第37話



「――《ザントクリフ王》は、《人馬ケンタウルス》にたぶらかされておる! 既に、彼は人族の敵だ! 討ち果たせ!」


 アリオヴィスタスの絶叫と、それに応じる《ギレヌミア人》の喚声。

 そして、馬を駆るその足音。

 僕の耳が、それらすべてを拾っていた。



「アンリオス。《ギレヌミア人》が動き出しました」


 アンリオスは、背中からかけられた僕の報告に鼻を鳴らし、後ろ手に預けていた剣を差し出してくれる。それを受け取って、僕はしっかりと握りしめた。

 彼自身の装備は、左手に携えた大弓と、人体の背中のえびら、そして、馬体の前肢あたりにベルトで太い棍棒が吊るされている。今はさらに、僕のローブをその上から巻いている。

 アンリオスは曇天と梢によってほの暗く染まる森を跳ねる。


 この森は起伏が激しい。

 背の高い木々に蔽われた森は、上から見れば広範囲を見渡せたけれど、木から下りてしまうと木立と大小の隆起と窪地によって、僕の視力といえども見通せる範囲はかなり狭い。

 しかし、アンリオスは迷わずに《人馬》の埋伏地点を目指していく。


 この森が《ギレヌミア人》の侵攻を阻んでいた理由のひとつは、この複雑な地形にあったのだろう。

 霜の立った滑りやすい斜面を駆け下り、凍りついた沢を跳ね越えるアンリオス。


 体が浮き上がる。

 アンリオスのえびらの皮紐に腕を通して、振り落とされないように馬体に腹這いになった。


「我らが手を組んだこと、まこと知られておらなんだか?」

「そのようですね……」

「――ならば、なぜ、彼奴めは仲間にさえも偽ったのだ?!」


 今度は小さな隆起を駆け登って、アンリオスは噛みしめた歯の隙間からそんな声を漏らした。


「ですから、それはきっと、戦後のための大義名分を……」

「そこではない! 志を同じくするならば、腹を割るべきだろう!」

「アンリオスだって、彼の父親と共に《ギレヌミア人》たちに対して自分の存在を隠していたではないですか?」

「ウソはついておらぬ! それに、ときに必要な方便もある! ……だが、彼奴めのそれは、まったく要らぬものだ!! 数年も我らを追い回しながら、なぜ、目的を偽るのだ!!」


 後方へと流れ去り、木立を吹き抜ける風雪。それがアンリオスの吐き出した思いも、浚っていく。

 理解不能。その思いを。


 彼にとっては、きっと、アリオヴィスタスこそが想像の及ばない怪物なんだ。

 人族にとっての《人馬》がそうであるように。


「確かに《ザントクリフ王国》を手中に収めたいならば、大義は必要だろう! だが、なぜ回りくどい方法で、彼奴めの目的が我ら《人馬》にあることを同胞にまで偽る必要がある!?」

「アンリオス。落ち着いてください」

「人族すべての王になるなどと、過分にして、己がためだけの欲望を満たすために、父とその血に継ぐべき誇りを否定した彼奴が、王たる者が誇る臣下の忠烈にまで叛いて、なにをしようというのかっ!! ……我が教えを受けた者が、なにゆえ、未だ不義を働くのだっ!! 《ギレヌミア人》どもはなぜ、そんな者に従うというのだっ!!」


 荒々しく鼻を鳴らし、白い息と共に弟子とそれに従う《ギレヌミア人》への不快感を吐露するアンリオス。

 でも、僕にはようやく彼の弟子――アリオヴィスタスという男がわかり始めたような気がする。


「……それが、大義とは関係の無い、私事だからでは……?」

「……私事、だと? ……どういうことだ?」


 アンリオスが戸惑いの声を上げた。

 僕は、マルクス伯父とアリオヴィスタスの会話を思い出していた。

 たぶん、マルクス伯父の言葉がなければ気づけなかった。


「……アリオヴィスタスは、たぶん、仲間には、自分が神々から選ばれた王に相応しい人物である、そう言っているのでしょう。王にふさわしい力を持っている、と。おそらく、彼自身もそう思っている」


