第45話
「やはり、父はここにいないのですね?」
僕の言葉にカッシウスが目を
僕はほかのふたりの《騎士》をちらりと見る。
少壮と壮年ほどの年齢。屈強な体格に、板金鎧。どちらも手には槍を携えていて、腰には剣。
おそらく、背後にいるはずの六人もそう変わらない装備だろう。
カッシウスだけは、槍を持ってはいないけれど。
背後で馬が
僕たちがさっき来た道を駆けているんだ。おそらくは、ニックになにかを要求するために。
そんなことを考えていると、目の前のカッシウスが口を開いた。
「……やはり、ということは予測していたのかね?」
意外そうな面持ちのカッシウスに僕は頷き返す。
「僕にはどうやら優秀な付添人がいたようなので」
「――オルレイウスどの!」
アウルスが涙声を上げて、僕の後ろですすり泣く。
『オル、お前の『脚』は泣き声を上げるらしい。お前の影は喋るし、賑やかなもんだ』
《
僕はちょっと眉間を指で押さえた。
「……訂正しましょう。優秀というより、いろんな意味で度を超えているのが後ろの人のようです」
それを聴いたカッシウスは、泣き声を上げて鼻を啜っているアウルスに一瞥をくれると改めて僕を見た。
そして、ちょっと不可解そうに顔をゆがめる。
「……ならば、なぜここまで大人しく付き従ったのかね?」
「あなた方と話がしたいと思ったからですよ。……ここにいるみなさんは《モリーナ王国》の《騎士》なのでしょう?」
「子供だと思って侮っていたが……相応に状況は理解しているようだ」
カッシウス・エキテス・ライツは静かに硬い笑みをこぼした。
「……それで、みなさんの目的は父ですか? それとも、あのアリオヴィスタスという男と連携して内乱でも起こすつもりですか?」
「――ふざけるなっ!」
僕とアウルスの後ろで怒鳴り声が上がった。
「やめろ!」
カッシウスが手を伸ばして、後ろの男を制す。
そして、険しい表情で睨んでくる。
「……子供の戯言と受け流せるほどわたしたちにも余裕はない。わたしたちがあの男の回し者だという侮辱、撤回してもらおうか?」
こめかみに青筋を立てながらそれでも冷静に凄んでくるカッシウス。
僕だって、いくらなんでもカッシウスたちがアリオヴィスタスが放った間諜だと本気で思っていたわけではない。
彼らは軽装のまま冬の森に放たれたんだ。いくら鍛えられた《騎士》とはいえ死ぬ可能性は低くない。
憔悴していたカッシウスの姿を見て、その言葉も実際に聴いている。
あれが全部演技だったら、軽く人間不信になれる。
「撤回してもいいのですけど。……僕を誘拐することが、あなたの考える《騎士》の行いとして正しいものなのですか?」
「……ずいぶん、挑戦的だな……」
「違います。対話を望んでいるだけです」
「…………良かろう。どうせ君の父親が来るまで、それなりに時間はかかる」
カッシウス・エキテス・ライツは、ため息とともに吐き出した。
そして、続ける。
「わたしたちの目的はふたつ。《
なにを言ってるんだろう、カッシウスは。
「貴様! なにを言っているっ! ニコラウス閣下の更迭など、この身が許すものかっ!」
「アウーさん、ちょっと黙っててください……」
急にアウルスが怒ったものだから、僕も含め周囲を囲んだカッシウスたちもみんなの馬も驚いたみたいだ。
僕は、返事もしないで沈黙モードに入ったアウルスを置いて、話を先に進めることにした。
「教えてください、カッシウス・エキテス・ライツ。それがあなたたちにとってどういう意味を持つのか?」
カッシウスは自分の馬の首を撫でて落ち着かせると、相変わらず冷静な口調で続けた。
「……わたしたちにとってというよりはこの国にとって、そして《グリア人》と人族にとって、と言うべきなのだよ。オルレイウスどの」
「どういう意味ですか?」
少し長くなるが。そう、前置きをしてカッシウスは語り始める。
「わたしたちはみな、この国の人々に救われた。森に放たれた数日後には全員が助けられ、生きてふたたび
だが。その言葉とともにカッシウスが、馬の首筋に視線を落とした。
