第44話



 最初に異変に気がついたのは、無駄口を叩いていた《ピュート》だった。



『オルレイウス。お前さんだってこのままじゃ、生きにくかろう。好きなときに全裸にもなれない生き方なんて、どうかしている』


 どうかしているのは《蛇》のほうだ。

 そんな言葉を咀嚼を続けるコルネリアの顔を見ながら飲み込んだ。


 この時間は完全にコルネリア待ちだ。


 アークリーは後片付けを始め、アウルスはすでに出発の準備にとりかかっていた。

 とりあえず、今日の予定は《人馬ケンタウルスとニコラウスの壁》へと向かい、ニックと合流。コルネリアがニックに自分の考える《人馬》活用法を言いたいらしい。

 それはまあいいとして、ニックから奇襲の首尾と今後の方針を聴いて、僕はこの三人から離れてアンリオスの元へ行ってしまおう。

 そんなことを考えながら、アークリーの出してくれた麦茶をすすっていた。


『おいおい、オル。こいつらも連れて行こう。せっかく出来た眷属だ。それにそこのメスにはお前さんのガキを産ませることも出来る』


 思わず麦茶を噴く。なにか《蛇》が話をおかしな方向へと舵取りし始めた。

 コルネリアがあごを動かしながら首を傾げた。


「なんでもありませんよ」


 コルネリアはそのまま皿へと目を落とす。


『なにがおかしなことがある? 人族の交尾になんかこの《ピュート》だって興味は無いが、お前さんのそれは別だ』


 おかしなことばかりだ。

 僕の肉体年齢はまだ数えで十。立派なお子様だ。

 それに《蛇》の発言はコルネリアに対しては、立派なセクシャル・ハラスメントだ。

 だいたい、さっきの発言は僕の生殖活動には興味がある、というふうに聞こえる。ならば《蛇》の頭は完全におかしい。


『残念ながら、今の《蛇》にお前さんみたいな頭なんか無い。影だからな。影の頭に頭の役目を果たせるわけがない。……肉の頭はお前さんの野蛮な母親に踏み砕かれたからな!』


 いつもながら意味不明な自虐ネタ。

 影に入ってから数年も経つのに、いつまでいじけているんだろうか?

 それに、それならこの《蛇》はどこで思考活動を行っているんだろう。


『そんなことはどうでもいい。いいか、オル。良い種はできるだけ多くの畑に蒔かれるべきだ。そうして来たのはまさしくお前さんたち人族だ。だから…………ん?』


 急に《蛇》の語調が変わった。


『なにか、騒がしい……』


 騒がしい?

 この家に乗り込んで来た三人はそれぞれの作業に勤しんでいるから、むしろずっと静かなのだけど。


『オルレイウス、外だ』


 外?

 僕はその言葉に席を立つ。コルネリアがまた、僕の様子に小首を傾げるけど軽く頷いてそのまま食事を終わらせるように勧めた。

 彼女の食事ももう終盤で、キッチンからアークリーが彼女のぶんの麦茶を持って来たところだった。


「どした? オルちん?」

「いえ、……ちょっと気になることがありまして」


 アークリーにそう返してリビングから廊下に出る。

 すぐ玄関へとつながっている廊下ではアウルスが片手と口を駆使して皮製のバッグの口をすぼめているところだった。

 彼が僕の姿を見て口に咥えていたバッグの皮紐を離した。


「オルレイウスどの、ゆっくりお休みになってください。どうせ、コルネリアの食事はまだ終わっていないのでしょう? それとも、彼女を置いて出発ですか?」


 立ち上がるアウルスを僕は手で制した。


「いえ。アウーさん、それよりも外が騒がしくありませんか?」

「外ですか? ……そう言われてみれば、いつもより騒がしいような気も致しますが?」


 アウルスがそのまま玄関の扉へと手を伸ばし、開け放つ。


 ざわざわと開拓村を駆けて行く人たちの姿。

 朝の食事どきの準備や作業に向かうときの気怠い喧騒とも違う、その様子。


 いつも作業前に携えているはずの斧や鉈は無く手ぶらの人も多いけれど、皮鎧を着て剣や槍なんかを携えている人もいる。

 そして、多くの人が北へと駆けて行く。

 少数の逆走する騎馬は武装した《騎士》だ。彼らが人々の間で大声でなにか呼びかけている。


「《ギレヌミア》が攻めて来た可能性がありますな。事情を聴いて参ります」


 そう言ってアウルスが駆け出した。

 《騎士》のひとりを捕まえて、なにか事情を聴いているようだ。

 僕もゆっくりと外へと歩み出し、ほかの人たちの喧騒に耳を澄ます。



「けが人はっ?!」

「大丈夫だ。魔術幕僚長閣下がすでに治癒を行ったとか」

「敵が近いぞ!」

「とうとう、攻めて来たのか?!」

「いや、違うらしい」


 ひとりの《騎士》がすぐ近くで大声を出していた。


「落ち着け! みな、それぞれの持ち場の什長のもとに行け! 什長は各員をまとめ、そののち中隊長の指示を待て!」



 ニックの仕掛けた奇襲の成否について言葉にする人がいない。

 奇襲はどうなったんだ? ……ニックが治癒を行ったということは、こちらにも被害が出たのか?

