第46話



 《獣人セリアントロープ》は人族のように《技能スキル》の恩恵を受けているわけじゃない。

 もちろん、彼らにも相応の技術体系はある。

 アンリオスたちを見ていればわかるけど、やじりや棍棒なんかも製作するし、食材の加工から、《魔獣モンストゥルム》や禽獣の解体なんかもする。

 ただし、それらの技術は《鑑定》には表れてこない。


 つまり、彼らは《技能》を持たない。

 生産に関係するものだけではなく、戦闘に関係する《技能》も持っていないそうだ。

 その事実が、《魔族戦争デモニマキア》以来多くの人族の《獣人》たちへの蔑視の原因にもなったようだ。

 《獣人》はまともな《技能》を持っていない、つまり、まともな生産活動や思考活動などを行えない《魔獣》や百獣に近い生き物だ、と。そんな記述のある書籍すらあった。


 僕から言わせれば、《技能》というものが不自然極まりないものなのだけど。


 ただし、実際の彼らは強い。

 《技能》が与えられていない代わりというわけではないだろうけど、彼らの肉体は強い。

 具体的にはすべての種族中もっともしなやかで、もっとも無理が利くらしい。特に五感の感度と自然治癒能力は全種族中最高だという。

 加えて、長い寿命の中で培われる豊富な戦闘経験が、彼らに《技能》には含まれない知識と先見をもたらす。


 蓄積されるのは手を合わせたことのある人族の動きなど。

 特に《魔族戦争》期、常に戦場を駆け回っていたアンリオスは、なんと《デモニアクス》とも刃と棍棒を交えたことさえあるらしい。


 五感に優れ、聡明で記憶力のいい彼は実地で知っているんだ。

 強い人族の個体がどんなふうに肉体を動かして、どんなふうに得物を振っていたのかを。

 戦闘経験が豊富な《ギレヌミア人》とはいえども、その点において、自分が何百年生きて戦場を疾駆していたのか興味もないアンリオスに敵うわけがない。

 だからこそ、彼が教育した最初の弟子は十数年でほかのどんな《ギレヌミア人》に対しても優越することができた。


 そして、そんなアンリオス曰く、《獣人》たちの中でも《人馬ケンタウルス》はもっとも巨躯で、もっとも知性的で、もっとも勇敢で、もっとも誇り高いのだそうだ。



――その《人馬》の英傑と呼ばれるアンリオスが、僕の頭上に降って来る。


 振り下ろされる丸太のような棍棒。

 今の僕の手に剣はないけど、たとえ剣が手許にあったところで彼の振るう棍棒に下手に剣の刃を立てれば、その質量と勢いで剣が折れることになる。

 ましてや素手で彼の一撃を受け止めるなんて、不可能。


打擲ちょうちゃくしてくれるっ!!」


 そんなしゃがれたアンリオスの叱声に、僕は腰を落とした。


「ごめんなさい! アンリオス!」


 そうして叫びながら前回りで地面を転がった。

 彼の落下点の背後へと潜り込む。


 ずん。


 僕の背後で地面が大きな音を立てて波打つ。

 アンリオスの体重は五百キロを超えるだろう。

 その巨体の落下と、彼の筋骨隆々の人の体から生み出される衝撃が大地を打ち据える。


 素早く立ち上がって思ったことはひとつ。

 打擲っていうか、殺すつもりじゃないか。


「貴様には仕置きが要る!」


 着地したアンリオスが馬体を翻して棍棒を地面と水平に薙ぐ。

 僕は壁に背中を預けた。アンリオスの振るった棍棒が壁の表面に重ねられた岩を砕く。

 勢いの鈍った棍棒、一歩目でその下を潜り、二歩目でその先、根元のアンリオスの腕に跳びついた。


 アンリオスが棍棒ごと右腕を縦に踊らせる。