 アンリオスが不機嫌そうに鼻を鳴らすけど、構わずに続ける。


「彼の大義名分は、《ギレヌミア王》として、同時に人族の王として、人族を統治して人族の敵を討つことなのでしょう。……でも、おそらく、実際の彼の思いは少しだけ違う」

「なにが、違うというのだ? ……だからこそ、彼奴めは己が父まで手にかけたのではないのか?!」

「……たぶんですけど、彼は、貴方をこそ殺したいんだ、アンリオス……」

「なぜだ!」


 飛ぶように森を駆け抜けるアンリオスの脚。その瞬間、彼の脚がひと際強く地を叩いた。

 小さな沢が、眼下に見える。浮かび上がる体を、アンリオスの人の腰を掴んで支える。

 彼の足取りは、どこか地面に怒りをぶつけているようにも思えた。


 着地。今度はなだらかな坂を、木立を避けてジグザグに駆けるアンリオス。

 そのリズムに乗りながら僕は続ける。


「考えてもみてください、アンリオス。……人族の敵はなにも《人馬》だけじゃない。そこらへんにいる《魔獣モンストゥルム》だって敵だ。でも、彼は貴方を執拗に追っている」

「我らのほうが手強いからだろう!」

「違いますよ、アンリオス。……彼が、神々から与えられたと言っているもの。そのほとんどが、貴方に鍛えられたものだからです」

「……どういうことだ……?」


 アンリオスの足並みが緩んだ。

 そして、彼は僕を振り返る。


「……後にしましょう、アンリオス。……敵も近いです……」

「……よかろう」


 アンリオスが僕の言葉に頷いた。

 僕の耳が、平野部から坂を駆けあがり、森の進軍路へと突撃する《ギレヌミア人》の声と馬の足音を拾っていた。

 これだけの音だ、きっとアンリオスもすでに聞き取っているだろう。

 雪崩のように、あるいは屋根を打つ雨音のように、彼らの喚声と地面を踏み鳴らす音が限りなく続いている。


 その音に耳を澄まし、アンリオスにかけた言葉とは裏腹に、僕はアリオヴィスタスのことを考え続けていた。




 アリオヴィスタス・レックス・ギレヌミア・ハールデス。

 一般的に、《ギレヌミア人》は名乗るとき、家名を使わない。だから、ハールデスというのは、彼の氏族名なのだろう。


 父親に挑んで殺して氏族長となり、《ギレヌミア人》九氏族を率いて《モリーナ王国》を攻撃した男。

 そして、アンリオスに育てられながら彼を裏切り、《人馬》を執拗に追い続ける男。

 おそらくは、王になるという目的に憑りつかれている男。

 なにより、尊大にして残虐な男。


 それらが、ほんの少し前まで僕が彼に対して抱いていたイメージだった。

 でも、もしかしたら、彼は僕が考えていたような人間ではないのかもしれない。


……アリオヴィスタスが、ネシア・セビに対して《ザントクリフ王国》を攻撃するための大義を捏造したのには、いくつか理由があるだろう。

 けど、その一つには《ザントクリフ王》に《ギレヌミア》に寝返られては困るから、というものが必ずあったはずだ。

 カッシウスたち、囚われた《グリア人》に対する挑発的な言動も、そう考えればある程度は納得が行く。


 なぜ、《ザントクリフ王》に寝返られて困るのか。

 人族の王を自任するなら、戦争を行わずにこの国が手に入るに越したことはない。

 でも、そうなれば《ザントクリフ王国軍》と共に《人馬》を攻囲するかたちになるだろう。


 先に、アンリオスに察知されて逃げられるかもしれない。

 北の地で一万数千の《ギレヌミア人》から逃げ切ったアンリオスたちだ。慎重に事を運ぶ必要があったのだろう。


 そして、アリオヴィスタスはカッシウスたちを遣いに出し、《ザントクリフ王国》の返事が期限内に返ってきたことで、おそらくこう考えた。

 アンリオスたちはかなり弱っている、と。


 《人馬》たちが弱り切っている状態で、アンリオスの目先を逸らしたうえで、自分の配下の《ギレヌミア人》たちだけでなら、彼の目的を果たせる公算は高い。

 彼の第一目的は、《人馬》の絶滅なのだと思う。


 その思惑を、アリオヴィスタスは、少なくとも《セビ氏族長》のネシア・セビには知られたくなかったんだ。

 もしかしたら、彼に従う多くの《セビ氏族》の《ギレヌミア人》たちにも。


 そう。《ギレヌミア》を統一して、さらには人族のトップに君臨したいだけなら、必ずしも《人馬》にこだわる必要は無い。

