第47話
「……話が違いませんか……イルマ……」
僕はリビングのテーブルに頬杖を突いて、ぼーっとしながら呟いた。
半分以上独り言だ。
今朝、僕が起きると珍しくリビングでニックが僕を待っていた。
ちなみに、昨日のように家に上がり込んで来ていたらしい三人は壁際に直立不動で並ばされていた。
そして、ニックは三人に家から出て行くように指示すると、僕を席につかせて説教を始めた。
声を荒げるようなものではなかったけど、ニックの真っ白な肌がいよいよ蒼白になっていて、首筋に血管が浮いていた。
眉間に深々と刻まれたシワ、今まで見たこともないほど吊り上がった眉。
容赦のない視線はずっと僕の顔に据えられていて、そのままニックは僕の《学術系技能》をひとつひとつ暗誦していった。
「なぜ、これほど《
お終いに、静かに問われた。
ニックがかつてないほど怒っていたことはよくわかった。
僕は迷った末に《
「なぜ、そうしたのか?」
そのときはそれが最善だと思ったし、それほど思考をしなければ危険ではないと思ったので、と答える。
「《戦闘系技能》がそれら以上に上昇しているのはどういうわけか?」
実は、昼間や深夜に家を抜け出して鍛錬を行っていたこと、ただし、《操御術系》の《無心》を習得してしまえばそれほど危険はないと思ったので。
「それを誰から聞かされたのか?」
…………イルマです。
僕がそう答えると、ニックは天井を仰いだ。
僕は慌てて、実は《魔法剣士》になりたいのだと告白すると、ニックは。
「必要無い」
ぴしゃりと天井に向かって言い放った。
僕にはなにも言えなかった。
「きみは独りで永劫の孤独を生きる覚悟があるのか? それとも死を超越したいのか?」
立て続けに静かにそう問われる。
僕はただ首を横に振った。
ニックは改めて僕を見ると、今度は悲しそうな顔をして言った。
「きみの行為は、私からのきみへの信用を著しく損ねるものだ。同時に、私を信用していないからこその行為に思える。……私はそれほど信頼に足らなかっただろうか?」
そんなふうに言われては黙っていられなかった。
僕が全裸になったことで、戦争を有利に進められたことは事実じゃないか。
ニックだってマルクス伯父と共に僕を騙して、自分とアンリオスの会話の道具のようにして使っていたじゃないか。
「オル、きみは私のことをそう見ていたのか? ……いつから、私に不信を募らせていたんだ……」
心底がっかりしたとでもいうようなニックの言葉。
僕の平静さにも限りがあった。
僕に隠していることがあるニックを信用しろ、と?
けど、ニックはそれには応えなかった。
そして、蒼白な顔色のまま僕に告げた。
「いいと言うまで、この家から出てはいけない。もちろん、全裸になってもいけない。外の三人をお目付け役にするから、慎んでいなさい」
それだけ言うとニックは席を立った。
昨日、怒りながら僕に髪の毛の提供を促したニックは、どうも夜のうちに僕の《鑑定》を行ったらしく、その結果はすこぶる良くないものだったというわけだ。
イルマは、ニックが高位の《剣術系技能》保持者に執心を見せると言っていたけど、それも事実なのかどうか怪しい。
僕はこの数年間、剣の修行にプライベートな時間のほぼすべてを費やしてきた。
だからほかの《技能》よりも《剣術系技能》の上昇率はいいはずだ。
でも、それに対してニックからは一切コメントが無かった。
むしろ、《学術系技能》について懇々と説教をされた。
イルマがウソをついたとも思えないけど、勘違いしている可能性は大いにある。
それに、ニックの態度から察するに僕の《学術系技能》の向上は看過できないレベルにあるらしい。
……全裸になって考えすぎたわけだ。
全裸で思索を続けるなんて、ちょっとブロンズ像の考える人みたい。
なんてどうでもいいことも考えてしまう。
「オルちん、落ち込んでんのか?」
テーブルを挟んで向かい合っているアークリーが僕と鏡合わせの頬杖を突いたポーズで話しかけて来た。
四角いテーブルの四つの席のうち三つは僕とアークリー、僕の右手で食事をしているコルネリアによって埋められている。
食事を終えたアウルスには、外が騒がしい気がするので見て来て、と言って追い出した。
昨日の一件があって以来、彼は妙に張り切っているし、ニックの命令によって僕の傍にいられることをどうも喜んでいるふしさえある。
命令すれば黙っていてくれるアウルスは、三人の中では一番御しやすいと思っていたけど、こちらが冴えないのに隣でニヤけ顔をされるのは決して気分がいいものじゃない。
その点、ニックにまともに話を聞いて貰えなくてイラついているコルネリアも食事さえ与えておけば静かだし、アークリーはいい意味でも悪い意味でもいつでも軽い。
