第50話
《
ときに中隊長格の《騎士》に止められることもあったけど、マルクス伯父の名前を出して西側の防備に当ると言って進んだ。
正午と決められた捕虜交換の時間も迫っていたし、民兵の指揮を担当するガルバ候を頂点とする武派貴族が多かったことが幸いした。
コルネリアが進み出ると、僕らを止めようとした人たちも道を譲ってくれた。
「……コリーの親父さんへの評価はきついけど、逆に親父さんからのコリーへの評価は高いんだ」
アークリーが僕に向かって耳打ちした。
彼によれば、ガルバ候はコルネリアが男だったら、とところかまわず溢しているらしい。
ガルバ候は長い間、男子に恵まれなかったそうだ。
ほかの《グリア諸国》がそうであるように、《ザントクリフ王国》もまた継嗣相続においては父権的なふうが強かった。
だけど、十数年前にイルマがニックを連れて帰国して、アガルディ侯爵家を興して以来、女性の政治と軍事進出がにわかに進んだ。
その際、イルマとマルクス伯父は大喧嘩をして、城の一部が壊れたらしい。
ガルバ候はイルマの例に倣って、優れた才覚の閃きを見せる三女のコルネリアを継嗣に立てようと目論んだらしい。
コルネリアは長じるにつれ、彼の期待以上に軍人としての適性を見せていった。
だけど、八年ほど前、ガルバ候にも男子が産まれた。
イルマの例があると言っても、イルマ以外の貴族家当主は存在しない。
ガルバ候は仕方なく、嫡子をコルネリアの弟にした。
しかしながら、どう考えてもコルネリアのほうが出来がいいとガルバ候プブリウスは考えているらしい。
「……んで、さっきの、コリーが男だったら……って発言になるわけ。だから、武派貴族はみーんな、コリーに一歩譲っちゃう。……こんなふうにね」
僕らを足止めしていた《騎士》が馬首を返して、部下へと向かって手を振ったところだった。
僕らの進路が開かれる。
先頭に進み出ていたコルネリアが手を高く挙げて振り下ろした。
それを合図に、ケットの仲間たち、アガルディ侯爵軍・(仮)が進軍する。
「それにしても、そんなコリーがよくもまあ、僕の家に士官しようなんて来ましたね」
「本人的には、もともとどっかに士官したかったらしいんだけどね」
アークリーがのほほんとそんなことを言っていると、先頭を進んでいたコルネリアが馬を止めて僕らが追いついて来るのを待っているのが見えた。
合流するなり、コルネリアは堂々とした喋り方でアークリーを褒める。
「冷静に考えてみれば、アークリーくん! よくも一夜でこの数を揃えたものだ! 兵の質は悪いが、いちおうは装備もある! 君に募兵の才があるとは思わなかったぞ!」
「ケットを褒めてあげて、コリー。一夜で動けそうなやつに声をかけてくれたんだ。装備はオレの実家から拝借したのと、ケットがため込んでたやつ。もともと街をごろついてた開拓村の人たちにも、ケットは顔が利くしねー」
コルネリアの視線が僕の向こう側のケットへと向かう。
へへっ、と揉み手をしながら得意げな顔を見せるケットに向かって彼女は。
「よくやった、《泥まみれ》! さあ、先頭へ行ってさっさと行軍速度を上げ給え! 時は無い!」
「あいよ、奥方さま!」
言うなり駆けだしたケットの背にコルネリアが怒声を放つ。
「違うと言っているだろう! 君は耳か頭が悪いらしい!」
「本人に悪気はないから」
「悪意があったら殺している! ……うん? どうした、オルレイウスくん!」
アークリーと会話していたコルネリアは、僕の視線に気づいたらしい。
さっきからの会話の流れでどうもコルネリアを見てしまっていた。
「いえ、コリーはなんで僕の家に士官しに来たのかな、と思いまして」
