第51話



「なにを考えている! リスクス・コメス・ウォード・アドミニウス・ガステール! 貴方の行為は、この国に不利益をもたらすものだ! 早く、兵を戻し給え!」


 コルネリアの言葉に、ウォード伯は笑みとは別の理由で目を細める。

 それでも口元の微笑を絶やさない。


「ほんとうにこの国を想えば、そのような言葉は出てこないはずだ、コルネリア嬢。そもそも、ガルバ候の息女たる君に、この国がどのような危殆に瀕しているかが理解できるとも思えないが」

「ほう! 論点のすり替えかな、リスクス・コメス・ウォード・アドミニウス・ガステール! 貴方の言わんとすることについては、尋ねる気さえおきないね! どうせ、マルクス王の政治方針をうんぬんしたいのだろう! だがそれについて、ぼくから一言だけ言っておこう! 貴方の後ろの男は、おそらく貴方の想像を絶するほどの愚物だ! さあ、これでその話は終わりだ、リスクス・コメス・ウォード・アドミニウス・ガステール! いいから、さっさと民兵を引き連れて、休耕地に戻り給え! もうすぐ正午だ! 時間が無い!」


 そう言い交すウォード伯とコルネリア。

 そこに、こめかみに青筋を刻んだルキウスも加わる。


「ふたたび、此方こなたを愚弄するか、小娘。……もう、頼まれても側室にも加えてやらんからな!」

「むしろまだ、そのつもりがあったことに驚くね! 父が勝手に言ったことだし、ぼくの意向とは無縁だと言っただろうに! 彼の発言を聴いただろう、ウォード伯! この男の頭にはそれしかないんだ! 低劣で、愚劣なのだよ、貴方が担ごうとしている男は!」


