第31話



 深夜、黒々とした北の森の端。開拓地と森の境界を区切る木製の柵を跳び越えた。

 着地すると、裸足の足裏が柔らかい土に少しだけ沈む。

 柵の開拓村側には、すきそりがいくつも放置されている。たぶん、少し前にはいくらかの麦の袋も置かれていただろう。


 そろそろ《呪文》の効果も切れる。

 片手に剣だけを携えて、僕は少しだけ先を急ぐ。


 地面にぽつぽつ落ちている、傘を開いたような実を蹴って進む。

 細長い葉をハリネズミのように生やした枝が、頭上に茂っていた。

 樹幹が太く、ひび割れた木肌。

 見上げてもなかなか頂点の見えない、背の高い木々の間を通り抜け、ぽっかり空いた天然の広場へと出る。


 広場を横断している、ニックが春に立ち上げた厚い土壁は、今は少しだけ様子が変わっている。

 開墾のときにごろごろ出て来たらしい岩を壁の内側に積み上げて補強し、さらに新しく土を盛ってその両端が延長されている。

 街の城壁よりも相当低いし、造りは粗いけど、ちょっとした要塞が森の一部を横断している形だ。


 僕はするする壁を登ると、反対側へと飛び降りた。ここまで来てしまえば、人目につくことはもう無い。

 ときどき、木の幹に刻んである矢印のような印を確認しながら、森の中を進む。


 冬を前にして気温が下がってきているようだけど、僕にはあまり関係ない。


 もう少し走れば、《人馬ケンタウルス》が住んでいる森の中央部にかかるはず。

 そんなとき、僕の目が木立の奥に一頭の大きな影を捉えた。良く見ると尻尾にふさふさ茂った木の枝が一房括りつけられている。

 彼は、毎晩このぐらいの時間になると僕を待ち受けている。


 僕は声の届く場所まで木立の間を急いだ。


「……やはり、来たか……」


 僕を待ち受けていたアンリオスがそう呟いたのがわかった。


「アンリオス、聞こえていますよ!」


 とび色の瞳を細めて彼は、大きなため息をついた。

 僕は彼に駆け寄っていく。


「オルレイウス。我らは貴様に与えられた役目をこなしている。毎晩ひとりで来る理由がどこにある?」

「前にも言ったでしょう、僕は剣術の鍛錬をしなければならないのです。誰にも内緒で」


 彼の目の前に立ち、見下されながらも主張する。


「それは構わん。ここは、我らと《ザントクリフ》によって認められている、将来、貴様の領地なのだからな。……しかし」


 そこでアンリオスは、人体と馬体の境目あたりに両拳を当てて、またため息。


「なぜ、毎度、全裸なのだ?」


 そう。アンリオスの言葉通り、僕は全裸だ。



 前から僕は、全裸になるたびガイウスの体調の悪化を懸念していた。

 これ以上、ガイウスの寿命を縮めるわけにはいかない。

 かといって、さぼればイルマのおしおきが待っている可能性がある。


 ということで、最近は早めに床について、深夜に起きては北の森の《人馬》の居留地に来ていた。

 ここなら、《人馬》以外の人目はないし、存分に鍛錬に励める。


 ただ、僕が《福音持ちギフテッド》だということを《人馬》たちには明かしていない。

 いちおう、ニックとの約束があるからだ。


 結果、戦闘以外人族と接したことのないほとんどの《人馬》たちには、人族の子供とは奇妙で頑丈なものだと思われているらしい。

 ただ、《ギレヌミア人》の子供を養育した経験のあるアンリオスからは、なんだか微妙な対応をされている。

 アンリオスは僕になにかあることを察しているみたいだけど、特に追及はしてこない。

 代わりと言ってはなんだけど、僕もアンリオスの失敗談については言及していない。


 だから、僕はアンリオスに向かって今日もこう答える。


「母の教育方針です。それに僕もそうだけど、アンリオスも全裸ではないですか?」

「……まあ、そうか。……並んで歩くがいい」


 そう言って、アンリオスは僕を伴って《人馬》の居留地へ向かって歩き出した。

 尾に括りつけられた大ぶりな枝葉が、僕らの足跡を消していく。


