第34話



 朝、壁際まで来た僕たちを出迎えたのは、ツタのような植物で体どころか顔まで、がんじがらめにされて壁の上に干されたひとりの人間と思われる物体だった。


「これはひどいな」


 そう言ったマルクス伯父は、この場に来たふたりの大人に指図をした。

 そのふたり、ウォード伯とニックが協力して彼を壁の上から引きずり下ろした。どうも、彼は気絶しているらしい。


「姿を見られるな、ということゆえ致し方がなかった」


 壁の向こう側からアンリオスがれた声でぶつくさ言った。


「まあ、よい。アンリオスよ、暫し沈黙してそのまま聴くがよい。……さて、ニコラウスの想像通りか否か……ウォード伯、解いてやれ」


 王冠をかぶって、なぜか赤いマントの下に鎧を着こんだ戦支度のマルクス伯父がそう言った。

 《人馬ケンタウルス》との接触ということもあって、この場にはマルクス伯父を筆頭に、僕を含めても四人しかいない。

 マルクス伯父、ニック、ウォード伯、そして僕。


 ツタから解放された《グリア人》はひどく衰弱しているように見えた。

 もう冬だというのに半裸に近い粗末な毛皮だけを身につけて、しかも手首と足首には青い痣があった。

 手枷と足枷の痕跡。


 ニックが彼に自分のローブをかけると、僕の肩を軽く叩いた。

 携行した皮嚢かわぶくろをニックに手渡す。ニックは手ぬぐいを取り出すと、それに皮嚢から水を染み込ませて、彼の頬と口元へと添えた。

 彼の体がびくりと揺れ、まぶたがばちっと開かれた。そして、彼を囲む僕たちを見回す。


「あ!」


 ひとつ声を上げて飛び起きようとして、前のめりに倒れる彼。

 どうも、体が言うことを聞かないらしい。

 そんな彼をウォード伯が助け起こして、壁を背に座らせる。


「落ち着くが良い。……《モリーナ王国》の者であろう? 余の名はマルクス・レックス・ザントクリフ・ユニウス・レイア。《ザントクリフ王国》の王である」

「――っ! ……《ザントクリフ王国》! 王? ……わたしは、どのように……?」

「余の手の者が、《ザントクリフ》の北の森を彷徨っていたそなたを保護したのだ」


 体を支えるウォード伯の腕にすがり、彼はその揺れる瞳でマルクス伯父の顔を凝視した。


「今! 今は、何夜でしょうか?!」

「トリニティスの月の七夜目が、明けたところだ」

「――なんとっ!! ……まだ、放たれてから二日? ……ああ、《純潔の神》と、神々がお守りくださったに違いない!! ……しかも、《ザントクリフ》王陛下が目の前に……」


 彼は体を震わせて、むせび泣いた。


「ま、落ち着くが良かろう。……オルレイウス、粥を」


 マルクス伯父の言葉に、僕は小さな水筒のような木筒の栓を開けて、彼に差し出した。

 塩で味を調えただけの麦粥だ。


「どうぞ、麦粥です。ちょっと冷めてますけど」

「……ありがたいが、わたしには、《ザントクリフ王国》の王陛下へと、至急、お伝えせねばならないことが……」


 めんどうなので、とりあえず彼の口に木筒の口を押し付けた。

 力のない抵抗を示したあとで、彼もなされるままになった。


「水です」


 ニックが横から皮嚢を差し出すと、彼は震える指でそれも掴んだ。

 どうやら、ずいぶん腹を空かせていたらしく、彼はあっという間に木筒と皮嚢を空にした。


 食事を摂り終えると、彼の視線もだいぶしっかりしてきて、ちょっと首を傾げた。


「……なぜ、王陛下がこのような森に? ……それに、《ザントクリフ》の森は、どれほど早く駆けても四日から五日はかかるものだと聞いていたのですが……?」


 ちょっとどきっとした。ここで彼が《人馬》の存在に気づけば、厄介なことになるんじゃないだろうか?