 コルネリアに指差され、顔を茹で上げるルキウスをウォード伯が擁護する。


「英雄は色を好む。絶倫なる精力は、王者の条件なのだよ、コルネリア嬢。……殿下もお気に留める必要はございませんぞ」

「ああ、違う! そんな箸にも棒にも掛からない男、今はどうだっていい! とにかく、早く兵を移動させ給え!」


 なんだか妙な会話が進行していた。

 だけど、僕が見ていたのは彼らの顔じゃなかった。


 少しずつ、いつものような笑みを顔に取り戻していくアークリー。

 彼のゆったりとした動きを僕の目は追い、いつかの彼自身の父親に対する発言の数々を思い出していた。


 アークリーは、ケットたちに誘拐されたとき父親は絶対に身代金を払わないと神名に誓った。

 彼に神罰が与えられなかったところを見ると、それは事実だったんだろう。


 それだけじゃない。

 アークリーは、ウォード伯の望みは優雅な生活を維持することにこそあると語っていた。

 そして、息子であるアークリーに対する厳しい評価。


 確かにアークリーの言動は褒められたものではないけど、彼の《剣術系技能》の練度は本物だ。

 一般的な《騎士》にも劣るものではない。むしろ凌駕するだろう。

 だけど、ウォード伯は彼を認めていないのだと、アークリーと伯の発言は示唆していた。


 ちぐはぐだった。

 文派貴族なのに、イルマを当主とするアガルディ侯爵家に肩入れしたり。

 責任感ゆえに慢性的に胃痛を抱えているほどなのに、息子のアークリーに対しては放任を貫いたり。

 さらには、本家の力を強めることを目的に行動しているのなら、どうして領地の返上をマルクス伯父に申し出たのか。


 アークリーの顔を見つめている間に、僕はようやくそれらの齟齬に気がついた。

 微笑みを浮かべるアークリーの視線の先、そこには僕が今まで考えていた人物像とは異なるウォード伯、リスクス・コメス・ウォード・アドミニウス・ガステールの顔があった。


 その顔がゆがむ。

 アークリーが抜き放った剣の先端を、怯えるように凝視するリスクスの顔が。


「アークリー!」


 僕の声にアークリーの動きが止まった。

 だけど、彼の笑み細められた目は彼の父親に注がれたまま。

 そして、彼の抜いた剣はウォード伯の喉元へと真っ直ぐに据えられていた。


 この場の全員の視線が、そのアークリーの挙動に注がれる。


「……ねえ、父上? あんた、なにがしたいの?」


 いつものようにアークリーの声は穏やかだった。場違いなほどに。


「アークリーくん! 問答をしている時は無い! 《泥まみれ》、そのままウォード伯を拘束するんだ! 少しでも東へ民兵を」

「コリー、オレが親父に訊いてるんだよー……?」


 少しだけ動かされたアークリーの剣の切っ先がウォード伯の喉元に触れた。

 剣を突き付けられたウォード伯はもちろん、動こうとしたケットもコルネリアも、ウォード伯の後ろのルキウスも停止していた。

 なんだ、この状況。


「みんな動かないでね。……じゃ、親父、教えてくれよ? 学の無いオレにもわかるように」


 息子によって人質に取られた父親。

 誰のための人質なのか、誰への牽制のためかもわからない。


 けれど、アークリーがウォード伯を殺せば、元から乏しい僕らの行動の正当性なんてものは霧消するだろう。

 一方、この場でもっとも地位が高いはずのルキウスもなぜか動かないままだった。


 動かないというより、動けないのか?

 まるで展開についていけていないように、ルキウスはただ茫然とした面持ちでアークリーとウォード伯を交互に見つめていた。


 みんなの視線を集めるウォード伯が、ゆっくりと掠れた声を出す。


「……アークリー。よく聴きなさい。……お前は、今、自分がなにをしてい」


 笑みを浮かべたままアークリーは、伯の首筋の肉に磨かれた剣の先端を浅く潜り込ませた。


「親父イ、ちゃんと答えろよー」

「――失敗作めっ! お前が剣を向けるべきは……」


 アークリーが馬ごと一歩にじり寄り、剣の腹の刃がウォード伯の肩、板金鎧の継ぎ目へと食い込んだ。

 ウォード伯が顔をゆがめて口を噤んだ。


「んなこと言われてもさあ、オレ、あんたになにも言われなかったじゃん? 兄貴みてえに怒られたこともねえし、褒められたこともねえもん」

「当り前だっ! どうして、我が手がお前ごときを教導する労を執らねばならん! 愚かなお前ごときにはわからんだろうが、物事には予め決められた序列がある! 王の庇護下にあってこそ諸侯が立ちゆくように! それと同じように、お前は産まれからして兄たちに劣るのだ! 我が命ずるままに、我が家のために動いておれ!」


 今や、僕のウォード伯に対するイメージは完全に崩壊していた。


「だから、オルちんのとこ来たんじゃん。珍しく、オレに命令してきたからさぁ」


 ウォード伯は、剣を突き付けられていることを忘れたようにアークリーを怒鳴りつける。


「ならば、この有様はなんだ! なにをそこの子供の言いなりになっているか! お前に考えることなど許した覚えはない!」

「むちゃ言うよねー。考えるな、って言われてもさあ。……で、あんた、どうしたいの? そこのお下劣殿下を王さまにしてえの?」

「王が王足らざれば、臣が忠節を全うすることなどできよう――かぁっ?!」


 ぐっとアークリーが剣をさらにウォード伯のキレイな板金鎧の隙間に押し付けた。

 ウォード伯の語尾が悲鳴へと変わる。


「建前はいいんだよお、親父イ。あんた、外面ばっかいいからイヤんなる。オレが聴きたいのは、あんたの腹んなかの声さ」


 屈辱なんだろうか。ウォード伯がもの凄い形相を見せた。


「――お前ごとき欠陥品にわかってたまるかっ! ……そも、先代が遺言なぞ遺すから、戦闘狂いの女侯爵がのさばる! 他国人のその夫が、権力をほしいままにする! 我ら文派貴族をないがしろにするから、そこの小娘の親父のような業突く張りが調子に乗る! 《人馬ケンタウルス》なんぞに肩入れしたからの、此度の危難だ! すべて先代からのレイア王家の失政だ! 《ギレヌミア人》ごとき、我らに勢力があらば、ものの数では無い! 先の戦闘においても、我が軍はその練度の高さを示していたというに! ……このままでは、我がガステール家に先は無い! そうなれば、お前のごとき無能の無駄飯食らいが、なにを食らって生きるのだ!」