 両腕を交差させて前腕を受け止め、そのまま手をかけると逆上がりの要領で彼の太い腕へと取りつく。

 回りながら叫ぶ。


「死んじゃいます!」

「貴様がこの程度で死ぬか!」


 アンリオスが僕を振り回す。

 四本の脚が華麗にステップを踏んで回転、僕の体は遠心力で飛ばされそうになる。

 腕をはい上がってアンリオスの肩にしがみつく。


「アンリオスを紹介したい人がいるのです!」

「誰だ!」


 アンリオスの左腕が問いかけと共に僕の頭部へと伸びる。

 僕は脚を右腕に巻き付けて、アンリオスの左手首を両手で捕まえた。

 そして、背筋と腹筋、背骨につながるすべての筋肉を使って体を起こして、膝で彼の右腕を蹴り、足を伸ばして彼の右脇腹に着けるとそこから背中へ走る。


「うぬ!」


 アンリオスの左腕を捕まえたまま、彼の背中へと体を振り子のように振って、馬体の背中へ着地した。

 そのままアンリオスの左腕を彼の首に巻き付けるようにして絞り上げる。

 彼の左腕と、僕の総力での綱引きが、ちょっとした膠着を作り出した。


「あっちです! カッシウス・エキテス・ライツとその仲間たち!」


 ぽかんと口を開けていたカッシウスの名を呼んだ。

 僕に名を呼ばれたカッシウスが、びくっと肩を揺すって腰の剣へと手を伸ばす。


「紹介だと? その名は我が腕によって救った者の名ではないか!」


 アンリオスの言葉に、カッシウスの動きが止まった。


「救った、だと……」

「カッシウス・エキテス・ライツ! おかしいとは思いませんでしたか? あなた方は北の森をわずかに二日足らずで渡った。全員、このアンリオスを初めとする《人馬》に運ばれたからです」


 カッシウスの顔が大きくゆがんだ。

 そして、彼は剣の柄を握り絞めて叫ぶ。


「でたらめを!」

「《義侠の神》の神名に誓って、事実です!」


 《義侠の神》。その言葉に、ふたたびカッシウスは停止した。


「……まさかっ! ……なにが目的で……」

「……アンリオス、彼に教えてもらえませんか?」


 ゆっくりと、アンリオスの腕の力が緩められる。

 それに合わせて僕も力を抜いていく。


「…………我が背に立つ子供、その親ニコラウスの願いに応じたのみだ」


 そんなぶすっとしたしゃがれ声。

 それを聞いてカッシウスの肩が少しだけ落ちた。


「……なぜ、《人馬》があの男の願いを聞き届けた……?」

「我が背の悪童に、我らは救われた。……我ら《人馬》は報いることを知っている」


 カッシウスの目が僕とアンリオスの顔を交互に見つめる。

 僕は狼狽しているカッシウスへと語りかける。


「僕が彼らを救ったわけではありません。ただ、彼らが傷ついていたことを知って、伯父上に彼らを救ってくれるように願ったのです」

「……しかし、《人馬》は人族の……」

「敵でしょうか、カッシウス・エキテス・ライツ?」


 カッシウスは戸惑っていた。それでも、今は小さくなった怯えを瞳に浮かべてアンリオスを見て、頷いた。

 僕はアンリオスの背中の上から彼に語りかける。


「……そうだとしても、傷んだ彼らに手を差し伸べることは間違っていたでしょうか?」


 カッシウスは眉根を寄せる。


「……君には、《グリア人》の矜持も、国と民族を思う心も、十分とは言い難い。そのような幼稚な」

「だけど。……アンリオスが恩義を感じてくれたからこそ、あなた方は無事に北の森を渡れ、僕らは今もこうして《ギレヌミア人》の脅威と戦える。……それも誤りと? そうでなければ、きっと今ごろ僕らはアリオヴィスタスに蹂躙されていた。……違いますか?」