 だけど、そんな心配をよそに彼は勝手に緩く首を振った。


「いや、構うまい……《ザントクリフ王国》王陛下!」


 そう言った彼は、力の入っていなさそうな手足で、それでもしっかりとした礼をとる。


「このようなさもしい姿にて、失礼いたします。……わたくしめは、《モリーナ王国》・《騎士》、カッシウス・エキテス・ライツ。……《ギレヌミア人》に敗れ、囚われておりました」

「ふむ、難儀したようだな。……それで、余の耳に入れたいこととは?」

「――わたしどもを捕らえた《ギレヌミア人》が、森のさらに北に陣を構え、王陛下に入国許可を求めております!」

「ほう……」


 カッシウスはそこで歯噛みして、顔をゆがめる。


「……このように、《ギレヌミア人》の遣い番など、わたしの矜持に関わるものですが……《グリア》同胞たる《ザントクリフ王》陛下、そして、王国民のためと思い、恥を忍んでやって参りました」


 そして、ひとつ大きな呼吸をすると、カッシウスは吐き出した。


「王陛下! ヤツら――いえ、ヤツは貴国に侵攻するつもりなのです!」



――彼、カッシウス・エキテス・ライツによれば。どうも《ギレヌミア人》は居もしない《人馬》とやらを追っているのだ、と。

 それを口実にして、どうやったものか、この森の北にいた《ギレヌミア》氏族をひとつ従え、さらには《ザントクリフ王国》に侵入しようとしているらしい。

 捕らえられた《モリーナ王国》の貴族の中には《ギレヌミア人》に情報を与えてしまった者もいたそうで。


 それを耳にした《ギレヌミア人》の氏族長は、《グリア諸王国連合》が《共和国》への牽制と、北方での鎮圧行動を繰り返している間に、《ザントクリフ王国》への侵略行動を開始するつもりらしい、と。



「なにゆえ、そのようなことが知れた?」


 マルクス伯父の問いかけに、カッシウスはふたたび悔しそうに顔をゆがめた。


「あの男、ヤツは、囚われのわたしどもを前に、言ったのです。……『お前たち《グリア人》は穀物を生産するのに適しているが、脆弱だ。守ってやろう。お前たちはもう武器を手にする必要は無い。いずれ、すべての《グリア人》を余が導いてやろう』と。……《騎士》たるわたしどもに対する侮辱です!」


 乾燥して割れた唇、そして無造作に伸びたヒゲに蔽われた顔で、カッシウスは続ける。


「二日前、特に従わない《モリーナ王国》の者を集めて、ヤツはこう言いました。『お前たちにひとつ、機会をやろう。お前たちはこれから《ザントクリフ王》にこう告げるのだ。《ギレヌミア》の王が人族の敵たる《人馬》を駆逐するために入国を求めている。十日後、トリニティスの月の十五夜が明けるまでに返答がなければ、夜明けと同時に、余は《ザントクリフ》の森へと軍を進める』と!」

「ふむ、いやらしいな」


 マルクス伯父の言葉に、カッシウスは赤い顔をして頷いた。


「『《ザントクリフ王》の耳に余の言葉が入らなければ、お前たちが責めを負え。《ザントクリフ王》が期日に間に合わなければ、余はそれを《ギレヌミア王》たる余を軽んじたとみなし、《ザントクリフ王》をらしめるにやぶさかではない。十日あれば、この森を往還できよう』……そう言って、ヤツめは嗤ったのです!」


 カッシウスの悲鳴。それに重なるようにがちっ、というアンリオスが歯を食いしばった音が壁の向こう側から聞こえて来た。


「……呆れたものだ。それで、宣戦布告に代えようというつもりとは」


 マルクス伯父がため息を吐き出した。


 つまり、こちらに準備をさせずに一気に攻め寄せるつもりだったということ?

 さらに、そのアンリオスの弟子は、《ギレヌミア人》だけではなくて《グリア人》も従えるつもりなのか?


 《グリア人》を農奴にして、戦争を自分たちがやる。

 無茶苦茶だ。


「ウォード伯、《騎士》カッシウスどのを開拓村へと届けて介抱せよ。……加えて、諸侯に王命を下す」


 マルクス伯父は片腕でマントを払って、宣言した。


「出陣だ」



――マルクス伯父の赤いマントが朝陽の中で輝いていた。




「ニコラウス。そなたの予想通りだったな」


 ウォード伯とカッシウスがいなくなったあと、マルクス伯父がニックにそう声をかけた。

 僕は隣に佇むニックの顔を見上げた。


「ニックは、これを予測していたのですか?」


 ニックは軽く頷くと、ため息をついた。


「……オル。きみは、私と王が必ず戦争があるものとして準備を進めていることを疑問には思わなかったかい?」

「え? だってそれは、アンリオスたちを守るためでしょう? アンリオスたちはもう、この国の国民です」

「それなら、《ギレヌミア人》には《人馬》なんて知らない、この国には《人馬》なんていない。……そう言い張ればいいだろう?」


 まあ、それはそうだろうけど。


「戦というものは、ふつう、もう少し交渉が続くものなんだ。要求や宣戦布告があってから、それぞれ準備に入るからね。でも、王も私も、限りなくそれらを相手が省略してくるんじゃないかと考えていたんだ」

