第38話



――木立の間を、雪崩のように駆け下る《ザントクリフ王国軍》。

 数百名の《騎士》たちが、《ギレヌミア人》に殺到する。


「アンリオス、行きましょう!」

「北へと旋回する! 移動しつつ、撃滅せよ! 構え、放て!」


 呼応して、アンリオスの号令。足を止めていた《人馬》たちの背後を通り、北側に躍り出て、アンリオスは彼らを導く。

 西側と東側からの挟撃。《ギレヌミア人》は混乱を来している。


 さらに、南から新たな喚声。

 おそらく、ニックが百名の近衛うちいくらかを率いて反転したんだ。


 三方からの攻撃に、《ギレヌミア人》たちの顔に動揺が走ったのがわかった。

 最初に西側に姿を現した僕らに向かって駆け出していた《ギレヌミア人》は、北へと弓を弾きながら移動する《人馬》を追うか、東と南の《ザントクリフ軍》に向かうか躊躇している。


 アンリオスに率いられた《人馬》たちが、北へと向かえば、森に入った《ギレヌミア人》は逆走して追わなければならない。

 だけど、今一番彼らに接近しているのは東側の《ザントクリフ軍》の伏兵で、一方、戦略的な第一目標は南にいるマルクス伯父。



 これが、ニックが想定していた第四段階。

 それなりに鍛えられた《ザントクリフ軍》の精鋭とはいえ、真正面から《ギレヌミア人》と打ち合えば、あっと言う間に壊滅してしまうだろう。

 だけど、《ギレヌミア人》を誘き寄せて分断できれば、数人対一人の状況を作り出せる。


 だから、まずマルクス伯父自身を餌に《ギレヌミア人》を森の中へと誘い込む。

 藪を切り拓いた進軍路がそれなりの広さだと言っても、それを抜ける《ギレヌミア人》たちが横列で一斉に進軍できるわけがない。

 そうすると、進軍路に殺到した《ギレヌミア人》の陣形は、逃げるマルクス伯父を追って細長くなる。


 そこをニックが《魔法》で強引に切り裂き、勢いを殺す。

 そして、アンリオスと僕がもっとも足の速い《人馬》たちを率いて、長く伸びた《ギレヌミア人》たちの横腹へ攻撃を加える。

 南北に細長く展開し、ニックの《魔法》によって分断されてしまった《ギレヌミア人》は、マルクス伯父を追う者と、《人馬》部隊に対応する者に分かれてしまう。


 さらにその上、《人馬》部隊に向かって駆け出した《ギレヌミア人》の背後を、東側から襲う《ザントクリフ軍》。

 同時に馬首を返す南の近衛隊数十名。



 そう、分断された上に包囲された《ギレヌミア人》には、一つの目標に対しての一斉突撃など不可能だ。

 だから今、彼ら《ギレヌミア人》の顔には、笑いではなくて不快げな迷惑顔が浮かんでいる。


 《ギレヌミア人》は強い。だけどその強さが最大限に発揮されるのは、本来ばらばらのはずの彼らが、一斉にひとつの目標に向かったときだ。

 単純な行為に規定された彼らほど強く、規定が崩壊したりすると、彼らは一気に無秩序な行動に走る。

 具体的には、勝手にそれぞれに敵を探し出す。


 そうなった彼らは、それなりに与しやすいそうだ。個々の武力は確かに厄介だけど、それは点の攻撃であって、面の攻撃じゃない。

 ひとりの怪力男の蛮勇に近く、徒党の強さではない――



 彼らのある者は動きを止め、ある者はいろいろな方向へと視線を向け、そして、ある者は委細かまわずそのまま近場の《ザントクリフ軍》や《人馬》に突撃を敢行する。

 そして、囲い込まれて、矢を射込まれて、だんだんと倒れていく。

 彼らがばらばらに活動してくれれば、こちらも各個撃破をし易い。


「そろそろ、《ギレヌミア人》の戦意が挫けるぞ」


 アンリオスが弓を弾きながら高らかに言った。

 《人馬》たちは坂の上を縦列に駆け、木々を避けながら、《ギレヌミア人》を射ていく。

 速射の回転はかなり落ちるけれど、単独行動に走って近寄って来る少数の《ギレヌミア人》なら十分に撃破できる。



 ニックの言っていた通りだ。彼ら《ギレヌミア人》は強いけど、追い詰められたりして個々に判断を任せられると、大勢の仲間と協力することはあまり得意ではない。