 初めから、北の地で《連合軍》と戦いながらほかの《ギレヌミア人》の氏族を呼び集めていたほうがよかった。

 だけど、アリオヴィスタスはそうしなかった。それでも《人馬》を追いかけた。

 彼にとっては、手っ取り早く勢力を得ることは二の次なんだ。



……ここからは、僕の憶測に過ぎない。

 けれど、アリオヴィスタスの《人馬》との接点はアンリオスだけだ。だから彼の目的はアンリオスだとしか思えない。

 加えて、彼はできるだけ確実にアンリオスの息の根を止めたいんじゃないだろうか。できるだけ、その執着を周囲に知られないように。

 じゃないと、ネシア・セビにウソをつく理由がわからない。


 ふつうならば《ザントクリフ王国》を従えて国軍と協調したほうが、《人馬》を討ち果たせる確率は高いと考えるだろう。

 でも、アンリオスと付き合いの長いアリオヴィスタスは、それが最善手では無いと知っている。

 アリオヴィスタスには強硬に、《ザントクリフ軍》に計略を仕掛けたほうが確実に《人馬》を絶滅させることができる、と言い張ることもできたかもしれない。

 でも、そうなれば周囲の《セビ氏族》は彼の目的に疑問を抱くかもしれない。


 《人馬》は人族の敵。それでも、一頭たりとも逃さないほどに燃える執念は、おかしいんじゃないか、と。

 だって、長命の種族は繁殖力も弱い。一度、大きな打撃を与えてしまえば、彼らが復権するには人間の数倍以上の時間がかかるはずだ。

 駆逐、つまり追い払うことができれば、十分。そう考える人族は多いはずだ。


 それに、《セビ氏族》を言葉によって説得すれば、どうなる?

 どうしてアリオヴィスタスには《人馬》の考えが読めるのか? ……そんな問いを仲間たちに呼ぶ可能性もある。

 彼が危惧したのは、たぶんそれだ。


 知られたくない理由は?

 それも彼の言動からある程度、察することができる。


 《ギレヌミア人》と人族を統一する者に、ふさわしくないからだ。


 彼のマルクス伯父に対する言葉には、自分が持ち合わせているものに対する誇りがうかがえた。

 そして、それらの言葉を逆さに捉えれば、神々によって与えられたものだからこそ王にふさわしいのだ、と彼は言っていたように思う。

 でも、彼のすべては《人馬》のアンリオスによって鍛えられ、同じく《人馬》を師とする父親から受け継いだものだ。



 つまり、僕が考える、アリオヴィスタスがわざわざ回りくどいやり方を選んだ理由は、おもにふたつ。

 アンリオスを確実に仕留めることと、アンリオスへと燃える執念を他者に知られないこと。

 そして、彼の求める理想の王の姿こそが、それらを、彼自身の手足へのかせとしている。


 彼の言葉の中の王と、現在のアリオヴィスタスは、少しばかり様子が異なる。

 だけど、理想的な王を自任する彼は、人族の王らしく振る舞いながら、《人馬》を撃滅する行為に妥当性と蓋然性を持たせなければならない。


 カッシウスらを遣い番にするというのも、彼の独断なのではないだろうか。そう僕は考える。

 《人馬》の潜む森に、わざわざ《ギレヌミア人》の同胞を送ることもない。それに、《ザントクリフ王国》の返事が遅れれば、アリオヴィスタスが有利に交渉を運べる。

 そんなようなことを周囲には言ったんじゃないだろうか?

 そして、《ザントクリフ》側が間に合ったら《ザントクリフ王》は《人馬》に唆されていると言う。来なければ侵略し、間に合わなければ高飛車な要求を突き付けて反抗させるつもりだったんだろう。



 人族の王になろうとするアリオヴィスタスの意望は、彼の言動を聴く限りでは本物のように思う。

 でも、彼はきっと人族の王になるだけじゃ納得できないんだ。

 納得できない理由は、彼の師匠のアンリオスの存在。アリオヴィスタスが神々に選ばれた王であることを否定する、いや、彼自身が望む王の姿にそぐわない、彼の来歴を記憶している《人馬》の師匠。


 だけど、彼の目的であるアンリオスは強い。

 単純に、人族の彼が一騎打ちを挑んで必ずしも勝てる相手じゃないだろう。


 だからこそ、彼――アリオヴィスタスは、慎重に事を運んできた。

 父を殺し、北の《ギレヌミア人》たちを使い、毒まで使い、三年もかけて追い詰めて。



――だけど、今日、マルクス伯父によってその秘密の核心が暴露された。


 アリオヴィスタスは、尊大というよりも、完璧主義者なのではないか?

