第36話
僕は、堅い木肌に足をかけ、樹幹から斜めに伸びた枝へと手を伸ばしながら、マルクス伯父との会話を反芻する。
「……まあ、無いな」
僕の、相手に《ザントクリフ》と《
それを受けたマルクス伯父は一刀両断した。
「いえ、でも……」
「オルレイウス。そなたとアンリオスが、どうしてそう考えたのかは知らぬが、まあ、聞くが良い」
マルクス伯父はそう言うと、馬を駆けさせながら続けた。
「そもそも、《人馬》を追い続けていたのは彼らだ。実際、《人馬》のほとんどは動けぬ状況だった。追っ手側はかなりの手応えを感じておったろう。……さて、ここに彼の《ギレヌミア人》が、わざわざカッシウス・エキテス・ライツらを使者に選んだ理由がある。わかるか、オルレイウス?」
マルクス伯父の問いに、僕は少し考えた。
確かに、アンリオスの弟子はカッシウスたち、反抗的な奴隷を使者に立てたようだけど、それは失着にも思える。
奇襲をかけるなら、わざわざ彼の思惑を知る人間を使者にしては、意味が半減してしまう。《ザントクリフ軍》の準備期間はそれなりに削れるだろうけど、《ギレヌミア》の意図が知られてしまう。
最初から、奴隷たちが間に合うと考えていなかったのか。いや、十日も与えて複数人解放したのだから、それも考えにくい。
それだけではない。そう、マルクス伯父は考えているわけだ。
「……アンリオスたちが、カッシウスらを襲う余力があるかどうかを確かめていたのですか?」
マルクス伯父は微笑んだ。
「彼の思考を追ってみるとしよう。……《人馬》らには三年もの長きに亘り追跡し、かなりの被害を与えたはずだ。だが、彼の欲するものは手に入らなかった。ゆえにこの森まで追跡に及んだ」
「彼奴の欲しがるものとはなんだ? 《ザントクリフ王》よ」
アンリオスが挟んだ口に、マルクス伯父は笑みを深めた。
「《人馬》の英傑よ、ゆえにそなたは裏を掻かれたのだ。知恵に富んだ《人馬》にも、人の心は察せぬようだ」
そう言って、質問には答えずにマルクス伯父は続けた。
「一方、彼は知っている。アンリオスという者を。……《人馬》はどこにも助けを求めずに、北の果てより放浪した末、この森にまで到達した。その《人馬》が、今さらこの国のような小国と結ぶことはあるまい。……そう、彼ならば考えるはず。事実、そなたもそのつもりであったのだろう? 《人馬》の英傑」
アンリオスが不機嫌そうに鼻を鳴らした。肯定ということらしい。
だけど、アンリオスの弟子は確かに、彼の仲間に「《ザントクリフ王》は《人馬》とつるんでいるはず」と言っていたのだけど。
僕の懸念をよそに、マルクス伯父は続けた。
「これまでのように、ただ追い回すだけではまた逃げられる。では、どのようにするべきか? 森に火を放つか? 煙に紛れてまた逃げられるかもしれぬ。もっと確実な手はないか」
「包囲、ですか?」
僕の問いかけに、マルクス伯父は笑った。
「この森は広い。森ごと包囲するのは到底無理というもの。では、どうするか?」
マルクス伯父はにやりと微笑み、続けた。
「《グリア人》奴隷を放って、それに対する《人馬》の対応を見るのだ。もし、《グリア人》が《人馬》に捕らえられて口を割れば、《人馬》ならばどうする? アンリオスよ?」
「……オルレイウスの助力がなければ、数多の同胞は未だ動けなんだろう。森に放たれた《グリア人》のすべてを意地でも捕らえて、《ギレヌミア》の狙いをこの国へと誘導したはずだ……」
ふて腐れたように答えるアンリオス。
マルクス伯父は、さらに問う。
「それが叶わない場合は、どうした?」
「…………おそらくは、様子を見ただろう。あの《グリア人》の言葉を聞いた限りでは、彼奴の物言いは傲慢だ。それに我らを追っているというよりは《ギレヌミア王》として、《グリア人》を御することを願っているようにも思う。貴様を直接知らずとも、《ザントクリフ王》が唯々諾々と従うことは考えにくい。さすれば、やはり人族同士で争いとなり、我らに付け入る隙が生まれる公算は高い」