 彼らには軍制と言えるものは無いし、指揮系統も判然としていないことが多い。指揮官や大目標を失えば、あっと言う間に個人個人になってしまう。

 チームプレーの精神は彼らには、ほぼ無い。


 仲間と協力はしないけど、負けず嫌いな彼らは周囲に漂う敗勢を嗅ぎ取るのも早い。

 そうすると、負けたくないから引け腰になる。……彼らの場合、自分が生きてさえいれば、基本、勝利なのだそうだ。



 迷いとともに、いくらかの《ギレヌミア人》が来た道を北へと逆走し始める。撤退だ。

 ひとりが逃げれば、その様子にもうひとりが踵を返す。南へ向かおうとする《ギレヌミア人》と、北へ逃げようとする《ギレヌミア人》がぶつかって、仲違いさえし始める。


 彼らが望むものは強敵と、なによりもそんな敵を屈服させて得られる、自分の手で掴み取る勝利なんだ。

 だから、生存確率が低いと判断すれば、恥も外聞も無く逃げる。


「見るがよい、オルレイウス。技に秀で、あれほど強い《ギレヌミア》が崩れるぞ。……彼らの最大の弱みとは、すなわち、大きな誇りに殉ずるよりも己の生命を拾うことよ!」

「……それは同時に、生き物としてはひとつの強みでもあるのでしょうけど……」


 僕の答えが気に入らなかったのか、アンリオスはひとつ鼻を鳴らして矢を放った。

 それが、向かって来るひとりの《ギレヌミア人》の頭部を貫いた――



 指揮官が森の中にいれば状況は違っただろうけど、彼らは氏族長以外は基本並列の関係だ。

 それを見越してニックは《植物魔法》の《拘束魔法》で、アリオヴィスタスだけを縛ったんだと思う。



「備えよ、オルレイウス。いよいよ、貴様の出番だ」

「ちょっとだけ、上体を動かさないでくださいアンリオス」


 僕は、アンリオスの人間の体のお腹あたりに巻いてあるローブの袖の結び目を解こうとする。

 馬体が揺れるせいであんまりうまくいかないけれど、これを着ないとニックの最終戦術に支障が出る。



 ニックの計画の最終段階。

 それは、《ギレヌミア人》の進軍路を《人馬》部隊が抑えるというもの。

 そうすれば、森に入った《ギレヌミア人》に壊滅的な打撃を与えることが可能。


 《人馬》部隊は南北から《ギレヌミア人》の挟撃を受ける形になるけど、僕が《魔法》で進軍路を塞いで、それでも通って来るような《ギレヌミア人》をアンリオスが倒せば、確保は難しくないと、ニックは言っていた。

 ただし、ニックによって僕の体に描かれた《攻撃魔法》は、単体攻撃に使用できるようには、描かれていない。

 加えて、《ギレヌミア人》なら僕の使う広範囲の《攻撃魔法》にも十中八九耐えるから、地形を変えるのに使いなさい、と指示を受けている。



「慌てるな、既に大勢は決している。《ギレヌミア》の攻撃には力が無い。森に侵入したは、騎馬の三分の二ほどだろう。少なくとも、その半ばは倒れたぞ」

「それは、千人近くの《ギレヌミア人》が死んだ、ということですか?」


 僕は、愕然として顔を上げた。

 だけど、アンリオスは横顔で、冷ややかな声で応える。


「死したとは限らぬ。だが、我らは彼奴らのためにそれ以上の同胞を喪っている」


 そして、また大きな弓を引き絞り、打ち出した。

 彼のえびらに残された矢の本数も少なくなって来ている。

 もうすぐ、棍棒での白兵戦になるだろう。



 アンリオスが言うように、ニックからは予め言われていた。

 《ザントクリフ軍》の手である程度、《ギレヌミア人》にダメージを与えられれば今回は成功だ、と。

 だから、進軍路の制圧は必ずしも必要じゃないし、無理をしてはいけない、と。


 退却のときは、アンリオスが鏑矢のような、高い音の鳴る矢を空に打ち上げることになっている。

 それを合図に、全軍が退却に移るんだ。退却時には、最後尾の《人馬》と《ザントクリフ王国軍》が入れ替わり、ニックが殿しんがりの指揮を務めることになっている。

 そもそも、ニックは最初から《ギレヌミア人》を全滅させてしまうつもりも無いらしい。というか、こちらの戦力だと一戦で《ギレヌミア人》の壊滅させることはほぼ不可能なのだそうだ。