 そんな彼が、マルクス伯父を生かしておくとは思えない。



 枯れた森の灰茶の風景。空を蔽う常緑の針葉樹の葉も、心なしくすんで見える。その中を僕を乗せたアンリオスは流れるように走る。

 僕は、その風景にニックからの指示を思い出した。


 ニックは、《ギレヌミア人》に大きな打撃を与えるつもりだ、と言っていた。

 アリオヴィスタスを仕留めることは危険だが、彼の手足であるほかの《ギレヌミア人》の半数を脱落させたい、と。


 耳を打つ《ギレヌミア人》たちの咆哮に、僕はふたたび思考を巡らせる。



……僕の想像するアリオヴィスタス像には、憶測だけあって、まだまだ穴がある。


 アリオヴィスタスに当初から従っている、彼の氏族の《ギレヌミア人》は、アリオヴィスタスが《人馬》を執拗に追っていることに疑問を覚えなかったのか、とか。

 いくら強者に従う《ギレヌミア人》だからと言って、《人馬》に異常な執念を燃やす氏族長によくも付き従ったものだ、とか。

 アリオヴィスタスがよほど巧妙に、彼らを統率しているのだろうか、とか。


 あるいは、彼がネシア・セビにウソをついた理由も不十分に思える。

 そもそも、なぜ、アリオヴィスタスは《セビ氏族》と行動を共にしているのだろうか、とか。

 別に、《セビ氏族》と行動を共にするのは、《人馬》を全滅させてからでも良かったはずなのに、とか。


 あと、ネシア・セビの目的も不明瞭だ。

 彼は、マルクス伯父の使者を迎えたあと「まさか、ほんとうに、まにあうとは」と言っていたはず。

 ネシア・セビもまた、《ザントクリフ王国》との戦闘を望んでいたのか? なら、アリオヴィスタスは、なぜ大義を捏造する必要があった?




「――『地のうちにはひとりの女神が眠っている。彼女の夢が穏やかだとは限らない。寝返りを打とうとする彼女を抱いて、地を支えるのはもっとも力強き《戦の神》。しかし、彼が我慢強いとは限らない……』」



 進撃する《ギレヌミア人》たちの雄叫びと足音。アンリオスが地を蹴る音。

 それらの後背にかすかに、這うように、朗々と、早口で歌い上げられる《呪文》。ニックの声。


 タイミングが早い。僕はアンリオスの背中をぺちぺち叩く。


「もうかっ?!」

「そのようですけど、なにか様子が……?」

「とにかく、我が同胞ならば、合図と共に動けるだろう。埋伏場所と攻撃地点の間を目指す」


 アンリオスがそう宣言すると、少しだけ針路を変えた。

 でも、僕はそれどころじゃなかった。



「『……世界を創めた戦いの、そのころから世界を支え続ける彼の腕。彼の腕がいくら太かろうとも、無限に耐え続けることなどできるだろうか。陽にでもかれた肌のように、苦しく喘ぐ胸のように、彼の腕とて……』



 まだ、ニックの《呪文》が続いている? 体の《呪文》を使用しているんじゃないのか? いや――


――まさか、ニックは、自分の体に描かれた《呪文》にさらに、言葉を重ねているのか?

 ただでさえ、長くて強力なニックの体に刻み込まれた《呪文》に、さらに言葉と《魔力オド》を費やしている?