「なぜですか?」


 ニックはそこで壁に目を向ける。

 どうも、壁の向こう側の黙然としたまま、ときどき鼻を鳴らしているアンリオスへと目を向けているらしい。


「アンリオスの教導だよ。……彼は多くの種族を糾合して、《ルエルヴァ人》を駆逐することを目標にしていた。だけど、アンリオスの弟子は彼を裏切った。それはアンリオスの思想を否定したということだ。でも、同じ人族の《グリア人》国家である《モリーナ王国》への攻撃もやめなかった」

「つまり、その《ギレヌミア人》は初めからこの国さえも主眼に置いて、手を出してくることも十分にある、と考えていたわけですか?」


 ニックは頷いた。


「それに《ギレヌミア人》はその習慣上、戦闘行為に移るのに《グリア人》ほど準備が必要ない。彼らにもっとも適した戦術は基本的に奇襲だ」


 馬と共に行動する《ギレヌミア人》は機動力がある、ということか。

 だけど、僕にはどうしてもその《ギレヌミア人》の目的がわからなかった。


「でも、その《ギレヌミア人》が、さっきの言葉のように《グリア人》を完全に支配下に収めようと思っていたなら、やはり北方で戦っていたほうが戦略的には正しかったのではないですか?」

「私もそう思うけどね……」


 ニックは困ったような顔をしてマルクス伯父を見た。


「まあ、そのあたりはよかろう。会えば、わかるというものよ」

「え?」

「ちょっと待て、マルクス!」


 ニックがマルクス伯父を呼び捨てにした。

 マルクス伯父がニックを睨みつける。


「失礼いたしました、王。……会談されるおつもりか?」

「呼ばれた以上は、行かねばなるまい?」


 マルクス伯父は平然とした顔で言い放つ。


「しかし、王自ら……」

「ニコラウスよ。そなたも考えておったはずだ。余が陣頭に立てば、士気は上がる。加えて、今、敵はこちらに備えがあるなど予期しておらん」


 マルクス伯父の言葉にニックが考える顔をする。

 そして、迷った末に口を開いた。


「だが、危険です。相手がこちらの情報を入手している以上、王の力と危険性も知っているはずです。王が北の森の向こう側へと向かえば、彼らが手段を選ばずに貴方を狙う可能性は高い」

「百も承知よ。……それを、なんとかするのがそなたの仕事だ」


 なんか、マルクス伯父も無茶苦茶を言い出した。


 ニックはなにかを考え込んでいるらしく、しゃがみ込んで地面になにかを描き出した。

 なんだろう、戦場図?


 こんなニックは初めて見る。

 ちょっとしてから、ニックは指先の土を払って立ち上がった。


「……北の森の様子にもよるけれど、全軍を興して北の森に向かうことはよそう。歩兵は脚が遅い。今回は《人馬》と騎兵四百に近衛二百……それと弓兵の中から足の速い者を百名選出して一小隊を編成する。……アンリオス」


 ニックが独り言を呟いていたと思ったら、急にアンリオスに声をかけた。


「《ギレヌミア人》が森の内側に布陣する可能性は?」

「いや。森の北側、その平野部に、森から離れて布陣しておるからな。我らを警戒しているのだろう。その期日までは森に大きく入ることはないと思われる」

「《ギレヌミア人》の陣に向かい合う、森の地形と植生はどうなってる?」

「地形は平野部に向かってなだらかに下る。森から平野までは、低木が多く樹間が狭い地帯が南北に人族の脚で少なくとも百歩ほど、東西は森が途切れるまで続いている。彼奴らは進軍路を確保するために、それの一部を切り拓いておる。幅は我らが十並べるほど」

