第35話



 北の森のさらに北の部分。

 そこは、森を形成する木立の背が低く、幹の太さも細くなっている。東西に帯状に広がる低木地帯だ。

 アンリオスによれば、ときどき《ギレヌミア人》が森の一部を焼いて、そこで簡単な農耕を行っているのではないかということ。


 若い木は老僕よりも枝葉を広げない。そうすると、森に注ぐ陽の光が遮られないから、木々の間隔が狭くなる。背の低い低木も繁茂しやすい。

 そこだけ、森や林というよりは藪という感じになっている。


 低木のほとんどは葉っぱを落としてしまっているけど、幹と幹の間が狭いから視線も射線も通らない。

 そんな森の終わりの藪からは距離をとって、内側の樹間が広くなっている場所に隠れる。

 ここなら藪の向こう側、森の外の草原に布陣している《ギレヌミア人》から、僕らが見られることはないだろう。


 それが、ニックの戦術の一段階目。



「……アンリオス。ここから東へおおよそ二百歩ほどのところ。また《ギレヌミア人》の斥候が出されたみたいです」

「つまり、彼奴らが進軍路を確保している辺りか?」

「そうだと思います。枯れ枝を踏む音が聞こえます」


 僕らのいるあたりから東へ二百歩ほど行くと、《ギレヌミア人》が藪を幅広く切り拓いていた。

 さすがに、彼らも数十メートルも南北に広がる低木と枯れ枝の中を突っ切ることはできないんだろう。


「東側に伏せている者どもが見つかることは考えられるか?」


 アンリオスの問いに僕はふたたび耳を澄ます。

 僕らが今いるのは、《ギレヌミア人》が藪を切り拓いてできた進軍路の西側。たぶん数十メートルから百メートルぐらいは離れたあたり。

 その進軍路の東側には、六百人ほどの《ザントクリフ王国軍》が埋伏している。《王国軍》は、こちらと進軍路に対して線対称になるように隠れ潜んでいる。


「おそらくは、大丈夫だと思います。それなりに、距離がありますし、雪が音を吸ってくれています」


 昨日の夜半から冷え込みが厳しく、雪が降り始めていた。

 今朝には森が雪化粧を施されていた。そして、一時よりも勢いは已んだけど、雪はまだゆらゆらと舞い続けている。


「火を使えない人族に、この寒さは厳しかろう?」

「母が狩った《魔獣モンストゥルム》の毛皮がありますから、それなりには大丈夫だと思います。……凍死者が出ていないことを祈るばかりですけど」


 相手に察知されてはいけないから、僕ら《人馬ケンタウルス》部隊も、《王国軍》も大きな動きはできない。

 たぶん、体を寄せ合わせて暖をとっているはずだ。


 この冷え込みでも、もともと高山地帯を生息地としていた《人馬》にとってはそれほどでもないらしい。

 多くの《人馬》が白い毛皮を着こんでいるのは、雪に紛れるからで、防寒のためではないらしい。


「アンリオスは裸なのによく寒くありませんね?」

「……それはこちらの言葉だ」


 そう、僕とアンリオスは全裸だった。


 だって、隠れ潜んでいる以上、そう頻繁に斥候を出すわけにもいかない。

 僕が全裸になりさえすれば、たいがいの物音は耳が拾ってくれるから、危険を冒す必要もない。


 それに、僕が幼いころに獲得していた《技能スキル》には、防寒系の《技能》もあったと思った。

 そのおかげか髪の上に雪が積もっている今も、ちょっと涼しいかな、ぐらいだ。


「これが、たぶん、ベストの方策です」

「……まあ、よかろう」


 僕は背後の《人馬》たちを振り返った。総勢八百三人。

 まだ、完調ではない者と、北の森を彷徨っていた《グリア人》の回収に行って無理をしたもの以外、すべての《人馬》が参加している。


 さすがに、雪が降っているのに裸の僕を見て、首を傾げている人もいるけど。

 基本、アンリオスがスルーしていることには、彼らは突っ込まない。


 アンリオス以外に僕に積極的に話しかけてくる《人馬》は、まあ、いなかった。

 彼らの中での僕の扱いは、首領であるアンリオスの客人というものらしい。話しかければ答えてくれるけど、多言はあんまり礼儀に適っていないと考えているそうだ。


 僕の耳が《ギレヌミア人》の斥候が陣地へと戻っていく足音を拾った。


「……行ったようです」

「ふむ。こちらが使者を出して以来、やはり警戒を強めているようだな」



――そう。今は、トリニティスの月の十五夜を迎える日の、昼過ぎだ。

 《ギレヌミア王》が指定した期日、当日。つまり、ニックの作戦決行日になる。


 少し前に、マルクス伯父からの使者が《ギレヌミア人》の陣地に向かって、少しばかり話してから引き返していった。

 幸い、《ギレヌミア王》は森からほど近いところでこちらの使者を迎えたから、その会話も僕にはそれなりに聞き取れた。

 アンリオスの推測によると、《ギレヌミア王》も会談の前に《ザントクリフ王国》側を刺激したくないから、陣容の奥の《グリア人》奴隷の姿を、使者に見せたくはなかったのだろうということ。