「もし、多くの《人馬》が動けた場合は、逃げただろうか?」
「……いや、どうかな。そもそも、もそっと多数の同胞が動けたならば、やはり森に放たれたすべての《グリア人》を捕らえられたはずだ。人の脚より我らの脚のほうがよほど速い。適うだろう……」
マルクス伯父は満足そうに頷いた。
「《人馬》の英傑よ。そなたらが、なぜ追われるかわかるか?」
「……我ら《人馬》と人族との遺恨があるからではないのか……?」
「では、新たな因縁が生まれれば、彼の《ギレヌミア人》の標的は《ザントクリフ王国》に移る、と?」
「《ギレヌミア》とは、そのような者らだ。目の前に、逆らう者があれば討ち果たさずにはおれん」
僕にも、ようやくマルクス伯父の言いたいことがわかってきた。
そうなんだ、アンリオス自身が、彼の弟子だった男のことを捉え損ねている。
マルクス伯父が、口を開いた。
「……かくして、カッシウス・エキテス・ライツの手によって、余は期限に間に合った。……彼の《ギレヌミア人》にしてみれば、カッシウスらが《人馬》の妨害に遭わずとも、期限に間に合わなければ、それはそれで良かったのだ。自然に森に軍を入れる口実となる」
つまりは。そう、マルクス伯父は総括に入った。
「彼がカッシウスらを放ったことによって得られる情勢とそれに対する判断はおもに三つとなる。ひとつは、余からの返答が無い場合。この場合、残された《人馬》には健在の者が相当数あることが考えられる。ふたつめは、期限を迎えたが、そののち余からの返答があった場合。この場合、複数の要因が考えられるが、《人馬》には動ける者が少ないと思われる。そして、最後に今の状況だ」
マルクス伯父が僕を見た。
「《人馬》には余力が乏しく、十日もあって森の中に侵入した者らを捕らえ切ることができないほどに弱っている。……《人馬》がカッシウスらの存在を見逃した? 追われていることを承知している《人馬》に限ってそれはあるまい。それでも、取り逃がした者があったということは……彼の《ギレヌミア人》はそう考える」
「では、彼はなぜ、《人馬》と《ザントクリフ》が組んでいると言ったのでしょうか?」
僕の問いに、マルクス伯父がちょっと首を傾げた。
「言った……?」
「ような素振りを見せたのでしょうか?」
僕が付け加えた言葉に、マルクス伯父は眉根を寄せて、少し沈黙してから口を開いた。
「オルレイウスよ、そなたはどう考える?」
「……仲間も欺く必要がある、ということですか?」
マルクス伯父はゆっくりと頷いた。
「……彼の目的はやはり《人馬》なのだ。……そして、ここで《人馬》との因縁を断ち、次の目的の足場を築く必要がある。戦には大義名分があったほうが良い。特に、その後の統治を考えるならば」
「……統治、ですか?」
マルクス伯父は、視線を僕から森の北へと向けて、言った。
「もう、時が無い。行くがよい、オルレイウス。……あまり、兵たちを怯えさせるな」
僕が後ろを振り返ると、数十メートル後方で、ニックが近衛の人たちに向かってなにか言っていた。
彼らの視線はどうも、アンリオスに向けられているようだ。
「行くぞ、オルレイウス」
アンリオスがひとつ鼻を鳴らす。
「最後に、伯父上」
離れ出す、アンリオスの背中にしがみついて、僕は声を張った。
「乗騎の首に気をつけてください!」
その言葉を最後に、僕とアンリオスはマルクス伯父から離れた――
僕は木登りしながら考える。
マルクス伯父の推測が当たっているなら、アンリオスの弟子は今、《人馬》が非常に弱っていると考えているはず。
そして、もう《人馬》を逃がしたくないと考えているはずだ。
僕も彼の思考を辿ってみる。
弱った《人馬》たちをどうやって捕まえるか?