「つまり、切り拓かれている以外の低木帯を盾にすれば、森の中に布陣しても彼らから見られることはない、か」

「おそらく適うだろう」


 そこで、ニックはアンリオスに礼を言い、また独り言。


「……《ギレヌミア人》が拓いているというその進軍路を使用しよう。会談の場所は森の端を提示し、いざとなればその進軍路を通って即座に森に退去する。《ギレヌミア人》が追手を出せば、彼らもそこを通らざるを得ないから……」

「ほう。それで?」


 ニックの呟きを聞いて、マルクス伯父が先を促す。

 ニックがマルクス伯父を見た。


「王には近衛の半数だけを率いて、会談に臨んで頂きます。さも、大慌てでそれだけを用意したように。ほかの兵はすべて森に埋伏いたします。そして、会談次第ではありますが、決裂した場合、うまく森へと誘いこもうと思います」

「ふむ。では歩兵大隊は待機か?」

「いえ、この壁の付近に野営、戦闘準備にとりかかりましょう。《ギレヌミア人》の行軍速度は速い。こちらの準備も必要になるでしょう。……輜重関係は予定通りウォード伯に。こちらに残る歩兵大隊の指揮はガルバ候に願いましょう。森に埋伏する近衛はレント伯が適任かと存じます。騎兵二中隊、そして弓兵についてはそれぞれの隊長に」


 ニックは流れるようにそう言うと、僕を見た。


「オル、私は王の警護に付かなければならない。相手がほんとうに王を狙って来るなら、それを防げる者は、私以外にはいない」

「はい」


 そして、僕の肩に両手を置いて、ちょっと屈んだニックは言った。


「この作戦においてもっとも重要なのは部隊中最大数である《人馬》だ。アンリオスに指揮を執ってもらうが、きみは彼と行動を共にしてくれ」

「はい……へ?」

「オル。きみが、《人馬》部隊の隊長だ」



 ニックまでなんだか無茶を言い出した……。



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百九年、ザントクリフ王国歴千四百六十六年、トリニティスの月、八夜


 期日までにはまだ時間がある。

 それなりに足の速い部隊編成だが、できるだけ静かに行動したい。


 私たちは進軍を開始した。

 兵たちには禽獣たちをできる限り刺激しないようにゆっくりと進み、森に体を慣らしてもらう。


 幸い、この国の《騎士》たちにはイルマに引きずられて野営経験がある者も少なくない。

 ただ、埋伏の性質上、北の森の向こう側まで二日の距離になったら、マルクスの近衛隊以外、煮炊きは厳禁。干し肉などの保存食のみの食事となる。

 馬には木片を噛ませ、鳴き声を上げさせないようにする。

 相手の追撃の脚を鈍らせるために、部下の《魔法使い》たちには森のあちこちに《呪文》を刻んでもらおう。


 会談の期日の当日に使者を送り、夕刻に会談に臨めれば。

 日没を迎えれば、《ギレヌミア人》とはいえ深追いはできないはずだ。



 問題はオルレイウスだ。

 私がマルクスから離れられないとは言え、いくらなんでも無茶だっただろうか?


 しかし、アンリオスたち《人馬》だけだと、私怨に駆られる恐れもある。

 しかも、さすがに《人馬》と共に行軍するわけにはいかないから、別行動だ。


 未だ兵たちには《獣人セリアントロープ》に対する恐れもあるし、《人馬》の襲撃に遭ってから一年も経っていない。

 開拓村の開墾協力によって、それなりに《人馬》に対する恐怖が払拭されつつあるとは言っても、顔を突き合わせて何日も行動を共にするのは危険だ。

 《ギレヌミア人》と開戦する前に、こちらで内訌が生まれかねない


 オルとアンリオスにはこれからの計画について詳細に言い含めたし、連絡もある程度の頻度でとるように言ったけれど。

 やはり、不安は残る。


 最近はなりを潜めているが、小さなころのオルはイルマに似て無茶をするタイプだった。

 単独で助けも呼ばないで、《ピュート》と格闘戦を演じていたこともあった。


……早計だったか?


 加えて、ひとつ気になることがある。


 なぜ、オルはアンリオスと共に行動するに当って剣を持ちだしたのだろう?

 イルマが恋しいからと言って、引っ越しのときも持って来ていたのは知っていたが。

 戦場でのお守り代わりということだろうか?


 まさか、さすがに全裸になって剣を振る、なんてことはないだろうとは思うが……。

 だって、オルの《剣術系技能》は小さいころに訓練を終了してしまっているのだから〉

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