 ここ半年ほどの間に、アンリオスに頼んで《ギレヌミア語》を聴く機会も多くとったから、ヒアリングぐらいは問題ない。

 というか、僕の訓練に付き合うときのアンリオスは、《ギレヌミア人》を育てた経験からか、頼む前からときどき《ギレヌミア語》で話していた。

 それが長い間、アンリオスの習慣だったんだろうと思う。


 ついでに、さっき、ひと際高い木に登って遠目に《ギレヌミア人》の陣容も確認していた。

 全裸のときの僕の遠視力は、ほかの人々よりもかなり優れているはずだから、僕から相手が見える距離でもそうそう僕の姿を相手に見られる心配はない。


 なだらかな平野に広がる六千人の《ギレヌミア人》の陣容は、壮観だった。

 無数の天幕が張られていて、その周囲で簡単なかまどが作られ、炊煙が上がっていた。ほかにも焚火が多く作られている。

 その後ろの広い平野には馬が並べられて、飼い葉や水を与えられていた。

 さらに、その後ろには数百の荷車に積まれた大量の物資があった。たぶん、兵糧なんだろう。


 荷車や天幕の間を行き交う人の中には、手と足を鎖につながれた《グリア人》の姿も見えた。

 この平野には、東にある《アルゲヌス山地》から太い河が一本、東から来て曲折して北へと流れていて、飲み水なんかにも不足がないようだ。

 物資が荷車に積み込まれている理由は、《ギレヌミア人》が移動を開始するつもりだからではないかと僕は考えた。


 初めて目にする《ギレヌミア人》は、《グリア人》よりも頭ひとつからふたつは背が高くて、黄金に輝く金髪と紺碧の瞳を持ち、筋肉隆々の白い肌の体はなぜか露出が多かった。

 具体的には、肩から胸を斜めに露出させる丈の短い毛皮の上衣を着て、丈の長いズボンを穿いている。

 装備は基本的にはそれだけで、中には上裸の人も少なからずいて、この寒いのにその格好でプロレスや真剣での打ち合いに興じている人も、水浴びをしている人までいた。

 鎧を着ている人間なんて、ほぼほぼいない。


 数は少ないけれど女性の姿もちらほら見えて、彼女たちも薄着だった。さすがに上半身裸ではなかったけれど。



「なんで彼らは、あんなに元気なのですか?」


 眺めた光景を思い出して、僕はアンリオスに問いかける。


「《技能》だ」

「《技能》ですか?」


 アンリオスは頷いた。


「《ギレヌミア人》の強さとは、その肉体強度というよりは、日常を鍛錬の場とみなしていることによって獲得される《技能》の数々にこそある」

「それは、もしかして……」

「そうだ。実は《ギレヌミア人》の子供の肉体はさほど強力ではない。《ルエルヴァ人》や《グリア人》よりは多少優れているが、そう隔たりがあるわけではないのだ」

「過酷な環境に敢えて肉体をさらすことによって、《技能》の獲得を促進しているのですか?」

「おそらくは、そうだ。……それを理解して行っているのかは知らん。しかし、事実、多くの《ギレヌミア人》は人族の平均を大きく凌いでいるというべきだろう」

「なる……ほど……」


 まあ、我もそれに気がつかされたのは、最近のことではあったが。

 そんなアンリオスの呟きを背景に、僕は考えていた。


 あれ、《ギレヌミア人》って、僕の生い立ちに似ている、と。


 つまり、彼らも天然物の戦闘民族なのではなくて、培養された戦闘民族なんだ。

 彼らの力が文化を護っているとともに、文化こそが彼らの力を育んでいる。