 ウォード伯の本音を聴いて僕は思った。

 まじか、こいつ、と。

 よくもまあ、ひとの両親と親族、実の息子までそんなに悪しざまに言えたもんだ、と。

 現状認識も甘すぎる。突っ込みどころが多すぎる。


 そこで、意外な人物が吼える。

 僕の背後のアウルス・レント・マヌス・ネイウスが。


「愚か者はどちらだ、伯爵ともあろう者が! 忠節を全うするつもりならば、主の過ちを正すことにのみ力を注ぐべきだ! 命を奪われる覚悟を以って諫言せよ! なにを保身などに汲々としている! 貴様のような者が忠節、忠義を語るな! ……第一、貴様の後ろの男は、この身の忠言を聴く度量も無いどころか、この首を刈り取る気概さえ無いフニャチン野郎だ! オルレイウスどのならば、意に副わぬ場合は、きっとこの首を所望されることだろう! ……そして、諫言が至らぬ場合には、この身から流れる血を吸っても覇道を邁進なさるのだ。……オルレイウスどのは、至上の賢君となられるか、稀に見る暴君となられるに違いない……」


 恍惚の表情を浮かべるアウルス。

 僕はもの凄く引いた。


 ヤバい人だ、ヤバい人だと思っていたけど、ここまでだとは思っていなかった。


「おい、君たち! いい加減にし給え! もう、陽が中天に差しかかるころだ! 時が――」


 そこまで、コルネリアが言ったとき。

 森の中から微かな悲鳴が聞こえた。その声は人間か《人馬》か、ちょっとわからない。


 続いて鬨の声。これは、《ギレヌミア人》のものか?


『オル、臭うぞ。……火の臭いだ。誰かが森に火を放ってる』


 警戒を呼びかける《ピュート》の声。

 火?


「……森に入れた兵が、接敵したか?」


 ルキウスの呟きを僕とコルネリアが聞きとがめる。


「殿下? 《人馬》の領域に兵を侵入させたのですか? ……まさか放火したとか言わないでしょうね?」

「《人馬》の領域とは、罠とやらのことか? ……ウォード伯の進言に従って火を放つように、と……」


 僕の質問に平然と答えるルキウス。

 コルネリアが血の気の失せた顔を晒しているウォード伯に目を剥いた。


「なにを考えている、リスクス・コメス・ウォード・アドミニウス・ガステール! 貴方は森のすべてを焼くつもりか! この時節の風向きを承知しているのか! 冬の乾燥した木々だ、火の手は森のすべてに及ぶぞ!」


 アークリーに剣を突き付けられたまま、ウォード伯は目を見開いて大笑いした。

 その目はコルネリアの姿を嚇すように見、笑い声が《ギレヌミア人》の鬨と一緒に森に響く。


「……すべて? ……そうだな、小娘……――《人馬》と《ギレヌミア人》のすべてを焼いてしまえば万事解決だっ! 灰にしてしまえばいいのだっ! 《グリア諸王国連合》がこの地を眺める前に! すべて消してしまえば良いっ! ぜんぶ、ぜーんぶだっ! そうすれば、我らが咎められることは無いっ! 王の蒙昧も! 《人馬》への協力も! すべて焼いてしまえれば……」