 ニックは無事だろうけど、どこにいるんだ?


 そんなふうに考えていると、アウルスがひとりの騎乗した《騎士》を伴って戻って来た。

 首のあたりから覗く《魔材》皮のベストの襟。その上から真新しい板金鎧を身に着けた《騎士》が僕の前にひらりと下馬した。その顔にはなんだか見覚えがある。

 彼はアウルスと並んで僕の前に立つと、少し膝を折って頭を下げた。


「いつぞやは助かりました。あの粥の味は生涯忘れることはないでしょう」

「……もしかして、カッシウスさん、ですか?」

「左様」


 微笑みをみせるカッシウス・エキテス・ライツがそこにいた。

 僕が麦粥を飲ませたときよりも肌艶が良くなっているし、ヒゲもキレイに剃っているから一瞬わからなかった。

 疲れが見えるけど、血色のいい顔は以前見たときよりもだいぶ若返っている。


「今は、確か騎兵隊の什長でしたよね? ……今回の奇襲にも参加していたのでは?」


 僕の言葉にカッシウスは頷いた。


 本人たちの希望もあって、アリオヴィスタスに解放された《モリーナ王国》の元・《騎士》たちはひとつの什隊を結成して、食客として参戦することになったとニックから聞かされていた。

 彼らの戦意は《ザントクリフ軍》の中でも飛び抜けて高い。

 なぜなら、まだ百名近い《モリーナ王国》の国民が奴隷として《ギレヌミア人》の陣にいるからだ。


「ちょうど、ニコラウスどのの命で貴方を探していたのです」

「ニック――父は無事なのですか?」

「かなりの深手を負われている。……早く参りましょう。さあ」


 カッシウスに手を引かれる。

 僕の後ろにいつのまにか馬を引いてきたアウルスが付き従う。そのアウルスをちょっと足を止めたカッシウスが振り返った。


「アウルスどのと言ったな? 君は持ち場に戻らないのか?」

「心配無用。この身の持ち場はニコラウス閣下とオルレイウスどのの元です」


 カッシウスがアウルスの吊ってある腕を見てから、僕を見る。

 僕は困ったような顔をして頷いた。ニックから直接言ってもらえば、アウルスも諦めるだろう。


「……そうか。しかし、その腕では騎乗できまい。徒歩では」


 そう言ったカッシウスの目の前で、アウルスが颯爽と馬の背に跳び乗って、僕に向かって無事な左手を差し出した。


「驚いたな……」

「アウーさんはこういう人ですので。とりあえす父の元に案内してもらえますか?」


 僕はアウルスの手首を掴みながら、そう言った。


「……心得ました」


 カッシウス・エキテス・ライツもまた、ゆっくりと自分の馬へと跨った。




「父の傷は? ほかの人の治癒を行ったということは、それほど深い傷ではないのでしょう? それに父ならば自分で傷を治せる」

「ご自分の傷よりも、ほかの者を優先して治しておられる!」


 《人馬とニコラウスの壁》伝いに西へと駆けながら、カッシウスと僕は大声で会話した。

 最初は、アウルスの腕を気遣っていたのか、ゆっくりと並足で駆けていたカッシウスも今はかなり速度を上げていた。


 流れる景色の中に続々と壁へと配置を完了する部隊の姿が溶けていた。

 彼らと壁の間を、カッシウスとアウルスが操る騎馬が駆け抜ける。


「父はどこにいるのですか?」

「この《人馬の壁》の西の終わりです!」


 カッシウスの返事に僕は少し首を捻った。

 この《人馬とニコラウスの壁》の西のほうは、アンリオスたちが築いた迷路があるから行き来できない。

 出入口には東側の壁の終わりと、街道の間が使われている。


 ニックが迷路を抜けるとも思えないし、そうなるとニックはわざわざ壁の東の終わりから入って、こっちまで駆けて来たことになる。


「ニックはほんとうにこっちで僕を待っているのですか?」

「ええ、なにかオルレイウスどのに重要な話がある、と! ……ほかの者には聞かれたくないご様子で!」


 なんだ? 《人馬》に関係することなら《人馬とニコラウスの壁》の向こうの森の中のほうがいいだろう。

 それとも、僕の考えている以上に《ギレヌミア人》が接近しているのか?