 僕は手許から視線を移し、アンリオスが跳びながら避ける木立の向こうを透かし見る。

 刺々しく枝を伸ばして絡ませた、《グリア人》の背丈の倍程度の高さの、葉を落とした密林。藪が近い。


 アンリオスと彼に率いられた《人馬》部隊は、南北に伸びた《ギレヌミア人》と一定の距離を保ちながら、その北の藪を目指す。

 アンリオスが進路を変える。北へと緩やかな足取りで向かっていた《人馬》の群れが、藪の手前で直角に東へと折れる。


 向かう先では、逆走する《ギレヌミア人》と森に入る《ギレヌミア人》が押し合い圧し合い、大混乱が起きていた。

 互いに罵り合い、剣すらを振るう者。枯れ枝の低木に突っ込んでいる者もいるし、こちらを見て挑んで来る者もいる。

 森と藪の境目あたりに溢れる《ギレヌミア人》たち。こちらに向かって来るひとりが、アンリオスの大気を切り裂く矢に射貫かれて落馬した。


「矢が残っている者は、森の狭間に向けて注ぎ込め! ほかは棍棒に持ち替え、我に続くがよい! ……ゆくぞ、同胞!!」


 だが、アンリオスがベルトから棍棒を抜いて高らかに宣言した次の瞬間、僕らが目指すべき進軍路の終わりにひとつの異変が起こった。

 騎乗しながら逃げようとして仲間と争っていたひとりの《ギレヌミア人》の、その乗騎が潰れた――


「停止!!」


 アンリオスが棍棒を持った腕を横に伸ばして、後続の《人馬》たちを制する。

 こちらに向かって来ていた複数の《ギレヌミア人》も動きを止め、そちらを振り返っていた。


 潰れた乗騎――それは、頭部を縦に斬り割られ、膝砕けに地上に転がっていた。

 そこから落馬した《ギレヌミア人》の、その頭が森中に響き渡りそうな音を立てて、叩き潰された。

 飛び散る血。まるで赤い花でも咲いたみたい。絶命は明らかだった。


 叩き潰した物体は、厚い鉄板のような大剣の腹。馬の頭部を縦に割ったそれだ。



「逃げるというかっ!? 《ギレヌミア》の同胞、地上最強の民がっ!!」


――威しにも似た、鼓舞の声。《ギレヌミア語》のそれ。

 挑発のような激励。


――アリオヴィスタス・レックス・ギレヌミア・ハールデス。

 ニックの《魔法》に乗騎ごと縛られていたはずの彼が、藪の中から姿を現していた。


 アリオヴィスタスの激励を受けた、《ギレヌミア人》たちの半裸の体がふたたび上気していくのがわかる。

 そして、そのどの顔にも、荒々しくも無邪気な笑みが戻っていく。


 がちっ、とアンリオスの口から歯が欠けそうな音が漏れる。


 大剣の切っ先が梢と雪の向こう側からこちら――アンリオスへと向けられる。

 それに合わせて、数十メートル先に屯していた《ギレヌミア人》の視線がこちらへと向けられた。


「――まずは、あの臆病で、狡賢く、この地上から死滅すべき種族、《人馬》を仕留め、力と気概を示すがいいっ!!」

「《ギレヌミア王》! 《グリア人》はいいのか?」


 ひとりの《ギレヌミア人》の問いに、アリオヴィスタスは嗤った。


「惰弱な《グリア人》など、いかようにも料理できる! 勇士に相応しい獲物から狩るがよい!」

「がぁーはっはっ!」


 こちらに向けられた青い瞳に爛々とした光が灯る。

 逃げていたのがウソみたいに、《ギレヌミア人》全体の戦意がこちらに注がれる。

 そして、アリオヴィスタスが大剣を振り上げた。


「神々も天覧されておる! そして、《ギレヌミア》の狂猛に地を支える《戦の神》が祝福を下される!」


 アリオヴィスタスに向かって、周囲の《ギレヌミア人》たちが口々に熱を帯びた口吻を飛ばす。

 《人馬》たちの矢は、もうほとんど残ってない。彼らの熱狂に水を差せない。


「王! 合図だ、合図をくれ!!」

「そうだ! 号令を寄越せ!」

「殺させろ! 六つ肢どもをぉっ!!」


 野次のような待望の声。

 僕はアンリオスに耳打ちする。


「撤退です。アンリオス」


 アンリオスは応えずに、ただひとりの男を凝視している。


「アンリオス!」


 僕の声にアンリオス応えない。

