第22話



「……さて、今夜は《魔法》について理解を深めてみようか?」

「はい、ニック」


 僕が九つを迎えたある冬の夜。

 ニックが突然そう言いだした。


「ついておいで」


 そう言うと、ニックはいつものように書斎ではなく、地下室へと僕を招く。



 《魔法》の勉強は常に進められていた。それはおもに個々の詩編や《魔導書グリモア》による語彙の蒐集。

 これらが《魔法》の基礎で、できるだけ美麗な言辞を学ぶことは《魔法》の威力の安定化に直結することらしい。


 実際にいくらか《魔法》の実践もしたけど、それがニックの前で行われることはあんまりなかった。

 そもそも、僕が習っている《魔法》は未だに《幻惑魔法》と《植物魔法》だけ。


 《幻惑魔法》をかけるためには相手が必要だけど、肉体が強力なイルマにはまったく効かない。

 ニックによれば、《魔力オド》によって直接精神に干渉する《幻惑魔法》は、強力な肉体と鋼の精神力を持った人にはあんまり効果をあげないらしい。

 かと言って、老齢のガイウスに《幻惑魔法》の《束縛魔法》や《混乱魔法》、《幻影魔法》なんかを試すのは気が引けた。

 結果、僕は《幻惑魔法》については、ガイウスにかける《鎮静魔法》にだけ習熟することになった。


 その代わりに、物理的に効力を発揮する《植物魔法》については、存分にイルマに試させてもらった。


 《植物魔法》はその名の通り、植物に《魔力》を注ぎ込んで、急激に成長させたり、逆に枯れさせたりすることができる《魔法》。

 専門家は種を持って歩くことも多いらしい。そうじゃなくとも、植物の種や根ってそこらへんに結構埋まってるらしい。

 使う場面は限られているようで、その汎用性は高い。


 ただ。《拘束魔法》《攻撃魔法》《防衛魔法》……ぜーんぶ、イルマの一薙ぎによって刈り取られた。


 そう。《魔法》はイルマに対しては意外と使えなかったんだ。

 これは相手が悪いのか、それとも僕の言葉の選択がいけないのか?

 それとも、僕の《魔力》の量が少ないのか?


 ニックに訊いてみると、イルマに《魔法》を通そうと思ったら大変だよ、と苦笑された。

 どうやら相手が悪かったらしい。



 ということで、僕は実践も含めてある程度は《魔法》に習熟していたけど、その理論的なことに関して多くの知識を有しているとはまだまだ言い難かった。

 ニックが「理解を深めよう」と言いだしたということは、僕の《魔法》学習も佳境に入ったということだろうか?


 地下室に到着すると、大きな《かま》の前に立ったニックが僕を振り返る。


「さて、オルは《魔導の素養》に関する大まかな四つのタイプを憶えているかい?」

「ええ、……『《魔力量》が多くて、《魔力》を感知できないタイプ』『《魔力量》が少なくて、《魔力》を感知できるタイプ』『《魔力量》が多くて、《魔力》を感知できるタイプ』『《魔力量》が少なくて、《魔力》を感知できないタイプ』……でしたよね?」