「周囲の民らが一様におかしなことを言うのだよ。……この森には《人馬》がいる、と。さらには、開墾を手伝ってくれるのだ、と」
僕はカッシウスと最初に会ったときのことを思い出していた。
そう言えば、彼は言っていたのだ。
アリオヴィスタスが妄言を吐いている、居もしない《人馬》を理由に《ザントクリフ王国》を攻めるつもりなんだ、と。
「《人馬》がいて、それも人族に協力するなどありえない。……《ザントクリフ》の民は気がいいが、少々迷信深いようだ、……そう、わたしは結論づけた。…………だが、違った。勝報が届けられた。しかも、《人馬》が戦闘に参加したと、この国の《騎士》にまで聞かされたとき、わたしは自分の耳がおかしくなったのではないかと考えたよ」
それとも、冬の森を彷徨ったせいで、頭がやられてしまったのか。
自嘲するようにカッシウスはそう付け加えて視線を上げた。
「幼い君にどこまで理解できるかはわからないが、《人馬》は人族の敵だ。……このままでは、いたずらにあの男に大義を与えてしまう。……わたしたちが決死の覚悟で冬の森を走ったのは、清廉潔白な《グリア》同胞が言われも無い罪を着せられて攻め滅ぼされると思ったからだ!」
一瞬、語気を荒げたカッシウスは、憤りを逃がすようにため息を吐いた。
「……すぐにわたしはマルクス王に面会を願ったよ。そして、マルクス王も時間を割いてくれた。……わたしは訴えた。《人馬》などとは手を切るべきだ。このままでは《ギレヌミア人》だけではなく、《グリア諸王国連合》からも指弾される可能性が高い、と」
笑った。
そこでなぜか彼は満足そうに笑ったんだ。
「マルクス王は賢明であられた。……《人馬》とはいつまで協調できるかわからない。しかし、今、《人馬》との協調を解消すれば、確実に《ギレヌミア王》を名乗るあの男に各個撃滅されるだろう。《人馬》の次は《ザントクリフ王国》だ。だから、察せ。……そう、マルクス王は仰せになった」
つまりは。彼は馬上で背筋を伸ばして、そう続ける。
「マルクス王の御意思とは、《人馬》と《ギレヌミア人》を合い討たせ、《ザントクリフ王国》は生き残ったほうにとどめを刺せばいいという」
「――それは、間違っている!」
僕の叫び声にカッシウスは怪訝そうな表情を浮かべた。
そして、その顔が次第に険しいものへと変化する。
「……まさか……いや、やはりそうか」
「やはり……?」
彼は今や敵意とも言えそうなものをその黄色い瞳に宿していた。
「やはり、君も君の父親から毒を受け継いでいるのだな?」
「なにを言っているのですか……?」
彼の瞳に浮かびあがった感情が、攻撃的なそれからなぜか同情的な色合いを帯びる。
寄せられる眉根に、下がる眉尻。そして、気の毒そうに下げられた口角。
憐れみなのか?
「……君に理解できないことも無理からぬことだ。……なるほど、確かに君の父親は有能な《ドルイド》らしい。それは認めよう。……だが、彼は所詮、《グリア人》じゃない。見た目からすれば《ルエルヴァ人》のようにも見えるが、純血とも思えない」
「それがなんだというのです?」
「……大いに問題なのだよ、オルレイウスどの。なんにせよ、彼の思想は《グリア人》のものではない! ……そして、君はその毒気の中で養育されたのだ」
なにを言ってるんだ、こいつ。
『いや、オルレイウス。こいつの言うことは面白い。続けさせろ』
なぜか《蛇》はカッシウスの言葉に興味津々だ。
「……いいかね、オルレイウスどの。貴顕の血にあろうとも、他種族からその血族に連なろうとも、《グリア人》に与する者がそれ以外の者を重要視するなどあってはならない」
「父はこの国と伯父上のために力を尽くしていると思いますが」
カッシウスは威嚇するように片頬をゆがめて笑った。
「《グリア》に心から尽くしている男が、昨夜の奇襲作戦において《人馬》なぞを救うために、わたしたち《グリア》同胞に突撃を命じるかね? ……信じられぬことだ!」
嫌悪にゆがめられたカッシウスの顔。
それを見て僕は考えた。
――これは、予想外。
ニックにとってもそうだろうし、あるいはマルクス伯父の計算も越えていたのだと考えるべきだろう。