 その視線の先、アリオヴィスタスの顔に微笑が浮かんだ。


「――《ギレヌミア》の伝承通り、より多く、より強い者を殺した者は、さらに強く生まれ変わる!! さあ、示せ! ときを上げ、殺戮せよ!!」

「――オオオオオオオオオォ!!」


 振り下ろされる大剣。気勢を上げて、駆けだす《ギレヌミア人》。彼らを割るようにアリオヴィスタスもまた馬を駆っている。

 それとは、対照的にアンリオスは沈黙して肩を震わせ、《人馬》たちがいななきのような声をあげる。



「……アリオヴィスタス……っ!」


 殺到する《ギレヌミア人》を前に、歯ぎしりと共にアンリオスが呟いた。

 掲げられそうになるアンリオスの棍棒を持った右手を、僕は掴んで止める。

 アンリオスが髭面をゆがませて僕を振り返った。


「離すがいい、オルレイウス!! これは千載一遇の機会だっ!! 彼奴が我が腕の届く場所にいる!!」


 アンリオスは僕の手を振り解こうとするけど、全裸の僕の力は、僕に気を遣うアンリオスの腕力よりは強い。


「いいえ、アンリオス。中止です。彼は、貴方をここで殺すつもりなんです」

「――そう、事が運ぶとは限らぬということ、思い知らせてくれる!!」

「ダメです」


 僕らの眼前では、僕らが南から引き連れて来た者や、逃げて来た者、そしてアリオヴィスタスが新しく率いてきた《ギレヌミア人》が木立の隙間を埋めている。

 重い風切り音と伴に飛来したものを、アンリオスが棍棒で払い、僕が長剣によって斬り落した。

 僕が握った剣の柄が震え、手が痺れるほどの威力。

 投槍。多数のそれが《人馬》たちに向けて飛来している。いななくような悲鳴が、《人馬》たちから上がる。


「アンリオス!! 僕はみんなを死なせるつもりはありません!!」


 ここにいる《ギレヌミア人》の総数は、どう考えても《人馬》たちよりも多い。歩兵も合わせれば倍以上だ。

 傷も忘れて笑いながら駆ける狂気の《戦士》。

 素人の僕が見たって分が悪い。


「オルレイウス、貴様は降りて逃げるがいい。――我が手によって、禍根を狩る!」


 後ろ足を跳ね上げて、僕を振り落とそうとするアンリオス。だけど、僕はしっかり彼の馬体にしがみつく。

 必死に彼のたてがみを握って、浮き上がりそうになる体を抑え込む。


「どうした?! 《人馬》ども! そなたらに栄誉を誇る魂があるならば、余の首を狙ってみるがいい!!」


 挑発を重ねるアリオヴィスタスの嘲弄。

 彼はアンリオスを誘い込むつもりだ。


「よかろう!! 恥知らずはどちらか、思い知らせてくれる!!」


 駆けだそうとするアンリオスの背に膝立ちになり、首に腕を巻き付けて、僕は彼の耳元で囁く。

 もう、時間が無い。


「……この場で大声で、貴方の失敗を言いますよ?」


 アンリオスが固まった。

 僕が馬体にまたがり直すと、首だけで僕を振り返り、またアリオヴィスタスを見て、そして身震いすると四つの踵を返した。


「――憶えておれ、子供っ……退却だ! 同胞!!」


 彼の背中でひとつ頷いた僕は、後ろ向きにアンリオスの馬体に腰掛ける。

 アンリオスへと迫る投げ槍を、またひとつ斬り落した。


殿しんがりは、我に任せよ! 西へと散って駆けよ! 落ち合う場所は我らが棲み家だ!!」


 《人馬》たちが一斉に駆け出した。


「武運を、頭領!」


 ひとりの《人馬》からかけられた言葉に、アンリオスは頷くと、えびらから最後の矢を引き抜くと、大弓につがえて空を射る。

 甲高い音が、梢の上から森全体へと降り注ぐ。


「ゆくぞ! オルレイウス!! 振り落とされるなよ!!」

「急いでください、アンリオス」


 騎馬の《ギレヌミア人》が既に、僕らの目前に迫っている。

 その距離は十メートルを切っている。彼らが槍を肩に担ぎ上げていた。投擲――


 アンリオスの体が跳ね上がる。長い尾がなびいて円を描き、アンリオスが右手に持った棍棒が回る。

 その場で、アンリオスの四つの蹄がステップを踏む。アンリオスの棍棒が体ごと三百六十度、木立を器用に回避しながら躍った。