 それは、まるでイルマに育てられた僕自身じゃないか。

 イルマの養育方針がたまたま重なったのか、それともイルマが《ギレヌミア人》の習慣を参考にしたのかはわからないけど。


 これから戦うかもしれない相手なのに、微妙に親近感を覚えてしまう。



「しかし、オルレイウス。なぜ、彼奴めは使者を追い返したのだ?」


 アンリオスの質問に、僕は物思いから復帰する。


「どうも、会談の場所が気に入らなかったみたいです。森の端よりも、もう少し平野に出たところにしろと言っていました」

「ふむ。やはり、《ザントクリフ王》を討ち取ることを考えているようだな」

「でも、アンリオス? 彼らはそんな無茶苦茶をほんとうにするのですか? だって、《グリア人》を統治することも考えているのでしょう? それでは遺恨が残ってしまいませんか?」


 アンリオスは鼻をひとつ鳴らした。


「甘いな、オルレイウス。……彼奴めには、力のある《グリア人》は邪魔なのだ。ここで王と王を守る者をすべて討ち果たそうと考えているはずよ」

「王を守って進軍してくる部隊なら、精鋭に違いない、と?」

「そうだ。それらを血祭に上げることが叶えば、弱い《グリア》の民は簡単になびくと思っておることだろう」

「……武力による威圧的な統治、ですか?」

「そうなるだろう」


 そこでひとつの疑問をぶつける。


「それは、もしかして、かつてのアンリオスの方針でもあったのですか?」


 僕は隣の、馬の四肢を折って雪の中に座り込むアンリオスの顔を見た。

 アンリオスもまた僕を見て、ゆるく首を横に振った。


「我らは統治など考えてはいなかったのだ。……《ルエルヴァ人》の勢力範囲を狭め、弱体化させることが目的であった」

「……では、なぜ最初に《グリア人》の国を?」

「……危惧だ」

「危惧、ですか?」


 アンリオスは強く頷いた。


「人族は、離れているうちはよい。しかし、《ルエルヴァ人》の如く集まれば、危険だ」

「そうか。……狙いは《グリア諸王国連合》だったわけですか?」

「そうだ。かの《連合》が第二の《ルエルヴァ人》の国とならぬ保証は無い。……加えて、《ルエルヴァ人》を目指して南進すれば、脇腹を《連合》に晒すこととなる」

「《獣人セリアントロープ》は人族の敵とみなされているから、《グリア諸王国連合》と《ルエルヴァ共和国》が同調する可能性もある?」

「……そうだ。……ゆえに、《連合》だけは先に、そして迅速に、覆滅しなければならなんだ。……《連合》の存在さえなければ、《グリア人》とは棲み分け得ると考えておった」


 一理あると言えば、ある。

 だけど、それも難しかっただろう。


 一度、攻めて来た相手が傍にいればきっと僕らは恐怖する。

 また、より強固な連帯を創りあげようと思うことだろう。


 アンリオスの言うことはよくわかる。でも、それが正しいかと問われれば、僕は曖昧に首を横に振っただろう。



――僕の耳が、《グリア語》での会話を拾う。

 ふたりの男の声。でも、片方の《グリア語》はなんだか拙い。


「アンリオス。《グリア語》です。でも、イントネーションとかが《グリア人》っぽくない」

「《ギレヌミア》では氏族長などは、《グリア人》の商人と接するゆえ、多少ならば《グリア語》を話すことができる。おそらくは、密談だろう。多くの《ギレヌミア人》は《グリア語》がわからん」