「今さらだな、オルレイウスくん! 俗物の父が、ぼくをなかなか手放そうとしなくてね! ぼくを嫡子から降ろしておいて、弟を補佐しろなどとのたまうのだよ! 他家に嫁にやるのも惜しいらしい! ふたりの姉は、脂ぎった他国の大身貴族のもとへとさっさと嫁がせたくせにだ! いやしくも武派の領袖のひとりと目されているが、プブリウス・マールキオ・ガルバ・ケレブルーム・ネーヴスという男は、権益というものが大好きなのだよ! ゆえに、開発の進んでいた北の森を領地とするウォード伯の継嗣、アークリーくんの兄にも姉を嫁がせたかったようだが、それは断られた! 当然だ、派閥が違う! だから、ぼくのほうから言ってやったのだ! ぼくがアガルディ侯嫡子の嫁にでも行こうか、とね!」
「は?」
「勘違いをしないでくれ給え、オルレイウスくん! ぼくの望みはあくまで、ぼくの才能を正当に評価する場所で、この手腕を存分に振るうことだ! 実家でもその気になれば出来ただろうが、これ以上あの俗物に振り回されるのは我慢がならない!」
そこで、コルネリアの細い目が少しだけ開かれた。
「その点、君に対するぼくの評価は悪くないぞ、オルレイウスくん! 君は暗愚とは程遠い! これから成長する過程で堕落する可能性もあるだろうが、その辺りはぼくが調教すれば問題ないだろう! 加えて、大層おもしろい特質も持っている! それをうまく利用すれば、民を集めるなど容易いことだ! 《アルヴァナ教徒》以外の者や《ルエルヴァ神官団》に反感を覚える者は少なくない! 君が望むなら、アガルディ侯爵家を《ザントクリフ王国》の王政から独立した、新たな軍事領地の領主とする計画も……」
「コルネリア・ガルバ・ケレブルーム・ネーヴス! 貴女はなにを言っているか、承知しているのかっ! 謀叛者めっ!!」
アウルスの怒鳴り声が轟いた。
それとは対照的に、僕の影の中で《
『オル、そのメスはなかなかいいぞ! 《蛇》は、娘の言葉をもっと聞きたい』
考えてみれば、《蛇》はコルネリアに子供を産ませる発言をしていた。
なぜかはよくわからないけど、《蛇》はコルネリアのことを気に入っているらしい。
一方、コルネリアとアウルスの口論は過熱していた。
「ほう、アウルス・レント・マヌス・ネイウス! ぼくを謀叛者と呼ぶのは君の勝手だが、果たしてそれは真実と言えるだろうか!」
「オルレイウスどの、この者を御側に置くのはおやめください! そして、貴女は口を噤めっ!」
「聞き給え、オルレイウスくん! 今回の《ギレヌミア人》の《ハールデス氏族》および《セビ氏族》の協同侵略行動が証明しているように、いつまでも《ギレヌミア人》が氏族ごとに散開し続けるだろう、なんてものは希望的観測にすぎない! 加えて、《ルエルヴァ共和国》は国籍を持つ自由国民の権利を維持するために奴隷を供給し続けなければならないはずだ! 《共和国》の拡大政策にはそのような意味があるのだよ! 他方、ぼくら《グリア人》はなにをしているだろうか! 《グリア諸王国連合》が設立されているとは言え、その行動は凄まじく遅い! 有事の際、《共和国》においては、基本的権利を保障されている国民たちがそのまま戦闘員となるし、《ギレヌミア人》においては非戦闘員という意識がそもそも薄い! 《グリア》の貴族はその練度において、《ギレヌミア人》に絶大に劣るし、《ルエルヴァ人》には数において絶望的に劣る! 《グリア諸国》の常備戦力の規模は、従士を含めたとしても、各国国民の一割にも満たないというのだから泣けてくる有様だ!」
「大した長広舌だな! コルネリア・ガルバ・ケレブルーム・ネーヴス! この身は、貴女の言うことをオルレイウスどのに聞かせるわけにはいかない! さっさと……」
「おい、君こそ黙り給え、アウルス・レント・マヌス・ネイウス! ここからが本題なのだよ! いいかい、オルレイウスくん、百年以上の平穏を託って来たのは、ただただ一部の《グリア人》と諸王を初めとする貴族たちだけだったのさ! 《共和国》と《ギレヌミア人》は盛んに戦闘行動を行っている! さらに、《グリア諸王国連合》の存在も彼らに対しては大きな抑止力とはなり得ないということが、先年の《モリーナ王国》の一件で明らかになったのだ!」
「《モリーナ王国》は《グリア諸王国連合》加盟国ではなかったではないか!」
「頭が悪いぞ、アウルスくん! 加盟国ではなかったから攻められたのではない! 地勢とアリオヴィスタスという男がそうさせたのだ!」