ふたりとも《人馬》の有用性を示していけば、心の壁は取り去れると考えていたはず。
そうでなくとも、その実例がここ数か月でどんどん増えていたんだ。
思わず、僕はアウルスを振り返った。
カッシウスを憎々しげに見つめているアウルス。
それに、アークリーやコルネリアも。
それだけではなく、マルクス伯父の鶴の一声と戦勝という結果によって《人馬》をそれとなく受け入れていた貴族たちの空気。
開墾協力によって畏怖しながらも短期間で、《人馬》によってもたらされる恩恵と共に歩み出した《ザントクリフ王国》の国民たち。
言わずもがな、アンリオスを友人だと考えている僕自身。
……その全員が、カッシウスからすればズレていたのだ。
いや、ひょっとすると
とにかく、今回のニックはあまりに直接的に《人馬》を助けようとしてしまったんだ。
でも、それはニックの失策じゃない。
「しかし、カッシウス・エキテス・ライツ。ここで《人馬》が弱ってしまえば、僕たちがアリオヴィスタスに勝てる目はなくなります」
そう。ニックのそれは戦略的にも当然の判断というべきなんだ。
《ギレヌミア人》の総数はこちらの数と同等。
強力な《人馬》がいなければ、僕らはあっと言う間に蹂躙される。子供でもわかる事実だ。
だけど、僕の正面にいる《グリア人》の《騎士》は首を横に振った。
「それがもう間違っているのだ、オルレイウスどの。……わたしたちが真に敵とするべきは《ギレヌミア人》よりも、まずは《人馬》なのだよ!」
「……カッシウスさん、……あなたが考えるほど《人馬》は危険では……」
「聞きたまえ、少年。《人馬》は敵だ! 神々が定めたもうた、わたしたち人族の敵なのだ! あれらは狡猾で危険だという。この国を援けているのもなんらかの思惑があるに違いない! ……その点で、昨夜のニコラウスの指揮は戦略的に間違っている。《人馬》が数を減らすならば、それほど喜ばしいことは無い!」
カッシウスは、僕に切々と、本心から訴えかけていた。
それが、正しいことなんだ、と。
『人族って、なんて馬鹿なんだ! 自分で望んで墓穴を掘ってる! そうと知りながらだ! お前さんも馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、それは《蛇》の考え違いだったようだ、オルレイウス! お前さんは、まだ
《蛇》が他人事のように大爆笑していた。
うるさい。
僕はゆっくりと口を開く。
「……でも、《人馬》が斃れたその先には《ギレヌミア人》との本格的な戦闘が待っているのですよ? 僕らに勝ち目があると思いますか……?」
カッシウス・エキテス・ライツ。異国のそして《グリア》の《騎士》である男。
彼はふたたび、背筋を伸ばした。
「いいかね。たとえ敗れて屍を晒し、ときには、奴隷に落ちようとも、恥辱を忍んで飲み込まねばならぬことがある。……わたしたちには、譲ってはいけないものがあるのだよ」
それは、どこかアンリオスの言葉にも似ていた。
ただ、『わたしたち』――その言葉だけが噛み砕けない石の塊のように、僕の腹に落ちて行かない。
「そう思うなら、なにもこんな手段に頼らなくとも、伯父上に直接訴えればいいじゃないですか?」
「今は戦時だ、時が無い。それに、王の婿を降ろせと他国者のわたしが言うのは筋違いだ。……ニコラウス・アガルディ・ザントクリフ・レイア、君の父親自らが指揮権を放棄する必要がある」
なぜかその言葉だけ、決まりきったセリフをなぞったように聞こえた。
「それよりも。……君もそろそろ父親の手から離れる年頃だろう? どうだね、わたしと話してみて、考えるべきところがあったのではないか?」
カッシウスは僕を懐柔するつもりなのかもしれない。
僕に、ニックが魔術幕僚長の地位と指令権を返上するように口添えさせるつもりなのかもしれない。
彼はニックが指揮権を手放せばどうなるのかわかっているのか?
誰が《人馬》との橋渡しをするのか? それに、戦闘経験の乏しいこの国の貴族の誰が、この先の青写真を思い描けるというのか?
