第54話



 〓〓〓



〈――さらに、続き。



 ネシア・セビら《ギレヌミア人》も森の西部より火の手が上がったことに大きく動揺していた。

 おそらく、彼らが考えていたよりも早く、アリオヴィスタスが行動を起こしたと考えたのだろう。


 のちに捕らえた《ギレヌミア人》捕虜によれば、西の森に上がる煙は戦闘開始の合図だったのだという。

 それは、正午を大きく回ってからの予定だったのだ。


 実際に、彼らの想像は半分だけ当っていた。アリオヴィスタスは予定を繰り上げざるを得なかったのだ。


 その理由は、アリオヴィスタスの予測していた以上に早くにアンリオスらに発見されてしまったこと。

 次いで、彼ら以上に執拗に放火に努める《グリア人》の存在。


 アリオヴィスタスも気がついたはずだ。

 目印であるはずの煙がすでに上がってしまっていることに。

 森の深くにあっては、煙がどの程度、そして火がどれほどに回っているのか把握する術は少ない。


 だからこそ、アリオヴィスタスは《人馬ケンタウルスの壁》を越えた。

 それも約束の正午ちょうどほどに。

……それを私たちが知ったのは、オルレイウスの報告を聴いたのち。



――他方、私たち東側の局面も非常に混乱していた。



 その時、私も東の街道上から煙を眺め、同時に耳を澄ませた。遠くで微かに喧騒ような音が聞こえる気がした。


「――西側、接敵!」


 同時に張り上げられる伝達係の声。

 壁際に一定間隔で配置された兵は、隣へと大声をかけて簡単な報告を風のように早くリレーしていく。

 単純な報告しかできないが、それでも迅速に行動することが可能になる。


「――森に火勢あり!」


 報告に接して、煙を認めたマルクスは即座に私を見た。


「――消せるか?」


 私は不可能だ、と答えざるを得なかった。


 一マイルほども隔てられた森の東側からでは、西側で発生している火災の規模も、火元も確認できなかった。

 広域の《凍冷魔法》、あるいは大規模な《流水魔法》と《大気魔法》を併用したとしても、視認できない以上、《魔法》の効力範囲は狭められる。

 加えて、後詰を喪ったことが判明しているそのとき、私が西へと向かうことなどできるわけも無かった。


「マルクースっ! 時間だっ!!」


 三百ペスの向こうから、ネシア・セビが叫んでいた。

 手枷を付けたままの捕虜たち、百名ほどが先を争って、こちらに向かって駆けて来た。

 ネシア・セビがすべての《グリア人》捕虜を解放したのだ。


「――さあ! マルクス! お前も約束を守るがいいっ!!」


 《グリア人》たちがこちらに迎え入れられると同時に、ネシア・セビがそう言った。

 勝手な言い分だ。戦闘を開始するために、捕虜交換を一度に終わらせようというのだ。


 だが、神名に誓われた約定を違えるわけにはいかない。

 とにかく、ネシア・セビは誓言通りに捕虜のすべてを解放したのだ。

 マルクスもまた、残り三十五名の《ギレヌミア人》捕虜を解き放った。


 そして、同時に叫んだ。


「――伝令! 全部隊に《人馬とニコラウスの壁》の放棄し街道を目指せと告げよ! ……加えて、街道西に伏せている兵に撤退を……」


 私は、マルクスの腕を掴んで言った。

 最初の指令だけで、十分だ、と。

 少しだけマルクスは怪訝そうな顔を浮かべた。


 本来ならば、マルクスの指揮は順当なものだったと思う。

 ネシア・セビの行動は森が焼かれることを知っていた者のそれだった。

 ならば、ネシア・セビの率いる《ギレヌミア人》の大部分が森に居る可能性は低い。彼らが集中しているのは、街道に違いない。


 同時に、マルクスの指示は森の放棄を意味してもいた。

 マルクスも私と同じように考えたはずだ。


 北の森の延焼は止める術がない。

 《人馬》たちの棲み家にも火勢は及ぶかもしれない。そうなれば、彼らの被害は甚大なものになる。

 アリオヴィスタスは、この森を焼き払うつもりなのだ、と。


 私はそう考えながらも、ネシア・セビの様子を観察していた。

 彼もまた、傍の者らを森へと向かわせていた。


 慌ただしい様子で、だ。



 これは、ネシアにとっても予想外の事態だったのだと、私は推測した。

 その理由はわからなかった。

 だが、これから展開されるであろう局所的な街道の戦闘において、その焦りにはつけ込む余地があるように思えた。


 ネシア・セビは火勢がおよぶ前に、私たちを蹂躙しようとするのは間違いない。

 だが、未だ遠方の大火だけであれほど急ぐか?