「アリオヴィスタスという男は、単なる例外だ!」
「違うな、アウルスくん! 人々は流動している、今やどこの地域でも人材は育ちうるのだよ! 商人どもや《
「でたらめをオルレイウスどのの耳に吹き込むな!」
「現実を見給え、アウルスくん! 脅威が表面化したときには、もう遅いのだよ! だから、一刻も早く軍制の整備と、常備戦力とは言わないまでも予備戦力の準備を進めるべきなのだ! そのために必要なものこそ、国民皆兵制度の導入だ!」
「馬鹿々々しい! すべての国民を兵にだと? 今だってそうではないか!」
「わかっていないな、アウルス・レント・マヌス・ネイウス! 兵役義務の導入だよ! 農夫や工夫にも戦闘訓練および軍事演習を定期的に行わせるということだ! 濁った君の目にだってわかるだろう! ぼくらの国の民兵の練度の低さは致命的だ! しかも、それらがぼくらの軍の最大戦力なんだぞ!」
「農夫や工夫を貴族にでも召し上げようとでもいうのか、貴女は? 誰が畑を耕すというのだ?!」
「君は、ほんっとうに、馬鹿だな! アウルスくん! 定期的に、と言っただろうが! 冬だよ、アウルスくん! 農閑期の農夫は遊んでいるようなものだ! 彼らを冬の間に練兵し、それぞれの兵としての適性を見出すべきなんだ! そもそも、農夫が遊んでいると言ったが、もっとも日常的に遊んでいるのは貴族たちだ! ぼくの目から見れば、貴族の義務とされる馬術や剣術、槍術や弓術の訓練は、平和だ泰平だと言っている間に子供の手習い程度の水準にまで低下している! 本来ならば、そんな貴族どもの首など斬り落してしかるべきなのだよ!」
コルネリアは凄いことを言う。
彼女が僕の後ろのアウルスと議論している間に、いつの間にかアークリーは先頭へと避難していた。
羨ましい限りだ。僕も本格的に乗馬を覚えないと。
「そもそも、保守的な貴族に担がれている形の王権が弱すぎるんだ! だからこそ、このような事態になる! それならば、いっそ北の森を大々的に開拓し、そこにひとつの軍事に秀でた貴族領地を建設してしまったほうが早い! 王政とは別の法に遵ずる領地だ! 《グリア》においても大国の大身貴族の領地では領主裁判権が認められている! それとなんら変わらない! ただ、定期的な兵役義務を導入し、軍事に限りなく比重を置くというだけだ!」
「それはやはり謀叛だ! 王政と王権の否定ではないか! だいたい、農夫などちょっとやそっと訓練した程度で、ものになるわけがない! ……それに、万が一、農夫が戦えるようになったとしても、それはもう別の国じゃないか!」
「防衛的領地さ、アウルスくん! ぼくだって完全に、むやみやたらと王権を否定するものではない! ただし、無為に貴族と国民を甘やかすだけの王権など、無意味な長物だと言うべきだと思っているけどね! 面と向かってルキウスくんにそう言ったら、ひどく腹を立てられて学園を除籍されてしまったから、最近はあんまり言わないようにしていたけど! オルレイウスくんにだったら、もう言ってしまっても構わないだろう! ……ここまで言ったんだ、今まで誰にでも言ったことは無かったけど、言ってしまおう!」
そこで、コルネリアは目を大きく開いて、僕を見た。
「ぼくには、王統を初めとする血統を有り難がる気持ちが理解できないんだ! そんなものは不合理極まりないし、できることなら家畜の餌にでもしてしまえばいいとさえ思ってる!」
「――っ! この女っ!」
「落ち着いて、ついでにちょっと黙ってください、アウー」
僕はアウルスの腕を叩きながらそう言った。
荒い鼻息が僕の後頭部に吹きかかる。
僕はコルネリアの大きな目を見つめた。
「でも、あなたも貴族で、それも大身貴族の出身ではないですか、コルネリア? あなたがそれだけの知識と《
「その通りさ、オルレイウスくん。ぼくがこれほどの能力を得ることができたのは、ぼくの才能もさることながら、環境によるところも大きい。だけど、嫡子として体と頭に染み込ませたすべてを否定された。女というだけでね」