《人馬》たちは、《ザントクリフ》と《ギレヌミア》の間に戦闘行為があると思っているはず。
《ザントクリフ王》に対して攻撃をすれば、それほどわかり易い決裂は無い。いくらかの《ザントクリフ》の敗残兵が、森を駆け抜けて、《人馬》たちもそれを知るはず。
そうすれば、《人馬》は当面、自分たちが狙われるとは思わない。
そして、《ギレヌミア人》は自然に森へと軍を進めることができる。《ザントクリフ》の街目指して。
《人馬》は《ギレヌミア人》が森を通過しても、《ザントクリフ》の街に向かうと思うだろう。
多少、斥候を多く森の中に出しても、伏兵を警戒しているぐらいに思う。
そして、囲み込むつもりなんだ。弱っている《人馬》なら、そう時間はかからない。そして、そんな《人馬》たちを誇り高いアンリオスは見捨てないだろう。
この会談で、王と近衛の精鋭を討つことができれば、《ザントクリフ》の対応は遅れるし、そうでなくても野戦を得意とする《ギレヌミア人》に対して持久戦を選択することは十分に考えられる。
誰にも邪魔されることなく、《人馬》にとどめを刺せる。
そして、《人馬》の死体があれば、《ザントクリフ王国》にこう言える。
ほら、《人馬》を匿っていた、と。
そうすれば、《ザントクリフ王国》を討つ大義が立ち、戦後にあの街を統治するときにも、《グリア諸王国連合》に対しても言い訳ができる。
だから、予め、仲間にもそう吹き込んだ。……いや、仲間にそう吹き込んだ理由はそれだけじゃないかもしれない。
――みそは、アンリオスを初めとする《人馬》が、自分たちが追われている理由をほぼ把握していないこと。
アンリオスは自分たちが追われている理由について、深く考えていない。
《ギレヌミア人》はただでさえ、戦闘を好む民族。《人馬》を追う理由も、自分たちがちょうどいい的だからと思っている。
だけど、違う。それはマルクス伯父も、たぶんニックも気づいていることなんだろう――
――あ。マルクス伯父が、森から出て来た。
《ギレヌミア》が拓いた進軍路を通って、騎乗した近衛兵百人ほどを率いている。
マルクス伯父と馬を並べるようにニックもまた先頭を駆けている。
マルクス伯父が利き手に逆手に持った鞘に入ったままの剣を上げると、後続の近衛兵たちがゆっくりと停止した。
マルクス伯父とニックだけが並足で馬を進める。
「……余が思うたよりも少ないな。よほどの急ごしらえか、己の武力と兵の実力を過信しているか……それとも」
《ギレヌミア王》を名乗っていると思われるその男の呟きを僕の耳が拾った。
彼の背後には草原を埋める六千の人の群れ。三千の騎乗した男たちそれぞれに、ひとりずつ徒歩の戦闘員というか、槍を幾本か手に持った補助員らしき人が従っている。
その間から側近らしき男を招きよせ、彼は耳打ちする。
「……少数だろうが伏兵の可能性もある。全軍に警戒を呼びかけよ」
そう言って、男は部下へ手首を振って、ゆっくりと会談の場へと馬を動かした。
男にわずかに遅れて馬を進めているのは、もうひとりの氏族長だろう。
ニックによれば、会談はふたりずつの代表によって行われる。
騎乗したままの両陣営の代表が、両軍の中間で顔を合わせる。
こういう会談においては、代表があまりに自軍を近づけすぎるとそのまま戦闘に発展する可能性も高いそうだ。
僕はその光景を、離れた場所に伸びあがった背の高い木に登って望遠していた。
もちろん、全裸だ。
こんなに高い木のてっぺんあたりにしがみつき続けるなんて、全裸じゃなきゃできない。
それに上空のほうが遮るものがないので、音がよく聞こえた。
……マルクス伯父が攻撃されると知りながら会談に臨んだ理由。
それは、たぶん、自称・《ギレヌミア王》に対して、先手を取るつもりだからだ。
いちおう、乗騎の首が狙われているということは伝えたけれど。
マルクス伯父とニックと、ふたりの《ギレヌミア》の氏族長が顔を合わせた場所は、平野へと到るなだらかな下り坂の途中。
森の終わりの藪から、だいたい五十メートルぐらい。坂を下り終わった《ギレヌミア》の大群がいるところからも同じぐらいの距離。
馬が顔を突き合わせるくらいの距離まで、四人は近づいて行った。
マルクス伯父の声を僕の耳が拾う。
「《ザントクリフ王》、マルクス・レックス・ザントクリフ・ユニウス・レイアである」
感度は良好だ。なにかを聞き漏らすことはないだろう。
僕は下を見下ろして、根元あたりにいるアンリオスに向かってサインを送る。
具体的には、空中に向かって腕を伸ばしただけだ。
下にいるアンリオスが頷いたのが見えた。