「アンリオス! ニックの合図の《魔法》は……」


 ニックの言葉を思い出す。

 私が《魔法》で《ギレヌミア人》を撹乱し、分断、動きを止める。派手な《魔法》がその合図だ、という言葉。

 きっと、使うのは、ニックのもっとも得意とする《魔法》。――それは、すなわち。



「『……《戦の神》の太いかいなも、なお、伸びる彼らの足に支えられ。その身動きを封じられ。《陽の神》に養われる彼らを阻めるものなど、どこにいる? ――』



――そのとき、思いっきり張り詰められたゴム紐が引きちぎれたような大きな音が、僕の耳を襲う。

 直後、《ギレヌミア人》の喚声が一部、途切れた。

 なにかが、森の枝や幹にぶつかる音。


 僕は、アンリオスの人間の背中から、右後方、その音の聞こえるほうを振り返った。

 木立の細い隙間に目を凝らす。数十メートルほどは向こう側、少しこちらより低いところを走り抜けていく《ギレヌミア》の騎馬の影がかすかに見える。

 北から南へ、おそらくはマルクス伯父とニックを追って走る騎兵隊。木立に遮られつつも、僕の視界の左から右へと彼らは勢いよく行進している。


 いや、行進というより、突撃だ。

 木立の隙間を器用に縫いながら、《ギレヌミア人》の大群が駆け抜けている。


 だけど、僕の視界の右隅で異変は起こっていた。


――ばつん。そんな音が森に響く。


 音がするたびに、木立の隙間に森を斜めに走る影。

 駆けていた《ギレヌミア人》がまるで馬ごとトランポリンに踏み込んだように、跳ね上がっていた。


 凍りついた地面を蠢くたくさんの陰翳。周囲の木々がその動きに合わせて傾いていく。

 大地の上をうねるように、大蛇のような太い線状のものが、馬の腹に潜り込んで、《ギレヌミア人》ごと跳ね上げる。


 それも、一騎や二騎じゃない。どんどん、跳ね上げられる騎馬。

 跳ね上げられた《ギレヌミア人》が、木々にぶつかり、枝を折り、ある者は地面に叩きつけられ、ある者は先の尖った樹冠の上まで打ち上げられる。


 南から北へと向かって。僕の視界の右手から左手側へ。まるで、大蛇の群れが地から這い出して、《ギレヌミア人》のいる部分だけ、森の地表を埋め尽すように。

 数十メートル、いや、百メートル以上に亘って地中から太い綱のような、触手のようなものが現れて、《ギレヌミア人》の群れをばらばらに割っていく。


 馬を駆けさせる《ギレヌミア人》の群れ。その真ん中を、通り抜ける《魔法ソーサリー》。


――ニックの合図であり、この戦闘の第二段階でもある《植物魔法》の《攻撃魔法》による撹乱。

 蠢くものの正体は、おそらくニックの《魔力オド》に染まった木々の根。


 撹乱の域を超えている。これだけで戦闘が決まるんじゃないだろうか。



 軋みながら、大木が倒れる音。地中で絡み合い、手をつなぎ合っていた根の一部が、ほかの樹木を根こそぎしていく。

 それに重なる、《ギレヌミア人》の怒号と悲鳴。

 その音を聴いたアンリオスが、走りながらちょっとだけ僕を振り返った。

 僕は少し迷ったけど頷き返す。


「――アンリオス、お願いします!」

「よし! ――イュッール、イュリイュリイュリイュリイュリ……!!」


 僕に応えてアンリオスが奇声を発する。掌で口の周りを覆って、メガホンを使ったみたいな、どこか馬のいななきのようにも思える奇声を上げる。

 それに呼応するように、同じような声が左前方の、森の西奥から厚みをもって返ってくる。

 アンリオスに向けられている返事が、どんどん東に向かって移動していく。


 混乱し、喚声ではなく、驚愕の叫びを上げる《ギレヌミア人》の声へ向かって僕らは駆ける。

 東に伏せていた《ザントクリフ軍》もそろそろ動き出したはず。


 ニックの言ってた戦闘の第三段階、《人馬》部隊の突撃だ。


「同胞たちが駆けている……我らも合流するぞ」

「はい!」


 《人馬》の足音と《ギレヌミア人》の雄叫びが交錯する森で、アンリオスも速度を上げた。

 彼が眼の前の緩やかな隆起を駆け上がると、僕らの左手からいななきのような奇声と大勢の《人馬》の行進音が聞こえた。

 アンリオスは人の上半身を傾けて、今登り上がった隆起の頂点から、右へと方向を変えて、森の傾斜を駆け降りる。


「――イュリイュリイュリイュリ……」


 奇声を発しながら駆けるアンリオス。その背中から前を眺めていると、木立を透かして、森を断ち割る光景がはっきりと見えた。

 緩やかな傾斜の先。谷間とも言えないほどの、隘路あいろというより、浅くて広い溝。

 そこには、植物の大反乱と、それに巻き込まれる人間と馬たち。そんな光景がだいたい、五六人が横に並んだ幅で、数十メートルぐらいは南北に続いていると思う。


 ニックの大規模な《植物魔法》によって、森の様子がかなり変わったようで、《魔法》によって伸びた木々が、周囲の木々の根を引き起こし、幹を押し倒して、そこだけ視線を遮るものがない。