 おそらくは、無い。

 ならば、焦る理由は火そのものというよりは、別のなにか。


 アリオヴィスタスとの呼応を狙っているのだろう。

 ほぼ確実に、アリオヴィスタスが火を放ったのには違いないのだ。

 おそらくは、あれが呼応の合図である可能性が高い。


 そして、私たちの背後にいくらアリオヴィスタスの影が迫ろうとも、彼はアンリオスが仕留めるはず。

 不確定の要素が、西の戦場に現れたとはいえ、このときの私にはそこへと手を伸ばす手段はなかった。

 ならば、この東の街道上で展開される戦闘を、できる限り優勢に進める以外にない。



 総力を街道の戦闘へ集中させる。私が出した結論はそれだった。

 私の提言に、マルクスが少しだけ間を置いて、肯いた。


「《人馬とニコラウスの壁》を放棄した兵を、すべて後詰とする!」


 マルクスが指示を託した伝令を送り出した。

 その間も、私たちが解放した捕虜が、ゆっくりと街道上を広がって歩いていた。


「どうした、同胞?! 駆けろ!!」


 ネシア・セビの怒鳴り声が街道に響いた。

 彼の焦燥が深いということが私にもマルクスにもわかった。


 このときの私に、炎の煙がネシア・セビ率いる《ギレヌミア》本隊の突撃合図だということに、未だ確証は与えられていなかった。

 しかし、彼の焦りがアリオヴィスタスの侵攻を私たちに教えていた。



……のちに判明したことではあるが、どうやらアリオヴィスタスは西の森に火を放ったのち、すぐに《人馬の壁》を越える予定だったようだ。

 彼ら陽動部隊が、私たち《ザントクリフ軍》本隊の背を衝く姿勢を見せれば、アンリオスは確実にアリオヴィスタスを追撃しただろう。


 アリオヴィスタスの計画とは、《ザントクリフ軍》本隊の中央を突破、ネシア・セビと合流。

 合流したのち、全力を以って《ザントクリフ軍》本隊を《人馬》への壁に使いながら、私たち諸共アンリオスらをすり潰すつもりだったのだと思われる。

 それまで、《人馬》と《ザントクリフ軍》が連動したことはあっても、同じ戦場で共に戦ったことはなかった。


 街道側、本隊の背後に《人馬》が現れれば、《ザントクリフ軍》は混乱した可能性もある。

 アリオヴィスタスは《人馬》を引き連れていくことで、それを狙っていたのだと思われる。


 自軍が挟まれることは、火計の対処をさせることで《人馬》の追い足を鈍らせることによって避けられると踏んでいたのだろう。

 ゆえに、アリオヴィスタスにとってはある程度、火が回って煙が上がりさえすればよかった。

 火が回っているうちに、彼自身は《ザントクリフ軍》本隊の背中へ向けて侵攻できる。


 アリオヴィスタスの想定の中では、《ザントクリフ軍》と《ギレヌミア》本隊の衝突は、彼が進撃している途中で始まるはずだったのだと思われる。

 《人馬の壁》の防衛に回った兵力、後詰などが合流する前に、私たち本隊の後背を突く計画だったのだ。


 だが、ウォード伯によって、彼の計画とネシア・セビの動きは加速した。

 私たちが捕虜交換を続けていた、正午を回ったばかりのこのとき、アリオヴィスタスは未だ《人馬の壁》の西の終わり付近にいたのだ。



「よいか、《ザントクリフ》の勇士たちよっ! 敵は余を、そして、そなたらをここで殺すつもりだ!」


 マルクスの宣言に、近衛も《騎士》たちも、表情を硬くした。


「余は、ここで屍を晒すつもりなど毛ほども無い! ……そなたらはどうか?」


 その言葉を受けて《騎士》たちが口々に怒声のような喚声を上げた。


「王、王よ! 鳥の胸毛ほどの重さもありませぬ!」

「一滴たりとも、御身に血を流させてなるものか!」

「許すまじ、《ギレヌミア》!」


 そもそも、これはアリオヴィスタスによる一方的な侵略戦争なのだ。

 それらの奮起の叫び声に重なるように、森の奥で木々が一斉に倒れる音が響いた。


 だが、ほとんどの者はそれを気にも留めなかった。

 大身貴族の一部を除いて、王国民の戦意は高かった。

 そして、好戦的な《騎士》たちの戦意は最高潮に達していたのだ。


 ゆっくりと歩いていた捕虜たちが、ひとりふたりとネシア・セビ率いる本隊へと飲み込まれていく。

 苛立ったように、ネシアがマルクスに向かって吠えた。


「マルクス・レックス・ザントクリフ・ユニウス・レイアあ! わしとお前の最後の勝負だ!」


 張り詰めた糸が切れるように、その言葉と共にネシア・セビが馬の腹を蹴った。

 同時に、彼に並んだ《ギレヌミア人》たちも一様に駆け出した。


 マルクスはひとつ頷き、手を翳した。



――次の頁へ〉



〈――続き。



「これ以上、やつらにこの地を――」


 そう、マルクスが最後の演説をぶちあげようとした瞬間。


「西に巨大な旋風!」


 伝令がそう告げた。

 即座に森に隔てられた空を見上げて、マルクスは絶句した。

 それに釣られて、《騎士》たちもマルクスの視線を追った。


「なんだ、あれは?!」


 《ギレヌミア語》の叫び。

 《ギレヌミア人》からも動揺のざわめきが上がっていた。


 《魔法》の発動を準備していた私も思わず、西の空を見た。

 森の広い範囲で揺蕩うようにゆっくりと昇っていたはずの煙が細く集束していくのが見えた。


 いつのまにか風が変わっていた。

 冬のこの時節、決して滞ることがないはずの北西風が大きく渦を巻き、《人馬の壁》の北西部へと流れていた。


 それに干渉する《魔力オド》。

 私の色に似たその《魔力》の色は間違いなくオルのものだった。

 そして、それが私がオルレイウスの体に描いた《呪文スペル》ならば。


 いや、オルレイウスは城にいるはずではなかったか?