 リスクス・コメス・ウォード・アドミニウス・ガステールがそう叫んでいた。

 ふいに、風を切って飛来する鋭い音が僕の耳を打つ。

 聞き覚えのある音。僕は思わず叫ぶ。


「投げ槍だ! みんな伏せろ!」

「――あ、親父」


 いち早く反応したのは彼だった。


 僕の視界には、梢を割る細い影と、彼が剣を振るった陰翳が見えた。

 最初は彼がウォード伯の乗騎を斬り捨てたんだと思った。

 違った。彼は、身を乗り出して、剣の腹でウォード伯の乗騎の体を叩いたんだ。馬が棹立ちになり、ウォード伯は宙へと投げ出される。


 数本の投げ槍が、飛来していた。

 ウォード伯が直前まで上げていた大声に、《ギレヌミア人》は反応していたんだと僕は悟った。

 落馬したウォード伯を庇うように、彼が悠然と馬を進める。


 そのとき、僕が考えたことは、単純な疑問。

 なんで? 彼は、父親を嫌っていたじゃないか?


 コルネリアがケットたちに身を隠せと手ぶりをし、ルキウスが側近たちに包まれていく。

 アウルスが、馬の手綱を引いて距離を取り、同時に大きな体で僕に覆いかぶさる。

 彼の肩が僕の視界を妨げる最後の瞬間、さきほどまでウォード伯がいた辺りで体勢を整えるアークリーに大気を切り裂く槍が襲いかかったのが見えた。



 〓〓〓



〈――続き。



 私とマルクスが率いる近衛二百、騎兵中隊二百の総勢四百は《人馬ケンタウルスの壁》の東側の街道上を塞ぐように布陣した。

 当初、《人馬の壁》の内側、最初に私が壁を建ち上げた広場を中心にして森に配備する予定だった騎兵中隊も街道の東側の森の中に配備。

 同じく、弓兵中隊もふたつに分け、街道を挟む形で配置した。


 ほかの民兵二千は《人馬の壁》の東寄りに配備場所を移したのみで、それ以上の配置換えは行わなかった。

 広い街道上とはいえ、《ギレヌミア人》のすべてがその上を進軍してきたとしても、全軍の姿を正面から把握できるわけもない。

 また、《ギレヌミア人》の騎兵の機動力を考えれば、途中で森へと進行し、《人馬の壁》の中央から西側を侵す可能性は十分にあった。

 ゆえに《人馬の壁》も無防備のまま放置しておくことはできない。


 つまり、私たちは、少なくとも開戦から最初の衝突を街道正面の四百ほどで防がなければならなかった。



 正午前、かなり早い時間にネシア・セビは《ギレヌミア》の騎兵部隊を率いて街道上に姿を現した。

 私たちと彼らの距離はおおよそ三百ペスほど。おおよそ私の足で百歩ほどの距離だった。

 騎兵の突撃にも十分な距離であり、指呼の距離と言っていい距離。


 早速、使者が幾度か往還し、細かい打ち合わせを行った。

 決まったことは次のようなこと。


 私たちは《ギレヌミア人》捕虜四十五名を、十名ずつ、五度に分けて解放する。

 同様にネシア・セビは《モリーナ王国》の者が大半を占める百二十三名を五度に分けて解放する。

 一度の捕虜交換で、おおよそ十名の《ギレヌミア人》と、二十五名の《グリア人》が街道上ですれ違うことになる。


 最初の捕虜が互いの布陣地に到着したのを確認したら、次の一団を解放する。

 五度の捕虜交換は時間を置かずに次々と行われ、最後の交換では五名の《ギレヌミア人》と、二十三名の《グリア人》が街道を歩むことになる。


 おそらくは、最後の捕虜が互いの陣営に着いたとき、戦闘は開始される。

 それは、マルクスと私の一致した見解であり、ネシア・セビもそのつもりであったろうと思う。



 正午直前。

 私がマルクスと予測される戦闘の推移について談議していると、思わぬ人物が本陣を訪れた。

 カッシウス・エキテス・ライツだ。


 彼は、私が《人馬》の棲み家へと発っている間にマルクスに引見されていたらしく、ウォード伯の監視を願われていたのだという。

 他国人の彼ならば、この国の派閥の影響も少なく、警戒されることも少ないと思えたからだそうだ。

 その彼の口から、これまた思わぬ報告がなされた。


