第39話



「戦死者は《人馬ケンタウルス》を合わせても、二十八か。……上々と言うべきだろうな」


 夜の森閑とした森。

 夕飯の支度でざわめきが溢れる陣地から少し離れた暗がりでマルクス伯父がそう溢した。

 アンリオスからの報告を聴いたあとの所感だ。


 犠牲者は《ザントクリフ王国軍》が二十三人。《人馬》が今のところ五。

 《人馬》たちは散り散りに逃げたから、全て確認できたわけじゃない。もう少しだけ増えるかもしれない。

 そう姿を見せないままのアンリオスがしゃがれた声で言った。


「《ギレヌミア人》の損害はどの程度だと見る?」


 マルクス伯父が木の幹に話しかける。


「戦死者はそれほど多くなかろう。数百というところだろうが、彼奴らにニコラウス以上の《祈り》の使い手がいるとは思えぬ。これからも増えるだろう。重傷の者を含めれば千以上は脱落したと考える。……なにより、馬は酷く弱い生き物だ。かなりの数の騎馬を失っているだろう」


 木の幹の向こう側でアンリオスがそう言った。


 ずいぶん、簡単に人が数字で表されるものだ。

 そんなことを考えながら、僕は灯りに染まる《ザントクリフ王国軍》の陣地を見た。


 木立の間に点在する陣地。あちこちで盛大に火が焚かれ、実際に必要な数以上の簡易式のかまどが造られていた。

 かまどにかけられた鍋の多くでは、麦以外にも雪が融かされて煮られていた。

 炊煙を偽装するためだそうだ。


 こちらの兵数を多く見せたいのはわかる。

 でも、これじゃあ陣地の位置もすぐにわかってしまうじゃないか。


「伯父上? こんなに堂々と火や湯気を上げていていいのですか?」

「ニコラウスの献策だ。こちらの数を多く見せるのと同時に、なにか罠があるのではないかと警戒させることもできるそうだ。実際に、後続を率いているニコラウスは多少の罠を仕掛けているようだぞ」