 巻き込まれ分断され、跳ね飛ばされた《ギレヌミア人》が大勢、茶色い触手と格闘していた。

 ニックの《魔法》の効力は、勢いを失っているようだけど、まだ根や枝がゆっくりと彼らの手足を捕らえようとしている。


 それでも、《ギレヌミア人》の頑丈さは僕の予測を完全に超えていた。

 人間の太ももよりも太く、網のように伸びあがった根に弾かれて、地面や幹に背を打ちつけても、地に膝を突き、雪を噛んで立ち上がる。

 人間の腕のような太さの枝に絡みつかれて、囚われていても、それを剣で断ち、手で引きちぎって活動を始める。

 裸馬が谷間を逃げていく中、自分の乗騎を救い出して、すでにふたたび騎乗体勢に移っている者まで。


 死なずの兵隊。

 なんだか、ゾンビ映画のワンシーンみたいだ。



「拡がれ、同胞! 横列、二重だ!」


 アンリオスが脚の回転を緩めながら、大きなしゃがれ声で、号令を下す。

 いつのまにか僕らの背後に迫っていた《人馬》たちが、森の中を縦横に駆けて、森の広くて緩やかな谷を見下ろす坂の上に二重の列を作る。

 前列の《人馬》たちが少し傾斜を下って前に出て、後列の《人馬》たちが弓を射れるようにする。


 幹の間に見える《ギレヌミア人》との距離はわずかに五十メートルぐらい。

 木々に邪魔されても確実に命中させられる距離まで近づくと、アンリオスからは聴いていた。


 ほの暗い森の中を駆ける《人馬》の姿を、《植物魔法》に手を焼いている様子だった《ギレヌミア人》たちも視認していたようだった。

 幾人かが、木立の向こう側から、こちらを剣で指し示している。

 だが、ほとんどの《ギレヌミア人》がこちらを向く前に、アンリオスが叫んだ。


「一射一殺! 放て!」

「――アンリ……」


 早っ。そう思ったのも束の間、僕の背後で弦が弾かれる音が鳴り、両脇と頭の上で冷えた空気が裂かれる音。

――《人馬》たちが一斉に弓を構え、そして、谷底で木々と格闘していた《ギレヌミア人》に向かって矢を放った。


 彼ら《人馬》が持っている弓のほとんどは短弓というよりも長弓に近いサイズのものだ。

 だけど、彼らの動きは早い。風鳴りと共に、数百の矢が未だ自由に動けない多くの《ギレヌミア人》へと着弾する。

 だけど、相手も倒木を盾にしたり、剣で払い落としたりして、それを防ぐ。


「修正だ! 狙える者は手足を射貫け!」


 アンリオスの言葉が終わる前に、《人馬》たちは二射目を放っていた。

 数人にひとりの割合で、ニックの《植物魔法》から完全に脱出した《ギレヌミア人》が、もの凄い勢いでこちらに向かって走ってくる。

 木に腕を巻き付け立ち上がり、剣を振り上げ、霜ごと土を蹴り上げる。

 あるいは、騎馬の腹を蹴り、馬首を返して、木々を避けて向かって来る。それに続く者がどんどん増える。


 アンリオスの号令通り、それらの《ギレヌミア人》が頭を庇った腕や坂を駆けあがる足に、《魔獣》の骨を使ったというやじりが突き立つ。


 当然のように、僕と同じ人間が傷ついて行く。

 血を流し、それでも躊躇わずに戦闘に参加し続ける人。

 頭を撃ち抜かれて、すでに斃れている人もいる。耳孔と鼻孔から流れ出ているのは、血かそれとも脳漿か。


 森の湿った土と腐った葉っぱの匂い、そこにわずかな血の匂いが点描される。

 この森のなかで、僕の知っている《人馬》が、人を殺している。そして、それを助けているのは父・ニコラウスの《魔法》だ。



 わかってはいた。承知していた。

 それでも、少しだけ脚が震えた。僕も、今、殺人者の仲間になった。というか、殺人教唆というやつか?