「また、同胞が合流した。……手傷を負っているものもある」


 アンリオスが僕にそう報告していた。

 各地に遣いへと出していた《人馬》たちが、アンリオスが各地で刻み付けた目印を元に集合しているらしい。

 いちおう、追手がかからないように配慮はしているが、どの程度効果を上げるかは微妙だという。


「では、ニックに《祈り》を捧げてもらいましょう」

「……別に、それほどの深手ではない。……毒とて暫く待てば癒えたのだ」


 《人馬》を苛んでいた毒はかなりの強毒だったようだけど、居留地を訪れたニックの《祈り》によって多くの《人馬》が床から起き上がれるようになっていた。

 神々の力をもってすれば、容易いことらしい。

 ただ、アンリオス曰く、長命で肉体の強い《人馬族》ならば十数年もすればおおよそ快復しただろう、ということ。


 本にも書かれていたけど、《獣人セリアントロープ》の肉体の抵抗能力と自然治癒能力は全種族のうちでも最高らしい。

 アンリオスの言葉もただの虚勢じゃない。


 だけど、毒を受けてから二年の放浪期間で、多くの《人馬》が既にかなり弱っていた。

 ニックの《祈り》を受けなければ、死んでいた《人馬》もいたはずだ。


「それでも、今回も受けてくださいね? ニックの言っていた通りなのですから」

「……まあ、わかっておる」


 アンリオスは不服そうにではあるけれど肯いた。



 《人馬》たちの多くは、ニックによる治療を拒否しようとした。

 それを受ければ、誇りは汚される、と。


 ニックはそんな彼らに言った。

 《祈り》は《陽の神》の手によるものであって、ニックの手によるものではない、と。

 神々の恩寵を拒絶することのほうが、不名誉なのではないか、と。


 アンリオスも言葉を添え、ようやく《人馬》たちは《祈り》を受けた。



「やはり、ニックの《祈り》を受けることが不満なのですか? アンリオス?」


 僕の問いかけに森の中、アンリオスが四つの足を止める。


「我らは、古き種族だ。……誇りとは、過ぎ去ったものを積み重ねた重みなのだ、子供よ。我らは人族よりも古いゆえに、誇りの重みは貴様らの比ではない」

「他者の手を借りることは、誇りにとって正しくはないのですか?」

「……望ましくはない。だが、誇りは汚されようとも、すすぐことはなお叶う」


 そう言って、アンリオスはどこか遠くを睨みつける。

 その視線が向かうのは北。


「我が魂には、恥辱に塗れようとも、取り返さねばならぬものがある。……それに」

「それに?」


 彼は上体だけで隣を歩く僕を振り返った。


「オルレイウス。貴様を介して借りる助力は、すべて貴様の手によるものよ。『裏切り者』の手を借りているわけではない」


 アンリオスは、大真面目な顔でそう言った。


「貴様は、我らを見捨てることもできた。我が心とて、それならば討ち死にを選んだろう。だが、貴様が誇りを言葉に懸けていることはわかった」

「誇りを懸けた言葉ですか?」


 暗闇にアンリオスのとび色の瞳が細められる。


「貴様の舌に踊った小利などではない。それの元となった力だ。それは、ときに《戦士》の一太刀にも宿るものよ」

「そんな大層なもの、僕は持ち合わせていないと思いますが?」


 僕の言葉にアンリオスが厳しい声を出す。


「謙るな、子供。よいか? 我が心は貴様の誇りに打たれたのだ。それが情けなどではなく、貴様が本心から高みを望んでいたからこそ、我が誇りは譲ったのだ」


 アンリオスは手を伸ばすと僕の頭の上に置いた。


「貴様が謙れば、我が誇りもまた無為となるだろう。ゆえに、胸を張るのだ」

「胸を?」


 彼は僕の頭を撫でながら頷いた。


「そうだ。……すべて、《ザントクリフ》の王の掌の上だったと思うか、オルレイウス。……己が誇りと我が目を侮るな。あのとき、貴様は確かに勝ち取ったのだ。……ゆえに、これに関して一歩たりとも譲るでない」