たとえ負けて一時、《ギレヌミア人》の奴隷になっても構わない?
近いうちに《グリア諸王国連合》の援軍が来るとでも?
馬鹿な。目的を達成して本拠地を手に入れればアリオヴィスタスはこの地にほかの《ギレヌミア諸族》を集めるかもしれない。
事実、彼はすでに《セビ氏族》を従えている。
そうなれば、大戦争だ。勝敗が《グリア諸王国連合》とアリオヴィスタス、どちらに転ぶかだってわからない。
なにより、《モリーナ王国》の《騎士》であるカッシウスが救うべき人たちは、その間ずっと苦しみ続けることになるんだぞ?
「……カッシウス・エキテス・ライツ。……あなたは、あなたの国が誰によって滅ぼされ、あなたの同胞が今、誰の手によって苦しめられているのか、忘れているのではないですか?」
「片時も忘れたことなどない、オルレイウスどの。……それでも、恩讐を超えたところにこそ守らねばならないものがある。……そうは思わないかね?」
僕は頷いた。
少しだけ、カッシウスの険しい顔が緩んだ。
「考え違いをしないでください、カッシウス・エキテス・ライツ」
緩んだはずの彼の顔が硬直する。
「……あなたは、ただ遠いところから与えられたものに縛られているだけです」
「…………どういう意味かね?」
眉をひそめる彼を僕は真っ直ぐに見つめ返す。
「あなたは、たぶん彼らを見たことがないんだ。……彼らと言葉を交わしたことも、彼らとふれあったことも、……戦ったことすらない」
「待ちなさい。……その彼らというのは……?」
「別に、それが悪いことだとは思いません。ただし、あなたのそれはたぶん、ただ知らないものを怖がっている子供みたいなものだ」
「……子供の君が、わたしを子供、と?」
僕は呆れたような顔を見せるカッシウスに微笑みかけた。
「小さな子が見通せない暗闇に怪物の姿を想像するようなものです。聞きかじった怪物の名前を叫んで、ぼくは知っている! 怖くなんかない! ……そんなふうに強がっているようなものでしょう?」
「……無知な子供の君が、そのような無知な子供と、このわたしを……」
「そう、無知な子供かもしれない」
僕は彼の言葉を遮って、静かにそう告げた。
「でもね、カッシウスさん。僕は未知に挑む気概を持っている。闇に目を凝らして、ときには手を伸ばして、その姿を確かめるべきだということは理解している。……そして、未知とは、彼らの創造主にして僕らに休む時間を与えてくれる《帳を下ろす女神》がなによりも好むものだ」
「……君は、いったい、なにを知って……」
言葉に詰まる彼。その目が見開かれ、僕の背後を見つめていた。
僕の耳が近づいてくる蹄の音を拾う。まさか……。
「ニック?」
僕が振り返ると、沈黙したままのアウルスが首を振った。
「早すぎる……あれは、女と青年、か?」
カッシウスの言葉に僕はちょっとぎょっとした。
心当たりがあるような。
アウルスの脇腹あたりに首を突っ込んで、後ろを見る。
僕とアウルスの後ろを固める五人の《騎士》、彼らの間にふたつの騎影。予想通りというか、予想外というべきか。
「オルちーん、来たよー」
木立の向こうからそんな気の抜けた声。
棒でも振り回すように、剣を振っている青年。
「オルレイウスくん! 安心し給え! さきほど、そこの一味の男を取り押さえ、おおよそすべてを把握した! そもそもぼくの知力を以ってすれば、君がどこに攫われたかなど」
「アークリーに、コルネリア?」
僕が脇腹から顔を抜いて見上げた先でアウルスが仏頂面のまま頷いた。
「あのような年端も行かぬ女子供に
カッシウスが呟いていた。
「三人で当たれ!」
後ろの五人の《騎士》が軽く目くばせをして頷き交わした。
そして、中央の三人が騎馬の馬首を返す。彼らの手には槍。
鍛えられた壮年の《騎士》が三人、アークリーとコルネリアに向かって行く。
三対二、アークリーとコルネリアのほうが分が悪い。
「オルレイウスどの、君がわたしの知らないなにを知っていようとも構わない。しかし、君の援軍にはここで退場してもらう。友の腕の一本や二本は覚悟しなさい。……それが嫌なら、投降を勧めなさい」