 マルクス伯父は簡単にそう言った。

 それを聴いていたアンリオスが木の影から顔を覗かせる。


「なぜ、ニコラウスはここで彼奴を倒そうと思わぬのか? これほど優勢にことを運べておるのだぞ」


 確かにアンリオスの言うことにも一理ある。

 そもそも、ニックが大規模な《魔法》を幾度か使用すれば決着を見ることができそうな気もする。

 アンリオスに退却を強要した僕がそんなことを考えるのもなんだけど。


「この国に生きる者は余を含め、戦の経験など無い。あまりにひとつひとつの戦闘が長引けば、地力の差が出るとニコラウスは考えているようだ」


 加えて。マルクス伯父はそう前置きして続ける。


「そなたらといつまで協調していられるか、その保証もあるわけではない。ニコラウスの《魔法》とて万能ではないだろう」


 僕はマルクス伯父とアンリオスの顔を交互に窺った。

 にやけ顔をしているマルクス伯父。ぶすっとした表情を浮かべるアンリオス。


 そのアンリオスが尾を振って木の影の中に姿を隠す。


「……貴様はやはり気に食わん。同胞たちの後を追う。なにかあれば、あの場所にオルレイウスを寄越すがいい」


 そんなしゃがれ声を残して、アンリオスの蹄の音が夜の森の彼方へ遠ざかっていく。


 僕は思わずマルクス伯父を睨んだ。


「そう睨んでくれるな、オルレイウス。……まあ、座れ」


 伯父はそう言うと、もたれていた木の根元にそのまま腰掛けた。

 地味にマルクス伯父も負傷者の一員だった。



 マルクス伯父は、アリオヴィスタスの大剣を受けたときに右足に深手を負っていたらしい。

 すでにニックの《祈り》によって回復しているけれど、逃げている間にそれなりの血液を失ったらしく丸一日以上過ぎた今でも貧血気味なんだ。


 マルクス伯父だけじゃない。重傷者は全体の脚を重くするからニックの《祈り》を受けられたけれど、軽症者はそのまま。

 加えて、ニックの《祈り》でも状態が良くないかぎり切れた四肢をつなぎ合わすことはできないそうだ。

 死者は少ないけど軽症者や腕を喪ったとかの重傷者は少なくない。


 それでも《ギレヌミア人》と戦ってこれなら上出来なんだ。

 だって、先年の北方の戦いでは《ギレヌミア人》の数倍の犠牲者を出したのだから。


 おかげで、一昼夜走ったあとでもみんなの士気はそれなりに保たれている。

 雪がやんだことと温かい火が使えるというのも大きいのかもしれない。



「伯父上? 体調が優れないのでしたら、火にあたるべきでは?」


 ローブの長い裾を引きずって踏みながら歩いているから足許もそんなに冷えないけれど。

 夜の森は気温以上に冷え込んでいるような気がした。

 伯父の顔もいつもより赤い気がする。


 伯父は気の抜けたように笑う。


「余は王だ。《騎士》や諸侯らの前ではこのように座すこともままならん」


 そう言うと伯父は頭の上の王冠に手を伸ばして膝の上に置いた。

 そして、オレンジ色の瞳でそれを眺めて口を開いた。


「《人馬》の英傑・アンリオス。あやつがこの国に敵することはまずあるまい」

「……なら、どうしてあんなことを言ったのですか?」

「首領の質によって、群れの質も変わる」

「……伯父上は、アンリオスが……」


 その先の言葉は飲み込んだ。


「あやつは死にたがりだ。本来、首領には向かぬし、あやつが死ねば《人馬》がどう動くかは読めん」


 あっさりと僕が言いたくも聴きたくもなかったことをマルクス伯父は口にした。


「伯父上だって、その身を危険に晒したではないですか?」

「ときに避けられぬものがある。特に人物の真偽を見極めるときに余の耳目に代わる者は、そうは無い。……ニコラウスにはすでに負担を掛け過ぎておるしな」


 さて。

 そう言った伯父はひとつ思い出したように、立ったままの僕を見上げた。


「そなたは余に隠していることがあるだろう、オルレイウス」


 心臓が跳ねる。マルクス伯父の静かな瞳が僕の目を射ている。


 言うべき?

 ニックも黙っていたことを?


「……えー……」

「言いたくないのであれば、無理に言わんでもいい。……そなたの秘密など、余は興味が無いのだ」


 伯父はちょっと拗ねたみたいにそう言った。


「そなたは彼の《ギレヌミア人》と接触したのだろう? ……それに、ひょっとすると余と彼の者の会話も聴いて・・・おったのではないかな?」


 確かにアンリオスがアリオヴィスタスとの接敵についてはさらっと報告していたけど。

 会談のやりとりまで聴いていたとか言ってもいいものだろうか?