今までと打って変わった静かな語り口でコルネリアはそう言った。
「復讐のつもりですか?」
「さあ、どうだろうね? ……だけど、ぼくは感情的に動くつもりはないよ。だからこそ、王権と王政を完全に否定するつもりは無いし、愚物の父も生かしておいてやってる。……廃嫡を発表される前に殺してしまおうとも思ったけどね。ぼくが殺したという証拠を残さないように殺せたとしても、親族に身代を奪われる可能性が高かった。当時、ぼくはまだ八歳の小娘だったからね」
コルネリアは口元に微笑を浮かべてそう言った。
「ほんとうにあなたは、恐ろしいことを平然と口にしますね?」
僕の言葉にコルネリアはにっこり笑って、口を開いた。
「そう言う君は、ぼくの言葉を聴いてもまるで動揺しないんだね?」
「……そう、ですね……」
その理由は単純に僕の精神年齢が肉体年齢よりも高いだけではないと思う。
前世の僕の両親の仲が悪かったからだというのもあるだろう。
ふたりは互いに相手を殺そうという熱さえも持ち合わせていなかった。
それに比べれば、コルネリアのガルバ候に対する憎しみは、ある意味で健全のようにも思えた。
正しいかと問われれば、正しくないものだけど。
「さて、オルレイウスくん。君はぼくの告白を聞いて、なお、ぼくを使うつもりがあるかい?」
コルネリアの顔はどこか僕の答えをすでに承知しているように見えた。
「……あなたの発想した通りの領地づくりができるかは微妙でしょう。それに、僕は伯父上を尊敬しています。王権と王政を否定するつもりもありません」
「ま、それは察しているよ」
「それでも良ければ。……コルネリア・ガルバ・ケレブルーム・ネーヴス、僕の元で働くといい」
コルネリアの頬が紅潮した。
そして、彼女はいつものように目を細めると、少しだけはしゃぐようにして馬を駆けさせて先頭へと向かう。
「ぼくには、君の答えなんかわかっていたけどね!」
妙な捨てゼリフだ。
『オルレイウス。あの小娘の言葉をどう考えた? あの小娘はお前に国を用意するのか?』
《蛇》が影から僕へと話しかけてきた。
なにを期待しているのか知らないけれど、《蛇》の考えるようなことにはならないだろう。
コルネリアは人々が流動していると言ったけど、それはまだ大々的なレベルじゃない。
そもそも、様々な地域を別けているのは人種や地勢的な問題だけじゃない。
《
『だがな、オル。無理じゃないだろう?』
《蛇》はちょっとだけ満足そうに呟いた。
先日、カッシウスに導かれた道を長い縦隊の形で僕らはずんずん進んでいった。
先日配置されていたときよりも、多くの部隊が東のほうへと偏っているようで、西へ向かうほどに止められる頻度は少なくなった。
こうして改めて歩いてみると、《人馬とニコラウスの壁》は東へと大きく延長されていたけど、西へもそれなりに延長されているのだということに気づかされた。
一番最初の西の端はマルクス伯父とアンリオスが最初に会談を行った広場からそれほど離れていなかったはずだ。
でも、前回行ったときには、広場は木立に遮られて見えない程度には西へ行くことになった。
アンリオスがアリオヴィスタスの追撃を告げて以来、数か月に亘った文派貴族の努力の賜物だ。
最初にニックが《魔法》で立ち上げたときには数十メートルに過ぎなかった壁は、今では東西に一二キロほどはありそうな要塞と化している。
それだけの土や岩は、周囲の地面や壁の北側に掘った落とし穴、開拓村の開墾地、そして休耕地を掘り返すことで調達したらしく、壁の南北の地面は
もちろん、それだけでは壁を強固にするには石材が足りないので、よそから持って来ていたようだ。
《ザントクリフ王国》における岩を初めとする鉱物資源は、おもに西のほうにある採掘場からの移送に頼っている。
この国の周辺では、高地にある街と、北西の海との標高差が一番激しい。お陰で岩盤層が露出した崖があるらしい。
マルクス伯父の話によれば、長年の採掘による成果で、だいぶ街と農地を支える地盤に近づいてしまっているそうだ。