 僕は問いかけながら考える。

 今のアンリオスの姿は彼の目にはどう映っただろうか、と。

 全裸の子供に弄ばれたように見えたのなら上々。


……彼の目は、アンリオスを見るときよりも僕に注がれているときのほうが大いに怪訝そうなんだけど。


「…………詭弁だ」


 ぼそりとそう溢すカッシウス・エキテス・ライツ。

 それでも異国の《騎士》は口を噤んだ。

 そして、それ以上なにも言わずにゆっくりと目を閉じた。


 横へと目をやればアークリーとコルネリアが、僕たちに向かって馬を並足で進めてくるところだった。

 彼らもどうやら無事のよう。


 僕はほっと胸を撫で下ろす。




「……それが事実だとしても、なお受け入れがたい」


 カッシウスは仲間たちを引き連れて、そう言っていた。

 ただし、彼は去り際にアンリオスに向かうと頭を軽く下げて言ったんだ。


「《モリーナ》の《騎士》もまた、恩義に報いることは知っている。……わたしたちを救ってくれたこと、礼を言おう……」


 と。



 僕は頭をさすりながら、アウルスの操る馬に跨って、彼の言葉を反芻していた。

 ちなみに、今、僕の頭頂部には大きなたんこぶがひとつ。

 アンリオスに巨大な拳骨を落とされたんだ。


 今、僕とアークリーら三人は、アンリオスの尻尾に続いて《人馬とニコラウスの壁》の西の終わりから北の森の中を進んでいた。

 ここは《人馬》の迷路の領域。アンリオスと一緒に駆けなければ、すぐに迷ってしまう。

 このまま僕らは最短距離でニックが待つ地点を目指す。


「待ち給え、オルレイウスくん! なぜ、君は裸になったんだい!」

「……コリー。アークリーがもう、説明したはずです」

「納得がいくものか! 全裸になると元気になる、それのどこが説明なんだね! いいかね、説明というものは共有できる抽象的な概念へと遡り、そこから特殊な事例へと落とし込む作業過程のすべてを示してこそ」

「黙っていてください、コリー。……それでなくともアンリオスが不機嫌なのですから……」


 そう、前を行くアンリオスの機嫌がすこぶる悪い。

 僕に拳骨を見舞ってからも、なお悪い。

 僕がニックから教えてもらった詩を歌ったのがいけなかったのだと思う。


 だから、森に入るときもニックに会うから付いて来いとしか言わなかった。

 だけど、アークリーとコルネリアは空気を読まない。


「ねえねえ、だんな。オレさ、思うんだよねー。パンってさ、みんな美味いって言うけど、おんなじ味なのかなって? だってさ、舌ってみんな違うじゃん? おんなじもん食べてもおんなじ味してるかわかんないよね。それにさ、パンの元の麦にだって違いはあるよね。おんなじパンでも、そもそもまったくおんなじじゃないわけで、そうすっとオレたちってなにを食べてるんだろう」


 アークリーは馬を飛ばしてアンリオスの斜め後ろに並んで、延々とそんなどうでもいい話をしてる。


「オルレイウスくん! 全裸だぞ! 寒くはなかったのかね! それと男性の陽物は寒さによって萎むものだと聞き及んでいるが、君の陽物は萎んであの」

「やめてください! なにか生々しい!」


 なにを僕の局部をがっつり観察しているんだ、コルネリア。

 興味津々なのか? 思春期なのか?



 だいたい、なんでアークリーもコルネリアもアウルスも僕が全裸になっていたっていうのに、引かないんだ。

 僕だったら確実に引いてるし、カッシウスたちも引いてた。

 具体的には、僕が全裸になってからずっとまともに僕を見ないか、変な人を見る目で僕を見てた。


 僕だって別になりたくて全裸になったわけじゃない。

 勢い、自分がしでかしたことの尻拭いをしなければならなかったからだ。


 アンリオスがあのまま暴れていたら、あの場の全員重傷で病院送りか、ニックに《祈り》をかけてもらうことになってたはず。

 虚弱な僕は死んでいたかもしれない。


……待てよ。

 イルマの希望通り、ニックに剣士としての僕の姿を見せるということは、ニックはともかくほかの人の前でも全裸になるということ?