彼も気の抜けたように笑っているけど、いつものことだし、もう慣れた。
「まあ、落ち込みますよね。……僕は結局、ニックの役に立つ以上の、負の評価を重ねてしまっていたということですし……なにより、それがニックの僕に対する眼差しだったわけです」
「評価ねえ。わかるわー」
親子関係があんまりうまくいってなさそうなアークリーにもその辺りはわかるらしい。
この世界に限ったことじゃないけれど、あんまり慣れ合わない家族というのは結構ある。
僕の前世の両親の夫婦関係や僕との親子関係もそんな感じだった。
ただし、僕の周囲に集まっていた子弟を見ると、この国の貴族家庭ではそれが主流のような気がする。
有り体に言えば、彼らは家を追い出されたわけなのだし。
しかも、この世界では子供を見限るのがかなり早い。だって、前世的に言えばまだ義務教育課程中に年頃の少年が多い。
富裕層である貴族ならそれなりに子だくさんでも全員養えそうだけど。
「前々から思っていたのですけど、アークリーなんかは家に残るというわけにはいかないのですか?」
「まー、無理だねー。下手に家に残ってると、親父とか兄貴に変な目で見られるかんねー。家割るつもりかよ、とか思われてんでね?」
「そんなものなのですか? 割れるほど広い領地があるなら、割ってもいいと思うのですが?」
「んにゃ、本家の力は強いほうがいいってのが基本なんさ。跡継ぎには結構、金も時間も愛情も使うかんね。親父もお袋もでっかい家で贅沢に老後を送りたいんでね? たぶん、そういうとこは多いし」
なにか、アークリーがのほほんとした顔でもの凄くドライなことを言っている。
しかし、街をうろうろしていたアークリーは食肉解体業者の知り合いもいると言っていたぐらいだから、彼らのような貴族以外の家庭事情を知っていてもおかしくはない。
比較対象があるから冷静に分析できるのだろうか?
「農夫や工夫の人たちの次男以下の扱いのほうが酷そうですけど?」
分与できるほどの財産の無い中流以下の家庭はどうなんだろう?
「うんにゃ、意外とそうでもないっぽいよ。男はちゃんと育たないこと多いし、ちっちゃいころは死にやすいから大事にされんの。女は嫁にやればいいしねー。どっちにしてもうまく育てば働けるし、土地はあるからオレが産まれる前からちょくちょく開墾はやってたっぽいし。農地が増えりゃ人も増やせる。人が増えりゃ仕事も増えるみてーな?」
「なるほど、好循環というやつですね。そうすると、むしろ貴族よりもそちらのほうが精神的には豊かそうですね?」
「お給料少ないから働きっぱなしっぽいけどねー。あと、あれね。相互互助? 家が増えりゃ、頼れるとこも増えるっしょ? 助け合うから、狭い範囲の隣近所とはそれなりに仲いいしね」
働きっぱなしというのは確かに裕福な家庭で育った貴族子弟には切ないものなのかもしれない。
ぼけっとした笑顔を浮かべてアークリーは続ける。
「街をぷらぷらしてるごろつきには、オレみてえな貴族の落ちこぼれもちょっとはいるけど、どっちかってーと農夫とか工夫の次男とかが多いんだ。あと商家のぼんぼんとか? そういうののほうが、なんつーの? 助け合い感覚? そういうんが染みついてるから、顔役っぽくなるよね。どーしても、農夫とかは土地意識っつーかが強いから、仲間ハズしとかよくやんのね。で、ハズされたやつがごろつくわけ」
ごろつくって、なんだろう。
「ハズされてごろつくことになっても、助け合い感覚は抜けないっぽいから、気のいいやつは多いよ」
「アークリーはそういう人たちと凄く気が合いそうですね?」
「合うんだよね~。あいつらもあんま頭良くないしねー、話してても楽ちん。ただ、血の気が多いのと、領分は守れ的なあれはうるさいんだよね」
「なわばり意識というやつでしょうか?」
「そうね。……でも、おもろいやつ居て、よくわかんねーこと言ってんの。名言多いから剣振るときに使ってる」
「ああ、あの、燃え尽きろ血、とかいうやつですか?」
そう言えば、一昨日指導したときも言ってたな。
「なんかさ、力入んのね。オレ、力むの苦手だからさ、助かってるわー」
「そういう意味があったのですか」
「変に力もうとすると、お腹痛くなんのよ。なんなんだろうね?」
「なんなんでしょうね?」
「君たち! もっと有意義な会話をし給え!」
コルネリアが、僕とアークリーのだらけた空気に喝を入れる。
「お、コリー食べ終わった? んじゃ、片づけるねん」
「ああ! 本日も大変美味しかったよ、アークリーくん! この美味な皿は、君のもっとも素晴らしい長所だと言えるだろう!」