「そうだね」


 ついでに僕はそれぞれの向き不向きも思い出した。


 『《魔力量》が多くて、《魔力》を感知できないタイプ』の例は、端的にイルマ。

 肉体の強さと《魔力》に対する感覚の鋭さには反比例関係がある。

 一般的に常軌を逸した肉体を持っている人はそれが顕著らしく、どんなに近くに《魔法使い》がいても、終生、《魔力》を感知することは無い。

 彼らに向いているのは《戦士》。


 『《魔力量》が少なくて、《魔力》を感知できるタイプ』は一番数が多いらしい。

 もちろん、産まれつき《魔力》を感知することができる人は十人に一人程度だけど、《魔力》の感知能力は開花する。

 ニックによれば、そういう意味では大多数の人間が《魔導の素養》を持っているのだと言う。

 こういう人の中には五感が優れる人もいるらしく、環境の変化にもそれなりに敏感で《生産職》に向いている。


 『《魔力量》が多くて、《魔力》を感知できるタイプ』はニックがそう。

 ニックのように《魔法使い》にはこのタイプが多いし、《学者》なんかも多いらしい。


 『《魔力量》が少なくて、《魔力》を感知できないタイプ』には繊細な人が多い。

 必ずと言っていいほど五感のすべてが鋭敏で、専門職に向いている。

 《鍛冶師》なんかの《技巧職》にはこういう人が多いらしい。


 僕はと言うと、微妙。

 強いて言えば服を着ているときにはニックに近くて、全裸のときはイルマに近い。

 そもそも、この分類自体が非常に曖昧で、ひとつの目安にすぎない。


「《魔力量》は、熟練の《神官クレリック》の手による《祈り》――《洗礼》は別として、《鑑定》でも調べられないという話はもうしたね?」

「ええ、だから便宜的に今みたいな分類を行うのですよね?」


 《鑑定》で見れる《技能スキル》には《魔法》関係の技術は一切含まれない。

 それがどうしてなのかということは僕も訊いてみたけど、《ドリアハトゥ》に関係するらしくてニックは答えてくれなかった。


 とりあえず、《魔力量》が測れないというのは結構危ない。

 《魔法》はノーリスクの技術じゃない。

 実際、調子に乗ってイルマに向かって《呪文》を唱え過ぎたら、ちょっとくらっとしたことがあった。


 ニックに初めに教えてもらったこと。

 人間は《魔力》を失い過ぎると廃人になってしまう。それこそまるで『魂』でも抜けたみたいに。

 だから、無暗に《魔法》を使ってはいけない。


 目眩めまいは初期症状。次にくるのが吐き気や頭痛などの肉体の拒絶反応。

 そして、それさえ通り越すと意識が次第に遠くなってそのまま意識が戻らないという。

 だから、目眩を感じた時点で《魔法使い》の多くは《魔力》が切れたと申告することが多い。


「オル、今日はきみにひとつ問題を出そう。……それに正解できたら、きみに私は《ドリアハトゥ》の密儀に含まれる情報のすべてを教えていこうと思う」


 ニックは静かに僕を見つめていた。

 そして、問いが放たれる。


「《魔力オド》とは、なにか?」


 考えるまでもない。


「『魂』。それか、その力ですよね、ニック?」


 僕は即答した。

……この結論はだいぶ前に導き出していたものだった。



 きっかけは僕が初めて服を着せられた翌日。

 ニックは確かにこう言っていた。


――『魂』に関する力は、どんな《技能》の範疇にも含まれていない――


 そして、《魔法》は《技能》外の技術というニックの言葉。

 《鑑定》によって吐き出されない《魔法》関係の技術。


 これだけ材料が揃っていれば馬鹿だってわかる。



 ニックがゆっくりと口を開いた。


「惜しいね。けど不正解だ」

「……え?」


 ニックはちょっとだけ笑った。


「優秀なオルでも間違えることはあるらしい。……少しだけ安心したよ」

「惜しい? ということは近いのですか?」


 ニックは微笑を浮かべる。そこには肯定も否定も無い。

 これ以上のヒントは与えられないみたい。


 だけど『魂』に近いものってなんだろう? 精神、心、思考……思考能力は《技能》にあるから違う可能性が高い。

 いったいなんだ?


 ふと、視線を上げるとニックが穏やかに僕を眺めていた。


「……ニック、これは僕が正解を探すべきものですね?」

「その通りだよ、オルレイウス。そして、きみは正解に辿り着くことができると僕は思う」


 さてと、そう言うとニックは続ける。


「こういう場合も予想していたんだ。次の段階に移ろうか?」

「お願いします」


 僕がいつも通りにそう言うと、ニックはちょっとだけ間を置いてから。


「……《魔力オド》を使い過ぎると廃人になる、そのことは憶えているね?」

「ええ、もちろんですけど?」


 そう聴いていたからこそ、僕は《魔力》が『魂』だと思ったんだ。

 『魂』が抜けてしまえば、肉体だけでは生きていけないんだろう。

 僕がこの肉体に宿ったように、肉体に『魂』が必要とされるのがこの世界だ。


「実はそのとき、《魔力オド》は喪われているわけではないんだよ、オル」

「……そうなのですか?」

「《魔力オド》を使用し過ぎたときの症状にはいくつかある。ほかにも、《魔導の素養》がすべて喪われてしまったり、肉体が《魔法》と化すこともある」

「人間が《魔法》になるのですか?」

「ああ。……《炎熱魔法》を使用した者が炎と化したり、《凍冷魔法》を使用していた者の体が凍りついて萎んで最後には砕けた、なんて姿も見た覚えがある。……《幻惑魔法》の場合は肉体が霧状になって消えてしまう」


 怖すぎる。


「わかるかい、オル? これらは《魔力オド》を喪った結果ではないんだ。むしろ、《魔力オド》の奔流とも言えるものだろう」

「《魔力》の奔流?」

「そう。そもそも《魔力量》とは、個人の肉体に常に蓄えられている《魔力》の量……という意味じゃない」


 違うのか?