「…………えー、と」

「まあ、よい。……あれをどう見た? アリオヴィスタス・レックス・ギレヌミア・ハールデスと名乗った男を」


 マルクス伯父の問い。

 それは、どこか答え合わせを望んでいるような雰囲気。


 改めてアリオヴィスタスについて考える。

 彼の言動。《ギレヌミア人》の前の彼の姿と、マルクス伯父との会話から受けた印象。

 そして、得た結論。


「感想としては、……はしゃいで踊ってみんなを巻き込んでおきながら、自分だけ楽しんでない人……みたいな感じでしょうか?」

「なんだ、そのわかり易そうで今ひとつわかり難い喩えは? ……おかしなところばかりイルマに似おってからに……」


 マルクス伯父がかなりイヤそうな顔をする。

 なんだかちょっと心外だ。

 イルマの比喩は慣れればもの凄くわかりやすいのに。


「……想像していたよりもはるかに、なんというか、禁欲的? 加えて、完璧主義者のように思いました」

「ふむ。それは?」

「彼は、アンリオスに鍛えられたという事実を否認したいのではないでしょうか? 彼自身が理想とする王になるために」

「ほう」


 マルクス伯父が目を見開いて微笑んだ。

 ふと、僕は気になっていたことを思い出す。


「伯父上は、最初から彼の目的がアンリオスであることを承知しておられたのですか?」


 伯父は今度は鼻の頭にシワを寄せて笑う。ちょっとイルマに似てる。


「余を買い被るな。それがわかっておったら《人馬》と手を結んだかどうかはわからぬ」

「……それは、アンリオスたちをアリオヴィスタスに売り渡していただろう、ということですか?」


 思わずマルクス伯父を凝視してしまう。だけど、伯父は目を閉じてゆっくりと首を左右に振った。


「いや、アンリオスだけでも遠方へと追いやったろうな……」

「それは、どういう」

「ときに、オルレイウス」


 ふたたびマルクス伯父が僕の顔を見る。


「《ギレヌミア人》が《グリア人》のすべてを従えて、この《大陸》を席巻するという、あの男の言葉についてはどう思うた?」


 それはカッシウスから聞かされた情報。

 まあ、《大陸》を席巻するとは言ってなかったと思うけど。


「逆にお尋ねしますけど、伯父上はあれを演技以上のものだと考えておられるのですか?」


 しかし、マルクス伯父があの言葉を本気にしているとは思わなかった。

 だってどう考えても滅茶苦茶なんだもの。


「では、あの男の意望についてどこからどこまでが真実で、どこからどこまでが偽りだと?」

「……それは……」


 そう言われると困ってしまう。


 アリオヴィスタスがなりたいもの。王という地位。どこまでがほんとうで、どこまでがウソなのか。

 それは考えてみれば、少なからず不透明な部分でもある。


「……でも、あれはどう考えても実現不可能な妄想なのでは?」

「なぜ、実現不可能だと考えた?」


 マルクス伯父は僕になにを言わせたいのか。

 少しだけ考えて、口を開いた。


「現在、他民族間の混血や融和は進んでいないように思います。公用語の違いも含めて、文化的な違いも大きい。それに」

「それに?」

「多少の例外はあったとしても、《魔族戦争デモニマキア》期、千年以上も同じ陣営に属していた多くの人族が、たった百年で分かれて争っているのですから、共通の敵がいない今はなおのこと難しいのではないか、と……」

「だが、実現不可能とは言い切れまい」


 マルクス伯父の言葉に僕は首を横に振った。


「無理だと思います。身体的特徴や文化というものは再生産され続けます。よほど山や谷や深い森すら越えて、この《大陸》すべてを巻き込むような基底構造と共通の文化的基盤が整備されなければ、それらの差異は払拭されないでしょう」

「ふむ。……まるで、そのようなものを見て来たようだな」


 そう、それに近いものは見て来た。前世で。

 でも、それも完全なものでは無かったと思う。



 確かにこの世界にだってあることにはある。種族や民族間のくびきを超えてあらゆる場所で汎用性を持ちうる概念や説得力を持つ物が。

 それはたとえば経済活動や硬貨、そして穀物なんかの物質。

 だからこそ、それを理由のひとつとして商人たちはこの世界においても様々な場所で活動ができる。 


 アンリオスが考えたことは、実は商人たちの活動に似ていて、それに対抗するものだとも言える。


 特定の国家や民族の優位を保障し、ほかの民族や種族に対して強制力を発揮する線引きを破壊しよう――

 同時に、それがアンリオスが彼の弟子たちに与えた着想だったのだろう。


 大きなものを動かすには大きな力が要る。そこから先は単純な問題だ。

 大きな相手に対抗するためには、そこから弾かれたすべてのものを巻き込めるような求心力のある強力な事実解釈が必要とされるだろう。

 それが権威的な信仰や民族や種族ということになる。


 あるいは統一的な世界解釈。それが人族以外の種族を基準としたものか、人族を基準としたものかで世界の姿は大きく異なったものになる。

 そこにある種の経済的、あるいは流通に関する理由が混淆されると、単純で明確な差異はより強調されていく。

 それが信条や信仰を再生産したり、逆に宗教戦争が経済活動の余地を生んだりもする。


 僕の前世を鑑みても、種族や民族や信仰や信条というものはそれほど簡単なものではなかった。

 多様性ダイバーシティという概念も前世にはあったけど、それが国家や民族の思想や信条の隅々にまで浸透して、変革するレベルには至っていなかった。


 これまた単純な話だ。

 ある団体の物理的強度は、その団体を統制しうるだけの物質的な潤沢度や、精神的な規律の強度に由来する。

 たとえば全種族の最大幸福を願う集団があったとしても、ある特定の強力な信念に統制された民族や種族、国家に対して、抵抗力を発揮しうるとは限らない。


 そこから先は、経済力による競合や教育によって醸成される理想、武力も含めたそれらの複合的な――集団の力に依存することになるだろう。



「国家とは、ひとつの幻想的で私的な空間を維持する強力な装置だと思います。出て行こうとする人や物や形の無いものさえ選んで抑えて、入って来ようとする人や物や無形のものを濾して斥けようとする」

「ふむ。一理はある」


 マルクス伯父は僕に告げる。


「だが、それだけだ」

「……それだけ……ですか?」


 マルクス伯父が、突然、手許の王冠を僕に放って寄越す。

 慌ててキャッチした。ずいぶんぞんざいに扱うものだ。


「それはなんだと思う? オルレイウス」


 伯父は立ち上がってマントのお尻のあたりを払いながら、僕に尋ねる。

 僕の手の中の微妙な重さ。リング状の黄金の装飾品。


「王冠……王様が被る権威と権力の象徴、……ですよね?」

「違うな」

「は?」


 なにを言ってるんだろう、マルクス伯父は。


「それは単なる飾りだ」

「いや、わかっていますけど……それだけでは」

「オルレイウス、考えてもみるがいい」


 ゆっくりと厳めしく顔を作り直すマルクス伯父。


「《ザントクリフ王国》を人という点から見れば、その大多数は民だ。……農民が一番多かろうが、各種工房に所属する者も、商人もおれば、木こりも炭焼き職人もいる。墓守に掃除人。側用人に従士に書記などなど。そして、最後に《騎士》などの貴族がある」