僕がそんなふうにぼんやりと人間の営為に凄まじさに思いを馳せていると、先頭のほうからざわめきが聞こえて来た。
なにかと思って目を細めて前方を眺めると、木立の奥に大勢の人影がある。
二百か三百か? 壁の南側にずらっと配備された民兵と、そしてその奥には木々に隠されるようにひとかたまりの大きな群れがあった。
「アウーさん、これは?」
「…………」
「喋ってください」
「実は、オルレイウスどの。さきほどから気になっていたのですが、地面に多くの足跡がございました。数はおそらく数百から、千近いと見ます」
「……これからは、なにか重要な発見をした場合は、僕が黙ってくださいと言っていたとしても、報告してください。……とりあえず、先頭に向かいましょう」
「御意」
アウルスはそう言うと、馬首の向きを変えて、馬の腹をとんっと踵で蹴った。
それだけで、すべてを承知したとでも言うようにアウルスの愛馬はケットの仲間たちの横へと躍り出て、すぐに先頭へと向かう。
先頭が近づくにつれて、向こう側の様子もはっきりと見えて来た。
木立の奥まったひとかたまりの集団から小集団、五六騎が吐き出され、ゆっくりと近づいて来る。
そのうちの一騎が前に出て来た。
彼の後ろではふたりの旗手がそれぞれ大きな旗を掲げている。
その旗印は、レイア王家? それに……。
「さあ、進軍を停止しなさい。君たちの兵力は殿下が接収しよう。……アークリー。お前はオルレイウスくんとコルネリア嬢を連れて……」
聞き覚えのある声の主。
小集団から出て来たのは、僕もよく知っている人物だった。
「ウォード伯? それに、後ろにいるのは王太子殿下ですか?」
僕が声をかけると、ウォード伯の瞳がこちらへと向いた。
伯の前ではアークリーが唖然とした顔で、コルネリアが口をへの字に曲げて僕らの進軍停止を勧告する伯を見ていた。
彼らの視線を受けながらウォード伯は僕へと笑いかけた。
「オルレイウスくん、久しぶりだね。それにしても、だめじゃあないか。ニコラウスどのから謹慎を命じられているんだろう?」
「……ええ、そうですけど……なんで、ここにウォード伯とルキウス殿下が?」
アウルスが馬の速度を落として、アークリーとコルネリアの馬と並べた。
アークリーの後ろでケットがじっとウォード伯の顔を見つめていた。
ウォード伯の背後にいるのは、間違いなく僕の従兄の王太子、ルキウスだ。
「そんなことはいい。……それよりも、オルレイウスくん、君だ。こんなふうに兵を率いて戦闘に参加でもしようというのか?」
「こちらの防備は非常に手薄です。それに、アークリーがあなたに報告したようにアリオヴィスタスがこちらを攻めてくる可能性が……」
「――君はまだ十だ、オルレイウスくん。こんなところに居てはいけない。あとは我々と殿下に任せなさい」
コルネリアが堂々と口を挟む。
「ウォード伯! それは陛下のご命令によるものか! それに、ぼくの記憶が確かならば、そちらにおわす王太子殿下は守城を担当しているはずだと思いましたが!」
ウォード伯はそれに対して、少しだけアークリーに似た微笑を見せた。
「もちろん、陛下のご命令によるものだとも、コルネリア嬢。君たちの推測を陛下にお伝えしたところ、こちらにアリオヴィスタスなる《ギレヌミア人》の首領が来ることを確信なされたご様子だった。どうもニコラウスどのも同様の予想をすでに立てられていたらしい」
「……そうですか。父は見通していたのですね」
僕は少しだけほっとした。
それならば、僕が無理にアークリーにケットたちを連れて来てもらうことはなかったかもしれない。
そして、同時に違和感を感じた。アウルスは数百以上、千近くの人間の足跡だと言った。
ニックが昨夜帰って来なかったところを見ると、アンリオスと打ち合わせをしていた可能性が高い。
なら、なぜ数百もの兵力がこちらにいるのだろうか? 《人馬》が迎撃に当るなら、それほどの数が必要だろうか? それにそんな数の民兵をどこから?