 カッシウスたちからそうされたように、また白い目で見られるのか?

 しかも、戦場でということになれば、さっき以上に大勢の人の前で?


……今まではあんまり気にしてこなかったけど、それはイヤだ。

 いくら、これまでの半生を全裸で過ごしてきたと言っても、大方、家族かガイウスの前だけだったし、《人馬》のみんなは僕以上に日常的に全裸だし。


 よくよく考えてみれば、《ギレヌミア人》たちの前でも全裸を晒してしまっていなかったか?

 あのときは必死だったし、あれ以来ちゃんと考えている時間も無かったけれど、冷静に考えてみれば奇人の所業。

 コルネリアのように彼らが僕の股間を凝視していなかったという保証も無い。


 あれ? ……今さらだけど、もの凄く恥ずかしいぞ。

 いくらあれが最善に近くて、服を着る暇もなかったからといっても、なにを僕は当然のような顔をして戦場で全裸になっていたんだ――?



 僕が自分の中の常識を疑い始めたとき、アンリオスが棍棒を真横に伸ばした。

 速度を落とす合図。三人が馬の速度を緩め、それを確認したアンリオスもまた蹄が刻むリズムを引き延ばしていく。


 僕はゆっくりと周囲を見回した。

 いつのまにか、アンリオスたちの迷路は抜けていたようだ。

 それほど馬を走らせたようには思えないけれど。ここはどの辺りなんだろう?