「ええ、大まかには知っていますけど……?」

「大多数はごく慎ましい生活を送っている。たとえば農夫だ。初冬に種を蒔き、冬からは休むかまたは開墾などの季節柄の職を行い、夏に収穫し、晩夏から初冬に次の農地に手を入れる」

「ええ、ガイウスに教えてもらっていますけど……」


 そこで、ふと伯父は僕の手許に目を落とす。

 王冠だ。


「そのような者らに、誰がそれをかぶっているかなど関係があると思うか?」

「…………無いのですか?」

「なくは無い。だが、あれらに言わせれば王位など、そなたの手許の飾りと同じだ。誰かが頭に載せておればよい。そう考えている者も少なくなかろう」

「でも、王様には実際に権力がありますよね?」

「だが、王の政治手腕などやってみるまでわからんのだ。民に願われて即位する王など、そうはおるまい。百年にひとりいればいいほうだろう。むしろ、少数の諸侯に戴かれるのが世の常だ。引きずり降ろされるときもそんなものよ」


 つまり。マルクス伯父はそう言って続ける。


「民らにとっては習慣に影響が無ければ王など誰でも構わぬのだ。あるいは貴族にとってもそんなものだ。《魔族戦争》の終期に、レイア王家もそのようにして王位に即いたと聞き及ぶ」

「……でも、民兵のみんなの戦意は高いように思いますけど?」

「それは、そうだろう。誰も《ギレヌミア人》が統治を口にするとは考えておらん」


 そして、マルクス伯父は笑った。


「見知らぬ者は怖ろしく、それが強ければより恐ろしい。……民兵の間には《ギレヌミア》は赤子を食うなどという根も葉もない噂まであるそうな」


 マルクス伯父の朗らかな笑み。

 ふと、考えてしまう。


 《グリア人》が生産を担当し、《ギレヌミア人》が戦争を担当する。

 それは、かなり合理的な理想かもしれない、と。


 民族ごとの専業システムを導入できれば生産力と軍事力は飛躍的に向上する可能性もある。


 だけど、持続する民族意識や国家、あるいは政治思想というものは、経済的弱者や武力的弱者を守るための線引きだといってもいいのかもしれない。

 流通という、ひとつのインフラを平均化しようとする意志に抵抗して、弱者を守るためのもの。

 そもそも、どこかに弱みを持たない人間なんてものは、ほぼいないだろう。だからこそ、抵抗が産まれる。民族主義は再生産される。

 武力を取り上げられた《グリア人》は、きっと抵抗力さえ失ってしまう。


 でも、マルクス伯父の言葉が実情に即しているとすれば、マルクス伯父の頭からアリオヴィスタスの頭にこれ・・が移ったとしても、誰も気にもかけないかもしれない。

 アリオヴィスタスの野望。それが本当に現状に適しているのであれば。


「さあ、オルレイウス、余にそれを返すがいい。貴族諸侯に嘗められるからな」


 そう言ってマルクス伯父は、僕が差し出した王冠をかぶり直す。

 そして、歩き出そうとしてちょっとだけ僕を振り返った。


「……よく、アンリオスの手綱を引いた」


 仏頂面でそれだけ言うと、マルクス伯父はさっさと歩き出した。


 なんだかんだでこの人も僕には甘い。



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百九年、ザントクリフ王国歴千四百六十六年、トリニティスの月、十六夜


 夜陰に紛れて帰陣した。

 《ギレヌミア人》に大きな動きはないようだ。むしろ慎重に進軍している様子だ。


 すでにアンリオスたち《人馬》の健在は知られてしまった。

 アリオヴィスタスも毒槍にはそれほど効力が無いと悟ったころだろう。


 次はどのような手を打って来るか……。

 アンリオスが私たちと協調していても、一緒にいるとはアリオヴィスタスも考えてはいないはずだ。

 加えて、それでもアンリオスが一度手を組んだ相手を見捨てることが無いということも。


 ならば、《ギレヌミア人》の次の一手は……〉

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