僕が今登っている木は、《人馬》たちの待機地点からは離れている。
会談を行方を見届けて、すぐに降りるつもりだけど、奇襲に間に合うぎりぎりの距離だ。
間に合いそうな位置の算定についてはアンリオスに目算してもらった。
さっき、《ギレヌミア》の陣容を眺めるために登った木よりもだいぶ森の終わりに近いけれど、すべての瞳は坂にいる四人に集中している。
僕のことを見てる人間はほぼいないだろう。
「《ギレヌミア王》、アリオヴィスタス・レックス・ギレヌミア・ハールデスだ」
――やはり、あの男がアンリオスの弟子だ。
アリオヴィスタス。
少しだけ赤みがかった金色の長髪と碧眼の、少壮ぐらいの年齢に見える男だ。精悍な頬のラインと、細いけど荒々しく毛羽立った眉がその意志の強さを物語っているよう。
ほかの《ギレヌミア人》よりいくらか線が細いようにも思えるけど、もしかしたら身長がかなり高いのかもしれない。馬に乗っているからよくわからないが。
軽装の人間が多い《ギレヌミア》の中で、唯一人、皮鎧を身に着けているのも特徴だ。
左腰のあたりに、やけに大きな剣の柄が見えた。
どうやら馬の下腹のあたりに鞘というか、刃を掛ける金具が皮帯で括りつけられているらしく、そこに大剣が置かれているようだ。
アリオヴィスタスは、太い柄に常に左手をかけていて、それを支えている。
「《ギレヌミア王》とは、おおやけに認められたものではあるまい。《ギレヌミア》の一氏族長よ」
剣を手に提げたままのマルクス伯父がそう言った。
「既に、この隣にいる《セビ氏族》、氏族長、ネシア・セビも余の王たるを認めておる。《ザントクリフ王》よ、そなたもまたこの会談が終わるころには認めるだろう」
アリオヴィスタスが不敵に微笑む。
なるほど、不快感を覚えるような笑顔じゃない。
むしろ、彼のこれまでの来歴を聞かされてなかったら、僕も少なからず見惚れたかもしれない。
「……本題に入る前にひとつ
「なにを問うかな、小国の王よ?」
「百氏族、数十万と言われる《ギレヌミア人》のほんの一部を従えた程度のそなたが、なにを誇って《王》を自称する?」
マルクス伯父の問いかけに、アリオヴィスタスは片頬を持ち上げた。
「仮初にも、王と呼ばれる者の眼が節穴とは……その両の目を見開いてもわからぬか?」
「わからんな、隣の男とどう異なる?」
アリオヴィスタスは、獰猛な笑みを見せる。
「まず、数多の《ギレヌミア》に優る体躯! 次にこの大剣を扱い得る膂力! そして、流麗な余の舌に浮かぶ英知! 加えて、美貌! ……小国の王よ。これほど神々の啓示が余の玉体に溢れているというに、それを看取できぬならば、そなたの目はやはり節穴と言うべきではないかな?」
アリオヴィスタスの炯々と光る眼差しに、マルクス伯父は失笑をこぼした。
「……なにがおかしい……弱国の王?」
「すまんな、アリオヴィスタスどの。……本題に入ろうではないか」
首を傾げるアリオヴィスタスを後目に、軽快に、マルクス伯父は言葉を接いだ。
「《ギレヌミア人》がこの森に立ち入ることを、余は許さぬよ。この森は余のものだ」
「……小国の王に過ぎぬそなたには、余の言葉の真意が伝わっておらぬと見える。余は人族の先を見ているのだよ、《ザントクリフ王》」
「ほう、どのような未来かな?」
アリオヴィスタスは、やれやれ、とでもいうように首を横に振る。
「今のように人族の間で争っていては、いずれ、かつて駆逐したはずのものどもに後背を突かれる。……わかるかな、小国の王? この百年の安寧は砂上に築かれているのだ」
「それは、たとえばそなたの言う《
アリオヴィスタスが目を細そめる。まるで、マルクス伯父を品定めするように。
「使者から聴いておるのだろう? この森には人族の敵たる《人馬》がある。……まさか、そなた《人馬》に味方するわけではあるまいな!?」
金髪を振り乱して、驚愕の表情を浮かべてみせるアリオヴィスタス。
彼は、声を張り上げる。それを、森の端に並ぶ《ザントクリフ軍》に聞かせるように。
「そうだ! おかしい! 間違いなく、この森には、すべての人族の仇敵たる、《
その言葉を、ネシア・セビが、《ギレヌミア語》に翻訳して平野に広がる《ギレヌミア人》に向かって放つ。
《ギレヌミア人》の群れから罵声が上がる。
今にもマルクス伯父に殺到しそうな《ギレヌミア人》を、アリオヴィスタスが振り返った。
「落ち着き給え、同胞! ……この小国の王は、愚かしい《グリア人》にありがちに、きっと《人馬》に唆されただけなのだ! 余の真意が伝わっておらぬだけなのだ!」