「……念のため、声を上げるなよ……」


 アンリオスのしゃがれた囁き。

 僕はゆっくりと頷いた。

 アークリーとコルネリアも今度ばかりは雰囲気を読んでくれたみたいだ。


 ゆっくりと木立の間を進んでいくと、その先に馬から降りて立つニックの姿と、その隣には僕もちょくちょく見たことのあるひとりの《人馬》。

 ニックの袖の二の腕あたりが破れて血と思われるシミ。

 思わず声を上げそうになるけど、なんとか堪える。


 その《人馬》がまず、アンリオスに気づいて小さく息を吐いたのがわかった。

 それでも、彼の顔はどこか沈んでいる。

 ニックも僕らが近づいた気配に気づいて硬い表情とともに僕らを迎えた。


「無事だったか。……もう、このあたりにも《ギレヌミア人》の斥候の気配があるようだ」

「うむ。……エレウシス、同胞の状況は?」


 ニックに頷き返したアンリオスは、その隣の《人馬》へと問いかける。


「……ようやく会えたか、頭領。……おおよそ二百名が棲み家へ戻っておらぬ。今はもう少し戻っていると思うが……無傷の者はほぼおらん」

「まさかとは思うたが……四百もの同胞が、それほどに手酷く敗れたのか……?」


 アンリオスの言葉に彼、エレウシスは悔しそうに頷いた。


「棲み家を経て、大きく西を迂回したために遅くなった。……此度ばかりは《大公》に感謝せねばなるまい。彼の尽力がなければ我らが落ち合うこともままならなんだ」


 ニックは彼の言葉に力なく首を横に振った。


「私のほうが先にアンリオスと落ち合えたからね。……ここで待っていた間に、大方の話は聞かせてもらった。……ほかの《人馬》たちには周囲の警戒に当たってもらっている」


 ニックの言葉。

 僕はアウルスの手を借りて、馬から降りるとニックへと駆け寄った。


「怪我をしたのですか?」

「掠り傷だよ、オル。わたしよりも《人馬》の被害のほうがまずい」

「ちょっと待ってください。その前に、ここはどの辺りなのですか?」

「《人馬の壁》のほど近く、アンリオスたちの罠との境界あたり。……アンリオスと私はここで報告を待っていたのさ」


 つまり、僕らが昨日いた辺りということになるだろうか。

 言われてみれば、見覚えがあるような無いような。


 ニックがアンリオスを見る。

 それを受けてアンリオスが頷いた。


「今朝、先にニコラウスが単騎にて駆けて来た。それから九十の同胞を棲み家へ戻し、残りで報せを待っていたのだ。……それで」


 アンリオスが疲れ切った顔をした《人馬》を見る。


「なにが起こった?」

「……頭領。不甲斐ないことだ。我らは見事に嵌められた」


 エレウシスは語り始めた――



 彼らは《ギレヌミア人》の斥候と夜警を排除しながら、《ギレヌミア人》の野営地点に北から近づいて行った。

 《ギレヌミア》本隊の進路の背後に当る北側は警戒が薄く、彼らは順調に接近することに成功した。


 《ギレヌミア》本隊の最後尾。簡単な、木立の間に木製の柵と小型の荷車を配して築かれた陣。

 その内側に固められた荷物を視認して、彼らは周囲に伏せた。


 それから幾許もしないうちに、《ギレヌミア》の陣地の南側から喚声が上がった。いくらか残っていた夜警の《ギレヌミア人》も一斉に南へと駆けて行く。

 それを合図に、《人馬》たち四百は突撃した。


 抵抗らしい抵抗も無く、奇襲は成功したかに思えた。

 彼らは柵と小さな荷車を破壊し、陣地になだれ込んで、残っていた者や戻って来た警備の《ギレヌミア人》を追い払う。

 そして、あらかた追い払ったところで荷駄の麻袋に手をかけた。


 アンリオスの計画はそれらの袋を開いて、中身をできる限りぶちまけてしまうこと。

 そして、いくらかの袋を奪って逃げることだった。


 エレウシスもまたアンリオスの言う通り荷袋を開こうと手を伸ばした。

 だけど、そのとき。見通せない闇のそこここで《人馬》たちの悲鳴が上がった。


「罠だ!」


 そんな声まで。彼は目の前の袋から槍が生えるのを見た。

 同胞の悲鳴を聞いたからこそ、彼は躱せた。


 袋を破って、短槍を握った《ギレヌミア人》が荷駄のあちこちから出て来た。

 戦闘が始まる。だけども、先手を取られてしまった《人馬》たちと待ち構えていた《ギレヌミア人》。

 しかも、多数の《人馬》が陣地に深く入っていた。


 入り乱れた白兵戦。

 無警戒に荷袋に手を伸ばした《人馬》は戦闘不能なほどの深手を受けていた。

 それを助けようとして、さらに被害は広がっていく。


 彼が撤退の叫びを上げるころには、多くの《人馬》が傷ついていた。

 さらに追い打ちをかけるように、《ギレヌミア人》は逃げる彼らの背に向けて短槍を投擲した――



「……さらには、強毒だ。かなりの数が動けぬ。……所期の目的も果たせず、逆に甚大な被害をこうむるとは……」


 すまん、頭領。

 肩を落としてそう言った彼の背を、ばしりとアンリオスがひとつ叩いた。


「我が失策よ。……我が脚と腕に労をかけるべきだった」


 そのアンリオスがニックを見る。

 血走ったその眼が静かにニックを射る。


「……我らが裏を掻かれたのだ。……彼奴はほどなく攻めてくるだろう」

「わたしもそう思うよ、アンリオス。……きみたちの治療に行きたいところだが……」


 ニックの言葉に首を振るアンリオス。


「貴様が今こちらを離れれば、それこそ防備もままならぬ。《ザントクリフ》側にも妙な動きがあるようだ。……さきほども、オルレイウスが芽をひとつ摘んだところよ」

「わたしの耳には、オルの声は聞こえなかったけど、近くにいたのかい?」


 ニックの問いかけに僕が答えようと口を開いた瞬間、待ってましたとばかりにコルネリアが口を挟む。


「ニコラウス閣下! オルレイウスくんの活躍、まことに見事! 全裸になってアンリオスくんと立ち合うことなど、なかなかできることでは無いでしょう! ときに、ぼく、コルネリア・ガルバ・ケレブルーム・ネーヴ」