 カッシウスによれば、ウォード伯が昨夜城下町に戻ったことは確かだという。しかし、今朝になっても出てくる気配が無い。

 ウォード伯の姿が見えないゆえ、カッシウスは単身引き返し、《人馬の壁》に配置された民兵らに尋ねたところ、休耕地の兵のほぼすべてを率いて西へと向かった、と。

 そこには、ルキウスの姿もあった、と。


 マルクスが即座に近衛のひとりを確認に走らせた。

 そして、カッシウスの報告が事実だということを私たちは知ることになった。


 他国人のカッシウスは、もちろん夜間に城門を開ける権限を持たない。

 ウォード伯は北の城門から入って、カッシウスに見咎められることもないまま、ルキウスを連れてほかの門から出たのだと思われる。


 マルクスはカッシウスにウォード伯から兵を奪い、連れ戻すようにと勅命を授け、その証の旗を授けた。


 そして、正午を告げる笛。

 それを合図に《ギレヌミア人》の陣地から、《モリーナ王国》の者が吐き出される。


 ふつうの者が三百ペスを歩むのに要する時は、おおよそ六十から七十を数える間ほど。

 それが五度繰り返されようとも、一マイルほどもある《人馬の壁》の端から端まで、兵を引き連れて往還できるわけが無い。


 最初の捕虜解放を指示し、マルクスが呟いた。


「カッシウスのみではなく、ほかの者も動かすべきだったな……」


 それはマルクスだけの責めではない。

 私もまた、ウォード伯への警戒を解いていたのだ。


 私が指令権を返上したことで、ウォード伯は思惑を遂げたのだと私は考えていた。

 これ以上、この国の不利のために動くことはないだろうと予測していた。


 だが、間違っていた。

 カッシウスの報告にあったルキウスの名を聴いて、そこで初めて、私はウォード伯がマルクスを見限った可能性について思い至った。


「ニコラウス。そなたはこの四百ほどの兵がどれほど持ち堪えうると考える?」


 まあ、それなりに策戦は用意しているが、カッシウスが戻るまで持ち堪えられる可能性は低いだろう。

 私が率直にそう答えると、マルクスは続けて尋ねて来た。


「捕虜交換において時を稼ぐか?」


 私は不可能だ、と答えた。

 私がかけた《幻惑魔法》が途中で気づかれた場合、最悪、捕虜交換が中止になる可能性もあった。

 ゆえにある程度、加減をした。心神耗弱として不自然には見えない程度に。

 だが、気づかれないためにした加減のほどが問題だった。


 私が今回施した《幻惑魔法》はそれほど長くは保てない。

 捕虜交換を引き延ばせば、まず正気に戻ってしまう《ギレヌミア人》が出てくる。

 彼らが、私の手の内を晒してしまえば、逆にこちら側の稼げるはずの時間が削られるだろう。


「ならば、勇戦するのみ、か……」


 マルクスが二弾目の捕虜解放を指示したとき。

 《ギレヌミア人》に動揺が走っていた。


 街道の先の《ギレヌミア人》の顔が、森の西側の空を向いていた。

 私も釣られるようにして、そちらを見た。


 ほの黒い煙が森の西側から緩やかに、そして広く立ち上っていた。



……のちの調査の結果と、実際に戦闘に参加した《人馬》エレウシスと、そしてオルレイウスの証言を参照しておこうと思う。


 戦後、調査によってわかった範囲では、大きな火元は森の西側の広い範囲三十カ所以上にも上った。


 エレウシスによれば、彼ら森の西側を警備していた《人馬》は、正午前に十名ほどの単位の《ギレヌミア人》と遭遇したようだ。

 《ギレヌミア人》は大胆にも《人馬》の領域、森の西側に火をつけて回っていたらしい。


 アンリオスの指示によって、エレウシスら《人馬》たちも小部隊にて散開。

 放火する《ギレヌミア人》の各個撃破に奔走したという。

 そこで彼は信じられない光景に遭遇したという。


 《ギレヌミア人》と同じように、森に火を放つ《グリア人》の姿。

……エレウシスは私に対して吐露した。

 おそらくは、いくらかの《人馬》は、《グリア人》と交戦したことだろう、と。


 では、その《グリア人》はどこから来たのか?