コルネリアも同じことを考えたようだ。
「では、ウォード伯! この民兵たちはどこから連れて来られたのでしょうか! まさか、休耕地に配備された民兵中隊ではございますまい! あれを動かせば、ニコラウス閣下の思い描いた戦略に支障を来します!」
「……ほう、どうしてそう思うのかね?」
コルネリアの細められた目がいよいよ細くなる。
「おそらく、敵の主攻は《ニコラウスの壁》の東方面と、街道部分に集中するでしょう! なぜならば、ぼくらの兵力を西側のアリオヴィスタスから遠ざける必要があるからだ! 来る途中で見て来た小隊配置もそれを警戒したものとなっておりました!」
「……それで?」
「アリオヴィスタスの率いる手勢はおそらく少数精鋭でしょう! 《人馬》に発見される危険性があるからだ! 多くとも三百を超えないとぼくは見る! そこから考えられる《ギレヌミア人》の戦略とは、少数の精鋭部隊で西側を突破し、後方を撹乱! 主攻部隊の大勢力によって東側を抜いて平野地帯になだれ込むことだ!」
ウォード伯の馬の後ろから、ルキウスが馬を進めて来る。
確か二十代後半のルキウスは、マルクス伯父に似た顔立ちだけど、伯父とは違ってあごヒゲだけを伸ばしている。
そのルキウスがイヤそうな顔でコルネリアを見ていた。
「ゆえに、ニコラウス閣下の戦略とは、おそらくアンリオスくんを初めとする《人馬》によるアリオヴィスタス隊の撃滅! こちらの戦力のほとんどは東側と街道に集中させるつもりのはず! ここで重要なのは、休耕地の遊撃部隊だ! 万が一アンリオスくんがアリオヴィスタスを取り逃がした場合、彼らがアリオヴィスタスの撹乱を食い止める役目を担う! 同時に、いくら《魔法使い》として優れるニコラウス閣下がいると言っても、総数四千近い敵主攻を同数以下の兵力によって止められるわけがない! 街道および《ニコラウスの壁》東側に裂かれる兵力は二千の民兵と総勢千に満たない騎兵および弓兵だ! 加えて、民兵のいくらかは敵が兵をさらに分けた場合に備え、《ニコラウスの壁》に配備されているから、実数はもっと少ない! 後詰なのだ!
コルネリアの言葉にも、ウォード伯は微笑みを絶やさない。
そして、その顔のまま驚くべきことを言った。
「ここで、敵首魁を討ち取れば問題はあるまい」
……なにを言ってるんだろう、リスクス・コメス・ウォード・アドミニウス・ガステールは。
〓〓〓
〈――ルエルヴァ共和新歴百十年、ザントクリフ王国歴千四百六十七年、ディースの月、四夜
新年を迎えて三夜が経った。
新年の第一日目に行われた戦闘について、詳細に記す。
ゆえに、紙幅を多く割くことになるだろう。
まずは戦闘開始前の状況について振り返っておこうと思う。
ひとつ、アリオヴィスタスの動きについて。
彼は、先日の私たちの奇襲作戦の際、私を攻撃したあと、そのまま傷ついた《
アンリオスの罠の基本的な構造とは、正しい標識を群になるように配置することによって、それを鳥瞰したときに一定の大きさの記号になるように並べるものだ。
今回の場合、鳥瞰したときに表される記号とは、《
それが示すのは、《人馬》の棲み家の方向とそこまでの距離、そして東西南北の方位だ。
つまり、正しい標識を見つけ出せたとしても、個々のそれらを追っていくだけでは、迷路は抜けられないようになっているのだ。
罠を抜けるための手順とは、まず、偽物の標識(今回の場合は、特徴的な形の石など)の中から、正しい標識を見つけること。
次に、それがどの程度の大きさの群で方位記号を描いているか把握すること。
そして、最後に、罠の領域に点在するその方位記号を描く一群を頼りに、自分の位置を知り、向かうべき方角を算出することだ。
罠を抜けるまでの第一関門は正しい標識を発見すること。
これにはいくつかの型式があるらしい。ふつうの人族では永遠に見つけられないかもしれないが、アリオヴィスタスならば二日から三日程度で看破するだろうとアンリオスは予測していたようだ。
第二関門は、その正しい標識を結び合わせるとどのような記号が現れるか、ということ。
もちろん、一群すべての標識を発見しなければならないし、予測される記号の類型から、ひとつの記号を導き出さなければならない。