 それに、《魔力》が奔流する?

 それは、人間の体を巡っているという《魔力》の流れのことなのか?

 いや、感じとしては違う。


 ニックは《魔力》が喪われているわけではないと言った。だけど、《魔法》は《魔力》を使用して現象を起こすもののはず。

 つまり、《魔力》はどこかから僕らの体に補給されている?

 ニックが言っていた奔流というのは、そこから僕らの体に《魔力》が流れ込みすぎるということ?


「このぐらいにしておこう。……さて、オルさえ良ければなんだけど。……これから数日にわけて、きみの体に文言を入れていこうと思う」

「それは、ニックの体と同じ、《魔法》を発動させるための《呪文スペル》ですか?」

「……察していたようだね。これに関してはオルの予想通りだよ」


 そう言ってニックはシャツに袖を捲り上げた。

 そこには黒い文字が踊っていた。


「刺青なのですか?」

「少し違うけど。……おそらくは生涯消えることはないだろう」

「これは《ドリアハトゥ》に関わることではなかったのですか?」


 ニックは頷いた。


「そうだよ。……だけど、私たちにはあまり時間が無い」

「時間が無い? どういうことですか?」

「少しばかり情勢が動いているのさ。……もしかすると、オルも闘うことになるかもしれない」

「僕が闘うのですか? 誰と?」


 ニックは少しだけ苦そうな顔をした。


「もしかしたら、というだけだから。……敵の姿を想像して欲しくはないから。ただ、きみにも自衛手段が必要だ。いいかい? あくまでも自分を護るためだけだ」

「この国が戦場になるということですか?」

「その可能性は無いわけではないし、これまでだって皆無ではなかった。……ただ、ちょっと手薄になる」

「《グリア諸王国連合》が軍事行動を起こすということはガイウスから聴いていますけど……まさかイルマが行くのですか?」

「そう。でもそれは、まだ貴族階級しか知らない。……イルマがいなくなると皆不安がるだろうからね」


 一昨年の冬前。北方の雄、《モリーナ王国》というグリアの王国が滅びたことは僕もガイウスから聞き知っていた。

 だけど、《モリーナ王国》は遠い国だから直接の影響はないだろうとガイウスは言っていたけど。

 これも、その流れの一環なのだろうか?


 ガイウスが言っていたことを思い出す。

 この国にはまともな戦力が無い。

 イルマと地理によって保っているようなものだ、と。


 ニックが自分の腕に目を落として呟く。


「これは生涯消えないものだ。……特別な《竜種ドラコーン》の血液を使うからね」


 そして、しゃがみ込むと僕の両肩を掴んで僕と視線を合わせる。


「イヤならいい。これは私の杞憂にすぎないかもしれないんだ。無理強いをするつもりなんてない」

「ニック? ……もしかして僕も戦争に参加するのですか?」

「それは無いのだけど……」


 僕はニックの様子を見て、決めた。


「わかりました、ニック。僕に《呪文》を刻んでください」

「……覚悟はいいかい? さっきも言ったようにこれは生涯消えることはないだろう。……そして、痛みがある。《幻惑魔法》によってある程度は緩和できるとは思うけど」

「大丈夫ですよ、ニック」


 ニックは心配そうだったけど、僕は嬉しかった。

 確かに一生消えない刺青っていうのはかなり腰が引けるけど、ニックという前例がある。

 そして、そのニックが僕を頼りにしてくれている。


 ニックは硬い表情で頷いた。


「ありがとう、オル。……それでは刻み込む文言を選ぼうか?」

「はい!」

「その前に……ひとつだけ約束して欲しい」


 ニックはその大きな両手で僕の頬を挟んだ。


「なんですか?」

「人族を……いや《エルフ》や《ドワーフ》、そしてもし生き残っていたとしても《獣人セリアントロープ》も《魔族デモニア》も殺さないと約束してくれないか?」

「いいですよ? でも、もし殺さなければ、この国の人が死んでしまう、そういう場合は例外ですよね?」

「いや、そういうときでも出来ればこの誓いを破って欲しくはないんだ。……無茶苦茶な願いだということはわかっているつもりだが……」


 哀しそうなニックの瞳。

 ニックがそこまで言うのなら。


「わかりました。できる限り、僕はそれらの種族の生命を奪いません」

「神に誓えるかい?」


 この世界には神々が実在する。

 その神に誓言を立てるということは、それを破れば神罰を受けるということだ。


「誓います。約束は《義侠の神》の領分ですよね?」

「そうだよ」

「では、改めて。《義侠神ヴォルカリウス》と父ニコラウスの名に誓います。僕は人族と《エルフ》や《ドワーフ》、《獣人》、《魔族》の生命を出来得る限り奪いません」


 ニックが僕を見てゆっくりと頷いた。



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百八年、ザントクリフ王国歴千四百六十五年、ディースの月、十五夜