「ぜん……」


 ニックが絶句した。


「スからアンリオスくんたち《人馬》の運用法について、ひとつ提案が! ……なんだね、アークリーくん?」


 コルネリアが袖を引くアークリーを振り返る。

 さすがにアークリーの笑顔もどこか引き攣ってる。


 僕がおそるおそる窺うと、ニックは虚ろな眼差しで梢に遮られた空を仰いでいた。



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百九年、ザントクリフ王国歴千四百六十六年、トリニティスの月、二十九夜


 《人馬》の損害は私が考えていた以上に甚大だった。

 戦列に加わることができる《人馬》は半数以下になったと見たほうがいいだろう。

 報告を行った《人馬》、エレウシスがせめてと、傷ついた者たちの中でも動ける者をこちらに連れてくると言っていたが。

 危険すぎるため、慎むようには進言しておいた。


 加えて、カッシウス・エキテス・ライツの一件。

 彼らのみで、オルレイウスの誘拐まで企てられるものか?

 オルも、カッシウスの言葉がまるで誰かに吹き込まれたもののように聞こえたと言っていた。

 わたしとマルクスの目を盗んで、カッシウスと接触していた者がいる可能性は高い。


 なによりも、オルレイウスだ。

……全裸、だって?

 それに、素手でアンリオスを制圧した?