 それは、オルレイウスの証言によって明らかになった。

 ウォード伯、リスクス・コメス・ウォード・アドミニウス・ガステールは、森に火を放つよう指示を出したようだった、と。


 オルの証言によれば、ウォード伯は《人馬》も《ギレヌミア人》も焼いてしまうつもりだったようだ。

 私が、彼が《人馬》に対して嫌悪を抱いていたのではないか、と推論を展開した理由はそこにある。


 しかし、愚策だ。

 《ギレヌミア人》に比べ、私たち《ザントクリフ軍》のほうが森に広く展開していた。そして、すべての《人馬》は森のただ中にいた。

 そのまま延焼していたなら、もっとも被害が大きかったのは《人馬》。

 次いで《ザントクリフ軍》の民兵たちだったろう。


 ここで注意すべき点は、アリオヴィスタスの指示による放火と、ウォード伯が企てた放火が同時に行われたことだ。

 それは偶然だったのか、それともウォード伯はアリオヴィスタスの策を知っていたのか。

 今となっては判らない。


 だが、エレウシスの証言によれば、《グリア人》のほうが執拗に、広範囲に、火を付けていたようだ、ということ。


 アリオヴィスタスの思惑は、《人馬》に対する目晦ましにあったのではないかと私は考える。

 統治を目指すアリオヴィスタスにとっても豊穣を約束する広大な森を完全に焼いてしまうことは、本意ではなかったはず。


 他方、ウォード伯はすべてをいてしまうつもりだった。

 その差が、《ギレヌミア人》と《グリア人》の行動の差に出たのではないか。

 戦後の今になって、そう、私は考える。



……とにかく、ウォード伯の指揮によって、一番割を食ったのは《人馬》たちだった。

 火を警戒していなかった、そして、なにより《ギレヌミア人》のみを警戒していた彼らは、煙に巻かれながら、新たな敵と遭遇してしまった。

 同盟者であったはずの《ザントクリフ王国》民兵という敵と。


 また、ウォード伯の指示がどのようなものであったかは具体的にはわからないが、民兵たちは《人馬》にも攻撃を仕掛けたという報告が多数ある。


 無意味な仮定だが、私がもしもウォード伯の真意を見抜いていれば。

 マルクスが他国人の、この国の地理や抜け道に疎いカッシウスではなく、それらに精通した信頼できる人物を監視として置いていたならば。

 ルキウスがウォード伯の誘いに乗らなければ。


 ウォード伯の行動が無ければ、アンリオスが遭遇時にアリオヴィスタスを討ち取っていた可能性は低くなかった。

 だが、アンリオス率いる《人馬》たちは、森に入った勢力の中で唯一火計を計算に入れていなかった。

 それが、報告された被害数にも影響を及ぼしているように思う。



 そう。

 私たちが森の東側の街道上で、捕虜交換を行っていたとき。

 森の反対の西側においては、三つどもえの戦闘が開始されていたのだ。


 アンリオス率いる《人馬》とアリオヴィスタスを戴く《ギレヌミア人》。

 そして、ルキウスを頂点に、ウォード伯に従った《ザントクリフ軍》の民兵が。


……そこに、ある意味で四つ目の勢力として存在した、オルレイウスの私兵が大きな役割を果たした。

 私がそれを知ったのは、戦闘終了後、オルの悲哀の顔を見たときだった。


……私は指揮官どころか、父親としても失格なのだ。



――次の頁へ譲る〉


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