 すべての投げ槍が、一挙動で叩き落される。


 腰の剣を抜き放つ《ギレヌミア人》。その頭が、南へとひとつ跳ねたアンリオスの棍棒に撫でられて回転する。

 馬体の脚力と、強力な人の腕。それが一体に集約されて振るわれる一撃だ。

 《ギレヌミア人》の首があり得ない方向へと回っていた。


 落馬する彼を置き去りに、アンリオスは駆け出す。

 これまで以上の速度で、森の景色が流れていく。



「槍を構えよ、同胞! あの《人馬》は強いぞ!!」


 自身も大剣を左手に持ち替え、徒歩で従う従士から槍を受け取ったアリオヴィスタスの号令。

 《人馬》たちに向かっていた《ギレヌミア人》の多くが、その声に反応してアンリオスへと槍を構える。


「アンリオス。背中は僕に任せてください」


 アンリオスがひとつ鼻を鳴らした。

 彼も、全裸の僕の実力はある程度知っている。


「放てえっ!!」


 数十の投槍が、森の葉叢はむらを打って、僕とアンリオスへと向かって来る。

 当たりそうなのは二十本強。うち、アンリオスの後ろ足を狙った三本ほどが問題か。


 僕はアンリオスの背中に立ち上がり、深く息を吸い、そして、細く吐き出しながら動き出した。

 槍の先端に横から衝撃与える。軽く触れるだけでいい。

 一本、二本、三本。


 弾いた三本目。その回転する柄を左手で掴む。

 回る。慣性が利いてるから、その場で跳びあがっても着地点には、アンリオスの背中がある。



――イルマの教えを思い出す。

 イルマは僕に教えてくれた。体の各部は別々に動くものだ、と。

 それはもちろん当然だ。 脚だって、腕だって別々に動く。

 でも、イルマが僕に実地で教えてくれたことはもう少しだけ深い。体の中心へと潜る深さ。


 脚が蓄えたエネルギーを受け取る腰。でも、そこには厳密には骨盤、仙骨、そして五個の腰椎がある。

 イルマが実地で教えてくれたこと。それはそれらにつながる筋肉を動かすということ。


 そう、イルマは自分の体の筋肉を見事に従えていた。

 イルマを装備するように一緒に動いて初めて知ったことだ。背骨も、肋骨すらも自分の意志で動かせるということは。

 背骨は構造上、横へのひねりに強いけど、前後にだって動かなくはない。


 イルマがそれをどこまで自覚していたかはわからない。

 でも、エネルギーを殺さずに各骨につながる筋肉によって増幅させることを、ごく自然にやっていた。

 だからこそ、イルマの体はしなやかな動きが可能だった。ネコ並みの柔軟性。



 そして、全裸の僕も、イルマと同等の柔軟性を発揮できる。



――背骨のひとつひとつを意識しろ。

 六番目の胸椎から下三つを右へと捻れ。

 肺の空気を吐き出し、捻転。肺が膨らんでいると体の動きが鈍る。

 右手に持った剣で上空から迫る三本の投げ槍を斬る。左手に確保した槍でアンリオスの足へと飛来する二本を叩く。


 アンリオスの馬体の腰を右足裏で優しく蹴る。

 足関節から足首、膝を通って股関節へ。そのわずかなエネルギーを増幅し、方向を腰椎で調整する。

 椎間板が悲鳴を上げないように逆回転のエネルギーを腰椎と胸椎の半ばあたりの筋肉を上下左右に動かして殺す。


 緊張から弛緩へ。そして緊張。

 絡めとる。第一、第二胸椎と、頸椎の終わりで肩の動きを調整。肩甲骨につながる僕の腕がぬるりと動く。

 それに連動した左手の槍が、さらに三本の投げ槍を円運動と共に叩き落す。

 右腕の剣が二本の飛来する槍を左腕とは逆回転で斬り落す。


 そのまま崩れてアンリオスの馬体の背に寝るように、足に迫る一本をリーチの長い左手の槍で叩き、右手の剣でアンリオスのたてがみに触れようとする二本の槍を逸らす。

 肋骨と腹筋を駆使して跳び起きて、アンリオスの後頭部に迫る四本を斬って、槍で叩く。

 そして、残りの迫った二本を腕の力だけで槍と剣で絡め、両脇で受け止めた――



「――なんだ! あれは?! 《グリア人》か?!」

「ぜんぶ、止めたっ!?」

「子供? ばかな?!」