 人よりも高いところから眺めるという、アンリオスのその言葉に、僕は強く頷いた。



 《人馬》の居留地までの道のりは一見、ふつうの森と変わらない。

 だけど、アンリオスの後ろに付いていかないと、きっとすぐに迷うだろう。


 ただでさえ、目印なりそうなものが少ない森の中。

 だけどこの辺りにだけ、不自然なくらいきれいな長方形の石が地面に落ちている。


 それを指標にしようとしても、実はほかにもこんな石がたくさんある。

 樹木に傷を付けて目印にしようとしても、実はところどころの樹木に同じような傷が刻んである。

 薄暗くて見渡せない森の中で、目印になりそうなもののダミーがそこら中に溢れている。


 準備をしてこないと確実に迷うように《人馬》たちが配慮している。

 本物の目印があるらしいけど、アンリオスには教えて貰っていない。

 尋ねれば教えてくれるかもしれないけど、迷路の謎解きはそれはそれで面白いし、なにより機密はできる限り守られたほうがいい。


 アンリオスの隣に並んで、同じような道とも言えない道を進むと、大きな天然岩がひとつ見えてくる。

 その周囲で《人馬》たちがそれぞれ思い思いに体を休めていた。岩に寄りかかったり、幹に寄り添ったり。

 ちなみに、《人馬》にも稀に女性が産まれるようだけど、ほとんどは男性らしい。


 書籍の話が事実ならば、多くの場合、高地で《雲の女精霊ニンフ》を伴侶として迎えることで、彼らは子供を産むらしい。

 だからなのか、ここには男性の《人馬》しかいない。


「一仕事終えたあとだ。起こしてくれるな」

「開墾ですね?」


 アンリオスが軽く頷いた。



 マルクス伯父は初めから、《人馬》の存在をすぐに国民におおやけにするつもりはなかったようだ。

 しかし、もう《人馬》が開拓村を襲ったという噂が拡がっている。


 そこでマルクス伯父は行商人を何人か買収してこんな噂を流させた。


――穀物と犂を供えると、《人馬》は穀物を報酬として、開墾を代わってくれるらしい――


 草の根作戦だ。

 それは今のところ功を奏している。


 アンリオスたちは開墾や耕作だけではなくて、切り出した丸太や、掘り起こされた大岩の運搬なんかもやっていた。

 彼ら《人馬》の総勢はおおよそ千ほど。まだ増えている。


 半数以上が既に完全に快復して、作業に従事していた。

 それに、彼らの食料に関しては国内の穀物を買い上げていた貯蓄がずいぶんあって、それを充てている。



「今度はパンをいくらか頼む。同胞のうちでも望む者が多い」

「パンも食べるのですか?」

「ああ。……人族が作るものは多いが、あのように美味なものは未だに知らぬ。我らはもとより食には質をあまり求めぬゆえ、遊び心に欠けるのだろう」


 それで、誇りを捨てるようなことはよもや無いだろうが。

 そう苦笑するアンリオスに、僕もまた苦笑を浮かべた。


……そういえば、彼は食事に関してもの凄い失敗談を持っていたな。

 そんなことも思い出して、僕はちょっとだけアンリオスから離れた。



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百九年、ザントクリフ王国歴千四百六十六年、エルモネラの月、二十夜


 先日、麦の播種が終わった。

 これでしばらくは農夫は休みとなる。彼らの多くは城内に入り、内職に励むだろう。


 冬場は樹木が乾燥するため、木の切り出しには適した時期だ。

 農家の次男以下を集めて、冬いっぱいでできる限り丸太にしておきたいところだ。加えて、切り株の掘り起こしもある。

 彼らも耕作地が与えられるとなれば、ある程度は頑張ってくれるだろう。



 一方、文派貴族と武派貴族の対立がわずかばかり緊張を増している。

 今までは敵がいなかったが、《人馬》の出現によってそれが鮮明化した。


 さらには、マルクスが予測されると言った《ギレヌミア人》の接近。

 文派は警戒を強め、馬の侵攻を阻むために森に防壁を築き始めた。


 武派は《人馬》の説得に成功したことで自信を強めている。

 《人馬》が戦闘を恐れて傘下に降ったのだから、《ギレヌミア人》など恐れるに足らない、と。


 そして、もうひとつ。

 半ば以上の貴族たちが、《ギレヌミア人》が来るとは考えていない。



「先日招いた商人たちによれば、珍しく鉄の武器を持った《ギレヌミア人》を見たそうだ。ここからも遠くない」


 会議で発されたマルクスの言葉が、アンリオスの仇敵の接近を意味したものだとわかった。


 商人たちは《義侠の神》によって護られている。

 《義侠の神》にして《既知の神》、この地上を《疾風の》ごとく彷徨う、あの神は《旅人の護り手》という尊名も持つ。

 《ドルイド》たちの中ではもっとも尊崇されている神だ。


 商人を情報収集に使うというマルクスの方法は、その点でなかなか的を射たものだ。

 彼ら商人を無暗に傷つける者は《グリア人》はもちろん、《ギレヌミア人》にもそうはいない。

 北方の広い範囲に《ドルイド》は根を張っているし、彼らは貴重な物を携えて来訪するからだ。

 だから、商人たちは様々な地域を横断して、種々雑多な情報を仕入れてくる。


 玉石混交だろうが、マルクスの耳はなかなかどうして必要なものを拾って来る。

 だが、流石に私もマルクスの次の言葉を疑った。


「……もしかすると、冬に攻めてくることもあるかもしれん」


 それを聴いた貴族たちの中にはあからさまな苦笑を浮かべる者さえあった。

 冬は、この辺り《大陸》北西部でも雪が降る。雪中を侵すものなど、《魔獣種モンストゥルム》ぐらいのものだ。

 下手に雪の中で行軍などすれば、雪に閉じ込められる可能性もある。

 《ギレヌミア諸族》だって、焼いて荒地にした逗留地に冬営して動かないはずだ。


 ただ、ルード宮宰とウォード伯だけが蒼い顔をしていた。マルクスの言葉が、ゆえの無いものであった試しがないことをよく理解しているからだ。


 マルクスの能力は、彼に近い者ほどよく理解している。

 確かに、マルクスはこの国の大部分の貴族から認められている。

 文派の貴族たちからは、気ままだが博識の王として。

 武派の貴族たちからは、強力な肉体を持つ王として。


 だが、マルクスの懐はもう少し深い。


 そして、その片鱗を知ってはいても、理解している者は存外、少ない。



「宮宰。念のため、イルマを呼び戻すように《モリーナ王国》に遣いに出てくれ。叶うならば、一部、兵も借り受けたいと」


 貴族たちは鼻白んだ空気を醸していたが、私は疑問を抱いていた。


 今のこの国の戦力は、《人馬》を含めれば五千近くになる。

 しかも《人馬》は強力だ。それでも、イルマの力がいるほどの敵なのだろうか、と。


 私の視線に気がついたらしい、マルクスが珍しく困ったような顔をしていた。

……こういうときのマルクスは、なにかほんとうに無理を強いるつもりなのだ〉



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る