 集束した大気が、ひとつの巨大な旋風へと変じていた。

 風が煙を吸い上げ、炎さえも吸い上げて、一本の火柱が燃え上がった。


「……神よっ!」


 ネシア・セビの声。

 《ギレヌミア人》も脚を止めて、怯えた喚声と共に西の空を眺めていた。


 周囲の煙を、大気ごと吸い上げる《大気魔法》。

 凍りついた森の大地と樹冠を嘗め、氷塊のごとき雪が舞い上がった。

 その中心には、腐食した落ち葉と湿った土を焼き尽くす、一条の細い火焔の渦が立ち上がっていた。


 おそらくは私だけが疑念を抱いていた。

 ばかな、オルレイウスは森をくつもりなのか、と。

 アリオヴィスタスに加勢でもして、《人馬》も民兵たちも焼いてしまうつもりなのか、と。


 だが、火焔の渦は勢力を増しながらも、まるでその場に縫い付けられたようにそれ以上どの方向にも動かなかった。

 多量の《魔力》によって制動されていた。


――私も、ようやくオルの狙いに気がついた。

 しかしながら、オルの考えたことは、彼の《魔力》だけではおそらく不可能だった。


 オルは明らかに《呪文》に言葉を加えて、威力を上げていた。

 オルの込めた《魔力》はおそらく、彼の限界に近いもの。それをほとんど飲み干してしまうほどの《魔法》。

 それでも、おそらくは足りないと、私は直感していた。


 揺らぐ火焔の渦。それが動き出そうとして、また止まる。

 さきほどよりも弱いが、それでも大きな《魔力》が風に踊った。


 追加の《魔法》――それは、今のオルの《魔力量》にとっては、危険極まりない選択。


 私は手首を合わせて、ひとつの《呪文》を完成させた。


 一本の、天へと届きそうな赤い旋風が目印になっていた。

 あれを、空へ空へと導き、風に方向を与える《大気魔法》。


 目標は巨大な炎の竜巻の上、オルの《魔法》によって、方向を与えられた熱と煤の逃げ場。

 上空に形を成しつつある、黄ばんだそれ。

 あれを育てるのだ。


 私は発動した《大気魔法》が消える前に、また同じ《魔法》を創り出した。

 二度も三度も、間を置かずに重ねていった。


 風に煽られて燃え上がる火焔は、天を衝いた。

 他者に秀でた《魔力量》を持ち、数百年を生きる私でも、かつてこれほどの無茶をしたことはなかった。

 数マイル以上も上空の天候に干渉するなど、神々の発想にして、その領域だ。



 だが、成し得た。

 オルの《魔法》に煽られて膨らみ、空を目指す火焔の熱。

 それらの熱を私の《魔法》がさらに導き、旋風――竜巻というに相応しく育ったそれの天頂へと風を集めた。


 それほどの時を置かずに、そそり立つ紅蓮の竜巻の直上に厚くて大きなひとかたまりの茶けた雲が出来上がっていった。


 オルと私の《魔法》によって、見た目に反して火災の領域は小規模の範囲におさまっていたはずだ。

 確かに燃焼は加速した。だが、それによって、木々は驚くほどの速さで炭へと変わり、灰となったはずだ。

 その証拠に、火焔の渦が徐々にその勢いを弱めていった。私は、念のためにもう一度、火焔の紐が見えるうちに《大気魔法》を創り出した。


 火焔が勢力を減じる代わりに、遠目に映ったのは、落ち始めた細かい粒。

 最初は少なく、少しずつ多く。それが、次第に勢いを増していた。


 マルクスがいつのまにか私の顔を凝視していた。

 かなりの《魔力》を持っていかれた。だが、この街道上の戦闘に限るならば、問題は無い。

 そんな意図を込めて頷き返すと、マルクスが満面に笑みをこぼしていた。



――已んでいた《ギレヌミア人》の騎馬を駆る音。そのひとつが、突然、息を吹き返した。