席を立ったアークリーに向けてそう言うコルネリア。
食器を片付けるアークリーは笑っているけど、それは褒め言葉ではないと思う。
「さて、オルレイウスくん! 君は長子のくせに閣下とうまくいっていないのか!」
「くせにって……食後からいきなり直接的な言葉ですね……」
「すまないね! ぼくは基本的に回りくどい言い方は好まない!」
「いいんですけど……」
言葉は繊細さに欠けるけど、コルネリアの言うことも一理ある。
考えてみると、アークリーの場合とは違って、愛情を注がれてもおかしくない長男のはずなのにここ一年ほど僕とニックの親子関係はそれなりにドライだ。
この一年を振り返るとニックが僕に親愛の情をまったく持っていないと言えるような気さえする。
アンリオスが現れてから、少なからず僕らの関係は変化したんだ。
細目で僕の様子を窺っていたコルネリアが口を開く。
「なにやら便でも我慢しているような顔だな、君は! 言いたいことがあるなら、ぼくに言ってみるといい! ぼくは博識と言っていい! 君の期待に応えてみせよう!」
堂々たるその宣言。便を我慢しているような顔というのは、心外だけど。
ちょっとだけ迷ったけど、考えを整理するために彼女に聞いてもらうのはそんなに悪くないのかもしれない。
「……ニックは、険悪だったニックと《
「ふむ! まったくわからないな! そもそも、なぜ閣下と《人馬》の関係は険悪だったんだい!」
「……それは、僕にもはっきりとはわかりませんが。とにかく、そうだったんです」
「それで、閣下は《人馬》との関係改善にどのように君を利用したんだい!」
「僕を間に挟むことで、《人馬》、特にアンリオスに間接的に恩を売って、さらには意思の疎通を図っていたのです」
「ほう! なかなかに興味深い!」
なんだかコルネリアが聞き役っていうのも変な感じだ。
そんなことを考えながら、僕は続けた。
《人馬》との橋渡しという役目が与えられたことで、ニックとの会話は必然的に任務上の報告に費やされることになった。
ニックも僕を頼ったし、アンリオスもまた僕のことを気に入ったらしい。
だけども、次第に状況は変化した。
ニックの《人馬》に対する治療行為に、《ギレヌミア人》の接近、そして、二度の戦闘。
アンリオスがニックと直接喋る機会も増え、次第に僕の役割は失われていった。
なんだかんだで、最近はアンリオスとニックの関係も悪くない。
「……つまり、今回、僕が家にいるように言われたのは、僕に利用価値がなくなったからなのではないか。……そう、考えるのです」
「なるほど、わかったぞ! つまり、君はいじけているんだね!」
「……いじけてる、ですって?」
聞き捨てならない。掌の上に置いていた顔を上げた。
一方、コルネリアは当然だとでもいうように軽く頷いた。
椅子の背もたれに頼らずに背筋を張る彼女の細い目の奥で、黄色い瞳が僕を見ていた。
「オルレイウスくんは今、閣下によって利用されたと言って嘆いたが、それは君の本心とは異なっているとぼくの慧眼には映るね! 叱責されたこともそうだが、むしろ君は閣下の期待を裏切ったことになにより傷ついているようにぼくの目には見える!」
「ニックからの期待……ですか?」
「そうだね! なぜ、君が父上であるニコラウス閣下に対して全裸になったことを隠していたのか、このぼくといえどもわからないし、閣下がそれについて君を叱ったのだろうということは推察できても、その理由まではわからない! だが!」
コルネリアの細い目が少しだけ開いた。
「おそらく、君は隠し事をしていたことが後ろめたいのだ! 加えて、閣下の期待に応えられなかった自身を認めたくないのだろう! それを閣下が自分を利用していたと言葉にすることで、罪悪感と自身への失望を、閣下の君に対する無体な言動として転嫁しているんだね!」
僕は思わず彼女の瞳を凝視した。
長いまつげの柵の中で、コルネリアの瞳も僕の卑屈さを凝視していた。
「代償だよ、オルレイウスくん! 君は、ニコラウス閣下を責める理由を探すことで、君自身の呵責を軽減しようとしている!」
少しだけ動悸がした。
「待ってください、コルネリア。……それでも、ニックが僕に隠し事をしていたのは……」
「……していたのは、なんだね、オルレイウスくん?」
僕はゆっくりと目を閉じた。
そうだ、ニックが僕になにかを隠していたことは事実。
でも、僕は割り切っていたはずだ。
ニックの隠し事が原因で、僕やイルマが危ない目に遭ったことはなかった。
ニックは僕に今までウソついたことはなかったし、まして僕に危害が及ぶようなことは一切しなかった。
にも関わらず、だ。
僕は、いつからニックの粗を探していた?