僕はカッシウスへと視線を戻す。
今度は彼を睨んだ。頭を目指して血が駆け登っていくような感じ。
「あなたは、これが正しいと?」
「子供の君にはわからないのだ。……わたしたちは《グリア》同胞と人族を思って行動している! 君の、出自も不明な、気味の悪い肌の色をした父親などとは違う!」
腹の底でなにかが音を立てた気がした。
『待て、オル。なにを……』
《蛇》の制止を無視して僕は思いっきりカッシウスを睨む。
「僕がなにを知っている、と訊きましたね? ご想像通りあなたが知らないことを、少しばかり知っているだけですよ……たとえば、
僕は大きく息を吸い込んだ――
『待て待て待て……』
「――ああ、なんということか。酒の上での失態は、人のみならず、すべての種族に降りかかる。雄々しき《人馬》の英傑も、またそのあやまちを逃れえぬ。笑ってやるな、皆の衆。《人馬》は酒に慣れぬもの。にも関わらず、胃は大きい。
「オルレぇーーイウスっ!!」
……ウス……ウス……ぅ……
「――今の声は、――歌はなんだっ! なにをしたっ?! ……いや、待ちなさい、なぜ服を脱ぐ!!」
ざわつくカッシウスと僕を囲む《騎士》たち。
僕は彼らを無視して、ローブの袖から腕を抜いて肩を出す。
『脱げっ! 早く脱ぐんだ、オルレイウス! やつは近い!』
《蛇》が珍しく焦ってる。それも当然だ。
あの《人馬》の蹄の音が壁の向こうからすでに大きく響いている。思ったよりもずっと近くにいたんだ。
「なんだこの音は?! なぜ、壁の向こう側から聞こえる?!」
『なぜ、怒らせた! 馬鹿なのかっ!』
ローブを畳んで、後ろのアウルスに押し付ける。
カッシウスを睨みながら、僕は口を開いた。
「……ちょっと、あなたに会わせたいと思ったんです……」
「なんのことだ! 答えろ、子供!」
カッシウスに怒鳴りつけられる。
そんなこともどうでもいいぐらい、全裸になった僕はもの凄く後悔していた。
ニックがあの詩を歌ったとき、
……こんなに近くにいたのなら、ふつうに名前を呼べば良かった……。
――《人馬とニコラウスの壁》、僕がそう呼ぶ壁の向こう側の森の中に、力強い蹄の音がこだます。
僕はアウルスの騎馬の背中に立ち上がる。
ひらりと地上に飛び降りて、目を丸くしているアウルスの馬から距離を取る。
ちょっと、アークリーとコルネリアのほうを見ると、意外にもアークリーが相手のうちひとりの槍を剣で絡めとって奪ったところだった。
確かに、アークリーはそこそこできると思っていたけど、《騎士》に対して互角以上に戦えるとは思ってもみなかった。
考えてみれば、彼には全裸になって一回指導をしただけだし、全裸の僕はそれなりに強いはず。
そんなに慌てて、怒らせてまで呼ぶ必要も無かったわけだ。
「なにが起こっている! なにをするつもりだ!」
「……ちょっと静かにしていてください……」
《人馬とニコラウスの壁》に向かって耳を澄ます。
矢を放つ音は聞こえない。でも、蹄が刻む力強いリズムの奥底に荒い鼻息が聞こえる。近い。
たぶん、壁の終わり、西側を回って来るはず。そう思っていた僕の耳に不可解な音が聞こえた。
「壁に向かって直進してる……?」
「だから、この音はなんなのだ!」
もう、彼は壁にほど近い。
衝突でもするつもり? なにを……。
――彼の足音が一瞬消える。
そして、壁の反対側を打つ重い響き。確かにこの壁は垂直に切り立っているというわけではないけど。
ふつうに考えたら、駆け登れるような斜度じゃないだろ。
「な、……」
視界の隅のカッシウスが怯えた表情を見せる。
僕は四メートルぐらいはありそうな高い壁を見上げた。
現れた。空中に巨体を躍らせた、彼。
太い棍棒を振り上げながら、降ってくる《人馬》。
「
「ごめんなさいっ! アンリオス!」
僕は空を駆けるアンリオスに向かって謝りながら、腰を落とした。
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