 言い交す《ギレヌミア人》の声。


「……アンリオス。……なにを乗せている……」


 僕の耳がその呟きを拾った。

 その呟きを溢した男と目が合った。

――まだ、投げ槍を構えたままのアリオヴィスタス・レックス・ギレヌミア・ハールデス。


 十数メートル後ろを追って来る彼も、ほの暗い森の陰翳をかざして、確かに僕を見つめていた。

 そのアリオヴィスタスが息を細く吐き出したのがわかった。


 来る。

 引かれる肩。捻られる腰。右手に掲げられた槍が彼の体に隠れる。背筋がみしみしいっているのが聞こえそう。


 爆ぜるように戻るアリオヴィスタスの上体。

 ほかの《ギレヌミア人》の投げ槍とは明らかに違う勢い。


 びょうっ。そんな音がする。まっすぐに僕の体の中央をめがけて走る槍。

 速い。もう、着弾する――


 僕は両脇の二本の槍を捨てて、剣を振るう。

 槍の穂先に添うように、長剣の形を利用する。イルマに剣戟を逸らされたときみたいに。

 衝撃は一瞬。長剣の厚みを撫でて、アリオヴィスタスの投げ槍が左後方へと消えていく。


 がつん。そんな音がして、僕の左手を流れていく太い木の幹を貫通したそれが見えた。


「ばかなっ!!」


 多くの《ギレヌミア人》からそんな声が上がった。

 アリオヴィスタス自身も、驚愕の顔を浮かべている。


 いや、それはこちらのセリフと表情だ。

 大木の幹を貫通する投げ槍ってなんだ? アンリオスはどうやって彼を鍛えた?

 アンリオスがひとつ鼻を鳴らした。


「……オルレイウス。槍を返してやれ……」


……あんまり投擲はしたことないけど。

 僕は剣と槍を持った手を持ち替えた。右手には一本の投げ槍。


 アンリオスの人体の腰あたりに右足を付け、左足で馬体の腰あたりを踏む。


「アンリオス。僕の右足を掴んでいてもらえると助かります」

「ふん。……彼奴の息の根を止めるなよ……」


 そう言ってアンリオスが、後ろ手に僕の右足首を握る。


「知っているでしょう? 僕は誰も殺さない」


 ふたたびアンリオスが鼻を鳴らした。

 それを合図に、僕は腰を切る。腰椎から胸椎、そして、肩甲骨。

 頸椎の上に乗った頭を振る。


 まあ、上手くいかなくても嚇し程度になればいい。そんな気持ちで僕は投げる。

 投げ槍が僕の手を離れる。最後まで指を添えて、フォロースルーもできるだけ整えて。


――ばうっ。


 なにか、投擲音らしからぬ音が響く。

 顔を上げると、槍が寝た状態で飛んでいくのが見えた。

 しまった。最後に指で押しすぎた。


 咄嗟に手綱を引くアリオヴィスタス。彼の右側の《ギレヌミア人》の騎馬の前脚の足許あたりに僕の投げた槍が当たる。

 その馬が乗り手ごと前転した。大きな馬体が後ろ足から跳ね上がる。馬が倒立し、後続を巻き込んで横転する。



――予想外の大惨事。

 大きな玉突き事故が起こってしまった……。




「『――優しきとばりの女王よ。詩い手、《陽の神》の名にかけて、我に力を与えたまえ。かの《こだまの女精霊ニンフ》のごとく、すべての声を重ねよ!』」



 また南のほうから、ニックのかすかな声。

 それをきっかけに、森のあちこち、《ギレヌミア人》たちを囲むように《人馬》と《ザントクリフ軍》の喚声が大ボリュームで聞こえた。


「――イュリイュリイュリイュリ……」

「突撃ぃ――っ!! おおおおぉ!!」


 九人の《魔法使い》が仕掛けて、ニックが発動させた《音魔法》、《こだま魔法》。

 もっとも大きな音を記憶して、発して返す《魔法》。



「止まれ!!」


 アリオヴィスタスが手を挙げて、後続の《ギレヌミア人》たちを押しとどめる。さらなる伏兵を警戒しているんだ。

 速度を落としたアリオヴィスタスが、だんだん森の影の中に消えていく。



「……全裸、……だと……?」


 アリオヴィスタスの小さな呟きを僕の耳が拾っていた。

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