 ニックの言いつけ通り、僕は自分の手ではあらゆる種族を殺さないと誓ってる。

 でも、僕の言葉で、アンリオスは動き出した。だから、僕も殺人者だと言えるだろう。


 頭ではわかってる。戦時の秩序は、平時のそれとは違う。

 僕が声をかけなければ、アンリオスは動かず、《ギレヌミア人》はそのまま進軍し、マルクス伯父やニックを殺したかもしれない。

 そうならなくても、《ギレヌミア人》が侵攻すれば、《ザントクリフ》のあの街だってただじゃ済まない。


――肚を括れ。迷えば、作戦に支障をきたす。

 ニックの作戦に、なにかあれば、僕を育んでくれた多くのものが蹂躙されるだろう。

 号令の責任を負う。それもきっと、貴族が背負わなければならないものなんだろう。



 僕は食道を駆け上がろうとする胃液を飲み下して、その光景を見た。

 そして、少し前までとは違う恐怖に背筋が震える。


 止まらないんだ。

 矢が、脚や足を撃ち抜いていても。それを無造作に引き抜き、投げ捨て、彼らはこちらへ向かって来る。

 腕に刺さった矢なんか、引き抜こうともしない。


 そもそも肉体に撃ち込まれたやじりは、周囲の肉が締まるから、引き抜けばそれだけで、肉が抉れる。

 出血が多くなる。なにより、撃ち込まれたときより、抜くときのほうが痛いはずだ。


 だけど、彼らは止まらない。走るのに邪魔な矢は引き抜いて、それ以外は無視。一切、腰が引けるなんてこともなく。


 《植物魔法》に隊列を壊乱されても、僕らの埋伏からの奇襲を受けても。

 さらには《人馬》に高所を取られて、仲間が斃れ、手足を撃ち抜かれても。

 彼ら、《ギレヌミア人》の戦意は挫けない。


 中には眼窩に矢が突き立っているはずなのに、叫びながらこちらへと突進してくる人までいる。

 吼えるような声。肉の抉れた手足の止血もそこそこに。

 破傷風が怖くないのか? いや、それ以前に痛みは?


 そして、気づいた。多くの《ギレヌミア人》の口元に笑みが浮かんでいることに。

 手を撃ち抜かれた男性も、腕に矢が突き立ったままの青年も、目から矢を生やしたあの男ですら。


 苦痛のためではなく、頬がゆがんでいる。その青い瞳は、僕らを見て輝いていた。

 さっきまで、《植物魔法》と格闘していたときにはみんなイヤそうだったのに、今はきらきら輝いてる。

 まるで、新しい玩具を見つけた子供みたい。

 そして、僕らに近づけば近づくほどに、その顔が狂気に染まる。


 彼らの瞳が語っているのは、「さあ、どうやって、遊ぼうか?」という問いかけのよう。


 さっき、彼らを見て、まるでゾンビみたいだと思ったけど、訂正すべきだ。

 こんな生き生きしたゾンビなんか、いるわけがない。


 彼らはたぶん、知っているんだ。自分の肉体の強靭さを。自分がなかなか死なないということを。

 加えて、他者を蹂躙する高揚を。自分の肉体によって、ほかの動物を殺すということが、きっと大好きなんだ。


 そして、僕の理解が及ばないぐらいに、戦闘行為そのものの魅力に惹かれているんだ。

 それが、おおよそ、彼ら《ギレヌミア》にとっては自分の命よりも重い。


 僕は服を着るのも忘れて、剣を握りしめた。

 イカレてる――



「毒槍だ! みな、樹を盾とせよ!」


 《ギレヌミア人》のひとりが、投槍を掲げて味方を鼓舞していた。

 鼓舞? いや、まるで、新しい遊び方の提案。

 その姿を見た《ギレヌミア人》たちも、周辺に落ちていたそれを拾う。みな、一様に豪快な笑みを溢して。

――そして、こちらへと構える。


 だけど、早くも投擲体勢に移ったひとりの《ギレヌミア人》の肩が、背後から射貫かれていた。

 ぱらぱらと彼らの背後から降り注ぐ、矢。そして――



「突撃ぃ――っ!!」

「おおおおぉ!!」


 盾と剣を携えた《騎士》たち、そして、徒歩の弓兵たちが、東側の傾斜の上に姿を現していた。


 凍りついた森を割る、この戦闘の第四段階。《ザントクリフ軍》の突撃。

――《ギレヌミア人》たちの笑みに、迷いが浮かんでいた。

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