 数日前、欝々としたマルクスが私に向かってこう言った。


「……少しイヤな噂が入っている。《獣人セリアントロープ》が出た、と」


 まさか。

 私は苦笑した。《魔族戦争》での敗戦を機に《獣人》は北方の《以遠海ビヨンド・オーシャン》を越えたはずだ。

 《ラマティルトス大陸》に残っているものなど。


「《人馬ケンタウルス》だったそうだ。……北方の《王国》から来た商人の話ではあったが」


 《人馬ケンタウルス》。

 半人半馬の知性に富んだ種族だ。弓矢の名手が多く、理性的だが一度怒れば手がつけられない。

 だが、彼らは全滅したはずだ。百八年前の《魔族戦争》の終結とともに。


「その商人が見たのは数頭の群れと思われる影だけだったそうだが、翌朝には蹄の跡と、樹木に刻まれた矢印のような奇妙な印を確認したそうだ。その写しを譲ってもらった、どう見る?」


 騎乗した兵士と見間違えたのではないのか?


 私は差し出された紙片を見た。

 確かに、《獣人》の文字に見えた。


 内容は、「まだ、追ってきている」という簡潔なもの。

 おそらくは仲間に示された警告文。


 その商人はどこへ、なにを売りに行っていたのか?

 私がそう問うと、マルクスは顔をしかめた。


「《ギレヌミア》の領域に酒を卸しに行っていた、と。……だが、武器ということも十分に考えられる」


 《ギレヌミア》の氏族と《人馬》が交戦した? 確かに、交戦したのが《ギレヌミア》ならばグリア領域に情報が流れてくる可能性は低いが。

 加えて、この警告。《人馬》がほんとうにいるならば、敗走した可能性は高い。


 どちらに向かったというのか?


「南西の方角へ。蹄の跡は続いていたようだ」


 我が国のある方角。


「警戒は必要か……」


 私の顔色を見て、マルクスがそう呟いた。



 今日になって私は決断した。

 オルレイウスの体に《呪文スペル》を刻み込む。


 意外にもイルマはこの春に決定した連合軍の出兵にオルを連れていくとは言わなかった。


「オルが闘うところが、人目につくのはいけないもの」


 とイルマは言っていた。

 なるほど、一理ある。あの年齢の《魔法使い》は多くない。

 彼が戦闘に参加すれば悪目立ちすることだろう。



 ただでさえ、これからイルマがこの国を留守にする。

 加えて、周辺の《ギレヌミア諸族》の動向にも変化があるように思える。

 昨年の夏この国の北方の森、その奥で黒煙が上がったという報告が入っていた。自然火災でなければ、《ギレヌミア人》が森を焼いていたのだと思われる。

 彼らは私たちが危惧していたように接近しているのだ。


……問題は、《人馬》がいた場合だ。

 彼らの脚は速い。そして、《ギレヌミア人》に追われているとすれば、《ギレヌミア人》の氏族同士が接近する可能性が高い。

 《人馬》の存在に刺激されたことで《ギレヌミア人》が《ザントクリフ王国》まで迫ってくる可能性はどの程度だろうか?


 そして、《人馬》は強い。もちろん彼らが進路を変えることは考えられる。

 だが、今はグリア諸国から多くの軍勢が北方に向かっているはずだ。

 彼らの進路は自ずと限定される。


 杞憂と言うべきだろうか?

 しかし、体の弱いオルレイウスを無防備なまま放置しておくわけにもいかない。



『なんで、オルレイウスにあんな誓いを立てさせたんだ?』


 《ピュート》の言葉。

 大したことじゃない。オルの転生者という性質と《福音》は、ほかの人族とは大きくかけ離れたものだったからだ。

 もし、彼が他人を傷つけ、他人を殺せば、彼の居場所はどんどん少なくなっていくだろう。


……私がそうだったように。


『ご苦労なこったな』


 お前にはわからんだろうが、そう言うと《蛇》は意外なことを言った。


『いや。……《ピュート》はお前さんに親近感を覚えてるのさ。だから、なんとなくはわかっているつもりだ』


 どういうことだ?

 そう問うても、その晩、《蛇》はそれ以上口を利かなかった〉

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