《ギレヌミア語》で語りかけられた、その言葉に、《ギレヌミア人》のマルクス伯父への罵声が勢いを増す。
……ここまでは、おそらくアリオヴィスタスのシナリオ通りなんだろう。
そして、彼は期待している。マルクス伯父が「《人馬》なんて知らない」とか「《人馬》と手を組むわけなどない」という言葉を。
たぶん、アリオヴィスタスはそこで言うんだ、「では、どうして無傷なんだ?」って。
それを追求して、白を切るなって感じから、一撃。
……でも、マルクス伯父には通用しない。
「伝わっておるさ、過大な位に手を伸ばそうとする者よ」
ふいに、マルクス伯父がそう呟いた。
その呟きにアリオヴィスタスの肩が少し揺れたのがわかった。
彼は背後の群衆から、ゆっくりとマルクス伯父に視線を戻した。
「……なにを承知している、と?」
「人族の共栄を旗印に、己が目的を果たそうというのだろう? そして、無理難題を突き付けるのだ。それを断れば、人族とて討つつもりだろう?」
今度は、声高くマルクス伯父が言い放ち、ニックがそれを《ギレヌミア語》へと訳して歌い上げる。
この場の誰よりも良く通るニックの声音に、《ギレヌミア人》たちは憤激する。
「……なるほど、狭い地にしがみつく王とは、それほどまでに空想に魅入られるものか……」
「はて、空想? 空想だと?」
マルクス伯父の嘲弄。さらに、ニックはそれを《ギレヌミア人》たちに聞かせ続ける。
「余は、そなたの古い知己から、しかと聞き及んでいるのだぞ?」
「……古い知己、だと?」
不思議そうに眉をひそめる。
その反応が、アリオヴィスタスが真実、アンリオスとマルクス伯父が手を組んでいるとは、考えていないことを教えていた。
マルクス伯父が哂った。
「そなたの野望は、そなた独りのものだろう? ゆえに、父を手にかけ、そして《人馬》の師をも殺そうとしているのだ!」
ニックが訳した、その言葉に《ギレヌミア人》に動揺が走る。
特に、《人馬》の師、という言葉のあたりで。
「……ばかな……あり得ぬっ!」
白い肌を蒼白に染めたアリオヴィスタスが吼える。
だが、マルクス伯父は止まらない。
「聞くが良い、《ギレヌミア人》よ! そなたらが王と仰ぐアリオヴィスタスは、《人馬》を師と仰いでいたのだ!」
「やめよ!」
「そして、《人馬》と己が親から受け取ったすべてを、神々の――」
蒼白から赤へと変わるアリオヴィスタスの顔色。その彼の右手が宙を駆けていた。
それがあっと言う間に左腰あたりの大剣の柄へと伸び、そして、大剣が抜き放たれる――
「地を嘗めよ! 妄言を弄する者!」
アリオヴィスタスの激昂と共に、大剣が振るわれる。
マルクス伯父は左手で手綱を引いて馬の首を流し、右手に逆手に携えたままだった剣で受ける。
金属が衝突する音。
マルクス伯父は、乗騎の馬体ごと、アリオヴィスタスの剣戟を受けて吹っ飛ばされる。
「――『厭くることなく』」
手首を合わせたニックの声。
同時に、アリオヴィスタスの馬の足許から、白い雪を割って緑色が伸びあがる。乗騎が草の緑に包まれていく。あっと言う間に太いつる草に縛り取られていく。
「――《魔法使い》かっ!」
アリオヴィスタスが悟ったときには、マルクス伯父とニックはすでに馬首を返していた。
坂を森へと向かって駆け上がっていくふたり。
「《ギレヌミア人》よ! その男は偽っている!」
「放てえっ!!」
マルクス伯父の言葉を遮るように、アリオヴィスタスが大きな剣を振り上げた。
大勢の《ギレヌミア人》から放たれる無数の投槍。
そのすべてがニックとマルクス伯父に注がれている。
「――『鉄すらも、雪片のごとく』」
ニックの《呪文》。
マルクス伯父とニック。ふたりのマントを翻す風が、坂を撫で上げていた。
彼らを中心に立ち上がる竜巻のような旋風。
それに空中を飛来していた、すべての投槍が巻き込まれていた。
「――《魔法使い》めっ!!」
そんなアリオヴィスタスの絶叫を聴くとともに、僕は木から手を放した。
落下。そして、着地。
雪が舞い上がり、足が着地の衝撃に痺れる。
雪煙の中に差し出された一本の腕。僕は迷わずそれを掴んだ。
引っ張られるままに宙に浮く僕の体。
「――決裂だな、オルレイウス?」
かけられた腕の主の言葉。アンリオスの声に、僕は腕を伝いながら、その馬体の背中におさまって、言葉を返す。
「背中に失礼しますよ、アンリオス。――それ以上です」
「では?」
「開戦です――」
がちっ。
そんなアンリオスが歯を食いしばる音が聞こえた。
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