もう僕が言い訳を講じてなんとかなる領域を超えている。


 《魔力》を導く。鼻から血がだらだら垂れていく感触。それもなんだか遠のいていく。

 アウルスの声が聞こえる気がするけど、そんなのどうでもいい。


「……『上がれ、上がれ。天を目指して、駆けあがり、ひた走れ』……」


 たった、数言。空白を埋めて、挙動を制動するだけの言葉。

 まだ、《呪文》は序盤だ。


 辿れ。

 意味を考える前に辿れ。


 やっと左肩。

 背中を這って、胸を回る。


 何周目?

 だいじょうぶ。追えてる。


 もうすこし。

 もう、ちょっと。


 きた。

 《離切の言葉》。



……体が傾いたのが、わかった。



 

――あ、また、死んだ。


 僕は、そう直感した――


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