 オルに甘いアンリオスのことだから加減はしたのだろうが、彼が戻って来たとき機嫌が悪かったのは、どうもそのためらしい。

 とりあえず、その場でオルの頭から髪を一本抜いた。


 日没まで、アンリオスと情報を交換しながら警戒に当り、今夜の攻勢が無いと判断した私は城へと馬を駆けさせた。

 そして、マルクスへ奇襲の首尾とカッシウスの一件の報告をするために登城した。

 マルクスは私に責めを負わせると言い、指令権を返上し、魔術幕僚長は据え置きのまま近衛長官を兼任するようにと言った。


「すまんな。形だけゆえ、許せ。……武派貴族の一部が妙に勝ち誇って、此度の作戦をそなたの失策と喧伝している。およそ、カッシウスを焚きつけた者もそのあたりだろうが」


 マルクスによれば、緒戦での勝利が、武威によって《人馬》を傘下に収めたのだと考え違いをしていた貴族たちの尊大さを助長させたらしい。

 加えて、《ギレヌミア人》が相手だろうとも誰が指揮をとっても勝てるのではないか、という楽観が蔓延しているということだ。

 結果、私を疎んじる者も少なからずいる、と。


……それを危惧したからこそ、十年以上も身を慎んで来たのだが。

 私の視野が狭くなっていたということか。


「ここから先は余自らが指揮を執る。……実際は、そなた頼りになるだろうが」


 そう言ってマルクスは笑った。


 それと、もうひとつ。捕虜交換の提議が持ち上がっているということだ。


 しかし、捕虜の交換は危険だ。その場がそのまま戦場に変わる可能性もある。

 それに同数での捕虜交換ならば《グリア人》よりも《ギレヌミア人》にとって有利となるのは明白だ。


「縁者を救いたいという純粋な願いを無碍になさるおつもりか! ……などと言われては、な」


 マルクスは苦笑する。

 どうやら、ここ数日の間に《人馬》の警戒網の目が粗い森の東側を通って使者を往還させていたらしい。


「使者の人選については熟慮していたつもりではあったが。……武派貴族どもの言動を考えると、どうもな」


 マルクスの言葉は、今回の奇襲の情報が漏れていた可能性を示唆していた。

 確かに、二日前から奇襲のために半ばの戦力を割いた《人馬》の警戒はかなり手薄になっていた。森の東を早馬で駆ければ、彼らに捕捉される可能性は低い。

 それに、味方だと思っている《グリア人》の動向を《人馬》が私にまで伝えてくれるかと言えば、そんなことも無いだろう。

 私も早くから兵を率いて森に入ったため、こちら側の動向についてはわからない部分がある。


「愚者は常に手が届く範囲、隣の者の足を引こうとする。……此度のことは余の失策と言うても過言ではない」


 マルクスは自嘲していたが、それが事実だったとしても責めることなどできない。


 今月半ば、マルクスは陣頭指揮のために城を離れていたし、今は戦時ということもあり武派貴族に対抗するべき宮中伯や文派貴族の発言力が落ちている。

 加えて、援軍要請に出た宮宰の不在はマルクスにとってもかなりの痛手のはずだ。


 本来ならば、イルマが武派貴族を、宮宰が文派貴族を制御する二巨頭体制であり、それがマルクスの想定していたこの国の在り方だったはず。

 だが、今はどちらも居ない。

 危機に直面したこの国が未だ瓦解していないのは、ひとえにマルクスの手腕によるものだろう。

 だが、そのマルクスにも限界はある。なにせ、両翼をもがれているのだから。


 下城した私は、この先の展開について思いを馳せた。

 これまでは、マルクスが政治を、私が軍事を担うことでなんとか均衡を保ってきた。

 しかし、その結果、多くの貴族を自由にさせてしまったのだ。彼らに蠢動する余地を与えてしまった。

 現状は私とマルクスの想定からはみ出している。


 ふと、イルマならばどう立ち回っただろうか。……そんなことを考えてしまう。


 帰り道、ついでに家に寄った。

 久しぶりにガイウスの顔を眺めてから、地下室へ籠りオルの髪を《かま》へと投入した。



……《雷光視》《百里眼》《毛視眼》《凝闇視》《刹那を切り取る眼》《地獄耳》《雑音無効》《獣の鼻》《臭気無効》《衝撃耐性》《暑熱耐性》《寒冷耐性》《グルメ》《健啖》《大気を呑む肺》《強風のごとき呼気》《真外氣呼吸法初級》《真内氣呼吸法初級》《二点縮地》《豪腕》《豪脚》《投げに習熟せし者》《絞めに習熟せし者》《極めに習熟せし者》《格闘の達人》《斬り狂い》《音なしの刺突》《活殺自在》《無型》《廻運歩》《剣聖》《弓術の初心者》《棍術の初心者》《投擲術の初心者》《四か国語の中級者》《三つの母国を持つ者》《読解者》《良い聴き手》《論述の上級者》《論駁の上級者》《よく回る舌》《閃き》《胡蝶の夢を見る者》《単純構造の想起者》《複雑構造の想起者》《概念統合初級》《高度演繹法初級》《死生の究明者》《蒙昧の理解者》《果断》《中過の是正者》《再現思考初級》《算理術初級》《暗算の上級者》《高速一連思考処理初級》《高速並列思考処理初級》《複数印象合成上級》《複数印象加工上級》《複合観念構成初級》《複数観念合成初級》《複数観念加工初級》《複合概念構成初級》《複数順序構成初級》《一連構造適用上級》《複雑構造適用初級》《秀才》《未知の探求者》《事物拾遺初級》《躓つまづきを忘れぬ者》《乗馬の初心者》《無心》



……オルを監禁する以外、もう手立ては無いかもしれない。




――追記


 夜更け、開拓村に戻るとカッシウス・エキテス・ライツが待っていた。

 彼はただ言葉少なに、自分を助けたと騙った者がいたこと、そして、その男が誰の手の者かを告げて去って行った〉


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