これにさらに三日から四日の時を要するとアンリオスは予測していた。
そして、第三関門。導き出された記号に従って、実際に罠の中を進まねばならない。
アンリオスによれば、奇襲作戦時の《ギレヌミア人》の陣地からだと、最短距離を行けば丸一日ほどで《人馬の壁》の西側に到達したはずだという。
アンリオスの予測から導き出されるアリオヴィスタスが罠を抜けるために要する時間は、最短で六日ほど。
だが、実際には二日半で彼は罠を抜けた。
その理由は単純に推測できる。
第一関門と第二関門を傷ついた《人馬》を尾行したことにより看破したのだと思われる。
おそらくは、複数の《人馬》を複数人ずつで尾行させることにより、答え合わせをしたのだろう。
いくら《人馬》の五感が鋭いとはいえ、重傷の上に毒が回ればその能力は著しく低下しただろう。
尾行に気づかない可能性は高い。
そうして、アリオヴィスタスは二日半ほどで《人馬》の罠を抜けたのだと思われる。
彼が初めからどこまで計算に入れていたかはわからない。
しかし、私の奇襲作戦の決行時間は知られていたのだし、《人馬》の動きも読めていたのだろうから、早いうちに計算は立っていたはずだ。
では、なぜ、アリオヴィスタスが《人馬》の棲み家を全軍で攻撃しなかったのか、という疑問は残る。
罠のただ中にある《人馬》の本拠地を攻撃しても、すべてを――特にアンリオスを討ち取れる保証は無いが、それでも彼らに壊滅に近い打撃を与えることは可能だったはず。
いずれにしても、アリオヴィスタスが実際に罠の中に入れたのは、二百五十ほどの部隊だった。
彼らが二日半もの間、どこを通り、なにを食べていたのかはわからない。
だが、ただひとつの事実として、アリオヴィスタス・レックス・ギレヌミア・ハールデスは、ディースの月の一夜目、昼の正午ほどの時間に《人馬の壁》の西の端付近に出現した。
ふたつ、リスクス・コメス・ウォード・アドミニウス・ガステールについて。
そもそも、カッシウス・エキテス・ライツが私にその名を告げたのが、ウォード伯だった。
どうやらウォード伯自身は、カッシウスに、接触した者が自分の配下であると看破されたことに気づいていなかったようだ。
ウォード伯はカッシウスに接触した男に所属を名乗らせなかった。彼の用心深さが窺える。
ただ、カッシウスはその男を尾行したらしい。ウォード伯の詰めの甘さが窺えるものだ。
皮肉なことは、ウォード伯の手の者が自分を救ったと思ったカッシウスが、それを信じる気持ちを深めたということだろうか。
事実、ウォード伯は、マルクスとカッシウスの最初の会談のときに立ち会っていた。
憔悴した彼を開拓村へと送り届けたのも、介抱の指揮をとったのもウォード伯だ。
ウォード伯の意図しなかったところで、カッシウス・エキテス・ライツは彼への信望を厚くしていた。
だからこそ、オルの誘拐についても率先して行ったのだ。
ちなみに、情報漏洩も彼の手によるものだったということはわかっている。
しかしながら、ウォード伯の動機については未だはっきりしていない部分が多い。
私に対する画策、および当日のルキウスを引っ張り出した動きを見る限りでは、尊王と排他、……そのようなものだとは推測される。
そもそも彼は、私を文派貴族の一員とは見なしていなかったのだ。
むしろ、武派に近いものだと考えていたふしがある。
まあ、武派の領袖と目されるイルマの夫なのだから、しょうがないと言えばしょうがない。
だが、私は諸侯の領主権力の伸長を主張したことはなかったし、王権を弱めるような動きを見せたこともなかったというのに、心外極まりない。
彼ら文派は、その派閥を構成する貴族のほとんどが、宮宰や宮中伯、中小貴族ということもあって、王権の強化を主張しそれに依存しようとすることが多い。
文派貴族の忠誠は半ば利害によるものだが、ウォード伯の場合は異なっていたということだけは確かだろう。
彼は領邦開発に当っても、忠節を曲げなかった。
この国で初めての領邦保有貴族としてのウォード伯が、マルクスやルキウスに忠誠を示すことで、武派貴族を抑えることを目論んだのではないか?