「……アンリオスの敵は、《グリア語》を操るのですか?」

「……教えている」


 妙なイントネーションの《グリア語》を話す男と、会話しているもうひとり。

 その《グリア語》は実に流暢だった。まるで母国語みたいだ。


 あの《ギレヌミア》の陣容の中で、《グリア語》を喋れるのは、囚われの《グリア人》か、ふたりの氏族長だけ。

 そして、妙な《グリア語》で喋っているのは、このあたりに元々いた《ギレヌミア》氏族の氏族長だろう。

 そうすると、相手は。


「……なにが聞こえる?」

「少し待ってください」


 耳を澄ます。ほかの雑音を背景に、森の傍を歩いているらしいふたりの男の声に集中。




「……まさか、ホんとうに、マにあうとは」

「ああ、だが好機よ」

「こうき? ナにが、だ? 《おう》よ」

「奴隷どもが吐いた話によれば、《ザントクリフ王国》のレイア王家とやらは強力な肉体を持つ家系らしい」

「それが?」

「おそらく、《ザントクリフ王》が自ら出向いたは、己が肉体を過信してゆえのことよ。そのような王ならば、会談において兵を離せと言っても必ず呑む」

「それで?」

「余が、《ザントクリフ王》の乗騎の首を斬り落す。そなたが、彼にとどめを刺せ」

「――シんばつが、クだるぞ」

「神罰? ……そうだな。だが、おそらく《ザントクリフ王》は《人馬》どもとつるんでいるぞ?」

「マさか?」

「そちにも見せたであろう? 余が捕らえ、拷問を加えた《人馬》の死体を」



――胃が急降下する。……絶対にアンリオスには言えない。



「この森に《人馬》が逃げ込んでいることは確かだ。にも関わらず、《ザントクリフ王》は《人馬》の妨害を受けることなく軍を率いて来おる」

「……タしかに……」

「人族でありながら、その敵たる《人馬》とつるむなど、言語道断とは思わぬか?」

「……シかし……」

「まあ、余に任せよ。……《ザントクリフ王》が《人馬》と手を切って、素直に従うならば良し。さもなければ、誅殺してくれようではないか!」



――そして、その男は高笑いしながら言った。



「この《ギレヌミア王》たる、余が!」




「…………アンリオス。道徳教育というものを知っていますか?」

「なんだ、それは? 美味なものか?」

「……いわば、社会性を養うという……いえ、なんでもありません」


 そう言って、僕はアンリオスの馬の背中に掛けていたローブの雪を払って身に着ける。

 ああ、やっぱり力が抜ける。裸足の足が雪の冷たさに震えた。


「本隊への伝令か?」

「はい。アンリオス、また背中にお邪魔してもいいですか?」

「うむ。……して、なにを伝える?」

「罠だということを」


 僕は脚を折ってくれているアンリオスの背中によじ登りながら、そう言った。



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百九年、ザントクリフ王国歴千四百六十六年、トリニティスの月、十四夜


 《人馬》部隊と《王国軍》からそれぞれ、埋伏完了の伝令が来た。

 什隊に分かれて進軍し、少しずつ北の森の埋伏予定地に兵を増やしていったため、それなりの時間がかかった。

 だが、その甲斐もあって、アンリオスとオルの報告によれば《ギレヌミア人》に気づかれた様子はない。


……しかし、あのアンリオスが、背中に誰かを乗せるとは思わなかった。

 よほどオルレイウスと馬が合ったらしい。



 私はさきほど伝令から渡された地図を確認し、印のつけられた地点へと、雪と夜陰に紛れて向かった。

 十八カ所。九人の部下ひとりにつき二カ所。それを順繰りに廻った。

 部下たちも本職の《魔導具》職人では無い。よくやってくれたほうだろう。


 印のつけられた場所に馬を走らせると、《魔力オド》の残滓が見えた。どの場所にも樹木の根元あたりに《呪文》が刻み込んであった。

 《魔導具》の製造法の応用だ。《魔材》以外の生命を喪った物に《魔力》は宿らない。

 だが、生きた樹木、それも老木ならばそれなりに《魔力》を汲んでいるものだ。


 部下たちが己の《魔力》を込めて刻み込んだ、《魔力》の出口たる《呪文》。

 それを暗誦しながら、傷をつけて血を滲ませた指先でなぞった。

 《離切の言葉》だけはなぞらない。これで、私の《魔力》がこの《呪文》につなぎ止められ、《魔法》の発動前の状態で停止する。

 私が《離切の言葉》を唱えるまでは、私を介した《魔力》が《呪文》へと流れ続けるだろう。


 大概の《魔法使い》では一カ所だけでも陽が昇るまでもつまいが、十八カ所あろうとも一昼夜程度ならば問題ない。


 野営地に戻ると雪が激しさを増した。おそらく、積もるだろう。

 埋伏している《王国軍》とオルには厳しい環境かもしれないが、雪に森が包まれれば発見される可能性はより低くなる。


 本隊の兵たちにも疲労はあるようだが、マルクスの出陣とあって士気は高い。

 《人馬》については士気の心配など皆無だろう。


……念のため、策は用意してあるが、レント伯とオルには合図がなければ随時撤退するように願っている。


 万が一、策に及ぶような状況になっても、成算はある。

 相手も、《人馬》と私たちが手を結んでいるとまでは考えていないはず。


 だからこそ、これが緒戦となればその意味は大きい。

 《人馬》たちとの連合が知られてしまうからだ。


 ここで、決定的な打撃を相手側に与えるほか無い。


……夜が明ければ、期日だ。夜明けまでもそれほど時は無いだろう〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る