 なら、余計にあまり戦闘区域から離れるべきじゃないと思うのだけど。


 急に壁際に配置されている部隊がぱったりといなくなった。木々も若干その勢力を増す。

 《人馬とニコラウスの壁》の西側は防備が薄い。ここから攻められることを想定していないからだ。

 実戦で配置される予定の部隊もいない。


「……オルレイウスどの。あまり声を上げずにお聴きください」


 僕の背中でアウルスが手綱を繰りながら囁く。


「カッシウスという《騎士》は偽りを申しております」


 アウルスは断言した。


「どうして、そう思うのですか?」

「……向かう先へと続く足跡が多すぎるのです。どう考えても、八騎がこの先にいるはずです。……だが、ニコラウス閣下がほんとうに人払いを命じておられれば、さらに少ない人数に絞り込めるでしょう」


 なるほど。このあたりはあんまり作業員も入っていないから、雪がそのまま氷ついたようになって足跡もくっきり残っている。

 それにしても、重なり合った一条の足跡しか残っていないのになんでアウルスには人数までわかるのか。


「確かに八騎なのですか? それより多いことも、少ないこともない?」

「どんなに乗馬が巧みな者でも、前を走る馬とまったく同じ場所を己が馬に踏ませることはできません。ゆえに八騎の八種の足跡とカッシウスの操る一騎一種の往還跡がこの身には確と見えます」


 まじか。僕はその言葉を飲み込んだ。


「これも、この身が太子を護衛していた間に身についたものでございます」


 ストーカーゆえの《技能スキル》。そんな言葉も飲み込んだ。


「……いかが致しますか?」


 アウルスの問いかけに僕はちょっと考える。


「……このまま行きましょう。カッシウスが僕を騙しているとして、その動機が気になります。それに、ニックがほんとうに待っていないという保証はありません」

「畏まりました。……しかし、危ないとこの身が判じた場合は、オルレイウスどののお命を優先いたします。この一命に代えてお守りいたします、《義侠の神》の神名に誓って」


 アウルスが静かにそう言った。

 それを受けて、僕はちょっと驚きながら頷いた。



 アウルスは神の名に誓った。つまり、それは本気だということだ。

 神名に誓う行為は最上級の誓約だ。破れば神罰が下る。


 僕は今までアウルスが少なからずパフォーマンスで忠臣を装っているのだと思っていた。

 だって、彼は僕のことなんてほとんど知らないんだ。そんな相手に忠誠を尽くす理由なんて無い。

 でも、違った。


 アウルスは本気なんだ。命懸けで僕を守るつもりだ。


 僕は少しだけ悪寒を感じる。

 それはアウルスの変態っぽさに対する恐怖というよりは、僕自身の言葉に対する恐怖。


 アウルスのそれは、狂信や盲信に近い。

 だけど、考えてみれば戦争に参加する多くの人々に、それに類似したものは少なからず必要なのかもしれない。

 だって、少なくない数の犠牲者が出るのがこの戦争なのだから。


 ニックの考えた作戦でも少なくない《騎士》が死んでいる。

 でも、それにはある程度説明がつく。

 彼らが死ぬほど奮戦しなければ、彼らの家族が死ぬ可能性が高くなるからだ。

 特に子供や子孫が。


 そして、僕が言葉にする思考に従ってアウルスもまた同じように命を捨てるかもしれない。

 それとはまったく違った理由で。



『なにを怖れることがある? お前さんだって、そう変わりゃしないだろう、オルレイウス。《蛇》からすれば、お前も背後の男もおんなじように不自由さ』


 《蛇》が影の中でそう笑い声を上げたとき。

 先を行くカッシウスが手を挙げる。そして、彼の騎馬が速度を落としていく。

 続く僕の乗る馬の速度も、アウルスの手によって緩められる。


 やがて、カッシウスは《人馬とニコラウスの壁》が終わるところで馬を停めた。


 雪が吹き込んで積もった森の中。

 そこにはニックはいない。ただ、木立の間から二騎の《騎士》が姿を現した。


「……後ろも塞がれました」


 アウルスの囁きがほかの人間が僕らの背後に現れたことを教えていた。

 ゆっくりとカッシウス・エキテス・ライツが馬の手綱を引いて、その顔を僕へと向けた。


「オルレイウスどの。君には悪いが、少々ここで我々と共にいてもらおう」


 カッシウスは険しい顔で僕にそう言った。


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