そう考えるのは、彼に対して同情を示し過ぎているかもしれないが……。
いつから、彼が私を警戒していたのかは判然としない。
しかし、彼の思惑が大きく逸れてしまったのは、北の森の《人馬》問題がオルのおかげで無事に解決を見てしまったときからだろうと思う。
アガルディ侯爵家に《人馬》を押し付け、イルマが帰って来たときに武派の領袖である彼女の重石にしようとしたのではないか?
私に対する敵意を悟らせなかったことと言い、リスクス・コメス・ウォード・アドミニウス・ガステールの肚と顔は別に動いていたのではないかと思わせられる。
なにせ、彼は普段からイルマの《
まさか、ウォード伯がイルマを肚の底では敵視していたなど、思いもしなかった。
加えて、《ギレヌミア人》の侵攻が予測されるようになって以来、私が軍制の整備や指揮などを大っぴらにやりだしたことが彼の警戒と危機感を煽ったのだと思われる。
さらに、拭いされない《人馬》への嫌悪もあったのではないか。
すべては、もちろん、推測にすぎない。
とにかく、彼はそれらの動機から私や《人馬》の不利益、そして、アリオヴィスタスの一時的な利益のために動くようになったのだと思われる。
ウォード伯が武派貴族と同じように《ギレヌミア人》との戦争を楽観視するようになった一因として考えられるのは、彼が輜重担当であり、実際に《ギレヌミア人》と戦闘を行う機会がそれまで無かったことによると思われる。
彼の肚の中で《ギレヌミア人》の脅威が薄れると同時に、《人馬》の脅威が大勢を占めるようになっていったという想像は的違いではないだろう。
同時に、ウォード伯が《人馬》への嫌悪を拭いきれなかったとすれば、マルクスへの失望も大きかったはずだ。
それは、守城を担当するはずだったルキウスを前線に引っ張り出した事実によって説明されるように思う。
当代への失望は、必然的に次代への希望へと導かれる。
リスクス・コメス・ウォード・アドミニウス・ガステールは、王太子のルキウスに最大の手柄――アリオヴィスタスの首級を取らせたかったのだろう。
だからこそ、彼は当日、あのような行動に出たのだ。
当日のこちら側の動きを振り返る。
軍配備は、事前に決めていたよりも大きく東側へと寄せる形になった。
緊急を要することだったために伝令が凄まじい勢いで飛び交い、私自身はといえばアンリオスの手によって戻って来たばかりだった。
私がやるべきだったことは、配置換えの指示をマルクスを介して出すこと。そして、四十五名の《ギレヌミア人》捕虜に《幻惑魔法》をかけること。
そのまま開戦する可能性は高く、四十五名の《ギレヌミア人》は十分に脅威と言えた。
どうしても、無力化しておく必要があったのだ。
そして、それらの行動によって手が回らない部分、把握の遅れたことがあった。
その最たるものが、休耕地の遊撃歩兵中隊四部隊の移動だ。
私もマルクスも配置換えにばかり懸命で、指示を出していない部隊の状態の把握が遅れた。
加えて、大きな配備変更指示の最中だったために、歩兵中隊の大移動を目撃した多くの貴族や《騎士》がそれを配備変更の一環だと考えたことも報告が遅れた理由だ。
マルクスと私が布陣した街道上は、北の森にいくらか入った《人馬の壁》の延長線上の、二股に別れた街道の西側の支道であり、その手前で街道は分かれて屈曲しているため城や農地と休耕地への視界は開けていない。
結果、私たちがルキウスとウォード伯に後詰を奪われてしまったことを知ったのは、捕虜交換が始まる直前。
それはすなわち、戦闘開始の直前を意味するものだった。
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