 街道の上、竜巻の出現に怯えて鈍る馬と慄く《ギレヌミア人》を鼓舞するネシア・セビの大声。


「構うことなどない! さあ、見ろ、同胞! お前らの獲物は西には無い! 目指すはマルクス・レックス・ザントクリフ・ユニウス・レイア、その首よ!」


 多くの《ギレヌミア人》がその言葉と共に、百五十ペスほど離れたこちらを見た。

 怯えに曇っていた顔が、あるいは、なにか神秘にでも触れたとでもいうように手を握り合わせていた者すら、ゆっくりと意識を取り戻して私たちを見ていた。

 ネシアは彼らの顔をゆっくり眺め、獰猛な笑みと共に西の空を指さした。


「あれこそ、儂ら《ギレヌミア》を督励する、《戦の神》の恩寵よ!」


 そして、ネシアは剣を振り上げ、視線をマルクスの顔へと据えた。


「――さあ、構えるのだ同胞! 手綱と剣を握り直せ! ……今こそ、《ギレヌミア》の狂猛を示せ!!」

「…………――オオオオオオオオオッ!!」


 ネシアが叫んで駆け出すと、すべての《ギレヌミア人》もその後に続いた。

 マルクスが《ギレヌミア人》にすら、呼びかけるように言い放った。


「――見よ! この国を、《義侠の神》が守っておられる!」


 西の空を指さしながら、高らかにマルクスは宣言した。

 《義侠の神》――《疾風はやての》という尊名を持つその名に、駆ける《ギレヌミア人》が動揺したのが私にもわかった。


 おそらく、その場の私とマルクス以外の者には不可解な竜巻の出現。

 天候を操るとも言われる《義侠の神》という、《風の神》の親にして、北方地域と《ドルイド》の間でもっとも信仰を集める神の名。


 そのふたつが、マルクスの言葉によって結びついた。

 古くから《ギレヌミア人》も《ドルイド教》の影響下にある。


 そして、局所的な雨が、森の西側に降り注いでいた。

 まるで、この国を火焔から守るために、《義侠の神》が降らせているとでもいうように。


「ニコラウス!」


 マルクスが私の名を呼んでいた。

 私はふたたび手首を重ねた。


――『地中を進むは、《戦の神》の太いかいな』――


 手首を合わせて、私は、《呪文》を完成させた。


「停止せよ! 同胞……」


 私たちから百ペスほどまで迫ったネシアが手綱を引き絞りながら叫んだが、遅かった。

 高々と、街道に私が造り出した土の壁が出現した。

 そこになにかが激突する音が響いた。


「――投げ槍を構えよ!」

「旗を振れ!」


 くぐもったネシアの声と、マルクスの指示が交差した。

 マルクスが言ったそれは、伏兵への攻撃合図。


 街道の左右から弓兵の矢が降り注ぎ、壁を越え、山なりに射出された投げ槍が私たちへと落ちて来た。


――『鉄すらも雪片のごとく』――


 私は手首を合わせる位置をずらして《大気魔法》を完成させた。

 吹き上げる風に、打ち出された投げ槍が踊った。


「――全軍、五歩ほど前進せよ! ……騎射用意! 狙いはニコラウスが創った壁の向こう側だ! ……放てえ!」


 マルクスが、近衛と《騎士》たちに号令を出した。

 矢が、さきほどの投げ槍と比べていくらか低い弧を描いて、壁の向こう側へと消えていった。



……私は、ちらりと西の空を見た。

 厚い雲と煙る雨に、炎の筋はすでに見えなくなっていた。


 私は正直、西へと馬を駆けさせたかった。

 すべてを投げ出して、オルの許へと走りたかった。


 ただ、オルレイウスは無事ではあるまい。

 そんな予感だけが、私の胸を貫いていた。



――次の頁へ譲る〉


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