――そう、それは、あの朝からだ。
あのときのまばゆい曙光が僕のまぶたの裏に蘇える。
ニックと《陽の神》との間に交わされた言葉とともに。
「オルレイウスくん、……君が今、なにを考えているかは、このぼくにもわからない。しかし、ひとつだけ言っておこう」
コルネリアの言葉に、僕はまぶたを開く。
毅然とした表情のコルネリアの口がゆっくりと動いた。
「ニコラウス閣下の秘密と、君が感じる罪の意識には、関係が無い!」
言い切られた。
しかしながら。誠に遺憾なことではあるけれど。
……まったくもって、その通りだ。
ぐぅの音も出ない。
……コルネリアがまさか、そんなに人間の心の機微に敏感なタイプだとは思いもしなかった。
だけど、僕にだってまだ言い分はある。
「……でも、コルネリア。ニックが僕を利用していたことは事実だと思いませんか?」
コルネリアが僕の前で初めてほのかな笑顔を見せた。
「そもそも、その考えが誤りだよ、オルレイウスくん! 君はまだ十に過ぎない! 閣下が君に望む第一のことは健やかに育つことだろう! 君が今回、謹慎を命じられたのは、閣下の愛情ゆえだと考えるのが妥当だね!」
コルネリアは威風堂々と、そして、ゆっくりと噛んで含めるように僕を諭す。
「それに、利用していたのが事実だったとしても、それがどうだというんだい! 必要とされない者は、哀しいものだぞ! 十だとといのにオルレイウスくん、君は少々、背伸びが過ぎるな!」
どんどん踏み込んでくるな、コルネリア。
土足どころか、僕の心にスパイクシューズでごりごりに踏み込んでくる。
だけども僕がコルネリアの言葉を痛いと感じてしまうのは、おそらく図星だからだろう。
「……たぶん、コリーの言うことが正しい……」
「そうだろう! 褒めてくれ給え!」
どうも釈然としないこの気持ちはなんだろうか?
「だけども、あなたの言うことはいちいち頭にきますね」
コルネリアが大きく目を見開いた。
「今まで、言われ慣れた言葉だが、笑顔で言われたのは初めてだよ!」
そう言ってはにかむコルネリアの顔は、なんだかちょっとキレイだった。
『お、発情したのか? オルレイウス?』
《
「なあ、オルちん。アウー遅くね?」
洗い物を終えて戻って来たアークリーが開口一番そう言った。
言われてみれば確かに遅い。
アウルスが出て行ってから小一時間ぐらいは経っているはずだ。
「アークリーくん! アウルスくんは愚か者だ! 愚か者は時間の数え方を知らない! 不審がるには及ばないさ!」
「なるほどね、あるわー」
コルネリアとアークリーの容赦のない言葉に僕は苦笑を浮かべる。
それにしても、アウルスはどうしたというのだろう?
昨日のカッシウスの一件もあるし、このあたりの治安も決していいとは言えない。
それに、ニックはどうやらカッシウスの背後に何者かがいることを懸念しているようだった。
アウルスが狙われる理由はないように思えるけれど、《ザントクリフ王国》内に不穏な動きがあるのは確かなようだし、アウルスをひとりで外に出したのはまずかったかもしれない。
アウルス単独の戦闘能力は皆無に等しいはず。
「アークリー。ちょっと様子を」
僕がそう口にしたとき、慌ただしい音が玄関のほうから聞こえて来た。
廊下を走る音。開かれるリビングの扉。
何事かと思ってみれば、跪くアウルスがそこにいた。
「オルレイウスどの! 遅くなりました!」
「騒々しいぞ! アウルスくん! 君はどうしてそう」
「ただいま、ニコラウス閣下の更迭が発表され、加えて《ギレヌミア人》の使者が参りました! ……使者はネシア・セビという男だと」
コルネリアの言葉を無視して、アウルスはそう報告した。
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